【完結】シンボリルドルフを轢け逃げられますようにと、彼女は願った   作:ムーンフォックス

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最終話です。
後書きにくぅ~疲みたいなのがあります。


有馬記念

 走る

 何のために?

 

 走る

 誰のために?

 

 走る

 (ため)、とは?

 

 為すべきこととは?

 

 最初は、ひたすらに再会を求めていた。

 走ることなんて嫌だったけど、会いたいから

 会いたいなら、気づくと嫌なことなんて全部どうでも良くなっていた。

 

 ──走るのが楽しくなっていたのは、いつからだろう。

 

 きっかけは、ハイリボルケッタに言われた一言。

 自分でも気づかなかった本心がようやくわかった。

 

 それからは、走ることも楽しくなっていた。

 じゃあ私は走ることを楽しむためにレースに出ているのか? 違うだろ。

 

 私が走るのはシンボリルドルフに勝つためか?

 最初は違かった、シンボリルドルフに勝つことなんてどうでも良かった。

 でも今は、皐月賞や有馬記念やジャパンカップを経た今は──勝ちたい。

 

 そして私は、シンボリルドルフにやられたハイリボルケッタや、暁トレーナーの思いも受け継いでいる。

 じゃあ何か?

 詰まるところ私が走る理由は走るのが楽しくて、シンボリルドルフに勝ちたくて、ハイリボルケッタの雪辱を果たしたくて、暁トレーナーに恩を返したくて──

 それで──

 

「…いや、違うだろ『シンボリアードルフ』」

 

 理由なんてどうでも良かった。

 その人にどうして私を捨てたんだとぶん殴りたかったし、その人にどうして私の前に一度も姿を現さなかったのと泣きたかった。その人に何か理由があれば寄り添いたかったし、その人に会えたことの喜びを分かち合いたかった。

 

 そうさ、結局私は──

 

 その人に

 母に、会いたかった。

 

 

最終話

 

 

 そして母はこの場にいる。

 私の最後の晴れ舞台、きっとこれですべてが決まる。観客席を見渡す、母の姿は見当たらない。

 けど

 

「ここにいるんだろ? ───母さん」

 

 

『有馬記念』

 

 


 ──ではあの時、キングダムエクスプレスはどこか浮かない様子だったと?

 

 暁:ええ。と言っても、今考えると前々からその兆候はあったように感じますね。

 

 ──というと、どのような?

 

 暁:異変に気づいたのはジャパンカップの後、何処かに出掛けて、帰ってきてからでした。なんというか……エクスプレスにしては珍しく狼狽えていたというか動揺をしていたというか。実際、有馬に向けてトレーニングをする回数を何時にも増して増えていたというか──

 

 ──その動揺の正体に、心当たりは?

 

 暁:さあね……知らないですね。でもいつもエクスプレスは言っていましたね。どうしても走らなくちゃならない理由があって競走ウマ娘になったって、きっとそれが原因だったんだと思います。

 

 


 

 

「獅子搏兎、かつて私が言った言葉を覚えているかな?」

「えー……なんだっけな」

「無理もない、二年前も前の話だ。獅子は兎を狩るときに全力を出す──だがそれは兎の持つ瞬発力を獅子は消して侮らないからだ」

「始めて知ったなそりゃ」

「兎はすばしっこく、故に油断すれば直ぐに逃げられてしまう……かつての君は、そんな兎未満の井底之蛙だった」

 

 地下バ道に、二人のウマ娘がいる。

 緑の軍服に身を包む皇帝──シンボリルドルフ。

 対するは青緑の制服を着る超特急──キングダムエクスプレス。

 

「蛙如きに全力を出すのは、例え獅子とて行わない。だが──」

 

 瞳がエクスプレスを下から捉え、やがて目線がエクスプレスと並ぶ。

 

「どうやら君は、百折不撓の果て、私と並べるようになったようだな」

「並ぶ、ねぇ…?」

 

 ビッ、と人差し指がルドルフに向けられる。

 

「残念、私はもうアンタなんて見ちゃいないのさ」

「となると、三千世界でも目指すのかな?」

「そこまでデカくも無い」

 

 自信満々の喜色の瞳は、かつてのエクスプレスからは想像もできない。

 

「……ならば?」

「今日、この私の走りを観にくるであろう人のために、私は走る」

「……変わったな、お前は」

「それはそっちもだろ、シンボリルドルフ」

 

 響く笑い声(ハハハハハ)、絶対的な皇帝が

 笑った

 嗤うが

 嘲笑いはしなかった

 

 それっきりだ。会話は起こらない。

 

 二人揃い

 二人平行し

 二人緑の芝生へ降り立ち

 そこには観客席に犇めく人が

 人が出せる限界の歓声で両者を出迎えた。

 

「……嗚呼、まるで極楽浄土」

 

 シンボリルドルフがポツリ、

 

「これが夢で雲散霧消してしまうのではないかとすら思う」

 

 シンボリルドルフがはっきり

 キングダムエクスプレスを見る。

 

「……極楽浄土、ねぇ」

 

 エクスプレスはシンボリルドルフに指を下に向けた。

 

「だったら地の底に落としてやる」

「鬼面赫人はそこまでにしろよ」

 

 シンボリルドルフの声が

 低く低く

 さながら地の底から聞こえるような

 

「違うさ」

 

 ならばこそ、キングダムエクスプレスの声は明珠のように濁ることは無く

 

「愛の力を見せつけてやる」

 

 はっきりと、自分(アードルフ)が愛を向けれなかった相手(ルナ)に言ってのけた

 

 

 

 

 

 ギャロップダイナ:いやぁ、当時のことは私の出走してたからそりゃあもう覚えてますよ

 

 ──となると、やはりあの事件のことも?

 

 ギャロップダイナ:はい、思えば不思議だったんですよね。キングダムエクスプレスっていうとやっぱり轢逃戦法っていうのかな? 最初にバーーっ! って飛ばす走りをするんだとばかりてっきり思ってたものですから

 

 ギャロップダイナ:まさか、轢き逃げずに普通に逃げるだなんて

 

 

 

 

 レースが始まる

 きっと私がシンボリルドルフと走れるのもこれが最期

 

「出せる全力…出さなきゃ損々!」

 

 ギャロップダイナ。そう名付けられたウマ娘は頬を両手でパチン! と叩く。

 

 ギャロップダイナはシンボリルドルフに勝利した。

 

 シンボリルドルフには勝利よりも語られる三度の敗北がある。

 その敗北の一つ、天皇賞秋にてシンボリルドルフはギャロップダイナに敗北を喫した。

 

 それは神のお目溢しの奇跡か? それはどうでも良い。

 ギャロップダイナの心持ちは、少なくとも今回も勝つというものであった。

 

 ただし、懸念のウマ娘がもう一人。

 チラリと、その件のウマ娘を見やる。

 

 ──キングダムエクスプレス。そのポテンシャルは皇帝に並ぶとされ、事実、過去のレースでは何度も喰らいついている。

 

「あなたが常々名前に聞くキングダムエクスプレス?」

 

 威嚇、というわけではない。興味があった、だから話した。面識の無いはずの人物ではあるはずだが、キングダムエクスプレスはギャロップダイナへ変わらぬ表情を向ける。

 

「……見覚えがある。何か、偉業を成し遂げたりは?」

「いやいやそんな偉業だなんて……皇帝サマに、勝ったことならあるけどね」

「カツラギ……いやこのレースにゃいないはずだよな……当ててやる、ギャロップダイナだ」

「御名答。ギリギリだったけどね」

 

 無言、当然だ。彼女らは相手のことを知りようが無い。分かる情報は唯一つ

 ──今回の、敵

 

 アナウンスが鳴る。ゲートに並ぶよう促される。

 ゲートに向かうキングダムエクスプレスの隣に、シンボリルドルフがいた。ギャロップダイナがいた。

 これが最後、これで最後

 

 それを噛み締めながら。静かなゲートに収まる。

 

 静静

 静寂

 静謐

 

 間を置き

 

『今、ゲートが開かれました!』

 

 さあ、行こう。

 

 キングダムエクスプレスは、轢き逃げなかった。

 

(轢き逃げではない……だと?)

 

 シンボリルドルフの疑問も当然だ。今日この日、キングダムエクスプレスを完膚無きまで叩き潰すために様々なトレーニングをしてきた。

 だがその何れもが、轢き逃げ戦法をするキングダムエクスプレスを想定した物。

 

 確かに、キングダムエクスプレスが轢き逃げ戦法を用いず走ったことはあった。あったが……

 

(自らの持ち味を捨てるなど、愚の骨頂)

 

 他のウマ娘よりも前を行くはずの彼女を叩き潰さねば、意味など無い。

 

(失望したぞ、アードルフ……否、キングダムエクスプレス)

 

 


 

 

 

 ───とか、考えてんだろうな。

 

 第2コーナーを超える中、私は考える。

 別に良いんだ。正直言って、私のがむしゃらな戦法が今まで通用してたことがおかしかったんだ。

 

 ルドルフという化け物がいることを加味したとてだ。普通に考えてみりゃあ、私の唯一の勝利したG1のオークスは轢き逃げずに勝った。

 

 順当に考えるんなら、勝てた走りがこれなんだから走るっきゃねーだろ。

 

 周りにいるウマ娘を見る。驚愕の瞳を向ける奴もいりゃあこんな私なんて眼中にねえぞと言わんばかりに前を見据えるウマ娘もいる。

 そう、ここにいる奴らは全力だ。

 もう轢き逃げ戦法だなんて冗談はやめだ。

 勝てる方法を使って勝つ。

 例えそれが、私を私たらしめなくする走りであっても。

 

 第3コーナーを回る。

 

 ───これが、きっと私の走る最後の直線。

 

 観客席を見る。

 暁トレーナーが

 ハイリボルケッタが

 ザナルグレイビアが

 昼部トレーナーが

 ブライメラーが

 私が勇気づけて、私が勇気づけられた総ての人が

 

 ───でも、母の姿は見当たらない。

 

 なんでだ、なんでだよ。

 私は──

 私は───

 

 私の

 想いを

 踏み躙るかのように

 

 ─────彼女が、来る

 

 

『最後の直線──最後にあがって来たのはやはり───シンボリルドルフだ!!!』

 

 周りがバテる。私はまだ大丈夫。

 でも───

 何度も戦ってきたから解ってしまう。

 やっぱり───

 

「勝てない」

 

 私の全力を、私の走りを捨ててまでここまで来た。

 何度も挑んで、一度も勝てなかった。

 

 シンボリルドルフが迫る

 シンボリルドルフが迫りくる

 シンボリルドルフが来る

 私の背中に、もういる。

 

 引き離せない。私はダメだ。

 もう、ダメだ。

 

「───」

 

 何も聞こえない。みんなの応援が届かない。私はもう走れない。私は勝てない。

 

「───て」

 

 ───?

 違う

 

 何か聞こえた

 なにが

 どこから

 だれが

 

「───って」

 

 

 トレーナー? 違う

 ハイリボルケッタ? 違う

 

 この声は、誰のものでも無い。

 

 私だけの

 唯一無二の

 

 

 

 

 

 

 

 

「───アードルフ、勝って」

「…………なんで」

 

 母さんの、声だ。

 


 

 一時停止をした、と?

 

ギャロップダイナ:一時停止──いや、単に停止? 稼働中の機械のスイッチをオフにして停止させたような、うん、本当にそうですね。止まりましたよ。なんか言ってた気もしたけど、なーんで止まったんでしょうね? あそこには、自分のトレーナーらしき人もいない、単なる観客席だったのに。

 

 意図的だった、という可能性は?

 

ギャロップダイナ:それなら大したモノですよ。最期にあんなトンデモ事件を起こすなんて。まあ、止まっちゃったから、あんなことも起きたというべきですかね? 自分からしたら、そんな意図は全然ないように感じられましたがね。

 

 

 


 

 

 

「ッッ゙!?」

 

 眼前、止まることを止めない筈の

 轢き逃げ戦法を取っていない筈の

 弱き走りをする筈のキングダムエクスプレスが

 

 ───停まった。

 

 

 予想だにしない行動が皇帝を動揺させる。

 いや、問題はそこではない。ルドルフはエクスプレスの背後にいた。すぐ背後に。

 

 ───ぶつかるっ!

 

 咄嗟に横に逸れる。だが完全には躱しきれない。

 凄まじい速度のルドルフがエクスプレスにぶつかる。

 

「ぐうッ!」

 

 衝撃がルドルフとエクスプレスを襲う。

 横転──は避けられた。

 

 エクスプレスが前に跪く───

 ───ちょうど、クラウチングスタートのような構えとなって。

 

 

 一秒。ルドルフがようやくソレを認識した

 二秒。ルドルフがようやく異変に気づいた

 三秒。他のウマ娘がソレを追い越した。

 四秒。他のウマ娘がソレを追い越した。

 五秒。ソレが───

 六秒。ルドルフの脳裏にある記憶が蘇った。

 

 ──予てより、『有名』には噂が絶えない。

 そしてこれは、そんな噂の一つ。

 

 シンボリ家には、一馬 破天荒がいる。

 彼女は相手を轢くのだと。

 彼女は超特急を超える走りをするのだと。

 

 七秒。ソレが、キングダムエクスプレスがシンボリルドルフを轢き逃げた。

 

 

 


 

 

 

 ──鼓動が激しい。

 さっきまで走ってたからだ。

 ──鼓動が激しい。

 シンボリルドルフに負けてしまうからだ。

 ──鼓動が激しい。

 忘れもしない母の声を確かに、この耳で聞いたからだ。

 

 幻聴か? 否──錯覚か? 否──聞き間違いか? 否──夢の見すぎか? 否──もしかしたら全ての景色が夢では無いのか? 否──

 否、否、否、否、否、否、否、否、否───

 

 不と、口にする。

 

 声の方向へ目を向ける。酷くやつれ、背も縮み、肌の皺を隠しきれず、それでも取り繕うためかフードを被った初老の、しかしその隠せないウマ耳の。

 

 記憶の中とは違う。

 しかし──本能が叫ぶ。

 

「ああ──見に来てくれたんだな───」

 

 一人でに呟く。

 背後から凄まじい衝撃が襲う。背後にいたシンボリルドルフだ。

 体勢が崩れ跪く──

 

「だったら、魅せねぇとな」

 

 ───ちょうど、クラウチングスタートのような構えとなって。

 

「なあ、母さん」

 

 誰かがキングダムエクスプレスを抜かす。関係ない。

 

「私さ──」

 

 誰かがキングダムエクスプレスより前に立つ。どうでもいい。

 

「こんなに強くなったんだよ」

 

 自然とエクスプレスの脚に力がこもる。

 気づくと、飛び出していた。

 

 直線を走る。

 ──何のために?

 直線を駆ける。

 ──誰のために?

 直線を突き進む。

 ──何を願って?

 

 そんなの決まってる

 少女の願いは一つだけ

 母のために

 

 ───シンボリルドルフを轢き逃げられますようにと、彼女は願ったのだ。

 

 

 気づくと、シンボリルドルフを轢き逃げていた。

 

「ッ!?」

 

 ルドルフの顔が驚愕に包まれて、何か別の顔に変わったような気もして、何かを叫んでいたような気もしたが、それを見ようとした頃にはもうエクスプレスの視界からは消えていて、どこかにいて。

 

 

 地面に倒れた。仰向けになった。ふと横を向く。

 

 会場が静まりかえる。

 

(ど、どうなった……?)

 

 目が眩む、全力を出した反動だ。

 耳には、エクスプレス自身の息遣いだけが聞こえる。

 

(水が──水が欲しい──!)

 

 何も見えない。ふと喉が乾いた。だが体は動かない、動かせない。倒れたままで、そのままで。

 耳には、エクスプレス自身の息遣いだけが聞こえる。

 

 ──ふと、一つの手がエクスプレスへと出された。誰の? 知ったことではない。これが悪魔の手であっても彼女は掴んでいた、そんな勢いで、その手を握り返す。

 耳には、エクスプレス自身の息遣いだけが聞こえる。

 

「──ルドルフ」

「…………」

 

 ようやく眩みから醒め、視界が開く。眼の前には手を握られたシンボリルドルフがいる。

 耳には、エクスプレス自身の息遣いだけが聞こえる。

 

「……君とあの模擬レースで出会ってから三年、経ったな」

「え?」

「おめでとう」

 

 皇帝が、その帝位を渡すかのような手付きで一つの方向を指差す。

 

 レースのリプレイ。

 

 皇帝の追随儚く、残り半バ身の距離ほどで、轢き逃げていく超特急のようで鉄塊のようでルドルフと似た勝負服を着たようなウマ娘のようで……

 

「……私じゃん」

 

 勝った。

 そう、シンボリルドルフを轢き逃げたいと願う少女はついに、

 母にその力を見せつけたかった少女はついに、

 

 

 ついにその悲願を成し───

 

 

 

 

 

 

 

『──少々お待ちください』

 

 

 

 

 

 

 

 ───違う

 

 審議だ

 

 確定じゃない

 

 

「…………」

 

 

 ──議論の中心は、どこだ。

 

 耳には、エクスプレスの息遣いだけが聞こえる。

 

 ──ホントは、自身が良く知ってる癖に。

 

 耳には、エクスプレスの息遣いだけが聞こえる。

 

 ──母の声を聞いた時の、止まった時の、ルドルフとぶつかった時の

 

『──スプレス───により───降着───』

 

 耳には、エクスプレスの息遣いだけが聞こえる。

 耳には───

 

 

 

 

 キングダムエクスプレス

 突然停止による走行妨害 降着

 一位→二位

 

 シンボリルドルフ

 二位→一位

 七冠達成

 

 


 

 

 走る

 何のために?

 

 走る

 誰のために?

 

 走る。やがて着く

 そう、ずっと走ってきた。

 

 全部、この人のために。

 

「……母さん!」

「…………」

 

 去ろうとするも私の声に反応し、ビクリと震える小さな身体。

 もうあの頃の面影も無い。でも、その声は忘れない。

 確かに私が会いたかった──母の姿

 

「ずっと……ずっと会いたかった……!」

「……アードルフ」

 

 ポツリと、母が独りごちる。私の名前をアードルフと、そう呼ぶ人間は限られてる。

 縮んだ身長、当然だ。もう10年以上も経過した。その頼りない背中が動き──母が正面から私と対峙した。

 

 色んなことを話し合いたかった。本当に色々、いなくなってからの数年間を語らいたかった。

 でも

 

「……なんで、私を置いてったんだよ!!」

 

 でもやっぱり、それが一番気になった。

 母の覚束ない足取りがしかし一歩ずつ確実に私へと歩み寄る。

 やがて目の前で止まる。

 

「……アードルフ。私はね、強くなれなかったの」

「は──」

「GⅢレースに一回も勝てなかったの、何度も頑張ったけど、勝てなかったの。一位にはなれなかったの」

 

 突然始まる母の言葉を、私はただ聞く。母と始めて交わす会話だからである。

 

「何にもなれなくて、何でも無い男と結婚して、なんでも無い人生を歩む──あなたが産まれるまでは、そうだった」

 

 私はただ話を聞く。母の秘めた思いを知りたかった。

 

「アナタに才能があるかなんて知らない。私のように凡庸なウマ娘かも知れない──何れにせよ、私がもしあのままあなたを育ててたら、あなたは絶対にレースに勝てない」

「……だから、私を、シンボリ家に?」

「そうよ、あなたのことを思ったの。そしてあなたは私の見込み通りに強くなってくれた。そして最後には──あのシンボリルドルフをも倒す存在になってくれた」

 

 私はただ話を聞く。母が私をシンボリ家に置いた理由が知りたかったから。

 でも、この話を聞く限りじゃ私は──

 

「ねえ、アードルフ。海外に行きましょう」

 

 母が突然私の手を取る。シワだらけだけど強い力で。

 

「あなたなら、私の悲願を果たしてくれるって信じてるわ。GⅠに勝ったことだってあるんですもの」

「…………」

 

 言葉が出なかった。

 何がレースに勝てないだ。何があなたのことを思っただ。

 私が寂しかったと思わなかったのか? シンボリ家の人達に迷惑をかけると思わなかったのか?

 上っ面だけは取り繕って、成功したら途端に会いに来て。

 そのくせ出会い頭に海外だと? シンボリルドルフでさえ海外では負け、海外で行われる凱旋門に勝てたウマ娘はいないというのに。

 エゴだ、目の前の母の皮を被る怪物の発するその言葉は何もかもが独りよがりなエゴに満ち、どこまでも薄汚れている。

 いっそ偽物であって欲しかった。違う、目の前は母に相違なく、確かに私を産んでくれた存在なのだ。

 

 目の前の母を激しく嫌悪する。できれば私の一生で培われた脳に浮かぶ悪罵と罵詈雑言との限りを目の前の女に言いたかった。

 ───できない。仮にも目の前の存在は、私を産んでくれた母なのだから。

 

「どう? アードルフ?」

 

 答えを求めるように母が問う。

 行きたくない、走るのが嫌だからじゃない。母と一緒に行きたくないのだ。

 ──そんなこと、言えない。母の前ではそんなこと言えるわけがない。

 

「えっと……」

「まさか行きたくないなんて言うつもりじゃないわよね?」

 

 手を握る力が強くなった。痛い。振り解きたい。

 ──振り解けない。私がずっと思っていた母に、そんなことはしたくない。

 

(クソマザコンが)

 

 脳内で自身を卑下しても、私には何もできない。

 そうとも、私は強くなんか無い。母の言葉に従って、従って、従い続けて。

 ──ああなんだ。私、空っぽじゃないか。

 

 ずっと空っぽで、それが母の言葉で満たされて強くなれたんだから。

 結局私は母の言葉が無ければ何もできなくて、母をここで失って何にもなれなかった現実を直視するのが怖くて。

 だからみっともなく依存し続けて。

 

 ───だったら、良いか。

 

「────」

 

 母が言うことならば、きっと間違いは無いだろう。

 きっと、海外でも行けていけるだろう。

 

 ──もう、自分で考えるのも疲れたんだ。

 

 

 手を握り返そうと。

 ああ行こうって言葉を発そうと。

 物言わぬ奴隷になろうと。

 

 手を前に出した。掴まれる。

 ──母ではない人の、手によって。

 

「誰?」

 

 母が凄まじい形相で"彼"を睨む。

 ポツリと私が声を洩らす。

 

「──トレーナー」

「誰? はこっちの台詞だ」

 

 暁トレーナーの毅然とした瞳が母の濁りきった瞳を見据える。

 

「悪いけど、こいつはウチのチームにもう所属してんだ、スカウトなら間に合ってるんだよ」

「私はこの娘の母親よ」

「……そうなのか?」

 

 トレーナーが、困惑の入り交じる顔でこちらを見てきた。どう返答すれば良い?

 きっと私はここで間髪を入れずに肯定するのが正しいのだろう。

 ──違う。

 私を強くさせてくれた恩ある肉親の想いに応えるべきなのだろう。

 ──違う。

 

「違う!」

 

 私の口から出たのは、それを言った自分もビックリするくらいの否定の言葉。

 嫌だ。本当は海外なんて行きたくない。恩なんて何も感じてない。親だなんて思いたくない。

 ずっと、親の言いなりになんてなりたくない。

 

「て、本人は言ってるが?」

「は、はあ!? 何言ってるのアードルフ!? 私は確かに──」

「これ以上騒ぐんなら警備員を呼ぶしかないけど──二度とエクスプレスに近づくんじゃねえ」

「ぐっ……」

 

 警備員という単語が決め手となったのか、母が一目散に走っていく。

 

「この親不孝者が! あなたに全てをかけたのに!」

 

 知ってる。

 

「どうして母の言うことを聞いてくれないの!? どうして娘なのに協力しようと考えてくれないの!?」

 

 知ってる。

 

「なんであなたはそんなに弱いの!? シンボリ家にいて! どうしてGⅠを一勝しかできてないの!?」

 

 知ってる。

 

「どうしてあなたは私をこんなに不幸にするの!? あなたなんて、あなたなんて──────」

 

 最後の台詞は、トレーナーが私の塞いでくれたから聞こえなかった。

 やがて母の姿が遠くに消える。声も聞こえなくなる。

 ここにいるのは、トレーナーと私。

 

「……いつからいたんだ」

「ホントについさっきだよ、どこ探してもいなかったから苦労した」

 

 暁トレーナーへ向き合う。なんて言えばいいのか困る……そんな顔をしていた。

 

「なあ、トレーナー」

「なんだ」

「私さ、ずっと頑張ってきたんだよ」

「そうか」

「頑張ってさ、会いたかった人に会えたんだよ」

「そうか」

「本当に、本当に頑張ってきたんだよ」

「……ああ」

 

 トレーナーの顔が、良く見えなくなる。嗚咽が止まらなくなって、何を言えば良いのかわからなくなる。

 言葉が胸に詰まって

 積もっていたものが勢い良く流れて

 私は、泣いた。

 

 みっともなく、情けなく、恥ずかしげもなく。

 

 

 そしてその日が、私が最後に走るレースとなった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 それから三ヶ月。

 トレセン学園にある練習レース場を、二人の人物が見る。

 暁暁と、キングダムエクスプレスである。

 

「───なんだって?」

「だから、出してきたんだ。退学届」

 

 エクスプレスの突然の発言に、暁は動揺を隠せない。

 

「あのなぁ、そういうのはまずトレーナーである俺に相談してからだな……」

「別に、私のレースはもう終わったからいいじゃないか。それに──」

 

 眼前のレース場でウマ娘たちが走ってる。その数はなんと十を超す。それらすべてが、キングダムエクスプレスの走りに魅力され、暁のチームに移籍を決めたウマ娘たちだ。

 

「トレーナーはもう私みたいな過去じゃなくて、未来を見なきゃならない時間だ。あいつらもきっと、私みたいにミスやったり、プライド高かったり、色んな問題抱えてんだろうよ。でも──」

「……それを支えんのが、トレーナーなんだろ」

「そのとーり」

「安心しろよ。お前に比べりゃどんなウマ娘の悩みも可愛いモンさ」

 

 眼前で走るウマ娘たち。第2コーナーを曲がる。

 

「……トレセン学園辞めて、何するんだ?」

「別の高校に行く。走るだけがウマ娘じゃないさ。幸い、レースの実績で色んな高校から来てくれってせがまれてるよ」

「走るだけがウマ娘じゃない、ねぇ……」

 

 水泳といったスポーツが苦手なウマ娘がいると聞いたことはあるが、走りたいという欲求を止められるウマ娘はおそらくはいない。それは暁のある種の経験則から来ていた。

 だが、目の前にいるエクスプレスにはその欲求が無いように見えた。尤もあんなことがあったのだ。おかしくはない。

 

「トレーナーこそどうなんだ? 最近ブライメラーさんと良く飯食いに行ってんだろ?」

「ばっ! お、お前なぁ……」

 

 ニヤニヤとした目つきでエクスプレスが聞いてくる。暁が頬を赤らめながら、それに嬉しいような怒るような反応を返した。

 

 ウマ娘たちが、第3コーナーを巡った。

 

「……なあ、トレーナー」

「なんだよ?」

「アンタに言いたいことがあるんだ」

「奇遇だな……俺もあるんだよ」

「へぇ」

 

 意に介さない。でも、不思議と両者の心は通じていた。だからだろうか、二人が同じタイミングで話し始めたのは。

 

「アンタに」

「オマエに」

「「会えたのを、感謝してるよ」」

 

 それだけだった。交わした言葉はそれだけだった、でもその二人の間には確かに、その三年の間に培われた永遠の絆が結ばれてる。

 ウマ娘が第4コーナーを曲がる。最後の直線に差し掛かる。

 

「んじゃ、私はそろそろ行くよ」

「何処へだ?」

「北九州で母さんらしき人が見つかったってアイボリーから連絡が来てんだ」

「まだ追いかけてんのか?」

「ああ、見つけ次第ぶん殴ってやる」

 

 キングダムエクスプレスが席を立つ。背を向ける。

 

 ウマ娘がゴールする。

 誰が勝ったのか、それは知らない。誰がために走るのか、それも知ったことではない。

 

 ……一つだけ言えるとするならば、それは弱きウマ娘であった。

 しかしその走りは確かに、ある者には力を、ある者には希望を、ある者には夢を与えてくれた。

 そのウマ娘の名は──

 

「……()()()()()()()()()()()

 

 ふと暁の吐露した名前と共に、彼女は顔を向け、応えた。

 

「そうだ、私がキングダムエクスプレス──シンボリルドルフを轢き逃げられますようにと願った、一人の少女さ」

 

 そう、言葉を遺して。




これにて完結となります。
自語りがあるので、興味のある人は読んでいただけると幸いです。




































 まずはこの作品に最後までお付き合いいただきありがとうございます。
 完結までには二年と一日というとても膨大な時間がかかりました。
 今作はウマ娘がリリースされてからまだ一年も経っていない、そしてハーメルンで多くのウマ娘の二次創作が作成された、そんな時間の流れの一つとして作られた小説です。
 初めて行うレースの描写と課題はあり、加え作者自身が随分と怠惰なもので、楽しみにしてくれた読者の方(いてくれると幸いです)には随分とご迷惑をおかけしました。
 二年という年月は長く、私も果たしていつまで小説を書けるかどうかはわかりません。
 皆様も体調管理には気をつけ、健全なハーメルンライフをお過ごしください。
 またいつかどこかで会えることを楽しみにしていたます
 それでは

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