【完結】シンボリルドルフを轢け逃げられますようにと、彼女は願った 作:ムーンフォックス
朝、食堂。
「……珍しいな」
「ウマ娘が朝食ってるのがそんなに珍しいかい?」
「お前に限っては、な」
シンボリルドルフは驚愕していた。目の前のキングダムエクスプレスが朝食を取っていたからだ。見れば、驚いているのは彼女に限らず、一部のウマ娘も同じようだった。
別に、ウマ娘が朝食を取ること自体は珍しいことではない。驚いているのは、
エクスプレスの名は、良くも悪くも広まっていた。そんなエクスプレスであるが、有名なのは朝食を取らないクセにいつも満員の食堂の しかもテーブル席を独占するということだろう。
最初こそそれを無視して座るウマ娘はいたし、本人は勝手に座っても気にはしなかった。しかし彼女の視線がとにかく気になり一人、二人と席に座るウマ娘は減少。最終的に、今その席に座るのはルドルフと彼女、時たまハイリボルケッタとなった。
その筈のエクスプレスが今、朝食を取っている。それはある意味驚きとしかいいようがないだろう。
「なんだ、珍しいな」
「ハイリィ、アンタも珍しがるなよ、恥ずかしいだろ」
「皮肉で言ったんだがな」
朝食を運んできたハイリボルケッタも合流し、活気は三人に。
「しかし、皐月賞の頃と少し雰囲気が変わったか? これなら、ダービーも安心だな」
「あアいや、ダービーにゃ出ねェさ」
「なんだと?」
エクスプレスの返答にルドルフは眉を潜めた。
「つい先日皐月賞で負けたってのに、1ヶ月かそこらでアンタに勝てるとは流石に思えやしない」
「それは負けを認めたということか?」
「事実はどうねじ曲げようと事実さ、今の私はアンタにゃ勝てない」
「…………」
「だからアンタは、菊花で轢く」
「箸を人に向けるな」
「ウマ娘だからいいだろ」
クラシック三冠最後のレース、菊花賞。特徴的なのは3000mという圧倒的な長距離だろう。皐月やダービーと違い、この菊花ではスタミナも求められる。三冠最後の砦と言ってもいいだろう。
「私も忘れてもらっては困るな、エクスプレス」
「おっと、ハイリも出るんだっけか? まあいいや、とにかくだ。ルドルフ」
食事を終え、エクスプレスはトレーを持ち立ち上がる。
「菊花、楽しみにしておいてくれや」
「……ああ、一日千秋の思いで待ってるよ」
エクスプレスは去っていった。残されるハイリとルドルフ。
「……見違えたな。エクスプレスの奴」
「そうか? 私には、多少真面目になったようにしか見えんが?」
「ああ。私に負けたという悔しさの炎は過去の傲慢だったエクスプレスを溶かし、彼女を新たなる姿へと錬成させた」
「にわかには信じられんな」
「昔のアイツならばダービーは愚か、オークスにすら勝てなかっただろう。だが今のアイツは轢いてくるかもしれない、本当に私を」
ルドルフはエクスプレスの眼を思い出す。決意に燃えた瞳。かつてのあの見下した瞳ではない。真なる者の目。
「本当に楽しみだな、菊花が」
オークスまでの期間、1ヶ月あるかないか。なので当然、その短い期間でエクスプレスは暁の指示によるトレーニングを受け、それを完遂しなければならない。
「1ヶ月しかないっていうのにさ……」
当然、1ヶ月は短い。その1ヶ月の間にどれだけウマ娘を強くできるかでトレーナーの良さが決まる。
さて、暁トレーナーがその1ヶ月、エクスプレスに指示したこと、それは
「走るの禁止ってのは無能としか言いようがないだろ……」
走り、禁止である。ただでさえ今年の春は寒く、その寒さはコースの芝を禿げ上がらせ、実質ダートと言っても遜色ないほどである。
だが、それは裏を返せば走りを禁止された以外は何をしても良いということである。なので仕方なく、エクスプレスはこのトレーニングの時間を全て、プールの水泳に注ぎ込んでいた。
「クロールやった、平泳ぎやった、背泳ぎやった、バタフライやった。あとはなんだ泳ぐといえば……?」
競走ウマ娘たるもの、走りこそが命。だがその走りを禁止されるのでは、真綿に首を絞められるようなもの。とにかく暇なのである。
「クソ……あくびが止まらねぇ……。あと何回か自由形で泳いでみるか……?」
意図が掴めない。だがトレーナーの命令は絶対、それを切望したのはエクスプレス自身なのだ。
「やるっきゃねぇよな……」
とにかく、泳ぎ続ける毎日。泳ぐたびに、ストレスが貯まる。
結果的にコンディション最悪のまま、エクスプレスは一度も走れることなく、オークス当日を迎えるのだった。
『2枠、4番。キングダムエクスプレス。5番人気です』
『コンディションが最悪ですね。いまいち集中しきれていません。心配です』
「やらかしたかなァ~~……?」
「どうみてもやらかしてるぞ、ストレスが貯まりに貯まってる。これではレースに集中できるかどうか……」
ハイリボルケッタや実況の言葉通り、キングダムエクスプレスは荒れていた。理由は明白で、暁の指導以外に原因はない。
今のエクスプレスには何を言おうと無駄だろうと、二人は思いはじめていた。
パドック終わりゲート入場の際だった。暁がエクスプレスを呼んだのは。渋々と気だるげに近寄るエクスプレスの耳に、暁がゴニョゴニョと呟く。
それを聞いた直後の10秒間、エクスプレスの仏教面は変わらなかった。が、やがて発した一言。
「……なんで?」
ハイリは理解した。間違いなくその一言はエクスプレスの機嫌を最悪にさせる最後のピースだったと。
見事にエクスプレスは不機嫌になっていた。見れば拳が握られてる。殴りたくて仕方ないんだろうなと、他人事のようにハイリは脳裏に想像した。
「やってくれない? オレのあの日の土下寝に免じてさァ~~!!」
「……やるさ、免じてやるよ。やりゃあいいんだろ……。帰り道は背中に気をつけとけよ。刺されるかもしれないから」
エクスプレスはゲートへと向かっていった。ハイリが問う。
「何をアイツに言ったらこんな不機嫌になるんだ?」
「まぁ見りゃわかるさ。お前、いやここの全員が今日、度肝を抜かれるぜ」
「はぁ……?」
『全員ゲートイン完了しました!! 出走の時間です』
ハイリの疑問などを置き去りにして、レースは開始された。
『ダイアナソロン』。GⅠレースであり、もう一つのクラシック三冠とも言われるトリプルティアラの桜花賞にて優勝したウマ娘である。今回のオークスでも堂々の一番人気に指定され、優勝候補の一人でもあった。
だが彼女は自身を傲らない。何が起こるかわからない、それこそがウマ娘のレースだと理解しているからこそ、彼女は全てのレースに油断しない。負けという名の死神が身構えていない時に来るならば、常に身構えておけば死神は来ないのだ。
(マークよ、私)
故に、ダイアナソロンはキングダムエクスプレスを警戒していた。奇走者の彼女はいうならばトランプのジョーカー。今回のレースで最も大番狂わせを引き起こすであろう可能性が高い要因であった。
(キングダムエクスプレスはいつものように轢き逃げ戦法でくるに違いない。皐月賞でシンボリルドルフがやってみせたように勝負は彼女が停止した際、その時に大きく引き離して、抜かせられないようにすればいい)
ゲートの中でプランを固める。冷静な分析、データで責めていくのが、彼女の強みだった。
(よし──行けるッ!!)
決意した直後、一斉に放たれるゲート。最初の課題であるスタートダッシュ。これは残念ながらやや出遅れてしまった。しかし流石は桜花賞優勝ウマ娘、見事に挽回、外側から中団へと潜りこんでいく。
(キングダムエクスプレスはどこまで離れているの? 10バ身? それ以上? 大差かも知れない)
一息つき、先頭を確認する。キングダムエクスプレスがどれまで先にいるのか、それを確認しないといけないからだった。
だが
(……どこ? 彼女の姿が、見えない)
いくら見渡そうと、あの轢き逃げウマ娘はいない。ここはまだ直進の筈、もしやもう第二コーナーを回っているのか? それほどまでに彼女の轢き逃げは進化したのか? ならばと、見えてる範囲での先頭のウマ娘を確認する。
レースというのは、先頭を捉えなければ走れない。ひとまずは指標とする先頭を見ないといけないからだった。
そして先頭を見て───
「ああん……?」
ふと、漏らしていた。その疑念の言葉を。
パワーシーダーなどと言った逃げのウマ娘と先頭争いを繰り広げていたそのウマ娘。
キングダムエクスプレスが、逃げていた。
ただし、轢き逃げずに。
「……なんで、轢き逃げないのよ」
データにない走り。逃げは知っている筈なのに、彼女がやると酷く不恰好に見える。彼女の作戦は『轢き逃げ』の筈では?
今までの生涯、データで生きていた。ゆえに発生した今回のイレギュラー。
ダイアナソロン初めてのデータに頼らない思考であると言っても過言ではないだろう。
母にシンボリ家として生きるのを禁止され、トレーナーには走るのを禁止された。もうこれ以上縛られることないだろうと思った矢先。
まさか
『えっ、ええェッッ!!?? なんということだ キングダムエクスプレス!! まったく他のウマ娘を突き放していません!! これは「轢き逃げ」ていない!! ただ、「逃げ」ている!!』
この轢き逃げ戦法ですら、このレースで禁止されるとは……。
先ほどトレーナーが言った言葉を思い返す。
「『轢き逃げをするな、逃げろ』って、そんな突然に言われても困るんだよ……」
逃げをしてみると、その辛さが実感できる。轢き逃げは後ろのウマ娘など一切気にせず、ただ自由に走れる作戦だった。疲れれば勝手に止まって休憩してまた走る、まさしく無法の走り。
だが逃げは違う。逃げは常に後ろのウマ娘を意識しないといけない。最後の直線で止まることは許されない。加え後ろのウマ娘から降りかかってくる凄まじい数のプレッシャー。それが自分の思考を鈍らせる。
第2コーナーを曲がっても、第3コーナーを巡っても、後ろからついてくるウマ娘の群れ、群れ、群れ。23頭のウマ娘を引き連れたまま、試合は直線へと入っていった。
(……さて、いつもならここで止まってる筈なんだけど、流石にそうは問屋がおろさないってヤツか)
『ここで上がってきたのはダイアナソロン!! 逃げのエクスプレスには勝てるのか!? キングダムエクスプレスを克てるのか!?』
実況の声が耳に障る。だいぶ不機嫌なんだと理解できる。なにか別のことを考えなければいけない。
ひとまずは、そろそろスパートの距離となる。
逃げという作戦によって貯まりに貯まった末脚のスパート。
いざここにて
解放の時。
ガクリと、ダイアナソロンは脚を踏み外したことに気づいた。珍しいことではない。ウマ娘が先に踏み抜いた地面を、たまたま踏んでしまった。ただそれだけのこと。
だというのに。覚えた謎の違和感。なんてことはない踏み抜かれた大地。
「──深い?」
地面とは、自らが立つのに必要不可欠な存在である。地面という土台があるからこそ、このレース場も、高層ビルといった何もかも、地面がなければなしえなかったこと。
何cm、地面はその脚で踏み抜かれていただろうか。10cm? 15cm? 下手をすれば25cmは下らないかもしれない。
その浅い沼ほどもあろうかという穴。それに足を取られてしまった。
次にダイアナソロンの眼前に写る景色。それは何バ身を離れた鉄塊の姿であり───。
「……ウソ」
できる限りは喰らいつく。しかし、届かず、それは既に発射済。
一方で、エクスプレスはその時となりようやく理解した。暁の采配の意味を。
「……スタミナ、ついてるな」
以前の彼女であれば、ここまでのスパートは出せなかっただろう。だがこの1ヶ月に渡るプールでの水泳、水の中、その特殊環境にいたことで培われたスタミナ。今までスピードにしか特化していなかった彼女、それが鬼が金棒を得るように、剣士が刀を得るように。
彼女は今や、スピードだけのウマ娘でなかった。スタミナとスピードを両立させるトレーニング、それはトレーナーからすれば喉から手が出るほど欲しい技術であり、至難の技。それを暁は実現させたのだ。
「1ヶ月のプール。無駄じゃあなかったようだな」
自身でも驚くほどの末脚を叩き出していた。その足のまま、一気にゴールへと───
ガクリ
「……?」
進んだ。歓声の中、実況の熱のこもった喋りはエクスプレスの耳にも届いていた。
『一着はキングダムエクスプレス!! 流石だぞエクスプレス、見事にオークスを勝ち抜いたッッ!! 轢き逃げせずとも鉄塊!! キングダムエクスプレスは逃げても強いぞ言わんばかりの走りでした!!』
「…………」
レースが終わると、いつも来る疲労感。汗が垂れ、目は胡乱げ、それに常日頃苛まやせられていたはず。
だがそれ以上に感じる違和感。
ナニカが、ナニカが異常だった。コンディションが悪く、普段自分と合わないことをした時に発生する謎の違和感をエクスプレスは感知していた。レースを振り返る。
「……痛み」
そうだ、走り抜ける直前。足に何らかの違和感を感じた。軽く流せることもできる程度の些末な違和感。小さな小さな違和感。
駆け抜けた際の一瞬の予期せぬ脱力。危うく転びそうになった自分。
なんだか、悪い予感がした。
そして知っている。こういう悪い予感は、必ず当たるということを。
一体何の予兆なのか、それがただ、エクスプレスは不安だった。
ここ最近、原因不明の腹痛と発熱が続き、木曜日に更新することができませんできた。申し訳ございません。
よろしければお気に入り登録、評価お願いします。