【完結】シンボリルドルフを轢け逃げられますようにと、彼女は願った 作:ムーンフォックス
「入ってますね、ヒビ。結構エグめに」
「…………」
開口一番、眼前の医者が告げた言葉がそれだった。レントゲン写真が見せられる。確かに、右足のすね辺りにある骨、そこに亀裂が入っていたのがわかった。
「何か心当たりのほどは……」
「まア、競走ウマ娘やってるし……心当たりなんてそれこそたくさん……」
「フーん」
どうしてこうなってしまったのかと、エクスプレスは回想する。
あの日、一着を獲得したオークス。その日に感じた彼女の足の違和感。それは数日が経過しても拭えることがなかった。
一週間が経っても違和感は消えず、それは暁にも理解できたのだろう。病院に行けとの彼の言葉に従い、こうして来院。
結果が、上記の通りである。
「ひとまずは、安静にしておいてください」
「あノ……10月のレース、出ようと思ってるんですけど、出れますかねぇ?」
「一般的なヒビなら3ヶ月くらいで治りますけど、これもう折れてないのが奇跡なくらいのヒビですからね……まあ、良くて半年、長くても一年かそれ以上」
「いっ、一年!? たかがヒビでえッ!?」
「はい、されどヒビでです」
頭が真っ白になる感覚をエクスプレスは感じた。クラシック三冠とトリプルティアラのレースはどれも一生に一度しか出ることは許されない。故に貴重な称号なのだ。それを骨折ならば未だしも、ヒビ、ヒビなどというちっぽけなモノで。
安静を待っていれば、菊花賞に出ることは不可能。その事実。
「無理にとは言いませんが、入院をおすすめします」
「に、入院……」
「それが無理なら安静にしておいてください。その足じゃ少し走っただけで、ポキッ! ですよ」
「おぞましいこと言わないでくださいよ……」
「10月のレースは……申し訳ありませんが、諦めていただくしか……」
入院、それを薦められるほどまでに自分の足は傷んでいるのだろうか。
目の前という短い距離で話しているはずなのに、なぜかエクスプレスの耳に、その医者の話はまともに入ってこなかった。
「……どうだった? 結果」
「まァ、結論から言ってしまえば足にヒビが入ってる」
待合室に、暁トレーナーの姿がいたと思う。確かあの時の彼は、一見すれば平静を保っていたけど、わずかながら不安げな様子の表情を見せていたのを覚えている。
私はその時、どんな顔をしていたのだろうか、歩きに違和感は感じさせなかったのだろうか。
私はこの時、どこか気楽に思っていたのかもしれない。たかがヒビだと、骨折ではないから大したことではないのだと。
「……といっても、そこまで深いものじゃない。いつも通りにしていても、問題はないとのことよ、首の皮一枚繋がったな」
どうして、こんなことを言ってしまったのだろうか。菊花賞に拘らなくとも、ジャパンカップや有馬など再戦の場はいくらでもあったというのに。クラシック三冠の称号を得ることはもう叶わないと理解していたのに。
「……そりゃあ。本当にありがたい」
「何さ? もしかして心配してくれてたのかい?」
「ああ、そうさ。オレァてっきりオマエの足が折れたんじゃないかと心配で……だが、結果としちゃ何も問題は無くて安心したぜ」
「でもさ、さすがに今日の練習位は……」
「なに言ってんだ、帰ったらとっとと始めるぞ。病院行った分の時間は挽回してもらわないとな」
「鬼め……」
この選択に嫌な予感がするというのを、知っていた筈なのに。
今でもこの選択を、私は未だに悔やんでいる。
病院の出来事から一週間後のことだったのは間違いない。今でもその日のことは鮮明に覚えている。朝起きた時、謎の違和感が強くなっている気はした。仄かに足が痛かったような気もするが、いつものことだと思い、無視をしてしまった。
トレセン学園へ向かう時も、授業を受ける間も、昼御飯を食べている中でさえ。その違和感は拭えることがなかった。ただその感触がなんだか気持ち悪くて、まるで悪いことが起きる前兆とも錯覚したが、頭の中で振り払い続けた。素直になればよかったのに。
それが確定したのは、並走トレーニングの最中だった。夏の合宿が間近に迫るこの頃、トレセン学園でできるトレーニングをなるべくしていた時のことだ。距離は残り400m位。最後の直線で轢き逃げるため、クラウチングスタートの構えを取っていた。競争相手のハイリボルケッタは既に私を追い抜き、差は3バ身といったところか。
(あと5秒、そこで勝負を仕掛ける……!!)
脳内のタイマーがカチカチと音を立てた。やがて針が0を差し示すと、一気に加速。5バ身向こうのハイリを抜こうとしていた。距離はどんどんと縮まっていく。残りハナ差。
(そこだ──)
大きく地面を蹴った私。
瞬間、訪れる異変。
グラリと、突然地震が始まった。視界が揺れ動く。
いや違う、地震なんて起こってない。
次に襲いかかってきたのは、熱だった。熱い、燃えてしまっている。そう錯覚するほどの熱さが右足から発せられている。そしてそれ以上の痛みが突然迫ってきた。あの時のオークスから今日の朝まで、そんなものはなかったというのに。
気づけば地面を転がっていた。全身から痛みが生じている。当然といえば当然。あの時の自分はいくら出していただろうか、時速50km以上は確実に出ていたと思う。50kmのスピードで転がるというのは、時速50kmで走る鉄塊に轢かれるのと同じ意味。ひたすらに、痛く、苦しい。
全速力でかけよってくるトレーナーの姿すらも朧気となり、視界が自身も知らぬ間に深い闇の中へと溶けていく。
キングダムエクスプレス生涯の黒歴史。
間抜けな骨折の瞬間である。
「バカだな、お前がそんなにも愚かだったとは」
「バカなことしたよ、本当にくだらない」
静謐が支配する筈のその病室。だというのに聞こえる言葉は罵詈雑言。ハイリボルケッタはベッドに横たわるキングダムエクスプレスとの会話を楽しんでいた。
「そんで、医者はなんだって?」
「……知能指数に難があるから頭の病院に行くのを強くオススメするだと」
「…………」
「冗談だ。えーっと……」
ハイリは、医者の言葉を想起する。
「まずは右足だ、完璧に折れている。が、医者の話だと上手くいけば来年には走れるようになるらしい」
「他には?」
「全身打撲だ、これは奇跡的なことに軽度だった。時間をおけば回復するだろう。以上だ」
「なにさ、たったそれだけ?」
「それだけで済んだ自身の運に感謝するんだな。今後一生レースに出られないようになってもおかしくなかった」
あの日から一週間。エクスプレスの骨は、完全に骨折していた。酷使に次ぐ酷使にて忙殺された右足からのSOS信号を無視した結果が、これだった。
「……ハイリ、菊花賞は──」
「まさか、この期に及んでレースに出れるとは思ってないだろうな」
ハイリの口調は厳しい。吐いた言葉には呆れと怒りの数々が含まれいる。だが相対するエクスプレスもまた、引き下がろうとはしない。
「出るんだ、出場ないといけないんだ……!!」
「絵空事は一人で浮かべるものだ、人に押し付けるものじゃないぞ……いい加減諦めろ。薄々気づいてるだろ、お前ではルドルフには勝てな──」
「黙れえェッッ!!!!」
その一言が、エクスプレスの怒りの地雷の信管を刺激し、起爆させた。突然の激昂にハイリは驚くが、それも一瞬のことで、すぐにいつもの表情を形作る。目の前の狂犬は、その感情を子供の癇癪のように増幅させていく。
「勝つんだ!! 勝たないといけないんだ!! 負けっぱなしじゃダメなんだ!!」
「……なぁ、一体何がお前をそんなに奮い立たせるというんだ? 別に菊花賞を制したとしても、クラシック三冠の称号が得られるわけでもあるまいに」
ハイリは常々疑問に思っていた、この狂犬は一体なぜシンボリルドルフと張り合おうとするのか。何かしらの深い因縁がある、というのは解る。しかし、この執着は誰から見ても、異常だ。
「……アンタに話してもどうにもなんねぇさ、この問題は。でも私は、アイツに、勝たないといけないんだよ」
大きく手を拡げ、キングダムエクスプレスはベッドへ倒れこむ、ハイリの耳に次に聞こえたのは、笑い声だった。音の出所は、今しがた倒れた筈の、狂犬。
「あははははは……!! あ~あ。理不尽ってホントに酷いよな、物理も心理も摂理も原理も論理も真理も道理も、すべてを踏み倒してまかり通るってんだからよ」
渇いた笑みだった。何かを、渇望していたような、だが、もう、その黄金時代は潰え、諦観の乾いた姿へと変貌している。それがハイリには、痛々しくて仕方がない。
だからだろうか、目元を手で覆った目の前の彼女が漏らした言葉が
「俺みたいな弱者が、背伸びしたってアイツに勝てる見込みなんてありゃしねぇのにさ」
ハイリを、無性に苛つかせる。
「無茶でも無謀でも、勝たないといけないなんて、なんて酷い話だよ……」
気づけば、部屋を去ろうとしたハイリの姿があった。扉の前で、エクスプレスの方を見ることは一度もない。
「今のお前は、あまりにも見ていられん。私は練習に戻る。菊花賞で一位を獲得するためにだ。お前はせいぜい、頭を冷やしておけ」
音と共に閉められる扉。病室は静かとなりあるがままの姿を取り戻す。天井を見上げるエクスプレスは、虚ろな瞳を失うことはない。
「……勝たなきゃ、いけないんだ。俺は」
その静けさでは、エクスプレスの独白など聞く者は一人とておらず。言葉は静謐の遥か虚空へと霞んでいった。
「骨折した? エクスプレスが?」
朝食の席にて、シンボリルドルフはそう聞き返した。会話の主は、もちろんハイリボルケッタである。
「ああそうだ。だからアイツは菊花賞には出られない」
「……遠足の前日、あまりの楽しみに夜も眠れず、結局眠気眼のまま遠足当日を迎える。とは有名な話だが」
ため息を吐き、一言。
「あまりの楽しみに足を骨折する者は、おそらく彼女一人だけだな」
口腔を通し、現れる感情は相対するウマ娘と同じく呆れ。無理もない、10人中10人が口を揃え同じことを言うであろう。
「愚者らしい末路と言える。憐憫をかける必要もない」
「……その割には、ずいぶんと君は彼女のことを気にかけているようだが」
「なっ…! そんな訳あるか!」
「ふふ……素直じゃないな、君は」
「断じて違う話を出されても困るだけだ!」
にこやかにルドルフは微笑むが、視線を落とすと二度目のため息。
「残念だ。菊花賞、楽しめると思ったんだが」
「……ほほう」
したがって、本心ゆえに発した言葉に反応を示したのも、また同じく眼前のウマ娘であることには変わらず。
「忘れては困るぞ。私も出るのだ、菊花に。このハイリボルケッタが」
「……そうだった、君に関しての情報は少ない。用心堅固に行かせてもらうよ」
意図しない挑発に乗った目の前のウマ娘を、ルドルフは諌め、天井を見上げた。瞳が語っていた、彼女は何かを恐れているということに。
「だが、こうなると少々厄介かもしれないな」
「何がだ?」
「鉄塊が最も変わりやすい状態になるのは、火で熱せられる時さ」
突然の発言を訝しみながらも、ハイリは言葉に耳を傾ける。周囲の発する雑談は遮断され、聞こえる音はルドルフの言葉のみとなる。
「かつては負けという悔やさの炎に熱せられ、今まさにその姿が変えられていた
「……それがなんだというんだ」
「一番鉄が折れやすい形というのは、中途半端に曲がった時さ」
ルドルフが沈黙する。その真意を、ハイリも理解したのだろう。瞬時に顔が焦りの表情が浮かんだと思えば急いで席を立ち、去っていった。
「ほら、やっぱり素直じゃなかったじゃないか」
ルドルフはその光景に慌てることなく、ただ見守る。
「しかしアードルフの奴、辞めなければいいが」
ハイリが去ったテーブルで、彼女は独りごちた。
『さあ、全ウマ娘、出走の準備が整いました、クラシック三冠最後の砦、菊花賞が今、始まろうとしています!』
「……は?」
ここは、何処だろうか。
ここは、ゲートだ。レースのスタート地点、始まりの場所。だが、なんでこんなところに? 先ほどまで、私は、ベッドで呻いていた筈だ。見覚えのない景色に、キングダムエクスプレスは戸惑う。
『各バ、スタートしました!!』
「は? ちょっ、オイッ!!」
突然開かれるゲート。つい癖で、スタートしてしまった。理解できない状況に疑問は隠せない。しかし。
「わからねぇ、わからねないけども……全員、轢いちまえばいいだろッ!!」
『やはり、先頭に躍り出たのはキングダムエクスプレス! 誰も引き寄せない轢き逃げの走りで、見事後続のウマ娘を引き連れている!!』
レースに勝たなければいけないという刷り込まれた本能が、私を加速させてくれる。走る作戦は変わらない、轢き逃げ。
コーナーを曲がって直線、迫るウマ娘はいない。そして最後のコーナー。やはり、追いかけてくるウマ娘はいない。
ただし、アイツを除けば、だが。
『ここでやはり来たぞシンボリルドルフ!! だがキングダムエクスプレスは動じません、停止しました! クラウチングスタートの構えで、シンボリルドルフを迎え撃つつもりです!!』
やはり来た、アイツが、シンボリルドルフが。だが行ける、確信めいた実感がある。ようやく、ここで悲願が果たされる時が来た!! いつから自分はここまでのスタミナを身につけていたのだろうか。目の前を通りすぎるウマ娘たち、だが、不安は不思議とない。
『来たぁぁああァッッ!!! 上がってきたぞキングダムエクスプレス!!! ウマ娘をどんどん薙ぎ倒し、シンボリルドルフに迫りつつある!!』
そうだ、行けるぞ。もうアタマ差ほどの距離しかない!! 長かった、あまりにも永すぎた。だが、私はようやくお前に勝つことができるんだ!! シンボリルドル───!!
「何を、言っている?」
「は──?」
突然、揺らぐ視界。前方に、地面が襲ってくる──地面が?
「お前は、足が折れてるだろう?」
脚が、痛い。ひたすらに。
景色がレース場から、真っ暗の深淵へと変貌する。
目の前のシンボリルドルフの姿をした"ソレ"は、倒れ付した私に歩みよってくる。
「お前は一生、その脚が治ることもない。シンボリルドルフを轢くなんて、できるわけもない」
喧しい
「母さんに会う? そんな体たらくで、本当にできるとでも思っていたのか?」
五月蝿い
「走るのを辞めろ、エースアードルフ。この、負け犬が」
黙れ──!
黙れ───!!!
「黙れえぇェッッ!!!!」
自らの叫びで、目が覚めた。周囲を見渡す、間違いない、自分の病室だった。かぶりを振って、そこで自分の服が汗に濡れているのがわかった。
「クソ、なんなんだ、一体」
骨折をしてから、悪夢を見るようになった。
『ウマ娘を辞めろ』
そんな夢を、ここ最近はずっと見てる。
そのせいなのかは定かではないが、私の右足の回復が予定より遅れてるという。本来であれば歩ける程度の時間が経ったというのに、私は未だ病院のベッドの中で寝ることしかできない。
知らなかった筈の白亜の天井は、すでに見慣れてしまい、ここ最近は思考することが増えた。
私は走ることが、嫌いだった。
人間の頃からそうだった。走って得られる物は様々あったが、中でも一番嫌いだったのは体から滲み出る不愉快な汗だった。ウマ娘として生を受けても、それは変わることはなかった。だから走るのは嫌いだった。
だが走るしかなかった。私の母に会うためには、競走ウマ娘になる他に道はなかった。
私にも夢があった。競走ウマ娘ではなく、画家に、教師に、美容師に。
だが、なれなかった。母に会うためには選ぶしかなかった。競走ウマ娘としての道を。
それからはがむしゃらに、ただ走った。流れ出る汗に詰まる息、他のウマ娘と体をぶつけ、発生する傷の数々。辛かったが、それ以上に私は、母に会いたかった。だから走る。走っても嫌にならないように。
『シンボリルドルフ』、勝ちよりも負けが語られる伝説のウマ娘。そんな強さを体現するウマ娘に勝てば、母は必ず私の前に姿を現してくれるだろうと思い続けてきた。
走らないといけない。走らないと勝てない。私が走るしかない。私が頑張らないといけない。走るのは未だに好きではないが、頑張れば克服される。
走って、はしって、ハシって───
「……あれ」
──ハシルって、なんだっけ。
なんで、ハシッてるんだっけ。
「……もう」
先ほどまで整理していた思考があやふやになる。
ハシルという夢があったはずなのに、
その夢は覚めてしまう。
「疲れたな」
呟いた言葉は鉄のように怜悧としている。
冷え固まった鉄は、不気味に冷たい。
『ハシル』は嫌なこと。
嫌なことを、どうしてする必要があるんだろう。
「わからない」
長い間、頑張っても、私は『ハシル』が好きになれてない。最初から嫌いなものを、好きにはなれない。
「なんで、ハシらないといけないんだよ」
「──それはお前が、競走ウマ娘だからだ」
突然かけられた言葉の主を、探す。病室の入り口、気づかぬ内にいたそのウマ娘。
ハイリボルケッタが、そこにいた。
エクスプレスの顔を最後に見たのはほんの一週間前はずだが、彼女は酷い顔をしていた。疲れきった顔に浮かぶぐちゃぐちゃな感情。後悔、憔悴、諦念。そのどれとも近く、どれも正解ではない。
「走り、観客を楽しませるのが、競走ウマ娘だ」
「……聞いてくれよ、ハイリ」
彼女は窓の方に視線を向け、私と目を合わせようとしない。気まずそうにする彼女の姿を見るのは、初めてだった。
「昔から、走るのが嫌いだったんだ。走ると疲れるし、汗がベタついて不愉快だった。競走ウマ娘なんて、絶対なってやらねぇって、ずっと決めていたんだ」
「だがお前は競走ウマ娘になってるではないか」
「どうしてもならないといけない理由ができたのさ。だからならざるを得なかった。走ってれば、その内走るのも楽しくなったくるだろうって、そうやってずっと走ってきた」
今までのエクスプレスからは考えられなかった静かなしゃべり。言葉の端々から、重い気持ちが伝わってくる。
「でもならなかった。デビュー戦やオークスに勝っても、走るのがまったく好きにならなかった。私は、走るのが嫌いなんだろうな」
顔がこちらへ向けられる。笑っていたが、その顔はどこか儚く寂しげであった。
「私は、走るのをやめるべきなんだろうか」
心に浮かんでいた返答は、自身でも驚くほどに呆気なく口に出ていた。
「バカいうな、お前は走るのが好きだろ」
彼女の顔が困惑しているのがわかる。理解できないといった風だった。
「お前が一着でゴールした時や、他のウマ娘を抜いた時、そんな時でも お前は本当に走るのが嫌いだったか?」
「それは……」
「ほらな、口ではなんとでも言えるが、お前は本当は好きなんだ、走ることが」
かつての私を彼女は想起させた。私も走ることに嫌悪していた時期があった。だがある日気づいた。私は走る以上に好きなのだ、抜かされ、絶望するウマ娘たちの表情を見れるレースが。そう気づくと自ずと脚は動き出していた。
彼女もそうなのだ。走る理由が見つからないだけの、言うならば信念の無き者。信念が無いなら与えてやればいい。走る理由を見つけさせればいい。
「……走るのが、好き」
「そうだ。だがもし、それでも理由にならないというのなら──」
ベッドに近づき、彼女の肩を掴み目線を合わせた。少しの静寂はテレビの音に掻き消え、雰囲気もあったものじゃない。顔を近づける。
「私が、お前の走る理由になってやる。それではダメか?」
「……アンタ、が?」
「そうだ」
彼女は驚愕しているようだった。その時ちょうど、流れていたテレビが話す内容は、シンボリルドルフであった。その液晶へ視線を向ける。
「11月の菊花賞、そこで私は シンボリルドルフを抜いてみせる」
「……やれるモンならやってみな」
「所詮、愚者か」
テレビ、世間、果てには目の前の彼女にまで、考えてる内容はみな同じ。
私のようなウマ娘ごときでは
「シンボリルドルフは絶対ではないということを、私が証明してやる。ルドルフを倒した私を、お前は抜かざるを得ないだろう」
彼女の肩をがっちり掴む、互いの距離は残り5cmもない。喉が知らぬ間に熱を帯びていたのは、私が叫んでいたからに違いなかった。
「だから、私の菊花賞を見ていてくれ! そして走り出してくれ!! 私を轢くために、走ってくれ!!!」
らしくないことをしたと、この際になってようやく理解した。反射的に手を離す、羞恥心でまともに彼女の方向を見ることができなかった。
彼女からの返答は、予想通り哄笑だった。体感時間にして実に一分、笑いが病室を包んでいる。
「ありがとな、ハイリ」
だがその次に来たのは、目の前の彼女からの感謝の言葉だった。
「アンタがらしくねぇ事して、ようやく自分もらしくない事をしてたことに気づいたよ」
先ほどまでの彼女とは違う。自信に満ち溢れ、我が道を道草を食いながらも進む奇走のウマ娘が、私の目の前にいる。
「走るのを辞めるだの、お前にルドルフは倒せないだの。そんな事言うヤツじゃアないんだよな、私は」
そのウマ娘が今、その闘気に満ちた視線を私へと向けた。太陽のように燦々と光を放つ瞳は、私が良く知り、良く理解する者の眼だった。
「気持ち良いくらいにぶち抜いてやれよ、アンタの菊花賞なんだからさ」
「お前に言われずとも、最初からそうするつもりだ」
目の前のウマ娘の名を、私はよく覚えている。高慢さが鼻につくそのウマ娘。
何ら変わらない、私の知るキングダムエクスプレスの姿が、そこにいた。
菊花賞まで、あと五ヶ月。
更新日時が大幅に遅れてしまい。誠に申し訳なく思います。今後はこのような事態が発生しないよう、注意していく所存です。