シモイside
・・・私の昔話を、させてください。
私が覚えている中で一番古い記憶は、お母さんの顔でした。ただ、100点満点の笑顔なんて見たことはありません。
いつも作ったような笑みで、耳を横に向けて、「お母さんは大丈夫だから」なんて言って抱きしめてくれたこと。・・・仕事で家をずっと空けていたこと。明るい外とは対照的に、私の心も家の空気も、暗く淀んでいたこと。
「いつ帰ってくるんだろう」という自問自答は何度やったかわからない。お母さんが用意した作り置きされたにんじんハンバーグを食べながら、静かに何度も涙した。
いつしか、私の中の認識は「暗くなると母がいて嬉しい」で固定されていた。
時が過ぎ、小学校に通うようになった。クラスの人や学童の人と関わる事が増えた。みんなで遊んだり、勉強したりすることは楽しかった。その時初めて、日の光の下でもいいことがある、なんて考えたりもした。
でも、授業参観の日を境に、悲劇は起きた。いや、引き金を引いたのは、私なのかもしれなかった。
授業参観の日、「お仕事が忙しくて、行けなそうにないわ・・・ごめんね」と言った通り、お母さんは来なかった。その日、クラスの人の親は皆来たみたいで、私一人が浮いた。仲の良かったはずの友達から笑われた。
それに加え、親の人たちが私に向ける眼はどこか冷めきっていて、とても怖かった。
でも、そんなことはどうでもよかった。私がなにより不思議だったのは、「父親」という存在だった。
やけに親し気に母と一緒にいる存在。母親の子供を慈しみを持った眼で見ているその男の存在は、私の心に一つの影を落とした。
休み時間になった時、疑問のままに、私は、私の知らない存在を持っている友達に聞いた。
「お父さんって、何?」
そして、友達に「お父さん」と呼ばれていた男に話しかける。
「あなた、誰なんですか?」
その声は、やけに教室に響いたと感じた。途端に向けられる眼は、酷い視線を帯びていた気がする。
同じくらいの高さの眼からは、驚きと、馬鹿にして、面白がっているような視線が。
高いところからの眼からは、哀れみと、納得と、侮蔑のような、わけのわからない視線が。
私という一点に向けられたようだった。
大人は一瞬で、何もなかったかのように振舞いだす。けれど、子供はそうではなかった。
「ちょっと何言ってんの?」
「え、お父さんいないの?」
「まじ~??やばくない?」
「なんでぇ?どしたん?」
まるで煽るような声がそこかしこから聞こえてきた。仲良くしていた友達からは距離を取られ、名前も覚えていないような子から騒ぎ立てられる。
この騒ぎを聞き付けた先生が駆けつけるまで、私への声は止まらなかった。
その後の事は、あまり覚えていない、気がつけば保健室にいて、夕暮れどきに家に返された。いつもの帰り道が、なぜか重苦しく感じて、家に着いた時には、わけがわからないままにポロポロと涙が落ちていた。
家の中で今日の出来事について考える。無意識的に自分の布団に入り込み、グルグルと回る思考を追いかける。でも、一向にまとまらないで頭の中を駆けまわる。
夕ご飯の時間になっても、動けずボーッとしていたとき、
「たっだいま~シモイ、いい子にしてた~?」
と、お母さんが帰ってきた。
その声を聴いて、私の悩みは全部吹き飛んだ。帰ってきたといううれしさが、自分の取り巻く考えを一蹴したのだ。くるんでいた布団を投げ捨て、私は玄関に駆け込んだ。
「おかえりなさい!!」
その勢いでお母さんに突撃する。お母さんは私の衝撃に「ウッッ!」と詰まった声を出していたけど、笑って受け止めてくれた。
「もーどうしたの?珍しい。今日はずいぶんと勢いのあるお出迎えね」
「・・・なんでもないよ!なんとなく!」
そうして私はお母さんに笑顔を向けた。嬉しい気持ちにさせてくれるお母さんはやっぱりすごいな、なんて考えながら。
・・・まだ夕ご飯を食べていなかったことは、ちょっと怒られちゃったけど。
久々の一緒の夕ご飯を過ごして、お風呂に入り、おやすみを言って布団に入る。明日になれば、きっと学校のみんなも元通りだろうと思って。
それと、今日学校で起きたことは、黙っておくことにした。自分の抱えているもやもやをお母さんに押し付けたくなかったから。
グルグルの思考は積もり積もっていき、私が眠る瞬間まで存在していたけれど。それでも。
「なんで、私にはお父さんがいないの?」
その言葉が、お母さんを悲しませるんじゃないか。結論は、そんなところだった気がする。
翌朝、私は熱を出して寝込んだ。きっと知恵熱だったんだろう。昨日とはまた違う頭のぐるぐるに悩まされながら、私は棒アイスを加えながらニヤニヤしていた。
だって、私はその日はとても嬉しかったから。お母さんが仕事を休んで看病してくれたのだ。
「調子が悪いなら早めに言いなさいなよ」
「えへへ、ごめんなさい」
まったく、仕方ないわね、なんてお母さんが言って氷まくらを入れ替えてくれる。
「おやつの時間じゃないのにアイスが食べれたり、熱を出したらいいことしかないな~」
「こらっ!そんなこと言ってないで早く治すのよ!」
そんなおしゃべりもどこか心地いい。過去一番で楽しい日中な気がした。
気が付けばお昼時が近づいて、おなかの音が鳴り出したころ。
「なにか、食べたいのもある?お母さん、なんでも買ってくるわ」
外出準備をしているお母さんが話しかけてきた。
「・・・ニンジンケーキが食べたい。ほら、いつもの商店街にあるお店のやつがいいな・・・」
「お昼ご飯の話だったんだけど・・・わかったわ」
「なんでもって言ったもんね!」
そう言うと、お母さんは私の頭を撫でてくれた。
いつもは聞いてくれない贅沢に、私は口角を上げてニマニマした。やはり今日はいい日だ、なんて思って。
寝室からリビングへ、そして玄関に向かう足音を聞きながら、午後の予定を組み立てる。まあ、寝ることしかできないんですけれど。
「じゃあ行ってきますよ!」
母の声を聞いた耳が動く。ケーキを頼んだぞ、という期待も込めて返事をする。
「いってらっしゃい!」
その声が消えると同時に、玄関扉が閉じた音が聞こえた。
そこから、私はひと眠りした。帰ってきた母が起こしてくれるだろう。そう思って。
でも、それはもう、永遠に叶うことのないことだった。
「ピンポーン」
眠っていた意識を引き戻したのは玄関チャイムの音だった。母が返ってきたのかと思った私。寝起きの頭は「いっぱい買い物して手がふさがっているのかな」なんて思った。しかし、その考えは簡単に否定された。
最初の一回目はまるで宅配便のような軽さで押されたその音は、時間をかけるにつれて間隔を狭めながら鳴らされた。さらに、ドアをたたく音も追加され、酷い音の重なりを奏でた。
チャイムと扉をたたく音にせかされながら、私は玄関を開ける。
そこにいたのは、夕日の茜色を背にした青い制服と帽子を身に着けた男が二人、敬礼をしてこちらを見下ろしていた。
「イスタバリスシモイちゃんですね。警察です」
警察手帳を見せながら、私の名前を出す。
「君のお母さんが事故に合った。一緒に来てもらえるかな?」
そして、男はまるで事務報告かのように、そんなことを言い放った。
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
頭が、真っ白になった。
身の着のまま警察に連れられた私はパトカーに乗せられ、そのまま病院に連れられた。
「事故報告書は・・・泥酔したドライバーがトラックで信号無視して横断歩道に突入。現場にゃ血とケーキが「おい口に出てんぞ馬鹿野郎!!」っ!・・・すいません」
パトカー内で交わされた小さな囁き声。でも、ウマ娘の優れた聴力はそれを拾ってしまった。
「トラック」「信号無視」「横断歩道」「血とケーキのにおい」
それだけで、母が何を持っていたか。どうなってしまったのかを、予想することはできる。
「きっと私がケーキを食べたいなんて言ったから・・・」
ボソッと呟く。膝に置いた手は、真っ白になるくらい強く握られていた。
そこから警察から看護師に連れ人は変わったが、そんなことは些事であった。私は、赤く照らされた文字が光る扉の前、病院のとある一室の前まで連れられた。
「手術室」
読めない漢字だったが看護師さんが教えてくれた。あそこで君のお母さんは頑張ってるんだよ、そう言ってくれた。
長い長い時間がたった。過ぎ去る時間の中で、いろんな人が集まってくる。でも知っている人はいない。
みんな顔をゆがませ、中には怒っている人もいた。その矛先は、私と母に向かっていることを、なんとなく感じ取った。
「妾の子」
「害のあるガキ」
「不幸をもたらす子」
そうやって叫ばれた。
他にも、
「面倒ごと起こしやがって」
なんて母を悪く言う声もあった。私へのはまだ許せる。だが、母への侮辱は許さない。唇を噛んみながら、思いきり睨むと、発言主はバツの悪そうな顔をして目をそらした。
お昼にたくさん寝たせいで、日が沈んでも眠気が来ない。それのせいで、いっぱい、いっぱい酷い悪口を聞くことになった。
「・・・天罰、なのかな」
ふと、そんな弱音が漏れる。私が悪い子で、変に欲張ったから、こんなことになっちゃったのかな?
夜になって、赤い明りが消える。手術室から出てきた医者には医者には土下座をされた。
手を尽くしたが・・・そんな言葉を聞いたが、もう私の心は限界だったのだろう。降りかかる災難に涙を浮かべることすらできなくなっていた。
重度の「外傷性大動脈破裂」という、外部の圧力によって心臓から最初に伸びる太い血管が裂けてしまったのだと、後で調べてわかった。
そこからの手順は、集まっていた大人に一任られた。今思えば、ここで何かしておけばと悔やむが、所詮は小学生、わかるはずもなかった。
葬儀の話、裁判の話、お金の話、そして、私の籍の話。
ついていくこともできるはずもなく、私はただ時が過ぎるのを待つ。起きて、寝て、起きて。断片的な記憶の中、母の死に顔を覚えていたこと。それだけが、幸運だったか。
その後、様々な家にたらい回しにされた。煙たがられた、といったほうが適切か。どうやら病院に集まっていた人たちは親戚で、しかもちょっとした名家と呼ばれるような家らしい。
殴られながら聞いた話では、私はどうやら浮気相手の子供らしい。
名家が残している汚点。縁は切ってあったが、事故の賠償金目当てで駆け付けて復縁した。子供は誰かがどうにかする。そんな扱いだったらしい。
思えば、最初の小学校の親たちの冷えた目線はこれを知っていたからなのかな、なんて結びついた。
誰かに殴られる前に敬語で、愛想よく振舞う。そうすれば、最低限生きられる。壊れた機械のような私を誰もが気味悪がった。
もう心が壊れていたのだ。何も感じず、ただただ生きた。
転々と移り変わる住まいと小学校。その終着点は、孤児院だった。
迎えられた当初は楽しかった。けど転校で授業を受け切れていなくて、勉強についていけない。そこまで走り回ったことのないため足が遅い。
私はすぐに、いじめの対象となった。
嫌だとは思ったが、否定はできないでいた。だって、「私はお母さんを死なせた悪い子」なんだもん。頭が悪くて、足が遅いのは当然だろう・・・あはははは。
毎日続くいじめ。今日のいじめは泥を投げてくるものだった。
いつ終わるかも知らない日々に私は疲れてしまった。壊れた心はきっとひびだらけで、もう少ししたら本当に駄目になるだろう。死んでしまった方が、楽なんじゃないだろうか。
「やめて・・・」
でも、それは、それだけは嫌だった。お母さんの思い出を死んで捨てたくなんてなかった。
「・・・誰か・・・助けて」
この現実から、私を・・・・・・・・・
「ああ分かった、助けてあげる」
幻聴の如く、小さく紡がれた言葉。目の前に降り立つ紫の影。
その人は優しい笑みで、私を見据えた。