朝5時、片岡トレーナーは目覚ましもなしにまどろみから覚める。カーテン越しに降り注ぐ日の光が彼に時間を教えている。
片岡トレーナーは朝の5時から12時までなら無敵だ。それこそ、ウマ娘と競争しろと言われたのならそうするだろう。勝ち負けはともかく、彼はそういう男だ。
彼はけだるさなんて微塵も感じさせずに起き上がり、カーテンを開け放つ。彼の部屋には家具らしい家具はない。せいぜい衣装ケースがあるくらいだろうか。
男の狭い一人部屋にはテレビも、机も、何もない。
彼は新品の「インスタントコーヒーの入った容器」に湯を注ぐ。溶け切らずにねばついているが、それをなれたようにスプーンで食べ、様々なサプリメントと交互に嚥下してゆく。トレセン学園のトレーナーは普通じゃないのだ。彼は普通じゃない。
表情一つ変えずに拷問じみたものを胃袋に収めると、歯を磨き、身だしなみを整える。外見からは想像できないが、彼は狂っている。
動きやすいジャージに着替えると、彼は部屋を出て大きく伸びをした。
―――― ―――― ――――
そして時刻は17時。彼はどういうわけか秋川理事長の呼び出しを受けていた。心当たりがない以上、罪悪感なんて沸かない。丁寧にノックをし、そして理事長である秋川やよいの目を見た。
その目には恐怖と、不安がありありと浮かんでいる。
「心配ッ! 一体どういう生活を送っているのだ!?」
「男の一人暮らしなんてこんなもんですよ」
「否定ッ! インスタントコーヒーの瓶を山ほどゴミに出すのはおかしい!!」
理事長の言葉に片岡は少しだけ笑う。
「男の一人暮らしなんてこんなもんなんですよ」
それ以上話したくない、といった様子で片岡は吐き捨てる。
「体調ッ!!」
秋川の言葉に片岡はぴくりと震えた。
「定期健康診断の結果は――」
「生きているのが不思議だって?」
今度は秋川が震える。こんな少女を怯えさせたことが片岡は悔しかった。
「理事長。『死神』って落語を知ってますか? あぁ、その通り。自分の命のろうそくに火を移す噺です。あれを聞いて思ったんですよ」
片岡は秋川を見て言う。
「激しく燃えるろうそくもあるし、ほそぼそと燃えて長く燃え続けるものもある。サクラバクシンオーはまさしく前者です。だから私はそうならなくてはいけない。俺は彼女を必ず一番に、彼女の理想の通りにして見せます。誰が何をしようが、絶対に」
ふぅと息を吐いて、片岡は目を閉じた。そして目を開いた時には、その瞳に狂気が宿ったままだった。
「絶対に、彼女の、夢を、叶えて見せます」