現在
ユニオン
首都D.C
「選挙後に発生した弁護士やその家族の惨殺事件は、最初からオンディビエラと秘密警察の仕業だと暴露しているようなものだった。だが、弁護士会を止めるには充分だったし、提督もアドリアンがそこまで残忍な男だとは思っていなかったのだろう。」
「アルバロが暴君だったのなら、何故そんな希望的な観測に至ったのでしょう?」
「アルバロが残忍さを示したのは"共産主義者"だけさ。奴は白昼堂々連中の家に押し入って皆殺しにするような方法を好んだ。"正々堂々と"ね。その点アドリアンのやり方は対照的だった。アドリアンは父とは違い、相手が気付かぬ内に後ろから刃物を突き刺す…極めて陰湿な方法を取る傾向にあったんだ。」
「………」
「特に少数の人間に的を絞ったのはアルバロと決定的に異なる部分だ。アドリアンはただ単に殺すだけでは飽き足らずにある種のメッセージまで添えていたのだ。"アンタらの頼みの綱は役立たずだ。こんな風になりたくなければもう少し考えろ"と。」
若い記者はこの老人の前に辿り着くまでに見てきた数々の記録写真を思い返す。
アルバロの命令によって殺された共産主義者の死体というのはどれも似たり寄ったりで、すなわち小銃や拳銃で撃ち殺されたと一目で分かるような死体だ。
しかし、アドリアン時代になってからというもの、殺害される人数は少なくなっているのにその方法の残忍さは際立って高まっている。
誰がどう見ても長時間の苦痛を与えられた事がわかる死体や、生きたまま溶剤に沈められたような死体、あまりに損壊が激しすぎて元は人間なのかどうかすら判別不能のものすらあった。
「………タマンダーレが耐えられなくなるのも当然では?彼女は確かにユニオンの為に働いていたが…やがて罪悪感に耐えられなくなった。」
「セントルイスはあの件に深入りし過ぎていた。彼女は長年アドリアン・セルバンデスと接する内に、思い入れを深めてしまったのだろう。」
「それで、担当を変えるために"例の彼女"をインビエルノに送ったのですか?」
「いいや、それはまた別の話さ。あの要求はセルバンデス本人からなされたものだった。奴はある準備のために強力な戦力を欲していたからね。我々は…まだセルバンデスの手綱をしっかりと握っていたから、隣国との戦力差を鑑みて彼女を送る事にした。」
「待ってください、インビエルノ海軍は南方大陸いちの海軍だったはずですよね?隣国ラプタとの戦力差を鑑みたなら、海軍力に溝が開くとしか…」
「…君の言う海軍は、
老人の言葉にハッとする若手記者。
そうだ、提督はセルバンデスに反旗を翻した。
海軍自体は提督に忠実なように作り替えられていたし、もはやセルバンデスを無視して勝手に行動を起こし始めていたのだ。
セルバンデスの手元にある海軍戦力はセントルイス…タマンダーレだけ。
それは海軍で最も強力だが、最も数少ない戦力でもあった。
「………セルバンデスは手持ちの札を増やそうとしていた。」
「その通り。奴は海軍をもう2度と取り戻せないと考えていた…少なくとも、元の状態ではね。」
「…彼は海軍をどうするつもりだったんですか?」
「………。君だって知ってるはずだ。奴は提督の海軍を海の藻屑にしてしまうつもりだったのさ。」
…………………………………
選挙から5日後
インビエルノ
大統領宮殿
確か、マキャベリは民衆を支配するには恐怖を上手く用いなければならないと説いている。
彼が崇拝するチェザーレ・ボルジアは、ある部下を大衆の目の前に引き摺り出して極めて残虐な方法で処刑した。
それを見た民衆はチェザーレを恐れ、同時に逆らおうとはしなくなったのだ。
チェザーレは残虐さの対象を特定の人物にのみ向けたから、関係のないアカの他人が酷い目にあったところで民衆がチェザーレに恨みを抱くこともなかった。
マキャベリはこの手法を高く評価していたし、私はユニオンの諜報機関でこの手法の有効性を学んだ。
学んだことを活かした結果、弁護士会は提督の弁護を差し控え始めた。
このまま上手くいけば、陸軍の訓練が完了するまで提督を拘束しておける。
既に戦艦『コクレーン』はこちらとの連絡を再開し、白々しくも"無線機の故障"だったと言い訳をし始めたところだった。
このまま艦長を極刑に処したい気持ちもなくもないが、今は海軍と対決するべきではない。
今、私の最大の懸念は海軍連中ではなく、ウゴとベラスコ中将に追わせている鉄血の残党の方だった。
ひとまずの危機は去り、私は就任以来初めて"ひと安心"という気持ちを抱いている。
ホッとしたせいか腹が鳴ったこの日の昼のこと、タマンダーレが笑顔を浮かべて昼食を持ってきてくれた。
ルーベンサンドウィッチに温かなチキンスープ。
香りだけでも楽しめるような食事を持ってきてくれた彼女は、まず初めにこの前のことについて謝意を述べてきた。
「………あの時はごめんなさい、アドリアン。つい感情的になってしまって…」
「私の方こそすいません。タマンダーレさんは私を心配してくれたのに…あんな無下にするような態度を取ってしまって」
「いいえ、あなたは自分の立場に忠実であろうとしただけ。…でも、やっぱり一人で抱え込んで欲しくないの。あなたとユニオンの為になるなら、私はいつでも戦える用意がある。どうかそのことを忘れないで?」
「…………」
「心配してくれるのは分かるけれど、私はこう見えて世界大戦の功労艦なのよ?」
「………率直に言います、タマンダーレさん。もし…もし、あなたの手に負えないと判断できる場合は、必ず嘘を吐かずに言ってください。私がそれを咎める事はありませんし、責句を言うつもりもない。ただ…」
「私があなたを心配するように、あなたも私のことを心配してくれている…そうでしょう、アドリアン?…うっふふふ、とっても嬉しいわ♪…もちろん、あなた相手に嘘を吐くつもりはないから、どうか安心してちょうだい?」
「分かりました。…近々、あなたには出撃を命じなければならないかもしれない。その時は今の言葉をどうかお忘れにならないよう、お願いします。」
「もちろんよ、アドリアン。…さぁ、冷めない内に食べましょう。」
やはり海軍が敵に回るとなれば、いくら陸軍を増強したところで最後の頼みの綱は彼女と言う事になる。
この美しく、優しく、柔らかさに富んだ女性を南方大陸で最も強大な戦艦の眼前に繰り出さなければならない。
そしてその時は刻一刻と迫りつつあったのだ。
私は温かなチキンスープに一口掬い上げ、口へと運ぶ。
きっと膨大な時間をかけて煮込まれたであろうそのスープは本当に美味で、私自身の彼女への思いをより確固なものにした。
決して、彼女を失いたくないという思いを。
正直なところ、私は今の地位を好んではいなかった。
だが、それを父やユニオンや彼女のせいにして投げ出すことは望まない。
これは歴史が私に与えた使命なのだから…そう考えるのは、少し思い詰めすぎだろうか?
「アドリアン、怖い顔してるけれど…」
「…!ああ、すいません、少し考え事を。何でもありませんから、どうかご心配なく。」
「そう…なら良いけれど…」
タマンダーレに顔には未だ後悔の念が混じっているように見えた。
私という男はどこまで未熟者なのか。
良い歳して、もう大統領なんてモノにまでなっているのに…育ての親ともいえる女性にこんな顔をさせてしまうとは。
「本当に心配はいりませんよ。…少なくとも私自身に関しては。まあ、心配事がないわけじゃありませんが…」
「…やっぱり、あなたは海軍を解体してしまうつもりなのね?」
「残念ながら。提督は海軍を共産主義の手先に作り替えてしまった。思想というものは一度染み付くと中々取れません。……私はある大昔の鉄血の政治家を尊敬しています。」
「鉄血の政治家…?」
「ええ。バラバラだった鉄血を統一したあの"宰相"ですよ。彼は決して多正面に敵を作ることのないように立ち回った。鉄血が大戦で負けたのはその原則を自分から破ってしまったからです。私は同じ轍を踏むつもりはない。海軍と国内の共産分子を同時に相手にするつもりはありませんよ…連中同士が手を組んでいるなら尚更。」
「だから、まずは海軍から叩くのね。…ごめんなさい、心配のしすぎだったわ。あなたはきっと大丈夫。でももし何かあったら、先も言ったように私を頼りにして?…昔みたいに、泣きついてくれても良いのよ?」
「はははっ!タマンダーレさん、私はもうそんな歳じゃありませんよ。でも、ありがとうございます。………さて、ご馳走様でした。あなたの手料理は本当に素晴らしい。」
「うっふふふ、褒めてもらえて嬉しいわ♪夕ご飯も楽しみにしておいて?…それじゃあ、私は食器を片付けるわね?」
「すいません、よろしくお願いします。私は執務に戻らねば。海軍が待ちぼうけしている間に準備を進めなければなりませんからね。」
…………………………………
サンドウィッチとスープの昼食が終わると、アドリアン・セルバンデスは再び執務へと戻っていった。
彼が陸軍の訓練状況を確認し、秘密警察長官に戦犯の行方を尋ねている間、タマンダーレは使用済みの食器を持ってシンクに向かう。
しかしすぐに食器を洗うわけではなく、彼女は食器を置くとそのスラリとした長い脚を自室の方へと向けた。
自室に至った彼女はそのまま椅子に腰掛けて机に突っ伏す。
そして何かを悔いているように独り言を呟いた。
「………何が"大丈夫"なの?…アドリアン、あなたは大丈夫なんかじゃない…大丈夫なわけないじゃない…!」
タマンダーレの声色に、少しだけ甲高さが含まれていく。
口調はまるで誰かを責めるようなモノに変わっていったが、しかし、その矛先は彼女自身に向けられているようだった。
「あなたをそんな風にしてしまったのは私。…あんなに優しくて、純粋だったあのこを…私はっ……!」
悔いるような口調とともに、彼女の強く握られた拳から鮮血が溢れ出る。
まるで自分自身に罰を与え、傷つけるかのように。
そうして彼女は、決心をしたようにこう言った。
「………アドリアン…私があなたを"自由"にするわ…何があっても、絶対に……!」