チリ?そんな国ちやないちやない
ラッキー・ルーことセントルイス…即ちタマンダーレがどこでこんな料理技術の数々を身につけてきたかは分からない。
彼女は華美なチャイナドレスに身を包み、私の目の前で北京鍋を使ってユニオン風東煌料理を調理している。
その腕前はもはや見惚れるものすらあり、作り出される料理の味を保証していた。
「…世界大戦が終わってこの国へ来る前に、私は復員作戦に従事していたの。東煌や重桜から、祖国の兵士たちを帰国させるための船団を護送していたわ。当然東煌の港に停泊する時もあって、このチャイナドレスや調理法はその時に得たものよ。」
世界大戦後の復員作戦か。
私の父親、アルバロ・セルバンデスがユニオン中央情報局と接触したのはだいたいそのくらいの時期になる。
共産政権が試みたのは、インビエルノ経済の大転換だった。
当時のインビエルノも今と変わらず農作物や地下資源をユニオン企業に安く買い叩かれ、まるで植民地の体を成していた。
政治にまるで無関心だった国王は国民から怒りを招いて失脚、その後の普通選挙で選出されたあの医師は国内産業の育成に主眼を置いたのだ。
それは植民地時代からの脱却とも取れる政策であった。
農地や鉱山は国有化され、ユニオン企業は不当な価格でインビエルノの資源を買い漁ることができなくなり、同時に海外からの輸入品に対する関税は引き上げられた。
共産政権は次いで国家備蓄を国内の工業へと注ぎ込み始める。
国有化した鉱山や農地から得られる資源を活用し、自国内の需要を自国で満たせるよう計画的な開発に着手した。
彼の目標は国内を現在の惨状から救い出すことであった。
高血糖値に悩まされ続ける13家族のような"特権階級"と、路地裏で飢餓に苦しむ人々の差を出来るだけ埋めようとしていた。
当然この国の国民の多くは彼に期待していたし、馴染みのない政治思想に政権を握らせさえしたのだ。
彼もその期待に応えんと必死だったに違いない。
そして、だからこそ、その失敗に対する失望は大きかった。
結果的には国有化した鉱山や農地は思うような生産性を維持できず、よってせっかく国家備蓄を注ぎ込んだ工業施設は遅々として稼働しなかった。
更には輸入品に高い関税をかけた事から、やがて国中が物資不足に喘ぐようになる。
これらの結果あの医師は国民から失望され、遂には見放されるようになるわけだが………
これには当然、私の父や中央情報局が一枚噛んでいた。
中央情報局にはあの医師が何を目的にしているにせよ、共産政権自体がアレルゲンのようなものだった。
彼らは野心旺盛でユニオン海軍士官学校への留学経験もあるアルバロ・セルバンデスに白羽の矢を立てて、クーデターに向けた準備を始めさせる。
ユニオン企業は"義援金"を出し合って父に与え、父はそれを海軍連中と分け合う事で海軍の実権を掌握していった。
インビエルノ海軍は、共産主義政権が輸入品に高関税をかけた事を逆手に取り、自国の商船への臨検を頻発させるようになった。
勿論、海軍は国内の物資不足の惨状を知っていたし、知った上で過剰なまでの取り締まりを行なったのだ。
海軍、いや父の狙いは国民をあの医師から離反させる事で、やがては父の目論見通り国内の共産政権への反発は加速していった。
更に、中央情報局は資源調達の生産効率の低下にも関与している。
13家族は特権を手放す事を嫌い、中央情報局の助言を元にサボタージュを始めた。
これまで農地運用のノウハウがあったのは13家族くらいなものだったから、彼らが消極的な姿勢になるだけで生産効率が落ちるのは当たり前だったのだ。
勿論、13家族の収入は落ち込んだが、ユニオン企業が"義援金"によってバックアップを提供していた。
例え農地が荒地になったところで、彼らがしばらく困る事もなかったのだ。
また鉱山にしてもそれまで開発をしていたのはユニオン企業である。
共産政権が鉱山の国有化を決めた時、ユニオン企業はネジの一本さえ置いては行かなかった。
ただでさえ開発ノウハウもないのに機材までないとならばお手上げだろう。
中央情報局からも要請を受けていた彼らは、共産政権がどれだけの報酬を提示して機材の借用や技術者の雇用を要請したところで返答すらしなかったのだ。
追い詰められた共産政権は仕方なく北方連合への接近を試みざるを得なくなっていった。
ユニオンからの助けが得られない以上、もう一つの超大国を頼らざるを得ないからだ。
しかし、その行為は彼が共産主義思想の本質を把握しているかしていないかといった問題以前に、父のような野心ある軍人によるクーデターの格好の口実になるというところまで……きっと想像できなかったのだろう。
中央情報局、更にはユニオン政府からお墨付きを貰った父はクーデターを敢行した。
あとは知っての通り。
共産主義者の拠点は海軍に潰され、タマンダーレもその一員として沿岸部の砲撃に従事した。
その後は陸軍が大統領宮殿に雪崩れ込んであの医師を連れ出し、全国生中継ラジオ放送の中処刑したのだった。
こうして南方大陸初の共産政権は短期間でその命を終え、インビエルノはまた植民地時代へと逆戻りして今に至る。
確かに、私はその手に国家の命運さえ握っているのかもしれない。
だが、それをどうにかしようとは思わなかった。
率直に言ってしまえば、この国の国民共がどうなっていようと私には他人事にしか思えないのだ。
本当なら大統領なんて職につくべきではないし、良心があるなら今すぐ辞表を書いてどこかへ亡命すべきだろう。
ではそれは決して現実的な事ではない。
少なくとも私は、父と中央情報局があの共産政権と国民共に対して何をしてきたか知り過ぎているほど知っている。
中央情報局がそんな人物をただただ見送るとは思えない。
それにタマンダーレ………私は彼女を失いたくないのだ。
私が彼女を引き止められる理由は、この国の大統領であり、ユニオンの前哨として働いている事だろう。
その地位を失えば彼女はすぐにユニオンに帰るか、或いは彼女の意思がどうであろうが中央情報局は彼女の任を解く。
私は失意のどん底で、惨めに死んでいくことになる。
実際のところ、彼女自身はどうなのだろう?
彼女は私を慕ってくれてるのだろうか?
それとも任務に忠実なだけなのだろうか?
あの笑顔は本物の笑顔なのだろうか?
それとも私に任務を遂行させるための演技だろうか?
料理を作ってくれるのは私があくまで駒として働いてるから?
そもそも彼女を信じていいのか?
中央情報局は?
ユニオンは?
身内だって信じられる連中か?
ウゴは共産主義者を狩終えたらどうする?
ベラスコがクーデターを起こさないと誰が保証する?
私は罠にハマっているのか?周囲の皆は私を陥れようとしてるんじゃないか?もしかして味方はいないんじゃないか?提督の叛逆を間近に見ながら楽観が過ぎやしないか?誰が裏切り者なんだ?信じていい人間なんて1人もいないんじゃないか?誰が私を殺そうとしているんだ?父のようにパンツァーファウトで爆殺しようとしてるのか?それとも背後から刺殺される?或いはスナイパーライフルで狙撃?タマンダーレの料理に誰かが毒を盛る?殺すされる?殺されるのか?こんなところで?嫌だ嫌だいやだイヤダイヤダこんなところで死ねるか先に殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してころしてコロシテ殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺…
「アドリアン!」
ハッとして前を向くと、タマンダーレがもう調理を終えていて、席に座る私の前の机には美味しそうなフライドライスやオレンジチキン、モンゴリアンビーフが並んでいる。
それらの料理を眺めていると、額から脂汗が流れ落ちてきて目に入った。
痛みに顔を顰めつつハンカチを取り出すと、例によってタマンダーレがこちらへと近寄ってくる。
「………アドリアン?…あなた………」
「な、ななななんでもない、なんでもないんだ、タマンダーレ…」
「顔が青いわ…それに凄い汗…何でもないわけないじゃない!」
「ほ、本当に大丈夫ですから!」
彼女が何かを取り出して手を掲げたので、私の体は咄嗟の防御姿勢を取ると同時に、右手は勝手にタマンダーレから贈られた45口径の握把を握っていた。
タマンダーレはそんな私を見て、いよいよ心配そうな顔をしている。
「いいえ、大丈夫じゃない。アドリアン、今日はもう休みましょう。」
「ダメだ、ダメです、タマンダーレ、私にはまだやる事が…やらないといけない事が…」
「あなたが今やらなければならないのは、一息つく事よ?…きっと、就任から休みもなしに働いて、提督の裏切りにもあったから精神が不安定になっているの。」
「大丈夫です、わわわ私が、コレをやり遂げないと………あなたや中央情報局に…………私は見捨てられる」
「バカ言わないでッ!!!」
タマンダーレが私を強く抱擁する。
もう何度目かも分からないその行動が、何を私に伝えようとしているかは嫌でもよくわかった。
"落ち着いて"
彼女は行動を持って、どんな言語よりも雄弁に私にそう伝えたのだ。
「私があなたを見捨てるなんて!どうしてそんな事を言うの!?」
「………」
「そんな事するわけないじゃない!…いい?ひとつだけハッキリと言っておくわね、アドリアン。私があなたと一緒にいるのは、"あなたが大統領"だから、じゃない。"あなたがあなた"だからこそ、私はあなたの側にいるのよ?」
「………うっ…ぐすっ…すいません、タマンダーレさん……」
「……辛かったわね。どうか私にだけは、ありのままのあなたを曝け出して。そうしないと、あなたは本当に手遅れになってしまう。」
「………」
「今日はもうお休み。あなたはあまりに疲れてる。お料理を食べて、ゆっくりお風呂に入って…そうだ。今日は私と一緒に寝ましょう…昔みたいに。」
彼女の魅惑的なプロポーションなら、如何わしい想像に至っても無理はないものの、正直私はそれどころではなかった。
何かと何かの歪みが一気に出たような……自分が自分でなくなるような……何というか……上手くは言い表せないが、心の支えの最後の部分を失ってしまいそうな気分になっている。
おかげで大切な大切な人を傷つけてしまったし、もう彼女の言うように今日は休みを取った方が良いのだろう。
どちらにせよ、私は彼女の胸に顔を埋めて泣きながら頷く事しかできなかった。
…………………………………
「アドリアンはこのまま行けば冷酷極まりない人間になってしまう…いえ、もう既になりつつある。彼の心はもう限界よ。彼が猜疑心の塊になってしまえば、この国の国民にどう接するかは分かるでしょう!?」
『だからどうしたんだ、セントルイス。我々の方針に変更はない。君は彼に深入りし過ぎている。』
アドリアン・セルバンデスが入浴している間に、タマンダーレことセントルイスは知人に国際電話をかけていた。
彼女は懇願に近い声色で訴えるが、相手はまるで気に留めていない。
『アドリアンは我々の手駒でさえあれば良い。奴が精神に異常をきたして使えなくなるなら、切り捨てて次の候補者を擁立するまでだ。』
「そんなっ…」
『それが嫌なら君が彼をしっかりとコントロールしろ。南方大陸の防衛は君にかかっているんだぞ?』
「………ねえ、ライリー…きっとルルだって、こんな事望んでいないわ…彼女なら」
『ッ!………ルルの話はもう2度とするなッ!通信は以上だ、オーバーッ!』
電話は一方的に切られ、受話器からはツー、ツーという無情な電子音が響く。
タマンダーレは静かに受話器を置いた。