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その老人、ジャック・ライリーはもう4杯目のエスプレッソを楽しんでいたが、彼の表情に何らの悔いも見て取れない事は、若手の新聞記者でも容易に見てとれる。
記者の見る限り、ライリーは自身の行いを恥じているどころか誇っているようにすら見えた。
その心は揺らぐことのない山のようで、かのアドリアン・セルバンデスを背後から操って大勢を死に至らしめた事も、どうやら彼にとっては"良き思い出"に過ぎないらしい。
そんな彼を見て、記者はこの冷血漢に少しだけ意地悪をしたくなっていた。
余裕のある態度でエスプレッソを楽しみ続けるこの男の表情が崩れるのを見たいという願望を、"切り口を変える"という薄っぺらい理由で包んで突き出したのだ。
「……ライリーさん、あなたは世界大戦中に海軍に所属し、太平洋方面で重桜と戦っていた。」
エスプレッソのカップを持った手がピタリと止まった。
老人は初めて表情を硬らせて冷たい瞳を記者の方へと向ける。
記者は少々気圧されたが、それも長くはなく、老人の顔はすぐに元の柔らかな微笑みに戻った。
「…その通り。どうやら私の事はよく調べたようだね?」
「ええ、"仕事柄"」
「なら、私が何をしたかも知っているはずだ。何をやらかして、何を失ったかも。」
「………あなたの艦隊は太平洋における重桜の輸送艦隊を阻害する任務を受けた。結果的に発生したのがクラ湾とコロンバンガラの戦いです。」
「………」
「あなたは新任の指揮官だったが、部下の1人とは既に結ばれていた。相手はブルックリン級軽巡洋艦のホノルル、セントルイスの姉妹だ。」
「………」
「ところがあなたはクラ湾でセントルイスの妹であるヘレナを、コロンバンガラではあなたの妻でもあるホノルルを立て続けに失った。…教えてください、あなたが冷酷になったのは彼女の喪失が原因ですか?」
「………」
ライリーは記者の質問に答えもせずにただただ表情を崩していくだけだった。
それが記者の加虐精神を煽り立てる。
この冷酷な諜報員の厚い仮面を引き剥がしてやろう。
その想いに駆られた記者の言葉は熱を帯び始めた。
まるで、ライリーの"被害者達"を代弁するかのように。
「どうなんです?あなたがセントルイスをアドリアン・セルバンデスの元に送り込んだのは、間近にいながら妻を守れなかった彼女への当てつけでは?」
「………」
「それどころかあなたは妻を喪った失意からくる怒りを職務に向けた。情報局に籍を移したあなたは敵への憎しみを糧にして出世を進めていったんだ。」
「………」
「やがて南方大陸方面の責任者に上り詰めたあなたは、引き続き癒えることのない悲しみをエネルギーに変換し続けた。どんな気分でした?気は晴れましたか?あなたの、ねじ曲がってしまった精神が生み出した大勢の犠牲者に対して…今はどう思ってます?」
ライリーは引き続き黙っていたが、やがて突如として顔に笑みを浮かべる。
記者は度肝を抜かれてたじろいた。
"この男、狂ってるのか?"
「………どうだ、楽しいだろう?相手を調べ上げ、心理を弄び、自分の思ったとおりに操る。私や君のような人間には数少ない"職務上の"娯楽さ。」
「な、なにを」
「
「………」
「2つ目、"若手記者"などという偽装身分を使うならもう少し慎重にやりたまえ。特に、アンダーソンなんていうありきたりな名前は使うな。名前は君の偽装身分に経歴を与える。私が君の立場ならヒスパニック系の名前を使っただろうな。それから、セットでも何でも良いから"社宅の応接室"を用意しておくべきだった…こんな所で機密に纏わる話をしたがる情報局の人間はいない。」
「………」
今度は記者が押し黙る番だった。
彼は口を開いたまま微動だにできずにいる。
しかしながら、彼は今ハッキリと理解していた。
自分からとんでもない沼にはまり込んでしまったことを。
知らず知らずのうちに、この狡猾な老人の罠に肩まで浸かっていたことを。
「そして最後に3つ目。相手のことをよく調べているのが自分だけだとは思わないことだ。"こちらが深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている"。勿論、聞き覚えはあるだろう?」
老人はゆっくりと片手を挙げてパチンと指を鳴らした。
先ほどまでの雑踏が嘘のように立ち消え、老人と"記者"の周りにいた全ての人々が彼らの方を向く。
そうして、"記者"はようやっと初めて悟った。
この老人は彼の正体を知っていて、それがどんな人物で、もしかすると自身に危険が迫るかもしれないということも知った上で彼の質問に答えていたのだ。
「…彼らには必要ないと言ったんだが、私は中々の人気者なようでね。心配してこんな事までしてくれた。…なぁ、君。いい加減私の方からも質問させてもらえないかな?」
"記者"の額を、一筋の汗が走る。
彼は今自分が逃げようのない罠の中に閉じ込められたことを知った。
だからこそ、この対話を続ける他に道はない。
「…何でしょう、ライリーさん。」
「何故今更になって、私の話を聞きたくなったんだ?…
「………」
「まぁ、そもそも…言っちゃ悪いが、君の経歴は正気とは思えない。お母さんは猛反対しただろう。何せ、我々は彼女にあまりに酷い扱いをした。」
"記者"と名乗った若者は、その場でそっと目を閉じる。
脳裏に浮かぶのはある日の母親の言葉。
普段、母親は決して感情を表に出そうとはしないタイプの人物だったし、だからこそあのポーカーフェイスで皮肉たっぷりの非難を浴びせられた時は決心が揺らいだものだ。
"ああ、なんて親不孝な子なのかしら"
"アンタ、そんな趣味があったの?母親が監禁されてる姿に興奮するとか?"
"あの人が生きていたらどう言うでしょうね?1人息子が自分を嵌めた組織に加わるなんて知ったら…もしかしたら今日はあの人に会えるかもしれないわね。きっと化けて出てくるでしょうから。"
それでも彼は母親の発言の背景に悲しみを捉えることができた。
それは自身を虐げた組織への反発でも、その組織に加入しようとする息子への失望でもない。
彼女が内心に秘めていたのは間違いなく憂慮であった。
自身の息子が目指すところ、そこへ至るまでに遭遇するであろう障害が息子にどんな影響を及ぼしかねないか…それを知っているからこその憂慮。
現に老人は、その影響をモロに受けているようだ。
「………母はあまりあの時代のことを語ってはくれませんでした…きっと避けていたんでしょう。でも周囲の人間が悪魔のように語るアドリアン・セルバンデスという男については、母は幼い私にこう言ったことがあるんです。…"あの人はアンタの恩人よ"…と。」
「なるほど………」
老人はそれで全てを悟ったようだった。
納得のいく回答が出たからか、軽く頷きを返して、再び口を開く。
「こちらの番だな。最初の質問に答えよう。私が
「あなたが海軍から情報局に移ったのはそれが理由ですか?」
「………なんてな!こんなもの、ただの言い訳でしかないっ!」
突然声を荒げる老人。
ジャック・ライリーはもう引退してかなりの年月を経ているし、その頭は白髪に染まっている。
勿論、そんな老人が声を荒げるのは健康上よろしくないし、褒められる行動でもない。
それでも彼はこの行為をやめられそうになかった。
「いいかい、私は、私はっ、君が思っている以上に卑劣な男だ!でもそれはセルバンデスを背後から操ったからじゃないっ!」
「………」
「…ルルを喪った後、私は情報局に軍籍を移した。情報戦で敵に勝てれば、ルルのような犠牲を出すこともないだろうと…そう思ったからだ。敵に先んずれば味方を救い、逆に遅れれば味方を失う。ルルがそうだったように…」
「………」
「あの時ルルを喪ったのは、敵に関する情報が手元になさすぎて私の判断が遅れたからだ!だからもう、私は躊躇しないと心に決めていた!使える手段は何でも使う!それが卑劣だろうとなんだろうと!ルルの犠牲を無駄にしないためにも!」
「………」
「だがね、どう言い訳をしてもあの時判断を誤ったのは他ならぬこの私だ!ルルやヘレナは私が殺したに等しい!…私はセントルイスから彼女の家族を奪ってしまったんだ……」
「…それは違います」
「ああ、ああ、セントルイスもそう言って庇ってくれた。だが…私は彼女に庇われている自分が許せなかった。だから………なんてこった…私は………」
ライリーの鋼鉄の仮面はもはや見る影もない。
ハンカチで涙を拭き取る老人の姿をみながらも、"記者"は先ほどまで抱いていた自身の考えの浅はかさに罪悪感を覚える。
この男は冷血漢などではなかったのかもしれない。
言うなれば、
かつてKAN-SENを率いる若い指揮官だった男は、先ほどまでの興奮を収めて静かな口調へと変えていく。
その声音に深い深い悲しみを込めて。
「………だからこそ、私はセントルイスを自分から遠ざけてしまった。南方大陸に派遣されるKAN-SENのポストができた時、彼女を推薦したのも私なんだ。…本当に腐り切った男だよ。」
「………」
「…しかし、彼女を通じてセルバンデスに行わせた作戦については後悔していない。冷戦は戦争のひと形態に過ぎないのだ。そこにルールなんてモノはない。ルルが生き残れなかった戦争を生き延びた者の責任として、私はどんな手を使っても北方連合の脅威から祖国を守るつもりだった。」
「だからあなたには、冷酷である必要があった。」
「その通り。罪悪感を感じなかったわけじゃないが、やり遂げるしかなかったんだ。今じゃ誰も理解はしてくれないがね。………もしかすると、こんな日を待ってたのかもしれないな。」
「あなたの内心を、私に聞かせる日を?」
「ああ、そうだな。私はとんでもないド変態に見えるだろう。だが公式文書にも残っていない記録を誰かに伝えたかったのかもしれない。それに携わった人間がどういう想いを抱いていたかを。」
「…………」
「最初、君は私を殺すつもりなんだろうと思っていた。接触に応じたのは"それもいいかもしれない"と思ったからさ。私のような男には相応しい最後だ。でもその気が君にないのなら…話を続けても構わないかね?」
"記者"は改めて居住まいを正すと、老人の目を見据える。
母やインビエルノの人々を虐げた人物も、結局は1人の人間でしかなかった。
彼は彼で守るべきものを抱えていた。
そして表面では平静を装いながら、自らの極悪非道な行いに内心では多少なりとも罪悪感を感じている。
なら母親が"恩人"と言っていたアドリアン・セルバンデスの内心はどうだったのだろう。
自らの国民に何の関心も持てなかった男が、母親をどう扱ったのか。
そして彼を支えたセントルイス…タマンダーレは何をしたのか。
答えを持つ老人は、再び静かに語り始める。
「………アドリアン・セルバンデスは提督を排除する用意を整えた。我々は君のお母さんを送り出し、セントルイスは我々とは別の思惑を持っていた。」
「………」
「なぁ、実を言うとだな。君のお母さんは間違っている。君が感謝すべきなのは、アドリアンではなくセントルイスの方なんだよ、『ヨアヒム・ルートヴィヒ』君」