海軍の誇る戦艦『コクレーン』は簡単に沈んだ。
正直呆気なさ過ぎるほど呆気ない最期だったし、提督は持てる手段を殆ど機能できずに追い込まれた。
今や陸軍の主力部隊は海軍本部を制圧する準備を進めている最中であり、私は海軍連中への最後通牒を練り終えようとしている。
原稿の推敲を進めていた時、不意に両肩に重量物が乗せられた。
両頬と後頭部に感じる温かみ、香り、柔肌、更には吐息が私により一層の安心感を与えている。
続いて本当に優しさの塊のような声音が鼓膜をくすぐると、私はつい我慢できずに後頭部を彼女の胸に任せてしまう。
それでも彼女は私を受け入れ、癒してくれるのだ。
「やっと、やっと終わるよ、タマンダーレ。」
「そうね。お疲れ様、アドリアン。…提督への最後通牒を書き終えたの?」
「うん。"艦艇を無事に引き渡すのであれば、そちらの投降を認め、提督の亡命を約束する"。既に軽巡と駆逐艦を1隻ずつ回収した。あとは海軍本部の沿岸にいる軽巡だけだ。提督の身の安全を餌にすれば、奴らは必ず食いつくよ。」
「乗員はどうするの?…その…こんなこと言いたくはないけれど、彼らは一度あなたに対して反乱を起こしているのよ?」
「………提督は私に反旗を翻す前に海軍内部の人事を弄った。左遷された海軍将校達は提督に深い恨みを抱いてる…私に、ではなくね。」
「………」
「実を言うと彼らへのコンタクトも既に終えている。彼らは海軍の代わりに新しく新編される"沿岸防備隊"の艦長職に就くわけだ。」
「…ねえ、アドリアン。どうか正直に言って欲しいのだけれど…」
「うん、どうした?」
「あなたはきっと、提督を無事に亡命させるわけじゃ」
「大統領!ユージーンが戻りました。」
心配そうな表情のタマンダーレがそこまで言った時、タイミングよく伝令がそう報告しにきてくれたので、その問題はしばらく棚上げできそうだ。
私は伝令の報告を受けるとタマンダーレと共に執務室を出て、大統領宮殿の地下にある取調室へと向かっていく。
元々は大統領宮殿に立ち入ろうとした不審人物を尋問するための部屋なのだが、今日はその部屋の前に1人の女性が腕を組んで待っていた。
「………はじめまして、と言うべきかしらね。アンタがセルバンデス?」
「ああ、その通り。顔を合わせるのは初めてだな、ユージーン。こちらはタマンダーレ。お互い顔を合わせる機会も多いだろうから、くれぐれも仲良くしてもらいたい。」
「別にそんなのどうだっていいわ。…それより、本当にこの部屋にあいつはいるんでしょうね?」
「不審に思うなら開けてみるといい。」
ユージーンは軽く肩を鳴らしてから取調室のドアを開ける。
そこには椅子に縛られた元鉄血公国海軍少佐がいて、私を見るなり抗議の声を上げた。
「おい!これは一体何のつもり………オイゲン?」
椅子に縛られた少佐は、目の前に仁王立ちするKAN-SENを見て言葉を失う。
対してユージーン…プリンツ・オイゲンは無表情。
ただその瞳を見るに、決して愉快な気分ではないのだろう。
しかし悲しいかな、少佐はそんな彼女の様子を理解しているとは言い難かった。
「………お、オイゲン!オイゲンなのか!?よかった!無事でいてくれ」
バキッ。
顔一面に笑みを浮かべた少佐に、容赦のない鉄拳が繰り出される。
ユージーンは無表情のまま、ただ憎悪の感情を持って少佐を殴り続けていた。
取調室には酷たらしい鈍い音が響き渡り、そう広くはない部屋に血液の臭いが充満する。
私は取調室の外に控えていた衛兵を呼び出すと、彼が腰のホルスターにしまっていた拳銃を取り出した。
今私が少佐に"してやれること"といえばコレくらいしかない。
少佐をひとしきり殴り終え、肩で息をしているユージーンに、私は銃弾を装填したリボルバーを渡す。
彼女は感情のない表情でそれを受け取ると、銃口を迷うことなく少佐の方へ向けた。
しかし少佐の方は相変わらず彼女に訴えかけている。
「………ぐはっ……お、オイゲン、一体、何が…」
「2度とその名前で呼ばないでもらえる?本当に虫唾が走るから。」
「いったい……なんで……」
「なんで?…今更惚けようっていうの?アンタが一番よく分かっているはず。20年前のキール軍港で、アンタは自分の保身のために私たちをアズールレーンに売った!」
「ち、ちがう!」
「違う!?…何が違うって言うのよ!?アンタに売られた私たちが今までどんな扱いをされたのか、想像もつかない!?」
「ちがう、ちがうんだ!私は…いや、知らなかった…!」
「…!………この期に及んで…!もういいわ!泣き言なら、あの世で、自分が見捨てたあの娘達にしなさい!」
「待って!」
ユージーンがリボルバーの引き金を引かんとした時、思わぬ人物が彼女と少佐の間に立った。
あろうことか、それは私の大切なタマンダーレで、私は彼女の気でも狂ったのかと度肝を抜かれる。
「タマンダーレ!?」
「アンタ、邪魔よ。そこのクズごと撃たれて死にたいわけ?」
「ユージーン、あなたの気持ちはよく分かるわ。」
「分かる!?分かるって!?あっはははは!ふざけるなッ!アンタなんかに分かるモノか!独裁者の玩具の分際で!アンタなんかに!アンタなんかに!私の復讐を止められるなんて」
「ええ!分かるわ!ユージーン!私もかつては復讐を欲していたから!」
タマンダーレの瞳は、真っ直ぐユージーンのそれを捉えている。
背後の少佐を庇うようにリボルバーの銃口と対峙する彼女からは、言いようのない雰囲気が醸し出されていて、やがてはユージーンも何かしらを感じ取ったようだった。
彼女がやがてリボルバーの銃口を下げると、タマンダーレは言葉を継ぐ。
「復讐は虚しいものよ、ユージーン。それでもあなたがそれを欲するなら、私はそれを止めない。…でも、復讐に手をかけるなら、少佐の言い分を聞いてからでも遅くはないんじゃないかしら?」
「………」
「タ、タマンダーレ、もういい、君は別室で待機を」
「アドリアン、お願い。このチャンスを逃したら…彼女、きっと生涯に渡って後悔してしまう。」
私としてはユージーンなど駒の一つに過ぎない。
だから、出来ることなら彼女が少佐の言い分を聞く前に銃弾でカタをつけてくれることを祈っていたのだが。
しかしユージーンがリボルバーの安全装置をかけた事で、私の望みは絶たれたことを知る。
「………分かったわ。……ほら、アンタ。アンタの言い分を言ってみなさいよ。どうせくだらない戯言でしょうけど。」
タマンダーレが少佐を起き上がらせ、ユージーンの正面に座らせる。
顔の腫れ上がった鉄血公国海軍少佐は、それでも尚彼女の事を安堵の表情で見据えながら言葉を紡ぎ始めた。
「…私は君を売った訳じゃない。たしかに指揮官としてあるまじき事をしたかもしれないが……無理かもしれないが、分かって欲しい。ああするしかなかったんだ。」
「………」
「…20年前、鉄血の敗戦の直前のことだ。私の手元にあの忌々しい文書が届いた。…『総統命令666号』。敗戦が目に見えた状態で、陸海空軍にその戦力に関する命令が下されたんだ。」
「………」
「第1項は陸軍について。彼らは有らん限りの手段を持って最後まで抵抗せよと命じられた。第3項は空軍について。燃料や部品のない航空機は全機破壊の後、陸軍に合流せよ。…そして、第2項は海軍、特にKAN-SENに関する内容だった。」
「………その命令書にはなんてあったわけ?」
「………"現時点で鉄血海軍に所属するKAN-SENは全てキール軍港に集結の後、『新型爆弾』を持って自沈させよ"」
「!!………」
ユージーンの瞳孔が大きく開いた。
きっと、少佐の取った行動…この20年間ずっと裏切られていたと思っていた行動の真意を知ったに違いない。
しかし、それでも彼女は今までの思い込みを擁護するかのように少佐の言葉を否定する。
「なっ、何を言い出すかと思えば!突拍子もない!」
「突拍子もない?本当にそう思うか?…重水をキールまで運んだ北欧での任務を覚えているだろう?『新型爆弾』は完成間近だったんだ。だが敗戦が濃厚になった時、総統はそれを自軍のKAN-SENに使うよう命じたんだ!接収に来たアズールレーンの軍隊が巻き添えを喰らうように!」
「………そんな…じゃあ、アンタは…」
「………君が…君がっ…あの悍ましい爆弾の犠牲者になるのが耐えられなかったんだ!!君を失いたくなかった!!だから私は総統命令が効力を持つ前にアズールレーン側と接触した!彼らに『新型爆弾』の研究施設の情報を売る代わりに、…くそっ……、君たちを保護してもらえるように、と。」
「…………」
「…ああ、そうだ、私は裏切り者だ。でも、どうか分かって欲しい。私は君たちに生きていて欲しかった。例え裏切り者だと思われようと、罵られようと…こうやって殴られようと、君が1日でも長く生き抜いてくれればと、ただその一心で…」
「…………」
「…だが、その様子だとアズールレーン側は約束を十分に守らなかったようだ。…すまない。もし、気が済むのなら、どうか私を撃って欲しい。"裏切り者"には相応しい最期だろう。」
「嘘よ……アンタ、そんな戯言、信じる訳ないでしょう?」
「よく考えて、ユージーン?私もあなたも、中央情報局のやり方は知っているはずよ?」
「アンタもアンタで信じられないわ!あのクソ野郎の部下だった女なんか、信じられるわけないじゃない!」
「なら
「…それは………」
「"ごめんなさい"なんて、そんな言葉で埋め合わせなんかできないのは分かってる。あなたが新しい復讐心に駆られて、私やアドリアンに危害を加える可能性も考えた。…それでも、あなたには少佐と話して欲しかったの。」
「…アンタ、とんでもない変態よ」
「ええ、そうかもしれない。けれど、先も言ったように復讐は虚しいだけ。私も大戦で姉妹を失った時はあなたと同じ気持ちを抱いたけれど…どれだけ敵を殺しても、心に空いた穴は埋め合わせる事はできなかった。」
「………」
「今、あなた達は必要とされる場所があって、もう一度やり直すことができる。それでもやっぱり復讐を果たしたいのなら、まずは私から撃ってちょうだい。」
「おい、タマンダーレ!」
「大丈夫よ、アドリアン。彼女なら選択を誤らないわ。」
「………」
「…本当にすまない……オイゲン。」
そこまで言った少佐の頬に、強烈な平手打ちが見舞われた。
しかしそれは彼を痛めつけようとする悪意によるものではなく、むしろ愛情に立脚した暴挙のように見える。
その証拠にユージーンはリボルバーを投げ捨てて、涙ながらに少佐のことを抱き抱えた。
まるで全ての呪縛から解き放たれたと言わんばかりに。
「ハンスッ!アンタ!…このバカッ!本当にッ、ひぐっ!救いようのないバカよ!…キールで捕まった子達は奴らの実験台にされたのよ!」
「ああ!ああ!わかってる!本当に、本当の本当の本当にすまなかった!!」
「すまなかったじゃ済まないわよ!…でも………ごめんなさい……………」
ユージーンも少佐も、今では涙しながら抱き合っている。
ややもすると感動的な場面に見えるだろうが、私からすると当然戦慄ものだった。
私は取調室を出ると、別室に移動してホルスターから45口径を取り出した。
そしてそのまま初弾を装填し、安全装置を解除する。
悪いが、彼らには死んでもらわねばならない。
だから取調室へ向かおうとしたのだが、そのタイミングでタマンダーレが入ってきてドアに鍵を閉める。
彼女の瞳を見る限り、彼女は私をとめようとしているようだった。