インビエルノ
首都から北に200km
"北端砂漠"の南端
国境まで230km
抵抗こそしたものの、結局海軍および海兵隊は最後通牒に従った。
海軍基地正面を守っていた海兵隊が81ミリ迫撃砲や75ミリ榴弾砲の火力に晒されて、おまけにM24軽戦車の群れと対峙することになると、これ以上の抵抗は無意味と考えて白旗を掲げたのだった。
提督自身は最後の最期まで抵抗を試みるつもりだったのだが、海軍の生き残り将校達が無理やり彼から武器を取り上げて投降という道を選んでしまった。
彼ら曰く、「生きていれば次がある」。
しかし提督の知る限り、次などもう、どこにもない。
提督は今、広大な砂漠の広がる国境付近へと移送されている。
北の隣国との境目は何十年も前からこの砂漠であるわけだが、しかしあまりに漠然とした砂の地表に国境線を見出すのは不可能だろう。
政権側は約束通り提督に亡命の許可を出した。
純粋無垢な海軍将校達はセルバンデスが外務省に制作させたビザとパスポートを手渡されると、提督は助かったと喜んで、こちらも約束通り軽巡洋艦を無傷で引き渡した。
海軍将校達は自分を犠牲にして提督を守ったつもりに違いない。
提督自身、教鞭を取っていたときは自己の利益より他者の命を優先するように教え込んでいた。
彼らは提督の教えを忠実に守ったが、提督自身にとってそれはあまりにも苦々しい事実だ。
海軍将校達はウゴの秘密警察のトラックに乗せられて、そのトラックはスタジアムへと向かっていく。
提督はただ1人だけ陸軍のトラックに乗せられて、そこにはすでに見知った顔の先客達がいたのだ。
それは提督が左遷した将校達で、彼らは提督に危害こそ加えなかったものの、気味の悪い薄笑いを浮かべるだけで敬意を示すはずもなかった。
やがて北に向かっていたトラックはその足を止める。
ブレーキの音が響いて甲板が開けられると、左遷組の将校達は次々にトラックから降りて行き、そして最後に提督自身もそこから降ろされた。
目の前はだだっ広い大砂漠。
だというのに、左遷組の内の1人がニヤニヤと笑いながら提督にビザとパスポートを手渡した。
「提督閣下、ここから僅か200km歩けば北の隣国です。大統領はあなたに亡命を許すと言う寛大さを示しました。…どうぞ?」
「…ふざけているのか?…この砂漠をどうやって」
「ご自身の足があるでしょう?ここで止まるのも自由ですが、我々には亡命予定の政治犯に食料を供給する義務はない。勿論、軍の貴重なガソリンを使って送り届ける理由も。」
「…………」
「とはいえ、水もなしに歩かせるのは非人道的と言うものです。どうぞこちらを。」
将校はそう言って、大佐に一本のボトルを手渡した。
それは濁った液体の入ったボトルで、提督がその口を開くと、中からは言いようのない臭いがする。
それはかつて提督が誇りとしていた臭いだった。
「………海水、か?」
「もしできるならご自害なさっても構いませんし、我々は何があっても亡命予定の丸腰の人間を撃ち殺したりはしません。ただ、監視はしております。…それでは良い旅を。」
左遷組将校達はそう言って笑い声を上げながら軍用トラックに乗って走り去っていく。
日中は最高40度、夜は氷点下を記録する何もない砂漠のど真ん中に、提督を置いて。
彼の手元には隣国のビザとパスポート、それに一本の塩分濃度の高すぎる水だけが残された。
……………………………………
インビエルノ
大統領宮殿
タマンダーレはオイスター・ロックフェラーをいつもより多く焼き上げた。
それは私の他にそれを食する人間が増えたからで、それは我々の新しい切り札として加わったハンスとオイゲンのルートヴィヒ夫妻だ。
ハンス・ルートヴィヒはあの後、おめでたいことに改めてオイゲンに求婚、オイゲンはそれを承諾した。
そして指揮官職の伝統に則り、彼はオイゲンをユニオンが与えた仮名称から解放したのだった。
彼女は今やプリンツ・オイゲンという名前を取り戻し、"ユージーン"は対外的に必要がある場合やコールサインとして使われることになる。
それにしても、私がルートヴィヒ夫妻と共に夕食を取るのはお祝いの意味だけではない。
これはタマンダーレの勧めでもあり、彼らとの関係を深めることが私に取って有利に働くという理由からだった。
私が最も信頼を置く女性によると、どうやら私やライリー氏のような人間は手元の人間を"駒"として扱う傾向にある。
しかしながら、彼女に言わせるとこの場合は最終的に途方もない代償を償うことになりかねない。
そもそも人のことを駒だのどうだの言う時点で、その感想は言葉にせずとも態度に現れるのだ。
やがてそれは反感を買い、最後には本当に裏切られるようになる。
彼女の言うにはそれを防ぐためにも私達は顔のある人間として互いをよく知っておく方が良い。
だからこそこうやって机を囲んで食事をするのだ。
タマンダーレは調理のために席を外していたが、それでもこの夫妻を疑っていないことに私は自分で驚いた。
彼女は最初心配して頻繁に戻ってきてくれたが、私はこの前まで彼女不在の間抱くようになっていた疑心暗鬼の念は浮かず、私は晴れやかな気持ちで夫妻を眺めることができる。
それはきっと提督の件が片付いていたからであろう。
左遷組の将校達からの報告では、提督は"亡命を始めて"3日後の今日、ようやく砂漠のど真ん中でくたばった。
最後にはなりふりも構わず海水に口をつけていたというが、それはやぶれかぶれの行動であろうか?
それとも自身の死期を早めるためか?
どちらにせよ、国内の脅威は片付いた。
投降した海軍将校達は全員処刑したし、水兵達は全員処刑するわけにはいかないので抽出処刑によって引き締めを行っている。
正に万事順調。
しかしながらこの夕食会が始まると、そこでの会話はそこまで順調ではなかった。
「ねぇ〜ハンスぅ〜、そろそろベッドに行きましょうよ〜♡」
「オイゲン!オイゲン!しっかりしろ!…申し訳ありません大統領!」
「………」
「…アドリアン、彼女は数十年囚われの身だったのよ?大目に見てあげて?」
酔っ払ったオイゲンと、それに苦慮するルートヴィヒ大佐。
どことなくコミカルだが、大佐からするとこんな会話を独裁者の前でやりたいわけもなく。
私といえば羽目を外すのは大目に見ても、もう少し別の場所でやってほしかった。
「ハンスぅ〜ハンスぅ〜…あっちに丁度いいベッドがあったわぁ♡…こんなおっきな天蓋が」
オイゲン、頼む、やめてくれ。
それはきっと私のベッドだし、こう言ってはなんだが、幼い頃から愛用してるベッドでもある。
君たちには寝床を用意してるし、一流品を当てがっているつもりだ。
天蓋付いてた方が"雰囲気"が出ることは否定しないが、頼むから私のベッドではやらないでくれ。
「大統領、冗談です。彼女飲みすぎてまして…」
「やだぁ♡やだぁ♡あのベッドがいい〜♡」
オイゲンの手元には、インビエルノ・ワインの空瓶がもう既に何本も転がっている。
今の今まで仇としてきた人物相手によくもここまで"手のひら返し"できるものだ。
まぁ、彼女の気持ちも分からんでもない。
彼女達はようやくお互いの誤解を20年越しに解いたのだ。
なんらかの反動があっても理解はするが私のベッドを使おうものなら理解はしない。
絶対にやめろ。
「もぉ♡ハンスったら心配しすぎよぉ♡いざとなったら、
「あー…えーと…そろそろデザートを用意しようかしら?…オイゲンも飲み過ぎてるみたいだし…」
「申し訳ありません、タマンダーレさん。ほら、オイゲン頼むよ。節度を保ってくれ。」
「せっかくの牡蠣料理なのよぉ♡ヤることヤらないでどーするのぉ♡」
「オイゲンッ!」
ヤることヤりたいなら本当に頼むから自分達の部屋に帰ってからにしてくれ。
ここでそんな用途の部屋を見つけようとはしないことだ。
私は君たちを"雇用"したばかりだが、だからといってやって良いことと悪いことがある。
そもそも私は独裁者なんだぞ?
もしかしてご存じない?
酔っ払ったオイゲンに困らされていると、夕食会の部屋に伝令がやってきた。
新しく手に入れた戦力に早速疲れさせられたところだったから、私はこの場から一時的とはいえ抜けられることを嬉しく思う。
私はルートヴィヒに"くれぐれも"よろしく頼んでから、タマンダーレを連れて執務室の方へと戻ってきた。
そこには電話機があり、電話の相手はユニオンにいる。
スピーカー通話のボタンを押して、会話の内容をタマンダーレにも確認できるようにすると、私は交換手を呼び出してこの時間帯に電話をかけてきた不埒な人物との通話を繋げる。
声はバージニア州ラングレーから届いていたし、それが初めてでもなかった。
『新しい戦力をうまく手込めにできたようだな、アドリアン』
「ええ、お陰様です、ライリーさん。ご支援いただけたおかげで共産勢力と反体制派の両方を潰すことができた…本当にありがとうございます。」
『礼には及ばない。…ところで、こちらの長官が君にある要求をしたがっている。』
「中央情報局の長官から?」
『いや、正確には外務省からだ。もう少しそちらのゴタゴタが収まったら、こちらへの外遊に来てもらいたい。』
「外遊?」
『ああ、そうだ。政府は君の戦力をもっと強化しようとしているが、そのためにも君が我々の誠実な友人だと国民にアピールしたいそうだ。』
「………なるほど、分かりました。」
『交通手段その他諸々はこちらで手配する。なぁに、そう緊張することはない。タマンダーレと軽い家族旅行のつもりでくれば良い。…そういえばタマンダーレ、君は"機転を効かせてくれた"な?』
「ええ、ライリー。あなたの計画の不備を修正しただけよ?」
『…ああ、そうだろうな。…それでは、詳しい日程は後から送る。会うのが楽しみだ、オーバー』
電話が終わった後、私はタマンダーレの近くに行ってこの通話の意図を話し合う。
たしかに政権がようやく安定したこの時期なら、外遊と聞いても不自然ではないだろう。
だが直感的にはある種の疑惑が頭をよぎっていた。
"どうにもクサい"と。
「…ライリーさんの意図はなんだろうか?」
「恐らくだけど、
「気づかれたって?…何に?」
「!?…あっ…何でもないのよ、アドリアン。ともかく外遊の要請があったからには行かないわけにはいかないわ。」
「…不謹慎かもしれないが、正直少し楽しみだ。タマンダーレとユニオンに行けるなんて。」
「うっふふふふ、私も楽しみよ。…さて、そろそろお食事に戻りましょう。」
タマンダーレと共に夕食会の部屋に戻ると、オイゲンもルートヴィヒも姿を消していた。
何か悪い予感を感じた私は自分の部屋へと走って向かう。
まさかとは思いつつ自分の寝室のドアを開けようとすると、それは既にロックされていて、中からはギシギシというベッドの揺れる音が漏れ出していた。
「うそ………だろ………」
「あっ…えっと…アドリアン、今日は私と一緒に、ソファで寝ましょう?」
「………私の…私のベッドが…」
「あっ!あっ!私の部屋!ねぇアドリアン!私の部屋は初めてでしょう?ねぇ!?今日は私の部屋でラッキー・ルーしてあげるから!ね!?」
部屋の前で呆然とする私がタマンダーレに宥められてその場を立ち去ったのはその30分後。
翌朝にはユニオン系の清掃業者が私の部屋を隅々まで綺麗にして、ベッドを置き換え、ルートヴィヒが何度も繰り返し謝罪をしてきた。
後に分かる話だが、この時ルートヴィヒはオイゲンとの間に一人息子を授かっている。
その子は『ヨアヒム』と名付けられた。