世界大戦から7年後
インビエルノ
大統領宮殿
「ポッポ〜♪列車が到着しました♪」
ルイーズ"おねえさん"が鉄道模型を両手にそう言った時、私は口をあんぐりと開けて瞬きをするのさえ忘れた。
当時高校生の私といえば、ようやく数学の課題を終わらせてこれから英語の課題に取り組もうかというところ。
私にとっては難解な英文法について彼女の助言を得にきただけに、この行動は衝撃だった。
「うっふふふ♪どうしたの、アドリアン?顔が固まってるわよ?」
「………」
そりゃあ、私があと10年くらい若ければキャッキャキャッキャと喜んだかもしれない。
だが、私はこの時学業成績が思うようにいかずそれどころではなかった。
大統領の息子としてそれなりの期待をされているなら尚更で、私はルイーズの衝撃的な行動に何も反応できない。
「………ルイーズさん、これはいったい…」
「私の国では昔から、移動や輸送において列車は重要な手段だったの。」
「はぁ…」
「国土が広大で、それに道路事情も良くはなかったから…鉄道が発達するまでは、水路が流通の主力を担っていたのよ?」
「…それで、この鉄道模型とは、いったいどんな関係が…」
「アドリアン、少し根気を詰めすぎじゃないかしら?」
タマンダーレはそう言うと、鉄道模型を机の上に置いて、私との距離を一気に詰める。
そしてそのまま、いつもよくやるように私を抱擁してくれた。
彼女の温かさと香りに癒されると、彼女は笑顔を浮かべ、私の後頭部を撫でてくれる。
"いつも通り"の習慣に、私は本当に安堵した。
「…まだ小さかったころ、あなたは私にあの鉄道模型を使ってジオラマを見せてくれたわね?」
「ええ…懐かしい」
「あなたのジオラマには必ず牧場があって、その傍には鉄道の線路があった。ユニオンの酪農地帯ではよくある光景よ。…一緒にユニオンに行くことがあったら、連れて行ってあげるわ。」
「そんな機会はないかもしれませんよ。」
「え?」
私は彼女の柔らかさを感じながらもため息を吐く。
現状、私の成績は父の期待に応えられているとは言い難い。
そしてこの年頃にもなると、父の期待に答えられないと言うことが何を意味するのかくらい理解できるようになっていた。
ユニオンからすれば、能力のない独裁者にルイーズをあてがう必要はない。
私は切り捨てられ、彼女はユニオンに帰るだろう。
そんな私の心情を察したのか、彼女はしばらく黙った後、私を抱えたままこういった。
「……もう、アドリアンったら。…何度でも言うけれど、あなたは私にとって大切な家族なのよ?…私はあなたから離れたりしない。」
「本当に?」
「ええ、本当よ。…それに、根気を詰めてばかりでは上達するものも上達しないわ?」
「………」
「良い仕事や学習をしたいなら、ちゃんと休憩を取りなさい。あなたは数学の課題を終わらせて、そのままここに来たんでしょう?」
「なんで」
「うっふふふ!手元を見て、アドリアン。私に数学の事を聞いても答えてあげられる部分は限られてるわよ?」
指摘された手元を見ると、何てこった。
英語の参考書を持ってきたはずが、私が握っていたのは数学のそれである。
自然とバツの悪い顔をしていたのか、彼女は微笑みながら再び鉄道模型を手に取った。
「…コレを使ってジオラマを作っていた頃、あなたは私の膝枕でよく寝ていたじゃない?」
「!?…ルイーズさん、まさか!」
「…嫌なの?」
「いえ、そう言うわけでは…ただ、私ももうそんな…あなたにいつまでも甘えているわけには」
「あらあら。それなら心配しなくても大丈夫。私達KAN-SENは歳を取らないわ。…ずぅっとずぅっと、甘えさせてあげるから、どうか安心して?」
そう言って笑顔を浮かべる彼女に、私は反論することが出来なかった。
もしできるなら彼女に癒してもらい続けたいという我儘な願望は、ついぞ理性に勝つことがなかったのだ。
…………………………………
ユニオン大統領との面会の2日後
ユニオン屈指の寝具メーカーの製品は、抜群の寝心地を保証していた。
その上、タマンダーレが傍で共に寝ているともなればその心地良さは倍増する。
目を覚ました時、私は彼女の軽い抱擁を受けていた。
おかげで起き上がる前に彼女の温かみと柔らかさと香りを楽しむことができる…最近は彼女と寝ることになっているから、1日の中で最も幸せな時間かもしれない。
しかしながら時間とは残酷なもので、誰がどう祈っても一定間隔で進んでいく。
しばらくすると目覚ましがなり、私を抱えながら寝ているタマンダーレを目を覚ますと、私自身は軽くため息を吐いた。
何てこった、"1日が始まる"。
ラングレーを後にした我々はユニオン側が用意してくれた一流ホテルの一室に向かった。
我々はユニオンにいる間、そこで寝泊まりをすることになっているからだ。
豪華なスイートルームは大統領宮殿よりも快適で、私は情勢と立場と財布が許せばここに永住したいとすら思わされる。
そんな素敵なスイートルームで、私は…恐らくはかなりダルそうに…起き上がり、サイドテーブルの上に置いていたスケジュール表に手を伸ばす。
確か、今日の予定は…
「あらぁ?今日はお休みのはずよね、アドリアン?」
タマンダーレに指摘され、私は今日と明日の2日間が休日として割り当てられていることに改めて気がついた。
私はまだユニオン陸海空軍の司令官達と会って新規供与予定の装備の視察を行わなければならないが、土曜日と日曜日に仮にも国家元首と会いたがる将官はいない。
そういうわけで、この2日間は大統領就任以来稀に見る週休ということになる。
私は盛大にため息を吐いて、ベッドに舞い戻る。
すぐにタマンダーレが半身でこちらに向き直り、再び私を抱擁した。
彼女の大きくて柔らかな双丘が顔に当たり、すぐに良い香りが鼻腔を満たす。
「アドリアンは本当に甘えん坊ね。」
「…悪い」
「ううん、謝らなくていいの。好きなだけ甘えてくれても良いのよ?」
彼女にはいつも支えられてばかりだった。
だからここに来る前大統領宮殿でユニオン外遊中のスケジュールに週休が組み込まれているのを認めた時、私は彼女に何かお礼がしたいと考えていた。
そのための準備は終わっていたが…しかし、それが始まるのは明日の日が沈んでからになる。
それまで何をするのかは外遊中に思いつくだろうと楽観していたのだが、遂に思いつくことがなかったのだ。
正直に言えば日がな一日中こうやってタマンダーレに甘えていたいのだが、それでは彼女も迷惑というものだろう。
彼女にお礼がしたいなら、何か彼女の望むものを提示するべきだ。
もし、私があまりに不器用なせいで彼女が何を求めるか察することができない場合は…
「タマンダーレ、どこか行きたいところはない?」
「…ふふふっ、急にどうしたの、アドリアン?」
「せっかくの休日だし…このホテルは快適だけど、ユニオンまで来たんだから出かけないと…」
「そうね。もう少しこうしたら、2人で出かけましょう。…実はね、アドリアン。もう出かける先は決めてあるの。」
「うぇっ!?」
「うっふふふ!アドリアンは本当にサプライズを仕掛ける甲斐があるわね!…私はね、アドリアン。あなたと一緒に、ペンシルバニアに行ってみたかったの。だからもう、航空機も取ってあるわ。」
「ペンシルバニアに?」
「ええ。そこには私の知り合いがいるわ。…皆私達を歓迎してくれるそうよ?」
「へぇ…」
「それじゃあ、少しベッドが名残惜しいけれど、出かける準備をしましょう?あなたもきっと喜んでくれると思うわ。」
2時間後
ユニオン
ペンシルバニア州上空
私とタマンダーレを乗せた飛行機は、眼下に長閑な牧草地帯を見ながら降下の態勢に入っている。
白と黒の独特な模様の生物が草原を駆け巡り、緑の大地を背景によく映えていた。
思わず食い入るように眼下の光景に魅入る私に、タマンダーレはまたしても魅力的な笑みを浮かべる。
「うっふふふ!もう!アドリアンったら!まるで子供のときに戻ったみたい!」
「あっ!…申し訳ない、タマンダーレ。少し魅入ってしまって…」
「いいのよ、アドリアン。そんなあなたをまた見れて嬉しいわ。さてと。シートベルトはしっかりと装着した?…まもなく着陸するみたいよ?」
私服姿の私とタマンダーレは着陸した飛行機から降り立った。
そこは簡素な飛行場で、国家元首の外遊によく見られるような身辺警護の要員たちは1人もいない。
タマンダーレがすぐそばについているのだからそれは当然のことなのだが、代わりとばかりに、飛行場では1人の人物が私達を待ち受けていた。
「ようこそ、ペンシルバニアへ。あなたがアドリアン・セルバンデス様ですね?」
「………ええ。あなたは?」
「申し遅れました。私は旧ブルックリン級軽巡洋艦、ブルックリンです。セントルイスがいつもお世話になっているとか。」
「いいえ、とんでもない。お世話になっているのは私の方です。」
「ご謙遜を。あなたのことはセントルイスから聞いています。とても優れた手腕の持ち主だとか…セントルイスも久しぶり。」
「ええ、久しぶりね、
挨拶を済ませると、私達はブルックリンが運転するセダンに乗り込んで、長閑な酪農地帯を走り始める。
周囲にはやはり飛行機から見た牛達が大勢いるし、遠くにはサイロや農家の家が見えた。
セダンはやがて、そういった数々の農家の内の一件に向けて進路を取り始める。
幅の大きな真っ直ぐの道路から脇道に逸れたセダンは、やがてある農家の前に至るとそこでタイヤを止めた。
大きな赤い屋根のレンガの家があって、その前には2人の少女がいる。
1人は炎のように真っ赤な髪の毛をした少女で、大きな藁束をモノともせずに運んでいる。
玄関のドアの前には明るめの緑色の髪の毛をした少女がいて、そこでロッキングチェアに座りながら編み物をしていた。
2人とも家の前までやってきたセダンを認めると、こちらを覗き込み、そして声を張り上げた。
「おおっ!?誰かと思えばセントルイスじゃないか!久しぶりだなぁ!」
赤毛の少女は藁束を放り投げてこちらに手を振り始めた。
後に分かる話だが、彼女もまたKAN-SENであり、そして悲しい最期を迎えることになる。