その料理店には人目を引くような派手さは見られない。
規模も大きいわけではなく、毎晩パーティーが行われる類の店でもない。
しかしながら全く待って質素というわけではなく、敢えて派手さを控えた上品な内装と手入れの行き届いた服装の従業員、それにミシュラン五つ星のシェフが厨房に立っているとなれば、私がタマンダーレとの晩餐にここを選ぶのは必然であった。
言うまでもないが、私は金に困っちゃいない。
インビエルノ国内の価値あるものは全て私とユニオン資本のモノだし、必要となれば国全体を売り払えるのだから。
この料理店の予約を取るためには目の飛び出るような金額を払わなければならないが、それはこの店を訪れるのを躊躇う理由にはならない。
どちらかというと…私が今この店に向かっているのを躊躇っている理由は、タマンダーレのドレスのせいだ。
通常、女性が公式な場で公式の服装をするとなれば、西欧圏では露出の多い服装になる。
かと言って、タマンダーレの服装は流石に"やり過ぎ"だと言わざるを得ない。
私は今見事なスポーツカーの助手席に座って窓の外を眺めているが、それは夜景を楽しんでいるからではなく彼女のドレスはあまりに目のやり場に困るものだからだ。
「…大戦の前、ホノルルやヘレナと一緒にライリーと食事に行った時も、彼ったらあなたと同じ反応をしていたわ。顔を真っ赤にして、ずっと外を見てた。」
「無理もないよ…その…あの…」
「うっふふふ!…どうしたの、アドリアン?私に惚れ直しちゃった?」
車が信号で止まったので、私が窓の外を見るのをやめて彼女の方へ視線を向け直すと、彼女は微笑みながら私の目を真っ直ぐに捉えている。
それが尚更気恥ずかしくて視線を動かそうとしたが、私の目は完全に豊満な身体をシルバーのドレスに包むタマンダーレに魅力に引き込まれてしまっていた。
彼女も彼女で少し気恥ずかしそうにしながらも、微笑みを浮かべたまま思い出を語り始めた。
「私もヘレナもホノルルも、本土時代から彼の指揮下にいたの。私達は仲良しだったけれど、ライリーの眼中にあったのはホノルルだけだったわ。…あの夜だって、ライリーはホノルルに見惚れてた。」
「あなたに見惚れてる…私と同じように?」
「ええ。うっふふ!認めてしまったわね、アドリアン!」
「あっ…」
「意外と積極的なのね。そう恥ずかしがらないで。私も…その…うふふ、やっぱり嬉しいの。あなたも私を特別な存在として見てくれているってことだから。」
「それは勿論」
「…ねえ、アドリアン………あなたにとって、私はどんな女性?…ただの補佐官?あなたの育て親?それとも………」
タマンダーレの白い顔色が段々と紅潮していくのを見てとった私は、なんだかこちらまで恥ずかしくなってきてしまう。
どうしてだろう。
普段はこんな事考えもしなかったのに。
あの牧場に行ったから?
それとも彼女の"女性"としての側面を改めて見つめてしまったから?
彼女は確かに私の優秀な補佐官で、育ての親でもある。
ただ、今の彼女は私にとって十分にそれ以上だ。
願わくば……そう、願わくば、補佐官や親代わりといった意味以外での好意を伝えたい。
もし…それが許されるのであれば。
彼女は私の…
「……あっ、信号が青になった!ここを左に行って、しばらく進むと目的地です。」
「あ、あら!いけない!ありがとう、アドリアン。」
気恥ずかしさを打ち負かすことができず、私は逃げ出してしまった。
彼女への想いを仕舞い込むと、信号機に全ての罪をなすりつけて"インビエルノ大統領"の地位に甘んじる。
その一線を超えないように、と自分自身に嘘をつく自分に嫌悪感を抱いたが、同時に今夜中に彼女への想いを伝えなければならないという義務感に取り憑かれた。
次こそは逃げてはならない。
そんな事をしていては、彼女の気持ちは本当にどこか遠くへ行ってしまう事だろう。
スポーツカーは例の店の前に止まり、私達は車から降りた。
すぐにボーイがやってきて、タマンダーレのスポーツカーを預かっていく。
私はできるだけ自然を装って彼女の下へと忍び寄り、どうにか今夜定めていた目標の第一弾を達成せんと努力をする。
それは女性をリードするという、私には至難の技であった。
そんな私を察してか、暗殺者のごとく近づいた私にタマンダーレは自ら手を差し出してくれた。
ああ、まったく!
どこまで彼女に気を使わせるのか!
「さて、アドリアン。今夜はあなたがリードをしてくれるんでしょう?」
「も、もも勿論。それではこちらへ。」
どうにか彼女の手を取って、私は店に入り、予約券を出して、指定された席へと向かう。
受付の案内通りエレベーターで3階に上がると、私を待ち構えていたウェイターが窓際の席に私達を案内した。
そこからは通りの様子をよく眺めることができ、眼下の華麗な景色を一望できる。
「お飲み物はいかがいたしますか?」
「あ〜…私は運転しているから、アルコールは」
「タマンダーレ、帰りは私が運転するよ。何か好きなモノを頼んで。」
「あら!あなたにあの車が乗りこなせるかしら?…なんて、冗談よ。ありがとう、アドリアン。…それじゃあ、私はこのシャンパンを。」
こんな事ならインビエルノから運転手を連れてくるんだった。
そんな事を考えても後の祭りだし、私はそもそも酒を飲まない人間なのでここでの主役たる彼女には好きなモノを頼んでもらった方がいい。
ウェイターがシャンパンを持ってきて彼女の手元のグラスに注ぐと、私は水の入ったグラスを掲げた。
「…それじゃあ、タマンダーレ。"君の瞳に乾杯!"」
「うふふふふ!一緒に見たあの映画、まだ覚えてくれていたのね?」
「忘れるわけないよ。特に、あなたと過ごした思い出は。」
「そう…嬉しいわ。」
やがては前菜が運ばれてきて、私達はそれを食べ始める。
私がまだ少年と呼ばれるような年齢だった頃から、彼女の支援の下勉学に励み、そしてユニオンの諜報機関で訓練を受けた時まで。
私達は昔懐かしい思い出話に花を咲かせながら、目の前の料理の数々を楽しんだ。
あまりに楽しみすぎて、本当に大切な要件を忘れかけてしまうくらいには。
「………タマンダーレ、ちょっと…その…大切な話がある…」
「あら?なぁに、アドリアン?」
メインディッシュの舌ヒラメを食べ終わった後、デザートが来るまでの間に、ちょっとした沈黙の間ができた。
彼女に"あの話"をするには今しかない。
…もしかすると、彼女は嫌がるかもしれないし、その公算は大いにある。
しかしもしそれで今後もモヤモヤとした気持ちを持ち続けるならば、今ここでハッキリとさせてしまいたいのだ。
これは大きな賭けでもあった。
彼女にとっての私はいったい何者なのか、ここで明確に分かるはず。
意を決した私は、懐に手を入れると小さな小箱を探り当てた。
これはもうかなり前に準備していたものだが、彼女に渡すならこの夜にしようと決めていた。
タイミングは良くないかもしれないし、もしかすると日を改める必要もあるかもしれない。
でも私はもう、デザートを食べ終わるまでこの緊張に耐えられそうになかった。
「実は…」
「お待たせしました、本日のデザートになります。」
ザッハートルテを持ってきたウェイトレスはウェイターほど気の回る人間では無さそうだった。
彼女は事務的な声音と事務的な動作によって、意を決しかけていた私の行為を遮ってしまったのだから。
ウェイトレスがそそくさとその場を去り、豪華なケーキを置いて行った頃には、私の決意は再び萎んでしまっていた。
ああ、まったく!
そうは思いつつもウェイトレスを責めるわけにもいかない。
彼女を責めるには、私はあまりにもたつきが過ぎた。
そんな事を思いながら、見事なザッハートルテを食べていると、不意にタマンダーレが切り出した。
「YES」
「………え?」
「YES、よ。これが私の答え。」
「い、いったい何の話…」
「もう。しらばっくれるには遅すぎるわ、アドリアン。こんな素敵なお店を予約して、素敵なお料理に素敵な飲み物…それに懐を弄るあなた。…私はそんなに鈍く見えるかしら?」
「…え………え……じゃあ…本当に?」
「もちろん。でも、勘違いしてはダメよ?これは私の職務とは何の関係もない話。私はあなたの好意に答えたいし、私もあなたに好意を向けたい…だから、返事はYES。」
「そ、そんな…」
「もしかして…違った?」
「いや、いやいやいや、で、でも…その、私は…あなたに好意を向けて許されるものかと…」
あまりに突然の大きな喜びに浮かれてしまったのか、身体が震え、汗が噴き出してくる。
まさかこんなにも…こんなにも私の好意に答えてくれるなんて思いもしていなかった。
あまりの衝撃に次に何と言うべきかまるで検討も付かず、噴き出る汗をハンカチで拭き取りながら再び懐の小箱に手を伸ばす。
そうして取り出した小箱の中身をタマンダーレに見せて、私はもう一度確認した。
間違いのないように…そして、私自身を落ち着かせるために。
「ほ、本当に、本当にいいんだね?」
「うっふふ!アドリアン、もっと自信を持って!…ええ、本当にYESよ。私もあなたと一緒にいたい。」
「私もだ、タマンダーレ。ありがとう、本当に、本当にありがとう!」
「ううん、お礼を言うのは私の方よ?こんな素敵なサプライズ…いつのまにか、あなたもオトナになっていたのね。」
「…ああ、良かった…本当に……そうだ、どうかコレをつけて欲しい。」
「慌てないで、アドリアン?…うふふ、そうね。あなたの方から私に付けてくれないかしら?」
そう言って、開いた左手を差し出すタマンダーレ。
私はいまだ興奮が覚めていないのか、震える手で小箱の中身……つまりは指輪を取り出した。
噴き出し続ける汗をもう一度ハンカチで拭ってから、その指輪を恐る恐るタマンダーレの左薬指に付けていく。
彼女は素敵な微笑みでそれを見つめていてくれた。
「……ありがとう、アドリアン。これで私は、正式に新しい"家族"を持てたわ。…私はもう1人じゃない。」
「それは私も同じだ…あなたと家族になれるなんて…夢を見てるみたいで…」
「うふふふふ!………あら?アドリアン?どうしたの?」
それまで顔いっぱいの笑みを浮かべていたタマンダーレが、急に顔色を曇らせる。
私は未だに止むことのない大量の汗をハンカチで拭き取り続けながらも、どうにか平静を保とうとした。
「なんでもない、なんでもない。恥ずかしいんだが、ちょっと興奮しちゃって…」
「待って、アドリアン。"ちょっと興奮した"っていう感じじゃないわ。本当に大丈夫?」
「うん。本当になんでもっ………」
その時になってやっと、私は自分自身の違和感に気がついた。
何故かは知らないが、呼吸が苦しくて、汗は尚も止まらない。
目の前にいるタマンダーレの心配そうな顔色が、さらに深刻になっていく。
おまけにそのタマンダーレを捉える視界さえも徐々に霞んだり焦点がズレたりし始めた。
「アドリアン?…アドリアン!?誰か!誰か救急車を!ウェイターはどこ!?
タマンダーレはついに席を立って、店内にいる人々に向かってそう叫びながら私の下へと向かってくる。
私自身といえばあまりの呼吸の苦しさゆえに息をぜぇぜぇと言わせながら、ついには耐えられなくなって椅子から転げ落ちてしまった。
随分とド派手な音が鳴ったので、例のウェイターがようやく駆けつけてくる。
今では視界が完全にぼやけてしまって何が何やら分からないが、呼吸の苦しさとタマンダーレの声だけはハッキリと感知できた。
「アドリアン!?アドリアン!?…きっと毒物を盛られたのね!救急車は!?救急車はまだ!?早く呼んで!…大丈夫よ、アドリアン、私がついてるわ…だからお願い、私を置いていかないで………」