現在
ユニオン
バージニア州
「…それで?彼女はいつ連れてくるの?」
「彼女?…一体何の話」
「エミリーちゃん、だったかしら?」
「ぶふぉっ!?」
リビングで読んでいた新聞にコーヒーを吹き出してしまった息子の姿を見て、オイゲンはクスクスと笑う。
率直に言って、彼が本当にユニオンの諜報機関に勤めているのかどうかさえ疑わしくなってくる。
相手に図星されたからと言ってこんな反応を示していては、それは相手の確信に裏付けを与えることにしかならない。
オイゲンが知っているのだから当然この1人息子もそれくらいは知っているハズである。
「いきなり何を言い出すかと思えばっ…!エミリーはただの友達だ、恋人なんかじゃない」
「その割にはあなたへの電話が多いわね。昨日の夕方なんて何十回も掛かってきたわ。」
「………それは……」
「エミリーって、あの娘でしょう?私たちと同じ鉄血系の、綺麗なブロンドの娘。あんな娘と付き合えるなんて、あなた幸せ者なのよ?」
「…まさかとは思うけど、嫉妬してるの、母さん?」
「あははっ!…でもまあ、正直に言うとソレもあるかもしれないわね。」
「おいおい…」
「……でも本当を言うとね、アンタには後悔して欲しくないの。」
「後悔?」
「ええ。私は終戦までハンスに自分の気持ちを伝えなかった事を今でも後悔してる。もしキール時代に結ばれてたら、私達はお互いにもっと違う運命を辿っていたかもしれないから…」
急にしおらしくなったオイゲンの様子をみて、彼女の息子はその横顔に一種の寂しさを見出した。
勿論、終戦時に彼らが結ばれていたらもっとマシな運命が待っていたとは断言できまい。
それはもっと残忍な最期をもたらしたかもしれないし、今こうやって皿を洗いながら息子の前で過去を語るような現在に至れなかった可能性もある。
それでもオイゲンがそんな事を口走ったのは、ハンス・ルートヴィヒともう少し長く一緒にいる時間が欲しかったからだろう。
旧鉄血公国重巡洋艦プリンツ・オイゲンがKANSENとしても長生きをしている割には、ハンス・ルートヴィヒは亡くなるには若すぎた。
ヨアヒム自身、成人してまもなく父親を亡くしてしまったことには衝撃と深い悲しみを受けたのを覚えている。
葬儀の日、いつもは気丈な母親が、まるで飼い主を亡くした猫のように墓標の前にしゃがみ込んでいた姿を…彼は恐らく棺桶に入るまで忘れることはできないだろう。
「…はぁ………ハンス…愚かな人。あんな約束を鵜呑みにしちゃうなんて。アンタもそういうところがあるから、気をつけなさい。」
「父さんとあんな取引をしたのは、やっぱりライリーだったの?」
「ええ、そうよ。あのクズが今のアンタの職場で最初に手がけた"功績"がソレ。でもその内欧州課の連中から気味悪がられて二軍落ちしたのよ。…ざまあないわね。」
「………それで…もしかして、なんだけど…外遊中のセルバンデスに毒を盛ったのは…」
「アンタがハンスと似てなくて安心するのはそこよ。勘がいいこと。ハンスったら何でもかんでも鵜呑みにしちゃう人だったから。でもアンタは違う。…そうね、少なくとも私はライリーだと思ってる。」
「なら、どうして?…共産主義者は当時もユニオン国内に人員を持っていたし、インビエルノから秘密裏に亡命した人々も少数ながらいたはずじゃ?…もしやったのがライリーなら、自ら"純粋培養"した手駒にどうしてあんなことを?」
オイゲンは皿を洗い終えて、息子の座るソファの隣に座った。
息子が少し顔を背けたのは、未だに彼女がTシャツにパンティという自堕落極まりないライフスタイルを崩していないからだろう。
それを知ってか知らずか、オイゲンはその美しい脚を大胆にクロスさせるという芸当をやらかしてくれたので、ヨアヒムとしては勘弁して欲しかった。
母親に欲情した事を認めてしまえば、彼はきっと自分自身を許せなくなる。
「…ふはぁ……ライリーはアドリアン達をユニオンに呼んで、直接会う事で傀儡装置の"点検"をした。結果はこうだったんじゃないかしら…"異常あり"。」
「セントルイスは上手くやったんだろう?それに、ライリーはアドリアンに支援の約束をしてた。尚更不自然に思える。」
「逆に考えてみたら?共産主義者や亡命者がアドリアンの食事に毒を盛るとしたら、致死性の毒物を山盛りにしないかしら?」
「少量で致死性のある毒物を入手できなかった、とか?」
「勘弁して。共産主義者は暗殺のためにポロニウムを食事に仕込むような連中よ?あんな中途半端なマネするわけないじゃない。アドリアンに盛られた毒は解毒剤で簡単に対処できる程度のものだった。連中が手がけた仕事だとしたら、手抜きが過ぎるわ。」
「なるほど…なら、なんでライリーはあんな真似を?」
「さっきも言った通り、ライリーはアドリアンとセントルイスが自分のレールから逸脱しかけてることに感づいた。でもアドリアンは代替の効かない"純粋培養"だったし、彼やセントルイスを消したとなれば情報局の縄張りに大統領や安全保障省が付け入る隙を与えてしまう。」
「………」
「私の思うにライリーの目的は…時間稼ぎよ」
「時間稼ぎ?なんのための?」
「セントルイスはもはやアドリアンを制御するための機構として機能を期待できなかった。だから予め潜り込ませておいた駒を使うことにした。」
「"オクロジャック"、か」
「その通り。アドリアンが外遊中に倒れたとなれば、彼は当分ユニオンで拘束されることになる。だから"オクロジャック"はその間自由に動けたはずよ。」
「それじゃあ、ライリーは"オクロジャック"を動かすためにアドリアンに毒を盛らせた…そしてそれはせっかくセントルイスが切り落としかけていた傀儡の糸をもう一度繋ぎ直すため…」
「本当のほんっとうにクズ野郎よ、あの男は。セントルイスは気づいていたかもしれないけど、アドリアンは共産主義者か亡命者のせいにしてしまった…或いはもし気づいていたとしても、そうするしかなかった。」
「アドリアンがもしライリーの意図に気付いていたとしても、彼なら刃向かえばライリーが彼からセントルイスを取り上げてしまうと思ったことだろう。せっかく想いが届いたのに…」
「だからこそライリーはあのタイミングを狙ったんでしょうね。セントルイスはアドリアンをライリーから引き離すために自分に依存させたつもりだったけど、ライリーがその関係を逆手に取って利用してしまった。」
「………」
どうやらユニオンの首都でエスプレッソ片手に悠々とした口調で話していた男は、とんでもない冷血漢のようだった。
あの男が正直に自分を曝け出すわけはないとは感じていたものの、実際は素顔に近づくに連れて冷血漢なんて言葉が生優しくさえ思えてくる。
恐らくライリーにとって、彼の任務は単なる理由に過ぎない。
彼は誰も共感できないような発想をもって、極めて残忍なゲームを楽しんでいたに違いないのだ。
ホノルルについて語ったあの言葉さえ、きっと未だに本心を隠している。
奴は自分にとって大切な人をもヨアヒム・ルートヴィヒを弄ぶための道具に使ったのだろう。
「…なんて奴だ」
「本当にね。あの男の本性が、段々と分かってきたでしょう?あいつは自分の悦楽のために私達も含めてとことん利用し尽くした。」
「…もしかして………"オクロジャック"の正体って……」
オイゲンの発言に、ヨアヒムは恐る恐るといった感じで母親の方を見る。
だが今度は彼の勘も外れたようで、彼の意図を読み取った母親はケタケタと笑い転げた。
「あははははっ!私達が"オクロジャック"ならそれこそ傑作ね!ライリーはもっと早く失脚していたでしょうから!」
「そ、ソレもそうか…あいつが母さんにした事を思えば、真実を知った後に言う事を聞かなくなることくらい想像するよね…」
「それに、あの時期私達も忙しかったのよ?」
「アドリアンが毒殺されかけたとなれば、次は自分達かもしれないと思ったから?」
「ううん、違う違う。私とハンスでアンタの弟か妹でも作ろうかと一生懸命」
「マジで生々しいからやめてっ!!」