料理店で倒れてから1週間後
ユニオン
海軍病院内
目を覚ました時、私の視界には見覚えのない天井が広がっていて、最初私は少しパニックを起こした。
だがそれも束の間で、すぐに私は嗅ぎ慣れた柔らかな香りが鼻腔をくすぐっていることに気がつく。
見るとタマンダーレが椅子に座った状態で、仰向けの私のすぐ左手のベッドに向かって突っ伏すようにして眠っている。
すぅすぅ、と寝息を立てる彼女はきっとこの施設で借りたであろうカッターシャツにスカートという服装で、恐らくは私はきっと短くない間眠っていたであろうと言うことに気づかされた。
眠りにつく前…いや、気を失う前何が起きたかを思い出す。
料理店で毒を盛られた私は倒れ込み、タマンダーレの必死の介抱を受けて救急車に運び込まれた。
その後搬送された病院で、何らかの注射を打たれた私は、呼吸の回復を感じたもののそのまま睡魔に引き込まれたのだ。
どうにかして体を動かそうとはしたものの、両腕を始め私の体は未だに私の言う事を聞いてくれそうにはない。
それは石のように重く感じられ、脳からの指令に全力で抗っているようだ。
私はついに諦めたのだが、そのタイミングで、隣で寝ていたタマンダーレが目を覚ました。
「………んっ…んんっ………!…アドリアン!ああ!良かった!」
彼女は目を覚ますと、意識を取り戻した私を見ていつも通りの温かな抱擁をしてくれた。
彼女の柔らかな双丘が私の顔面を包んだが、そこで違和感に気がつく。
口をすっぽりと覆う人工呼吸器を装着されていたのだ。
マスク越しに彼女に意思を伝えようとする私を、彼女自身が引き止める。
「ああ、ダメよ、アドリアン!どうか無理をしないで。あなたは死んでいてもおかしくはなかった…病院に解毒剤があったのは、不幸中の幸いね」
「……………あ…り…がと……」
「もう、アドリアン!無理をしちゃダメって言ったばかりなのに。………でも、本当に良かった。あなたを失ってたら、私はきっと耐えられなかった…」
タマンダーレがそう言いつつ俯いて、左薬指に輝く指輪を見つめる。
ああ、そうか…やっぱり、アレは夢なんかじゃなかったんだ。
私は彼女にきちんと伝えるべき事を伝えれたに違いない。
あまりよくは覚えていないが、彼女が私にYESと言ってくれたことだけは覚えている。
本当に喜ばしきことではあるものの、だからと言って現状は安心できるものではない。
何者かが私の食事に毒を持ったのだ。
タマンダーレのおかげでどうにか助かったのは良いが、次の攻撃を防ぐために、私は何としても攻撃者を割り出さなければならないだろう。
それは今までになく過酷な戦いになりかねない。
精神的にも、肉体的にも…
「失礼!セルバンデス大統領はこちらの病室かね!?」
「……ッ!大統領!」
あろうことか、ユニオンの大統領がわざわざ私の病室に駆け込んできたのはその時だった。
彼は大汗をかいていて、こんな傀儡の1人のために急を要してくれたのは目に見えて明らかである。
すぐ後からはエンタープライズも入ってきたし、恐らく無理矢理入ってきたのであろう、看護婦まで一緒にいた。
「ああ!すまない、すまない、セルバンデス大統領!なんてことだ、私の責任だ!」
「大統領、アドリアンは今お話しできる状態にありません。お心遣いには感謝しますが…」
「セントルイス、君にもすまない事をした!こうなるのは目に見えていたのに!」
「レイ、それ以上はダメだ!…残念な事件だが、幸いにもセルバンデス大統領は無事だった。だから帰ろう!」
「ダメだ、エンタープライズ!私は…私はこうなるのを防ぐことができたはずなんだ!」
スプルース大統領を必死に引き止めるエンタープライズ。
私の中では彼らの様子から、ある疑念が浮かび始めていた。
それはこの2人の会話が進むにつれて、どんどんと増していく。
「ジャック!ジャック・ライリー!あいつのせいだ!奴を野放しにしたばかりに…」
「レイ!本当にそれ以上はやめてくれ!自分の立場を思い出すんだ!あなたらしくもない!」
ジャック・ライリー………
その名前を耳にした時、私の中で何かが繋がってしまう。
それはあの夕餉で毒を盛られる数日前から薄れていたある感情を、私の中に満たすには充分なものであった。
「大統領、どうかお引き取りください。アドリアンは安静にしておかないと…」
「しかし…」
「レイ!レイ!もう行こう!…すまない、セントルイス…」
「すまない、本当に…すまない…」
大統領とそのファーストレディは、ここへきた時と同じように慌ただしく帰っていく。
それを見送っていたタマンダーレは、彼らの姿が見えなくなると、物悲しげな顔をこちらに向けた。
その両目には涙さえ拵えて。
「……大統領は…動転しているだけよ?あなたほど重要な人物を…こんなふうにしてしまったから…………だから、だからどうか、あんな事を信じないで?」
タマンダーレには悪いが、もう既に後の祭りだった。
まるであの2日間で綺麗に掃除されたかのような私の心は、疑念という黒い染みに覆われつつある。
そうだ、そうだ、ライリーだ。
この毒殺未遂は私を殺すためのものじゃない、きっと警告を与えるためのものなのだろう。
奴が私に毒を盛ったのなら全ての説明がついてしまうのだから。
私はインビエルノを経つ前に、事前の行動予定をライリーに提出した。
犯人は私を確実に殺せる毒を盛れたはずなのに、そうはしなかった。
そして私達の泊まっていたホテルは、ライリーが手配したものだ。
急にまた呼吸が苦しくなってきた気がして、私は呼吸器の空気をより盛んに吸い込み始める。
その様子を見たタマンダーレが再び私を抱擁した。
彼女の香りは通常私に安堵感という物を与えてくれるのだが…今回はもう、その効果を期待できない。
「アドリアンッ!…アドリアンッ…!……お願い、お願いだから"あなたのままでいて"ッ!私はいつでも側にいる!何にも心配なんていらないわ!」
ライリーが私に毒を盛ったのは何のためか?
私は…私はきっとライリーの線路から脱線しかけた。
彼はきっとそんな事を許す男じゃない。
だから彼は私に罰を与えた。
だから私に警告をした。
なら…私はいったいどうすべきだろう?
「あなたはあなたよ、アドリアン!お願い、それを忘れないで!あなたはアドリアン・セルバンデス、私の大切な夫!牧場と列車が大好きな、1人の人間でしょう!?」
私はライリーに逆らえない。
それはもう決まりきっている。
何故逆らえない?他に手はないのか?
分からない、けれど、私自身とタマンダーレの安全を守る為にはこれ以上の手立てはない。
大統領はどこまで"ケツ"を持ってくれるのか分からないし、安全保障省に至ってはタマンダーレを排除する気でいる。
私はあまりに長い間役割を怠け過ぎたのだ。
良い加減に元の役割に戻らなければ……
「アドリアンッ!」
彼女が私を強く揺さぶって、私はハッとする。
もはや声をあげて泣きださんとする彼女は、両目から涙を流しながら私の顔に彼女の顔を近づけていた。
彼女の吐息が鼻先をくすぐるほど近くまで…
なんて美しい女性なんだ、なんて素敵な伴侶なんだ。
私は何にも代えて彼女を守らねばならん。
「ねえ………アドリアン?」
「………ないと……」
「………え?」
「国に…………戻らないと………」
ライリーは私を監視する上でタマンダーレ以外の何者かを配置したはずである。
私が真に彼女との生活を守るのであれば、いずれはその者は排除されなければならない。
しかしいきなり事を急いでしまってはライリーに再び毒を盛られることだろう。
ライリーに改めて従順さを示す為には…少なくとも表向きにも強化する為には…スタジアムでの殺戮を強化するのが手っ取り早いように思える。
少なくとも表向きは従順にしなければ…何事も慎重に、慎重に。
国に帰ってどうするか考えていた時、彼女が私の枕元に突っ伏して、ついに声をあげて泣き始めたのに気がついた。
ああ、彼女には心配をかけてばかりだ。
インビエルノに帰ったら、もう彼女に心配をかけずに済むようにしなければ。
その為には不安材料を払拭しなければならないな。
しかし、処刑対象を増やしたら…ウゴの秘密警察は対応できるだろうか?