ロイヤル海軍原子力潜水艦は、無誘導魚雷を用いてプラタ海軍の軽巡級KANSEN・"ベルグラノ"、つまりは旧ユニオン海軍軽巡洋艦フェニックスを撃沈した。
これで戦争は私の想定した通りになった。
プラタ国王は賭けに負けて、ロイヤルは機動空母群を諸島に差し向けている事だろう。
プラタの共産勢力は決起に向けた本格的な準備を始めるし、我が陸軍はこれらを速やかに鎮圧しつつプラタの首都を陥落させなければならない。
正直なところ、私はプラタの共産勢力をそんなには心配していなかった。
連中は革命を成功させたとしてもそのあと国内の混乱を収拾するノウハウを持っていないはずだ。
プラタの国軍はどちらに着くのかまだはっきりとはしないが、スプルース大統領と私はそのために彼らを撃破し得るに十分な戦力をこの国に置いている。
しかしながら当然のことながら私の大統領宮殿は電話と書類でごった返したし、特にウゴは息つく暇もなくあちらへこちらへと電話を受けたり流したりしなければならなかった。
勿論、私もタマンダーレと2人で執務室に引きこもりながら逐一飛び込んでくる情報の処理に追われている。
こんなに忙しい日は初めてだが、しかし私の脳裏にはそれ以上の事柄が影を落としていた。
だからタマンダーレがウゴの挙げた報告文を読み上げているのも、話半分になってしまっている。
「どうしたの?具合が悪いの?」
「…………いいや、大したことじゃない。続けてくれ。」
「本当に?…どうか正直に話して、アドリアン。」
「…フェニックス………」
「アドリアン、あなたのせいじゃない。」
「うん…わかってる…けれど」
「今はプラタの方が先決よ」
私などよりも、タマンダーレの方がよほど辛いに決まっていた。
にも関わらず彼女がこんな態度を取るのは、きっと私の心境をよく理解しての事だろう。
「フェニックスのことはどうにもならなかった…けれど、それに囚われてプラタの事に支障が出てはいけない。」
「…たしかに、君の言う通りだ。フェニックスはもう…戻ってこない。」
「………」
「でも、ボイシは助かるかもしれない。」
「ボイシは既にあの海域から離脱しているわ。当分は大丈夫なはず。」
「そうとも限らない!ロイヤルの原潜はまだ彼女を捕捉してるかもしれない!それにッ…」
「…それに?」
「それに、国王は賭けに負けたんだ!このままいけばシナリオ通り、政権は転覆して共産主義政権が樹立する!」
「ええ!だからこそ今はプラタに」
「
「ッ!…………」
理性はこれから巻き起こる共産主義革命の嵐に備えなければならないと言ってはいるものの、現実、私の頭の中はボイシのことで一杯だった。
それは彼女が可哀想とか、そんな単純な理由ではない。
タマンダーレと結ばれたからか、あるいはあの牧場での出来事が未だ私の後ろ髪を引っ張っているからかは分からない。
けれど、私の頭はもうすでに、ボイシの事をかけがえのない家族として認識していた。
白状しよう。
私は国民相手にならいくらでも非情になれるクソ野郎だ。
所詮はアカの他人、連中ならいくらでもスタジアムに並べてブルドーザーで埋めてやる。
でも、そんな冷酷なクソ野郎でも家族相手にその感情を向けようとは思わない。
だから彼女が窮地に陥るのが明白なら、何とかそこから助け出したかった。
フェニックスは間に合わなかった。
でもボイシの方はまだ間に合うかもしれない。
そしてそれはきっと、共産主義政権が樹立してからでは遅いように思えるのだ。
「ボイシが敵の手に渡ったら、ライリーはきっと彼女の撃沈命令を出す。…それも私に向けて。いや、もしかすると…もう間も無くかもしれない。」
「…ええ、ライリーならそうするかもしれないわ……けれど、表立って彼に背けば…あなたきっと無事じゃ済まされない」
「何か適当な理由を見つければいい。」
「どんな理由を?…オイゲンの時は説明がついたけれど、今回はどんな理由を使うっていうの?」
「………その…プラタ海軍から譲り受けた、とか」
「アドリアン!」
「中途半端な理由が取れないのも分かってる!ライリーの影響力も!だけど…」
「…ねえ、アドリアン。私を想ってくれるのは嬉しいけれど」
「ふはは、違う。そんなんじゃない。今の私にとって、彼女はもうすでに家族なんだ。君と同じ存在さ。…私は君が敵の手に落ちそうな時でも最後まで諦めないと誓う。勿論、ボイシにだってそうする。…君は私が敵の手に落ちたら、そうしてくれるかい?」
「………ええ、もちろん…そんなの、当然じゃない!…けど……ああ、分かったわ。…それなら、まず手始めに。」
タマンダーレが手元の書類を投げ出して、私に向かって突進し、そして最後には抱擁というよりかは飛びつくような勢いで抱きついた。
「うっ……ううっ…フェニックス…ぐすっ……ごめんなさい、アドリアン。やっぱり、耐えられなかった…」
「………」
彼女はそのまま泣き出してしまう。
私だって泣きたいのは山々だったが、いつもタマンダーレが私にしてくれるような事を、今度は私が求められているに違いない。
そう思ったから、私は彼女に吊られて泣き出すのではなく、歯を食いしばりながら彼女の後頭部をできる限り優しくさする。
しばらくの間彼女は泣いていたが、やがては落ち着いて、真っ赤に頬を染めた顔で私の目を捉えた。
「…ごめんなさい、そしてありがとう、アドリアン。あんなに小さかった男の子が、こんな事をできるようになったのね。」
「こんなの、今まで君がやってくれたことに比べたら…それに、私にとっても彼女の喪失は悲しいことだ。」
「………ええ、そうね。…あなたの言う通りボイシはまだ間に合うかもしれない。けど、慎重にやらないと。こんな事は言いたくないけれど、ライリーはあなたにひどい事をするかもしれない。…あなたを亡くしたら…私…」
「大丈夫だ、大丈夫だよ、タマンダーレ。そうならないように上手くやろう。」
彼女には酷な話である。
考えてみればフェニックスの喪失を悲しんでいないわけがないはずの彼女に対して、私は自身かボイシかの選択を迫るかのような話を強いているようなものだ。
己の浅はかさには嫌気を覚えつつも、しかし現実的にボイシを助け出す方法を考えるとなるとこれまた難しいものがある。
少なくとも、タマンダーレに対して簡単に"大丈夫だ"なんて、言えないくらいには。
ライリーにバレないようにボイシを助け出すのはほぼほぼ不可能に近い。
私はライリーの"ネズミ"が誰なのか特定できていないし、ボイシの行方を調べればあっという間に足がつく。
だから彼女を助けるとすれば、私は最悪でもライリーに一応の納得を強いることのできる材料が必要だ。
ふと執務机の上に置かれた、ひと瓶のジャムが目に入る。
ボイシから貰ったジャムは残り一つとなっていた。
彼女のアプリコットジャムは甘すぎない適度な甘さの逸品で、一口食べただけで心まで癒されるような…そんな優しい味のするジャムだ。
その優しいジャムを見つめた時、私はある事を思いつく。
「……なあ、タマンダーレ。ルートヴィヒ夫妻を呼んできてくれないか?」
「ハンスとオイゲンを?…どうして?」
「彼らなら、この件に関しては信頼できる。」
タマンダーレはハンカチで涙を拭うと、洗面台で顔を洗ってからルートヴィヒ夫妻を呼びに行く。
しばらくすると彼女はハンスとオイゲンを連れてこの部屋に戻ってきて、最後に執務室に内側から鍵を閉めてくれた。
私は自身の服装を正して、ルートヴィヒ夫妻に向き合う。
「ルートヴィヒ長官。あなたとオイゲンには特別な任務を与えたい。」
「特別な任務…ですか?」
「ええ。あるKANSENを救助していただきたいのです。」
「………はぁ…」
「ああ、なるほど。プラタのあの子達ね。…アンタが思ったよりかは人間的な男で良かったわ。」
ハンス・ルートヴィヒは釈然としない様子だったが、反対にオイゲンはもうすでに私の意図を察してしまったようだった。
彼女はこの慌ただしい大統領宮殿内においてTシャツ1枚にパンティというあまりにも風紀を乱しかねない服装をしていたのだが、まさかそのまま独裁者の執務室の中にまで入ってくるとは思わなかった。
とはいえ、オイゲン無しでは本格的にボイシの救出を諦めなければならないので、少なくとも今は言うべきタイミングではないだろう。
「でも、アンタどうする気なの?…"聡明な"ライリーなら、きっとボイシちゃんの救出なんて許さないわよ?」
「だから表向きには君に『海上封鎖』の任を与えようと思う。あくまで戦火がこちらにまで飛び火しないための予防的措置として。」
「なるほど、その裏でボイシちゃんを助けなさいってわけね。…でも、質問して良いかしら?ボイシちゃんの現在位置もよく分かっていないのに、私を派遣しても意味はないと思わない?」
「現在位置はまだ分からないが、その内彼女から連絡があるはずだ。君にはそれに備えて洋上で待機してもらう。」
「ちょっと待って、どうしてボイシちゃんがアンタに連絡できるわけ?」
オイゲンから当然の疑問を受けて、私は少しばかりため息を吐き出した。
たしかに"喋りすぎた"かもしれない。
だが、こうなった以上、私は大切な家族の1人を助けるためならなんだってするつもりだった。
「……彼女には秘密回線の番号を渡してある。彼女なら最悪の事態が迫る前に、きっとその番号を頼ってくれるだろう。」