現在
ユニオン
バージニア州
ラングレー
中央情報局
記録保管庫
ジャック・ライリーがいかにクソ野郎かは、この記録保管庫に遺されている資料でも良く分かる。
奴の立場なら過去の記録の抹消など造作もないはずだが、あの悪魔はまるで仕留めた鹿の剥製のように、それを隠すどころか飾ってすらいるように見えた。
ライリーが当時重桜にいたセントルイス相手に辞令を出した時期は、スプルース少将がセントルイスから自沈嘆願書を受け取り頭を悩ませていた時期と重なる。
つまりライリーは…恐らくはまだライリーの本性を知らずにいた…スプルースからセントルイスの情報を得て、計画を実行に移したに違いない。
それはライリーがセントルイスの傷心を何の躊躇いもなく利用した事を意味する。
「まったく!…しかし、セントルイスは幸運だったな。ライリーの辞令が届くまでに三笠とあっていなければ…一体どうなっていたか。」
ラッキー・ルーと呼ばれた彼女の幸運ぶりは確かなようだ。
別の記録が、彼女が重桜でライリーにとって予想もつかない経験をしていた事を指し示していた。
あの体験があったからこそセントルイスはライリーの籠の中から逃げ出すことができたに違いない。
そしてそれは、同じ籠の中にいたアドリアン・セルバンデスをも外へ逃したのだ。
アドリアンはライリーの束縛から抜け出しながらも、賢明なことにすぐには自由気ままな振る舞いには移らなかった…少なくとも表向きには。
ボイシの救出はまさにライリーの筋書きを掻き乱しはしたが、しかしアドリアンはあくまで従順な姿勢を貫いているかのように見せているのだ。
例の『不倫電話』はライリーが傍受していると踏んでの上の行動だったに違いないし、アドリアンの目論見通り、ライリーは外遊中の毒殺未遂でセントルイスとアドリアンの間に大きな溝を作らせることに成功したと思い込んでいたことだろう…それが事実とは真逆とは知りもせず。
そんなアドリアンはボイシを保護する際に『領海侵犯』を理由に挙げて、『共産化待ったなしのプラタ』に『強力な戦力となりかねない』ボイシは追い返せないという主張で持って『抑留』したのである。
ここまではセントルイスとアドリアンのやり方は非常に上手くいっていた。
ところが途中で横槍を刺した女がいる。
それはプラチナブロンドのクールビューティ、ライリーの秘書・マーガレットだ。
ヨアヒムの調べる限り、この秘書が一体どういう経歴の持ち主か全く分からない。
こんな情報組織において採用する人間の身辺を調べないということはあり得ないだろう。
少なくとも、ヨアヒムの調べる限りでは何らかの介入があった形跡を探し出せた。
恐らくはライリーは自身の冷酷非道な行いを飾り立てる一方で、この秘書の過去はひた隠しにしていたようだ。
アドリアン・セルバンデス関連の資料には頻繁にマーガレットの名が登場する。
『………マーガレットが証拠を発見…』
『…マーガレットにより取得……』
『……マーガレットに伝達を求む……』
彼女がどんな女性にしろ、ジャック・ライリーにとってもキーパーソンであった事は間違いない。
まずはこの秘書の人柄について調べを進めることにしたヨアヒムだったが、今現在早くも壁にぶち当たっている。
他の中央情報局職員の彼女への評判は、まるでハンコを押したかのように一定のものだったのだ。
「どこにでもいる普通の秘書」
「美人どころだが、本人は仕事以外関心がない」
「いつの間にかそこにいて、いつの間にかいなくなっている。」
勤務成績は平凡だったが、ライリーは常に高い評価をマーガレットに与えている。
あの男がただ従順だという理由でそんな高い評価をあの秘書に与えるとは思えない。
随分と粘った結果、ヨアヒムはやっとの思いでマーガレットに関連すると思われる資料を掘り出した。
それはあの『不倫電話』の録音を彼女は削除せず、ライリーに再考を促すために保存していたという記録だ。
先のことを考えると彼女が"ライリーの"秘書として優秀なのは分かるが、ただの秘書がそこまで込み入った事をするとは考えにくい。
マーガレットはライリーの個人的な秘書で、中央情報局の諜報員じゃない。
なら余計なことは考えず、ただただライリーの指示に従うのが自然だろう。
「マーガレット…アンタは一体誰なんだ?」
ヨアヒムが更に資料を漁ると、面白いものが見つかった。
普通ならライリーだってただの秘書にこの件の深入りをさせるはずはないのだが、しかし、その資料には『M』という事務員が現地入りすべく南方大陸に飛び立ったことが記されている。
"ただの事務員が現地入りだって?"
ライリーが現地に飛んでいるなら分かる。
だが記録に残っている限り、ライリーはマーガレットを単身南方大陸に向かわせた。
時期的には王政プラタがロイヤルに対しての停戦に合意…実質的には敗北した時期になる。
中央情報局が予測した通り、プラタではその後革命が起きたし、それに備えていたアドリアンはライリーの"指示通り"西進を開始した。
セントルイスとアドリアンは慎重に立ち回っていたし、少なくともライリーから見れば従順に立ち回っているように見えたはずだ。
それなのにライリーは突如としてただの事務員を南方大陸へ派遣した。
ライリーはインビエルノに既に"オクロジャック"というスパイを潜り込ませていたから、マーガレットの任務は内偵や監視以外のものということになる。
こうなってくると流石のヨアヒムも謎が深まるばかりで、彼はつい頭を抱えた。
「…ふはぁ…とにかく、マーガレットは只者じゃない。それは分かった。」
考えの煮詰まったヨアヒムは椅子に腰掛けてコーヒー休憩を取ることにする。
濃いめのエスプレッソが彼の目を覚ますと、思考は再び冴え始めた。
少し前の記憶を思い出す。
首都郊外の喫茶店で、あのジャック・ライリーと対談した時の記憶を。
今考えると、不自然なことがいくつもあることに気付かされる。
まずライリーは、こちらの正体を知っていた。
そうしながらも、悠然とした態度で彼を煽っていたのだ。
勿論護衛がいたこともあるのかもしれないが、ヨアヒムはその気になれば彼を殺すくらいのことはできたはずである。
もっとも、ヨアヒムには最初からその気はないのだが…もしライリーが中央情報局の局員であったのなら、その可能性は頭の片隅に置いていたはずだ。
彼はヨアヒムに殺害される事を望んだのだろうか?
護衛のことを"断った"とも言っていたのは、過去の所業を悔いたから?
…傑作だ。
あの男は自身の過去など悔いてはいない。
それどころか誇りにすら感じているだろう。
だからこそ、あの日の態度は矛盾するものがある。
次に、彼に対する中央情報局員達の態度だ。
新聞記者なんてややこしい偽装身分を使ったはずだが、実をいうとライリーの"護衛"は殆どヨアヒムの見知った人物達だった。
その大半は彼の倍くらいの年頃だったが、彼らの内の1人はあの後情報局に出勤したライリーの肩を叩いた。
まるで、「あんな馬鹿げたことはやめておけ」と言わんばかりに。
その時はあまり気に留めなかったが、こうも調べてから考えると…あの"護衛"が心配したのはライリーではなく寧ろヨアヒムの方であった気がしてくる。
もしヨアヒムの思い違いでないのなら、あの"護衛"は、ライリーがリスクを犯してまで復讐するような相手ではないと教えたかったのだろうか?
そして最後に。
これが一番気がかりだが、あの日の会話にマーガレットの名は一度も出てこなかった。
彼は今でも…そう、現役をとうに退いた今でさえマーガレットのことをひた隠しにしている。
彼女がライリーにとってどういう人物であったのかはまるで分からないが、詳しく調べる必要があるのは明確だろう。
とはいえ、マーガレットに関しては手詰まりなように思えた。
だからヨアヒムは一旦その問題を傍に置いて、別の方向からアプローチを試みる。
それはジャック・ライリーの計算を本当の意味でぶち壊した人物について調べることだった。
その人物はそれまで、誰にも注目はされていなかった。
後に歴史に名を残すことになるとは、きっと当人も思っていなかったに違いない。
まさにダークホースといったところで、もしかするとマーガレットの派遣と関係があるのかもしれなかった。
ライリーとマーガレットが『不倫電話』の録音を聞き直し、アドリアン・セルバンデスがボイシを保護して、ベラスコ元帥が陸軍の戦車に燃料を詰めている時、その人物はプラタの北部にある密林に潜んでいた。