現在
ユニオン
バージニア州
とある町
「はぁ…何度言ったら分かるの?ここは子供の来るような店じゃないの!」
「お話だけ!せめてお話だけでも聞かせてよ!」
「あのねぇ、アンタの勝手な勘違いだって何度言ったら分かるわけ?」
「だって!あなたはプリンツ・オイゲンでしょう!?…元鉄血海軍重巡KANSENの!」
「だ〜か〜ら〜!違うって言ってるでしょ!人違いよ!」
「人違いなんかじゃないよ!ほら見て、この写真!あなたそっくり!」
ヨアヒム・ルートヴィヒがラングレーの資料保管庫に詰めている時、その母親たるオイゲンは自ら経営する酒店のレジカウンターで、まだ7歳の子供相手に苦戦を強いられていた。
近所で"海軍大将"とあだ名されるこの少年は、ひと月前にこの店を"発見"した時から町中のアルコール中毒者の誰よりも多くこの店に訪れている。
まぁ正直なところオイゲンも驚いた。
地元警察の署長も市のお歴々も誰もがルートヴィヒ夫妻の正体には気がつかなかったのに、たった7歳の子供にそのことが露見したのだから。
「だいたい、そのKANSENは鉄血の娘でしょう?どうしてユニオンのこんな店にいるわけ?」
「………ほら。」
「え?」
「普通の人はKANSENの事を『鉄血の娘』なんて言わないよ!KANSENはKANSENだもん!」
「ッ!?」
「ねえ、お願い!少しだけ!少しだけでいいから!」
KANSENは歳を取らないが、長年戦いから身を遠ざけると勘の方は鈍るらしい。
オイゲンはとんだ地雷を踏んでしまい、とうとうこの少年の疑念を確信に変えてしまう。
少年はあの大戦における鉄血海軍の行動をまとめた分厚い本を持って、その中の1ページをオイゲンに見せていた。
オイゲン自身もその写真は記憶に残っている。
アレは…そうだ、アレだ、まだハンスと一緒にキール港でロイヤルネイビー相手に暴れまわっていた時の写真だ。
"ああもう!まったく!どうしてカメラ目線でドヤ顔なんてキメちゃったのかしら!"
ただでさえそう思ったオイゲンに更なる訃報。
酒店の入り口の方からタイヤの擦れる音がして、見ると黒いバンがそこに止まっていた。
「……ああ、もう…"最高"ね。」
黒いバンからはスーツを着こなす長い金髪の白人女性が降りてきて、彼女の店に入って来るとレジカウンターまで直進、オイゲンの前に一本のビールを置く。
「アンタねぇ………"悪いけど、このビールはこの店で取り扱ってないわ"」
「"いいえ、商談に来たの。どうか取り扱ってもらえないかしら?"」
「"それなら、奥で話しましょう。"」
オイゲンはそう言って、金髪女性をレジカウンターの奥に案内する。
しかしながら諦めるという言葉を知らない7歳の男の子が金髪女性の後に続こうとしたので、オイゲンは慌てて彼を引き止めた。
「ちょっと!どこに行く気!?」
「え、だってまだお話聞いてないし…ひょっとしてあの人もKANSEN?」
「だからっ…はぁ。あの人は違うわ、ただの取引先よ。」
「!…ってことはお姉さんはやっぱり」
「はいはい、分かった分かった。お話なら後でたっぷりしてあげるから、3つだけ約束を守ってくれる?」
「うん!」
「一つ目、私のことは誰にも話さないこと。」
「うん!もちろん!」
「二つ目。今日のところはひとまず帰って、明日出直してくること。」
「…うぅん…そうだね、お仕事の邪魔をしちゃいけないから…」
「ふふっ、聞き分けの良い子は好きよ。…そして三つ目、今度来る時は裏口から入って来ること。…このどれか一つでも破ったら、もう口もきいてあげないから、覚悟することね。」
「うん、もちろん破らない!約束する!それじゃあ、ありがとう!」
「………ああ、そうだ、アンタの名前は?」
「マーティン!マーティン・スミス!」
「それじゃ、また明日来なさい、マーティン!」
マーティンに手を振りながら、オイゲンは長いため息を吐く。
この何十年も正体の露見しないように注意してきたというのに、崩れ去るのはあっという間だ。
まあ、7歳の男の子の言うことなんて誰も信じないし、過ぎ去りし大戦の記憶なんて誰も思い出そうとしていない。
周辺住民から何か問い詰められそうなら"ごっこ遊び"と言えばいいし、ヨアヒムは通勤が長くなるかもしれないが、引っ越しをするのも悪くなかった。
…もしヨアヒムとエミリーが結ばれるのなら、そちらもあまり問題にはならないだろう。
さてはて。
オイゲンは"取引先"を待たせている奥の部屋へと足を向ける。
客は既にウィッグを外し、その艶やかな銀髪を振るっていた。
オイゲンが2人分のコーヒーカップを持って来ると、銀髪の客はさっそく口を開く。
「…ありがとう、オイゲン。」
「はぁぁ…アンタのせいでマーティン君に正体がバレたわ、どうしてくれるの?」
「ふふふっ、苦労が多いわね。」
「『戦友会』の会長が白昼堂々あんな車で乗りつけて来るなんて…無用心にも程があるんじゃない?アンタはフィヨルドで沈んだことになってるのよ?」
「それを言うなら、オイゲン。あなたこそ。町の大通りで酒店を経営するなんて、肝が据わっている。」
「どうして酒場にしなかったか分かる?世の中にはね、酒を飲んで頭の冴える人もいるのよ?」
来客が理解できないといった顔をしたが、オイゲンは軽く肩をそびやかす。
「…おかげで私は商品を楽しめない」
「ふふっ、酒場だって楽しめないだろう?」
「そうかしら?私なら客と一緒に楽しむわ……さて、今日は何の"商談"なの、ティルピッツ?」
来客…ティルピッツは居住まいを正して、オイゲンは彼女の向かい側に座る。
こうして顔を合わせて話をするのは、一度や二度ではなかった。
「他ならぬ"アイツ"の件よ。戦友会のネットワークでも、"アイツ"の現在位置を割り出せていない。ヨアヒム君が何か掴んでいないかと」
「アンタ、ウチの息子を過労死させる気?…とは言ってもアンタには恩もあるし…あの子には"アイツ"の過去を調べてもらってるわ。
「本当のことを話しても良かったんじゃないかしら?」
「冗談じゃない。確かに、アンタ達とヴェネトの助けがなかったら、あの子は情報局員どころか海兵隊員にもなれなかった。けれど、あの子が"アイツ"のことを知る必要はないはずよ?…アンタ達も、それを強制できる立場にはない。」
「………悪かったとは思っている。だけど、私もあなたとハンスがあんな事になっているなんて知らなかった」
「アンタを責めてるわけじゃないの。でも、どうかヨアヒムを巻き込むなら最小限度に留めてほしいってだけ。ヴェネトが生きていても、私の要求は通ったはずよ?」
「…確かに。なら、無理強いはしないわ。」
ティルピッツはそう言って遠い目をする。
きっと今は亡き同志、ヴィットリオ・ヴェネトの事を思い出しているのだろう。
大戦の終盤、ティルピッツはフィヨルドでロイヤル海軍の爆撃を受けた。
公式にはその際彼女は沈んだ事になっているのだが、実際はそれまでの爆撃と同じように彼女を沈めるまでには至っていなかったのだ。
同時期に鉄血公国本土爆撃を始めていたロイヤルとしては、これ以上ティルピッツ単艦に割ける戦力の余裕などなかった。
そこで、ロイヤルはティルピッツ相手に取引を持ちかける。
当時サディア帝国のヴィットリオ・ヴェネトが敗戦に向け、旧レッドアクシズ所属艦達を第三国に逃すための準備を行なっていた。
ロイヤルとしてはティルピッツがフィヨルドからいなくなるだけでも目標は達成されるので、彼女に任務を放棄してヴェネトと合流するように説得を始めたのだ。
無論、最初ティルピッツは拒絶した。
だがフィヨルドの港湾施設は度重なる爆撃で大きなダメージを負い、ティルピッツは沈んでこそいないものの、大西洋に出撃することはもうすでに叶わない状況にいたのだ。
ティルピッツ自身も心の内では敗戦を予感していたし、東からは北方連合の陸軍が迫りつつある。
祖国から遠く離れたフィヨルドに配置されている兵士たちを守るためにも、ティルピッツはヴィクトリアスが説得にやってきた時、それに応じたのだった。
クイーン・エリザベスの念押しがあったことも手伝ってか、ロイヤルの首相はちゃんとティルピッツとの約束を果たした。
彼女は武装解除の後フィヨルドからサディアに移送され、フィヨルドの鉄血公国兵達は赤軍がやって来る前に捕虜としてそこから連れ出されたのだ。
結果として捕虜の多くは多少の時間こそかかったもののロイヤル経由で祖国に戻ることができた…東部前線で赤軍に捕らえられた兵士たちとは対照的に。
今ではそういった元捕虜の何人かがエウロパ大陸のあらゆる国で重要な職に就いていて、恩義からヴェネトとティルピッツの戦友会に水面下の協力を行なっていた。
オイゲンが酒店を開けたのも、ヨアヒム・ルートヴィヒが海兵隊に入れたのも、この後援者達の尽力により入念な偽装身分を手に入れたからに他ならない。
そもそもインビエルノを出国した後、ティルピッツのコンタクトがなければユニオンへの入国すら難しいかっただろう。
だからオイゲンとしてもその恩に応えようとはしているが、かと言ってヨアヒムを犠牲にするつもりもなかった。
「……本当はあなたとハンスも助けたかった。」
「仕方ないわ…私もあなたと同じ立場なら、どうにもできなかったでしょうから。結局、ハンスは最悪のタイミングで情報局に名簿を渡してしまった。」
「もっと早くハンスと連絡していれば…」
「それだとアンタ達の存在が露見しかねなかった、それはハンスも分かっていたわ。ロイヤルとユニオンは決して一枚岩では無かったし…もう忘れて。過去はどうにもできないけど、未来は違うでしょう?…それに、アンタはできる限りのことをしてくれたじゃない。インビエルノの件の後私たちを助けてくれたのはあなたよ、ティルピッツ。名簿に名前の無かったローン達や、サディアの何人かも助かったんだし。」
「ああ、そうだ。…ローンがスエズにいるマインツとの連絡を取ってくれたわ。エミリーって娘の両親は鉄血の出身じゃなかった…それどころかエウロパ大陸でもない。」
「………ふぅん…やっぱりね。」
「?…知っていたのか?」
「いいえ、そうじゃないわ。なんとなくそんな気がしてただけ。…あの娘にはなんとなく
「面影?…誰の?」
「………なんでもない。アンタ達にそこまで苦労させといて、こちらから何も出せないのはやっぱり心苦しいわね。…分かった、とりあえず現時点で分かっている事を話すわ。」
「ええ、ありがとう。」
オイゲンがヨアヒムを通じて手に入れた情報と、それを擦り合わせた上での自身の考えをティルピッツに述べると、彼女は目の色を変えた。
「……よく調べてくれたわ、本当にありがとう。」
「でも、これじゃあ"アイツ"への手がかりにはならないでしょうね。…ヨアヒムには悪いけど、あの子にもまだ色々と調べてもらうわ。…私が情報局の資料室に入るわけにはいかないし。」
「ふふっ、それもそうね。また何かわかったら教えてちょうだい?」
「任せて。…でも、今度はマーティン君が店の中に見えたら、ちょっと待っていてもらえる?あなたも7歳の男の子を殺したくはないでしょう?」
「私達はあの政党とは無関係よ。やり方も考えるわ。」
「本当に?…ならいいけど。」
再びウィッグをつけてバンに乗り込むティルピッツを見送って、オイゲンは少しため息をついた。
"老兵は死なずただ消え去るのみ"
ただし、戻ってこないとも限らない。