プラタ
首都から50km
旧国営幹線道路
パスカル・デュノアは今年で47歳になる。
元はアイリス海軍の将校で、アイリスが2つに分かれた時、彼はジャン・パールの側についた。
ヴィシア海軍軍人としての彼のキャリアは決して華々しいものではない。
今でも彼はあの時の決断を時折後悔しているが、しかし救いもまったくないわけではなかった。
重桜製ピックアップトラックを駆る彼の隣では、美しい妻が煤や埃に塗れてしまった顔をタオルで拭っている。
彼は横目でそんな彼女を見ながら、大きなため息を吐いた。
「………教えてくれ、アルジェリー。『戦友会』の連中はこの期に及んでまだ何か仕事を頼んできたのか?おそらくこの国にいた亡命者達は既に出国したか亡くなってる。それに…たしかに彼女達には大きな借りがあるが…」
「いいえ、パスカル。ティルピッツは確実な文章や証言を期待できない以上もう手を引いて良いと言っていたわ。それどころか国外退去を勧めてきた。」
「ならなんで俺たちは首都に戻ってる?」
「『戦友会』の件は副業よ。これは"私達"の仕事。」
「それなら、もう十分に稼いだはずだろう?進軍中の戦車部隊にインタビュー、封鎖されたこの国での映像を手に入れたのは世界でもアイリス国営放送だけ。…莫大なギャラが入ってくるはずだ。」
「はぁ…呆れた。私が添い遂げたのは守銭奴などではなかったはずよ?」
「呆れた?呆れただって?君はどうかしてる!あの戦車部隊は間違いなく首都に向かうんだぞ!首都は首都で反乱軍に占拠され、連中は対戦車陣地を構築して戦車隊を待ち構えてる!今からでも遅くない、家に帰ろう!」
「…セルバンデス政権はこの国の空港と港湾を掌握して封鎖してるのよ?海外メディアには退去命令。つまり、政権が隠している情報を発信できるのは世界中で私達だけ。」
「何も俺たちがやらなくてもいいだろう?」
「いいえ、私たちがやるべきなの。世界中が戦っていた時、私たちのことを認識していてくれた人達がいたからこそ、私たちはここにいる。………トゥーロンでのこと、覚えてるでしょう?」
パスカルは嫌な過去を思い出してしまい、トラックを運転しながら顔を手で拭う。
忘れもしない大戦中の話。
トゥーロンにいたヴィシア艦隊に対し、艦隊司令部は鉄血の戦車隊が接収に向かった事実を知った上で抵抗ではなく自沈を命じた。
既にアルジェリーと結ばれていたパスカルは最後の最後まで自沈命令への抵抗をしていたが、戦車隊が彼の想像を遥かに大きく上回るものだと知ると、自沈命令を実行せざるを得なくなかった。
泣きながらアルジェリーと抱き合って、爆弾を巻きつけた彼女を港に送った直後。
誰からも見捨てられていたと思っていた彼らに救いの手が差し伸べられた。
実はこの時、鉄血陸軍と共にサディア海軍もまたトゥーロン港に向かっていたのである。
サディア海軍はすでに『戦友会』を創設していたヴェネトの掌握下にあり、組織の規模拡大と将来使うことになるであろう亡命ルートの多角化を睨んでヴィシア海軍を説得していたのだ。
間一髪のところでサディア側からの接触が間に合い、サディア海軍の用意した模型に実際の艤装を括りつけて自沈を装うことになった。
鉄血の戦車隊が到着したことろには燃え上がる艤装だけが残っていて、アルジェリーと多くのKANSEN、そして書類上はアルジェリーと運命を共にした事になったパスカル達は既にサディアへと向かっていたのだった。
「ヴェネトから受けた恩を返すのは当然だけれど、それを傍に置いたとして、私達が出来ることもやるべきじゃないかしら?」
「リスクが高すぎる。」
「ええ、そうね。それならダンケルクみたいにサディアでカフェでも開けばよかったかしら?…最も、私に彼女ほどの腕はないけれど。」
「………」
「………ねえ、あなた。この仕事を選んだ理由をどうか思い出して。私達がカメラを回すのは、もう2度とトゥーロンの時のような事が起こらないようにするためだったはずでしょう?」
「………分かった…分かった、そうだな、そうしよう。…君のいう通りだ。」
「ふふふっ、それでこそ私の夫よ。」
パスカルの態度は納得とは程遠いものだったが、アルジェリーは助手席から身を乗り出して彼の髭面にキスをする。
それが嬉しくもあり、しかし悲しくもあり。
少々もやもやするような気持ちを抱えるパスカルは、今年自身が迎えた年齢を忘れるところだった。
まさかこんな歳になって初恋中の高校生みたいな気分になるなんて。
20代半ばに出会ったアルジェリーは彼がパリのレストランで告白をした時から何も変わっていないように見える。
…"KANSENは歳を取らない"、だからこそアルジェリーはパスカルをいつでも"あの時"へと連れ戻してくれるのだ。
「でも、無茶はなしだ。危険だと思ったら俺の判断で手を引くぞ?」
「もちろん構わないわ。…先を急ぎましょう。あの戦車隊長は決まりきったプロガバンダしか言わなかったけど、北部への転進を快く思っていなかったのは間違いないわ。」
「ああ、あの男はM48戦車を早く首都に向けたがっていた…そいつが苛立っているんなら、セルバンデスはきっと待機命令を出したんだろうな。」
「でも何故かしら?時間が経てば経つほど不利になるのはセルバンデスの方なのに…戦車部隊を首都から遠ざけて、その上待機まで命じるなんて。セルバンデスはきっと何かを待っている…」
「優秀な指揮官は常に腹案を持っている。国境沿いの要塞がいつまでも機能すると思い込んでた俺たちの上官とは違ってな。…セルバンデスはユニオンに留学していたはずだ。成績は優秀、なら首都を攻略するための腹案を持っている。」
「その腹案はきっと戦車部隊が迅速に首都入りできなかった時のためのもの。」
「おそらくは、な。…しかし、仮にそうだとしてセルバンデスは何を待っている?」
「彼はプラタにいる海外メディア関係者に退去命令を出しているわ。」
「ああ、俺たちはインタビューの後こっそり抜け出したわけだが…それが奴の作戦と関係するのか?」
「わからない。けど、何か嫌な予感がするの。セルバンデスはきっと首都の攻略戦を海外の人間に見せたくない。鍵をかけた密室の中で、何か悍ましいことをやろうとしている気がする。」
「大戦の時のように大量虐殺でも………掴まれッ!」
アルジェリーがそこまで言ったところで、彼らの直上を一機の戦闘機が轟音をたてて飛んでいく。
パスカルが条件反射的に車を道路脇に突っ込ませ、そして急停止させた。
つんのめるような形となったアルジェリーは若干の抗議を含んだ表情を夫に向けたが、夫の方は飛んでいくF4戦闘機に夢中のようだ。
「パスカル!もう大戦は終わったのよ!」
「違う、アルジェリー。あの戦闘機、爆装してる。それに飛んでいったのは首都の方向だ。」
夫の言葉にハッとして、アルジェリーは戦闘機の飛んでいった方向を見る。
平原の真ん中に佇むプラタの首都は50km離れたアルジェリー達の位置からでさえ、その全景を朧げながら見ることができた。
戦闘機はそちらに向かって飛んでいたし、すぐ後に何機ものF4と F5が編隊を成して後に続いていく。
「F4戦闘機……プラタの空軍じゃないわ。パスカル、すぐにカメラを…」
「ダメだ、クソッ!こんな時に!…ビデオカメラが故障してる!」
「なら一眼レフを取って!」
パスカルがまるで車上荒らしか何かのような手つきで急いでカメラを渡し、アルジェリーはそれを受け取ってから首都の方へレンズを向ける。
戦闘機の編隊は既に首都上空に迫りつつあり、恐らくはそこにいるゲリラ達が打ち上げた、貧弱な対空火器の砲弾が炸裂している様子も見えた。
「あんな対空砲じゃF4戦闘機は撃墜できない。…それにしても、首都を絨毯爆撃するには少な過ぎないか?」
「さぁ…絨毯爆撃なんて、セルバンデス政権には高嶺の花よ。どこかの重要施設を狙っているか…あるいは…」
その時、戦闘機隊が何かを首都に向けて投下した。
航空爆弾の威力を知っているこの夫婦は一瞬身構えたが、インビエルノの戦闘機が落とした爆弾は彼らの知っているような威力までは備えていないようだ。
パスカルとアルジェリーは互いに顔を見合わせる。
しかしその直後、アルジェリーは信じられない光景に目を疑ってしまった。
首都の上空…それも比較的低層の上空に、黄色がかった靄のようなものが覆いかぶさった。
その靄は徐々に横に広がっていき、ついには首都全体を包み込まんとしている。
戦闘機隊は2派、3派と次々に飛来して、サイズの割には爆発力の低い爆弾を首都に落とし続けていく。
そうして首都から溢れ出んとするようになった黄色い靄をみて、パスカルとアルジェリーは初めて事態を理解した。
「ウソ…だろ……アイツら…アイツら、ガスを使いやがった!!」
「…ッ!」
アルジェリーは衝動を抑えられず、ついトラックの外へと飛び出してしまった。
首都を包み込む黄色い靄は段々と濃度を増していき、それはセルバンデスの空軍が何の配慮もせずに化学兵器を、それも、民間人の避難どころか警告すらしていない人口密集地帯にばら撒いたことを意味している。
あまりの光景に唖然とするアルジェリーに、いつのまにか彼女を追ってきていた夫が覆いかぶさった。
「パ、パスカル!?」
「じっとしてろ!」
すぐに別のF4戦闘機が彼らの頭上を通過する。
今度の戦闘機は爆装をしておらず、それは化学攻撃の評価・偵察のために飛来したらしかった。
「……偵察型の戦闘機だ…見られたと思うか?」
「分からない…けど…」
「すぐに移動しよう!アイツら俺たちを追ってくるぞ!」
「でも…まだ首都には大勢の民間人が」
「俺たちは彼らに何もできないんだ、アルジェリー!」
「そんな!せめて何人かだけでも!」
「あのガスの濃度を見ろ!セルバンデスが投下したのは兵器級のマスタードガスだ!俺たちが救出に向かったところで、もう助かる見込みのいる民間人なんていやしない!」
「………」
「…俺だって残念だが………写真は撮ったんだろう?」
「…!?」
無力感に苛まれかけていたアルジェリーは、夫の言葉にハッとする。
「セルバンデスの所業を知ってるのは俺たちしかいない。今彼らのためにできるのは、そのフィルムをアイリスに持ち帰ることだ。」
パスカルはそう言って、早々とトラックに乗り込んだ。
何の罪もない民間人諸とも化学兵器の犠牲者にした独裁者に憤りを覚えつつ、アルジェリーもトラックの助手席に滑り込む。
この所業の対価は、必ず支払わせよう。
そのためにはまず無事に祖国へと帰らねばならない。