残党達の夜
現在
ユニオン
バージニア州
ノーフォーク近郊
民間軍事会社・OX社
「………まったく、我ながら母親失格ね。息子の扱いがなってないわ。」
「気にしないで、母さん。今度のことは仕方がないよ。」
「そうはいかないわ。私はアンタに無理をさせてる…ただでさえ調べ物を頼んでるのに、その上こんな事にまで付き合わせるんだから。」
「僕の心配はしなくていいよ。…それより母さんは1人で大丈夫なの?」
「アンタねぇ、私を誰だと思ってるの?自分の心配でもしてなさい。」
『オイゲン、こちらは位置についたわ。』
「はぁぁぁぁ…無線通信で名前を呼び合うなんて、あなたもボケてきたんじゃない?」
『その点は安心していいわ。この無線機は軍事グレードの暗号付加装置が取り付けられている。』
「それならそれで先に言ってちょうだい、ティルピッツ。…んん〜っ!それじゃ、一仕事といきましょう。」
ヨアヒムはバンの運転席から降りながら、黒いライダースーツに身を包む母親の姿に見惚れている自分に気がついた。
メリハリのある引き締まった身体を包むライダースーツは、もう何十年も生き永らえてきたとは思えないほどのスタイルを明確に際立たせている。
するとオイゲンは息子の視線に気づいたのか、わざとらしく悩ましいポージングを取ってみせた。
「あらぁ?お望みならいつでも相手してあげるわよ、ヨアヒム?」
「…なっ、やめて母さん!」
「冗談よ、ごめんなさいね。…背中は預けたわ。どうか守ってくれる?」
「うん、安心して。何が起きても、スナイパーコースを履修した元海兵隊員と30口径ライフルが母さんの背中を守ってるから。」
「うふふっ。本当に逞しくなっちゃって。今のアンタ、ハンスより頼もしいわよ?」
オイゲンはバラクラバを被ると、バンの後部座席からMP5サブマシンガンを取り出した。
慣れた手つきで銃口にサプレッサを取り付けると、軽く動作を確認してから28発弾丸を込めた弾倉を給弾口に押し込んだ。
そうして、いよいよ作戦を実行する前になると、彼女はバンのボンネットに両手をついて軽く目を瞑る。
…………………………………
事の発端は2日前のこと。
マーティン・スミスの母親が錯乱に近い状態でオイゲンの酒屋に押し入ってきた。
ふくよかで人当たりの良いこの母親は、普段からは想像もつかない金切り声で「アンタが唆した」だの「人でなし」だのとオイゲンを非難したのだ。
後からこの母親を追ってきた主人と数人の警察官が彼女をどうにか落ち着かせ、あまりの衝撃に何事かとキョトンとするばかりだったオイゲンに事情を説明する。
曰く、マーティン・スミスは一昨日から帰ってきていないらしい。
マーティンの父親は息子が下校途中や休みの日の昼にこの酒屋の裏口から入っていき、そこの美人な女店主から"鉄血語を教えてもらっている"ということを知っていた。
母親もそれを知っていたが、一般的な母親の認識では子供が酒屋なんかに入り浸るもんじゃない。
「…だから先ほどの非礼に気を悪くするのも当然だ。妻が取り乱して本当に申し訳ない。あなたのところには息子がお世話になっていたようだから…何かご存じないだろうか?」
母親も母親なら父親も父親で、取り乱す一歩寸前のように見える。
でも自分まで取り乱しては本当に息子を失うことになるかもしれないから、ギリギリのところで踏みとどまっていた。
そんな彼の様子は亡き夫のハンスを思い出させる。
どうにか協力したいと、彼女は思った。
だが残念なことに事実として彼女は何も知らない。
"鉄血語を教えていた"という小さなウソは添えたものの、結局彼女はマーティン・スミスの動行に関して正直にそう告白するしかなかったのだ。
その日の夜、ヨアヒムの帰りを待つオイゲンの頭からはあの少年のことが離れなかった。
"ヨアヒムをまた巻き込む気?"
"警察が解決してくれるはず"
"私の出る幕じゃない"
自分自身にそう言い聞かせてはいたものの、しかし彼女の脳裏を支配したのはあの少年とのやり取りだ。
あの子は毎週オイゲンの店に裏口から入ってきて、オイゲンの体験を聞くのを楽しみにしていたようだった。
進水からロイヤルネイビーとの戦い、ハンスと共に行った作戦の数々。
父親が言う通りあの子がオイゲンを訪ねたのは一度や二度とではなかったのに、約束を破ったことは一度だってない。
母親が凄い形相でやってきた時、彼女は最初マーティンが口を滑らせたのだと疑ったが、実際は両親は"鉄血語を教えてもらっている"と思っていた。
何か……何かチカラになってあげたい、オイゲンは久しぶりにそんな事を思う。
無論、元KANSENとはいえできることには限りがある。
しかし、彼女は地元警察より優れた情報網にアクセスするための方法を持っていた。
でもそれを使えば、最終的に正体が露見してこの街にいられなくなるかもしれない。
ヨアヒムにはまた迷惑がかかるし、ティルピッツには再び借りができる。
頭を悩ませるオイゲンの背中を押したのは、やがて帰ってきたヨアヒムだった。
彼はセルバンデス政権がプラタの首都に毒ガスを放ったこと、そしてその原料がアイリスから農薬名義で調達されたものだと語ったが、まるで関心のないかのように話を聞くオイゲンに気がついたのだ。
「どうしたんだい、母さん?」
「……ん!…んん、何でもないわ。少し考え事してただけ。」
「……母さん、僕のことなら心配しなくていい。」
「!?…い、いったい何のことかしら?」
「こんなに"正直な"母さんの顔なんて初めて見たよ。…何かとんでもないことを抱えてるね?」
「…アンタには関係のないことなの。」
「そんな言い方はやめてくれ、母さん。今まで、母さんは僕の悩みならどんな事でも聞いてくれたじゃないか。なら今度は僕の番だ。」
「アンタのしょうもない悩み事とは桁が違うのよ。」
オイゲンは思わずハッとして我に帰る。
息子は彼女を心配して食い下がったのに、なんて冷たい突き放し方をしてしまったのだろう。
罪悪感に駆られた彼女は思わず自らの口を覆う。
だがヨアヒムはそんな彼女の発言にも関わらず、ほほ笑みを浮かべた。
「心配してくれるのは嬉しいけど、僕だってもう中央情報局の局員だ。…少なくとも、あの組織の人間に手が出せないような案件を、母さん一人で抱え込む方が危険だよ。」
「…ッ!………そうね、ごめんなさい。アンタもいつまでも子供じゃないのに。…なら…これから言うことは、絶対に他言無用よ?」
…………………………………
ヨアヒムに自分がどうしたいのか打ち明けた時点で、オイゲンはもうどうするべきか分かっていたのだ。
あとは踏ん切りをつけるだけ。
だからヨアヒムが彼女の案に若干の修正を加えて背中を押した。
母親のことをよく理解しているあの息子は、一旦自分の仕事と調べ物を傍に置いて、ティルピッツとの共同でマーティン・スミスの行方について調べ上げたのだ。
結果分かった事は、スミス君が行方不明になる少し前に同じくバージニア州にある民間軍事会社の構成員達が彼女達の住む地域を彷徨いていたことと、その会社が中東でユニオン陸軍から施設警備の依頼を受けていたにも関わらず契約を途中破棄され、その理由が現地で麻薬取引と人身売買に携わったことという、とんでもない事実であった。
結局OX社は訴訟こそ免れていたが、それは恐らくこの件を担当していた検察官と軍司法官が行方不明になったからだろう。
そんな連中に少年が捉われたとなれば、警察の対応を待ってはいられない。
人身売買目的にしろ臓器売買にしろ、もはや猶予は残されていなかった。
『母さん、そこで止まって。武装車両が巡回してる。』
「了解」
会社の敷地全体を見渡せる高所にいる息子の報告を受けて、オイゲンは物陰に身を潜める。
エンジン音の大きなピックアップトラックに塗装の剥げたM60機関銃を搭載したテクニカルがオイゲンの十数メートル前を通過した。
サプレッサ付きのM700ライフルを構えるヨアヒムが後続の人員がいない旨を知らせると、彼女は再び立ち上がって敷地の内部へと入っていく。
「建物内に侵入。…ここの連中、まったく警戒してないわね。」
『情報局のデータベースによれば、ここの連中に国内での軍歴はない。こいつらは北方連邦系マフィアの戦闘員さ。』
「信じられない。ユニオン陸軍はなんだってそんな連中に仕事をさせたわけ?」
『選択肢がなかったんだ。大統領が段階的な撤兵を決めてから、警備の人数が足りなくなった。だが予算の都合上、"キチンとした"会社を雇えなかったんだろう。OX社は驚くべき安値で仕事を受注した。ただしそれは…』
「本国の組織にブツを流す副業も見込んでの額だったわけね?」
『正確には本国経由で世界中に売り捌いていた。北方連邦から銃を持ち込んで現地の武装勢力に売り、代金をマリファナで受け取ってたのさ。その他戦争の混乱につけ込んで誘拐、脅迫、臓器売買…なんでもやってる。』
「…マーティンが危ないわ。先を急がないと。」
『あくまで冷静にね、母さん。連中は不用心で間抜けでも銃の撃ち方は知っている。』
ヨアヒムの助言通り、オイゲンは慎重にクリアニングをしながら進んでいく。
とはいえ建物の中にいた連中といえば大抵の場合ウォッカを手に寝込んでいたので、オイゲンは何らの苦労もなくマーティンの捜索を続けることができた。
やがて、オイゲンは建物の中でもひと回り大きな部屋へと至る。
内部からは酔っぱらった男達の笑い声が響いていた。
「…この部屋以外は全てクリアよ。ヨアヒム、部屋の内部は見えるかしら?」
『いや、こっちからじゃ見えない。位置を変えればどうにかなるかも…』
「分かった。アンタは現在位置を保持して。私の方でケリをつけるわ。」
オイゲンはMP5のセレクターを切り替えて、そうしながらもドアを少しずつゆっくりと開けていく。
部屋の中にはドアにケツを向けてウォッカを飲むバカが2人ばかしいて、ドアが開いたことにも気づいていない様子だった。
やがてドアが完全に開かれると、オイゲンは2人組に声をかける。
「アンタ達?」
二人組は我に帰ったように振り返る。
その内1人は手元のAKに手を伸ばしたがもう遅い。
オイゲンの放った4発の9mm弾は、それぞれの喉元を正確に打ち抜いた。
悪党どもは気管と声帯をやられ、うめくこともできずに失血死する。
脅威が排除されたことを確認すると、オイゲンはやっと部屋の中の捜索を始め、そして簡単に探していたものを見つけた。
「…マーティン?……マーティン!」
マーティン・スミスは手足と口をダクトテープで縛られている。
眠っているのか、目を閉じて微動だにしていなかった。
オイゲンが慌てて首元を確認すると彼はしっかりと息をしていて、恐らくは睡眠薬か何かで眠らされているようだ。
「ヨアヒム、ティルピッツ、ターゲットを確保。これより離脱するわ。」
『ティルピッツ、了解。』
『ヨアヒム、了解。今のところ周辺に敵影はない。離脱………な……の………ザッ…ザザッ……』
「…?…ヨアヒム?…くそ、こんな時に。」
眠ってるマーティンを抱え上げた時、ヨアヒムとの連絡が途絶えて彼女は悪態をつく。
その時、部屋の内側にオイゲンとマーティン以外、それに二人組の死体の他は誰もいないにも関わらずドアが閉まった。
心霊現象のような事象にオイゲンが振り返ると、どこかから彼女に声がかけられる。
その声音には聞き覚えがあったし、彼女は珍しくも敵意をその顔にみなぎらせた。
「……うっふふふ…あなたなら来ると信じていたわ…」
「その声!……あぁ、なるほど。
何かを察したオイゲンは、マーティンを抱える腕とは反対の手でMP5を声の方向に向ける。
口径9ミリの銃口の先は暗闇だったが、やがてはその暗闇の中から1人の女が現れた。
「随分と遠回りなやり方をするのね。」
「こうでもしないとあなたは会ってくれないでしょう?」
「私と会いたいならこの子を巻き込んだりしなくても…私の店に来るだけでよかったのよ、