毒ガス散布から5日後
ユニオン
中央情報局
基本的にアポイントメントのない面会には対応しないよう、こういった公的施設では徹底される。
にも関わらず受付の人間が彼を施設の中に通したのは、それがこの国家の公的機関において最も高位にいる人物だったからだ。
スプルース大統領は妻のエンタープライズを伴って、情報局本館最上階の廊下を突撃砲よろしく突き進む。
向かう先は無論、あの冷血漢のオフィスだった。
「だ、大統領、お待ちください、然るべき対応をさせますので」
「長官、君に用はない。君は君の職務を続けたまえ。」
「しかし」
「いいから行けッ!」
大戦中、この海軍軍人を止められた人間は殆どいなかった。
エンタープライズは軍の司令官として政治家たちと渡り合ったり、部下達や兵士達のためにこういったやり方を重ねていたスプルースのことを昔から知っている。
しかしながら、こんなスプルースを見るのは本当に"久しぶり"だったし、怒りに任せて長官に怒鳴り声を張り上げるあたり黙って見ておけるものでもない。
だからエンタープライズは長官がすごすごと引き下がっていくのを見てとると、改めて夫の背中越しに声をかけた。
「レイ、少し落ち着くんだ。何もライリーの指示と決まったわけじゃない。」
「ライリーの?…あいつの指示だと思うか?」
「………」
「…エンタープライズ、君も分かってるはずだ。あのガス攻撃は間違いなくアドリアンの独断だろう。」
「彼は…あんな事をするような子じゃなかったはずだ…。ブルックリンから聞いたが、あの子は牧場で牛の世話を楽しんでたらしい。…自分の意思で、首都にガスを撒くような子じゃなかった!」
「もう違う!ライリーがアドリアンを捻じ曲げてしまった。だが、これでようやく奴とアドリアンを分離できる。…"手遅れ"じゃないといいんだが。」
ライリーの計画は、スプルースが大統領職に就く以前から既に進行中だった。
大戦が終わる前からユニオン政府は次の敵を見定めていたのだ。
強大な北方連合とはエウロパ大陸で対峙する事になるだろうが、しかし連中も馬鹿ではない。
ユニオンの裏庭たる南方大陸の守りが脆弱なようでは、北方連合の連中にエウロパ大陸とは別方向からのアプローチを許可するに等しい状態だった。
南方大陸はかつての帝国主義時代の名残から、ユニオンの実質的な植民地として機能していた側面を無視できない。
今まで散々ユニオン企業に搾取されていた当地の人間にとって、資本家の打倒と富の再分配を唱える共産主義ほど受け入れやすいイデオロギーはないだろう。
実際、インビエルノの封建体制は共産主義を掲げる勢力によって打倒されたのだ。
西側社会の盟主たるユニオンがこの脅威に対処するのは容易だったが、問題はいくらユニオンに強力な軍隊がいたとしても多正面作戦を完璧に遂行できるほどの国力は確保できないという事だろう。
北方連合の工作員達が大戦の時よりも更に多くの方向からユニオンを揺さぶってくることは想像に難くない。
だから当時の大統領は、その正面の内の幾つかを"番犬"に委託するという中央情報局の作戦にサインしたのだった。
"番犬"はそれぞれの東西対立の最前線に配置された。
南北に分かれた東煌の南側、東西に分かれた鉄血の西側。
しかし東煌では政治不安が続いたし、鉄血では常に東側の脅威が西側全体を揺さぶった。
その点ジャック・ライリーの担当した南方大陸は安定した効果をもたらしてきたのだ。
スプルースでさえ、奴の計画は周到だったと認めざるを得ない。
セントルイスに息子を預ける事になったアルバロ・セルバンデスは、あの大陸に共産主義が入り込むことさえ許さなかったのだから。
プラタの国王には苦労していたようだが、ライリーはアルバロを保険にして、国王がユニオンへ忠誠を向けざるを得ない状況を強いたのだ。
息子を"人質"に取られたアルバロは、スプルースの目から見ても涙ぐましく思えるほど忠実にユニオンに仕えていたが、ライリーはやがてそれすらも気に入らなくなったらしい。
あの冷血漢はアルバロに圧政を行わせておきながら、"人質"に取った息子にはその後継者としての進路を歩ませた。
スプルースの前任者はアルバロだけでなく、その息子をも計画に組み込んだ点でライリーを高く評価していたが…その結果がコレである。
アドリアンは最早見境のない暴力を振るう暴君と成り果てつつあった。
今までは暴君であったとして、その行動には規範というものが見出せたのだが。
それはきっとセントルイスがライリーの意図に反して、アドリアンを冷血漢として育てないよう最大限の配慮を込めていたからだろう。
クソッたれのライリーが邪魔さえしなければ…少なくともアドリアンはきっとアレ以上悪化する事はなかったはずだ。
ライリーがセントルイスの邪魔をしたせいで、アドリアン・セルバンデスという指導者は悪逆非道な人物としての道を進む事になった。
元々歪みかけていたモノが、ライリーの悪意ある計画によって完全に歪んでしまったのだ。
しかしながら、ライリーの計画は、最後には自分の首を絞めることとなった。
スプルースは今日こそ奴に引導を渡すべく廊下を突き進んでいく。
「…レイ、自分を責めるな。あなたはできる限りのことをした。」
「ライリーの所業に手をこまねいていたのは事実だ、認めなければならない。奴はアルバロを利用するだけ利用して、成長したアドリアンに傀儡としての素質を認めると彼を殺したんだ…例の、"オクロジャック"に命じてな。その時まで、私は奴の本性を見抜けなかった。」
「ライリーも元々あんな人間じゃなかった。誰が原因なのか…本当は分かってるんだろう、レイ!?」
エンタープライズの言葉に、スプルースはピタリと足を止める。
そう、彼はこの悲劇の中心にいる人物を知っていた。
しかし知った上で…それこそ、その人物の正体すら看破した上で、その"功績"を認めざるを得なかったのだ。
「…エンタープライズ、皆は許してくれるだろうか?」
「……母港の皆か?」
「ああ。あの戦いで散っていった彼女達は…私の判断を、許してくれるだろうか。」
「………」
「アドリアンのした事も、ライリーのした事も、そして私自身がした事も…1人の人間として、許される事じゃない。だからこそ私は、
「今のあなたは大統領という職にある。海軍のどんな軍人よりも責任を負わされる立場だ。…姉さんだって、きっとあなたの判断を理解する。あなたは自分自身を"殺して"、大統領として正しい判断をした。」
「…エンタープライズ……」
「それに、半分は前任者が手をつけていたんだ。あなたがその路線を放棄していたら、今の繁栄すらあり得なかったかもしれない。」
「ありがとう…」
「礼を言うのはこちらの方だ。あなたが全てを背負ってくれたからこそ、今がある。なら私は、少しでもあなたの支えになりたい。」
エンタープライズがそこまでいったところで、中央情報局の廊下に銃声が響き渡る。
それは38口径リボルバーのもので、銃声事態はライリーのオフィスからやってきた。
スプルースとエンタープライズは大急ぎでオフィスへと向かい、そのドアを蹴破る。
不安的中。
そこには頭を血まみれにしたライリーが転がっていて、その近くには未だ青白い煙を登らせている38口径が転がっていた。
スプルースはライリーに駆け寄ると首筋に手を当てて、未だ息の根を止めていないのを確認すると血に塗れたライリーの顔を自身の方へと向けた。
「………ははは、大統領…これは……どうも…」
「ライリーッ!貴様ッ!!」
「私は………きっと…自由になれる………彼女の下へ行ける………やっと…やっと……」
「クッ!………ふざけるなッ!この後に及んでッ!」
「レイ!自分を抑えろ!私は医療班を呼んでくる!」
「ああ頼む、エンタープライズッ!このクソッタレを死なせるわけにはいかんッ!」
「………私は……私は役目を果たしたんだ…」
「ああ、そうかもしれんな!だが貴様は何一つ償っていない!ここで死ぬことなど、到底許されない!」
「…はは……それは、彼女が………ルルが決めてくれますよ……」
ライリーはそこまで言ってピタリと動かなくなった。
スプルースは不承不承ではあったものの、エンタープライズが医療班を呼んでくるまでの間に応急手当てを施す事にする。
このクソッタレには、まだ死など早すぎる!