ウゴが持ってきた書類に、私は言葉を失った。
あの提督は本気で私と敵対する気に違いない。
私に誠実な秘密警察長官の持ってきた証拠は、提督がついに超えてはならない一線を超えた事を意味していた。
「………提督は大統領が13家族を訪ねている間に、医師団と会っていました。」
「医師団!?…あの共産主義の連中と!?」
18年前、父がクーデターで倒した共産主義政権のトップにいた男は、元は医者であった。
どうにも医者というのは左寄りになりがちなのか、彼は同業者達から絶大な指示を受け、支援もされていた。
インビエルノ医師団による多額の献金がなければ、彼は選挙に勝ち抜くこともできなかっただろう。
父は共産主義体制を打倒した後、医師団を解体する気でいた。
それを止めたのは他でもないタマンダーレだ。
あの日の、父と彼女の口論が今でも耳に残っている。
"医師団を解体すればこの国の医療は間違いなく崩壊する!国民の支えを失うのよ!?"
"兵器ごときが知った口を聞くな!どんな人間だろうとこの国に共産主義を持ち込むのは許されん!"
"あなたがどうしても医師団を虐殺するというのなら…私、ユニオンに帰るわ!"
今思えば彼女も命懸けの駆け引きをしていたのだろう。
だが、そのおかげでインビエルノは医療崩壊という最悪の事態を免れた。
父は医師団への監視を怠らなかったが、しかし共産党のように浄化することもなかったのだ。
タマンダーレは医師団にとって救世主だったはずだが、恩知らずな事に連中は提督に肩入れするつもりらしい。
別に連中が提督に献金をしても大した障害にはならないが、連中が提督とコンタクトを取った事自体が、私にとっては問題だった。
「マズ過ぎる…提督が医師団を味方につけたとなれば、隠れ共産主義者共の票は提督に回るはずです。私の見通しはあくまで連中の票を勘定に入れない前提のもの…こんなことは想定外だ。」
「共産票と海軍の票があれば、提督は我々と拮抗できる…或いは上回るかもしれません。」
「…海軍連中が共産主義者と手を組むとはっ!…気でも狂ったのでしょうか。」
「大統領、ご提案できることがあるとすれば…これを機に医師団を解体しましょう。そうすれば提督の目論見は」
「待って。医療が崩壊すれば国民はあどりを永久に敵視するわ。目先の事だけを考えてはダメよ。他に方法はあるはず。」
ウゴの提案に、タマンダーレが反論する。
確かにウゴの提案は魅力的だが、現実的にはタマンダーレの反論に分があるように思えた。
医師は高度な専門職であり、一度刈り取るとなれば再生までに何年もの月日を要する事だろう。
しかし、提督の目論見も打破するのであれば医師団をどうにかするしかない。
とはいえ18年前に彼らの希望を叩き潰した男の息子に耳を貸してくれるとも思えなかった。
「………ウゴ、父は海軍に対しての調査を渋っていましたね?」
「まさか大統領!…海軍はお父上の支持基盤でした!あれは聖域ですよ!?」
「もう違います。提督はこちらとの対決を選択する前に、海軍内部の人員を整理しているはずです。内部に敵がいては戦えませんから、父に誠実だった海軍軍人たちは左遷ないし更迭されている事でしょう。…軍の人事変更には大統領の署名が必要ですが、私は署名した覚えはありません。」
「!…提督は選挙に備えるために秘密裏に人事を変えた公算が高いから、そこを狙うのね?」
「そうです、タマンダーレさん。それを証明できれば、今度の選挙から提督を公式に排除できる。」
「分かりました、大統領。海軍にも探りを入れてみます。」
立ち去るウゴの背中を見送りながらも、私は自身の判断の正しさを疑わざるにはいられない。
どうにもこうにも何もかもが"チグハグすぎやしないだろうか"?
浮かない顔をしていたのを見られたのか、タマンダーレは私の顔を覗き込んでくる。
「………どうしたの、アドリアン?…あなたもやっぱり、何かおかしいと思ってるのね?」
「はい、タマンダーレさん。提督のこれまでの行動を鑑みるに、やはり気にかかる部分が多いんですよ。」
「………」
「13家族へのおざなりな説得、医師団へのアプローチ…海軍内部の人事異動にしたって、もう少しやり方があるでしょう。…とても、提督の立場にいる人間の手腕には思えない。」
「…そうね。提督の狙いはきっと他にある。もしかすると、この選挙への出馬自体がブラフかもしれないわ。」
「独裁者を敵に回すほどのブラフを貼るなら…提督の本当の狙いは一体何なんです?」
…………………………………
インビエルノ海軍総司令部
「………やはり、さすがに気付かれたようだな。」
海軍総司令官にして、統合幕僚長でもあるウガルテ提督は、執務室の窓から海を眺めてそう言った。
彼の背後にはソファに腰掛ける海軍大佐がいて、物憂げな提督に呆れたような口調を投げかける。
「だから言わんこっちゃない。やり方が不味過ぎるんすよ。黙って本腰入れた選挙でもしてれば、アンタは大統領になれんのに。」
「大佐、私が選挙に勝ったところで国民を二分してしまうに過ぎんよ。彼らは"羊"だ。一度"犬"に追い立てられたら中々それを忘れられない。私が目指すのは、彼らが恐れている"犬"の排除だ。」
「だったら話は簡単でしょ。何人かの若いのにマシンガンでも持たせて大統領宮殿に突っ込ませれば良い。何なら俺が行きますか?」
「…スアレス大佐、君は優秀だが敵を見くびりすぎだ。奴はアルバロほど残忍ではないが愚かでもない。ユニオン中央情報局は奴に諜報活動のハウツーを叩き込んだ。現に、我々の動きは逐次知られているだろう?」
「野郎が頭デッカチなだけに思えますがね。あのユニオンのデカチチ女が操ってるだけなんじゃ?」
「ユニオンの後ろ盾があるのは確かだが、それだけではこんなにも機敏には動けんさ。秘密警察の動かし方では、アルバロより奴の方に分があるよ。」
提督は軽くため息を吐くと、回れ右して大佐のほうに向き直る。
大佐は姿勢こそ直しはしなかったが、加えていたタバコを灰皿に押しつけて、提督の方を覗き込んだ。
「ま、何にせよウチらの総大将はアンタだ。指示にゃ従いますよ。」
「…負けると分かっている選挙に出馬するのは気が引けるな。だがこれも重要なステップだ。…祖国解放への、我々の第一歩。」
「アルバロはユニオンの駒に成り下がりやがった。この国の銅はクソみてえな価格で買い取られ、農場はプランテーションになり、工業は壊滅してる。もう黙ってはいられねえ。」
「…18年前、私はアルバロを止められなかった。本心では分かっていたんだ。"軍は政治に介入すべきじゃない"と。だがアルバロはクラウゼヴィッツを持ち出した。」
「"戦争は政治手段のひと形態である"」
「その通り。奴は"戦争"と"軍隊"をすり替えて解釈した。結果はこのザマだ。18年前のミスを取り返すには少々遅いが、始めた以上はやり遂げるさ。」
提督の目線は、大佐から彼の目の前にある机の上へと移っていく。
そこには現時点での海軍の戦力と、インビエルノの主要な港湾と陸地が書き込まれた地図が広げられていた。
模型化されたインビエルノ海軍の艦艇を眺めると、提督はようやく完全に指揮権を手に入れた戦力を実感する。
もはや海軍内に彼の敵はいない。
アルバロ・セルバンデスが共産主義者のパンツァーファウストで吹き飛ばされたという第一報を聞いた時、ウガルテ提督は18年前から温めていた計画を実行に移すことにした。
抜け目のないアルバロは隙を見せなかったが、奴が暗殺されて息子が跡を引き継ぐとなれば否が応でも隙は生まれる。
その間に提督は海軍の人事を速やかに整理して、セルバンデス政権派の海軍軍人達を艦長職から一掃したのだ。
長年の根回しと彼の人柄が、この2週間の大変革を可能にしたと言っても過言ではない。
今、彼の手元には何もなく、ギャンブルで言えばまさしく"オールイン"の状態だ。
それほどにまで、提督はこの計画に賭けていた。
「大佐、君には我が艦隊最大の戦力である戦艦『コクレーン』を任せたい。」
「分かりました、提督。そっちは任せてもらって結構ですよ。ですが…本当に大丈夫なんすか?計画通りなら、アンタはまもなく逮捕される。奴がアルバロの息子なら、ワイヤーでアンタの首根っこを締め上げて、死体に硫酸をかけて山にでも埋めやしませんかね?」
「はははははっ!見てみぬふりをしてきた私には相応しい罰かもしれんな!」
「笑い事じゃねえっすよ。アンタが死んだら全てがご破産だ。ウチらは全員硫酸をかけられて山に埋められる。」
「安心したまえ、大佐。そのための選挙だ。奴は我々の真意に気づいてはいるだろうが、あのユニオン女が理知的なら私を処刑しようとは思わないはずだ。まあ、仮に私が死ねばその時は国民自身が立ち上がる。」
「18年間アルバロにビビってた連中ですよ?本当にそうなりますかね?」
「ああ、なるとも。今までアルバロに踏みつけられていただけで、本来彼らには充分なポテンシャルがある。軽んじてはならんよ。」
「へいへい」
「ともかく、私が不在の間はよろしく頼む。…インビエルノのために!」
「了解ですよ、"教官"。インビエルノのために!」
大佐はそう言って、これから秘密警察に逮捕されるであろう提督に、初めて姿勢を正して敬礼を送った。
彼らは選挙によって政権を覆えせるとは思っていないし、それどころか望んでもいない。
しかし、それは重要な一手であった。
提督は海軍士官学校で教鞭を取っていたときの教え子に微笑みかける。
「…私が望むのは変革ではなく、革命なのだよ。」