ガス散布から一週間後
インビエルノ
大統領宮殿
本日の夕食は、いつもと違って大広間で摂ることになっていた。
残念ながらベラスコ元帥は未だあの2人組を殺せてはいないものの、プラタの領土が広大である割には手早く捜索範囲を絞りつつある。
海上ではルートヴィヒの沿岸警備隊が哨戒艇や駆逐艦、軽巡洋艦の全てをプラタ沿岸に配置して目を光らせていた。
どのみち奴らに逃げ場などないだろう。
そういうわけで、私は自身の仕事を進めなければならない。
我がインビエルノの陸軍は無事に首都を掃討して、ほんの少数のゲリラ組織を残してプラタを平らげた。
見事な"食いっぷり"だったし、2人組の始末さえ終わればベラスコ元帥の胸にはまた一つ勲章を増やしてやるつもりだ。
こうなると、次の問題は占領地域の統治である。
私は今度こそプラタから共産主義勢力を一掃するために、行政機関を立ち直らせることこそが急務であると考えていた。
本日の晩餐会にご招待させていただいたのは、"不幸な"戦火を生き延びた旧プラタ政府のお偉方で、私は陸軍部隊に彼らを可能な限り救助させて保護していた。
私達は今夜ここで、プラタの今後について話し合うというわけだ。
タマンダーレには悪いが、この晩餐会には理由あって私1人で出席しなければならなかった。
パラノイアの症状はかなり緩和していたし、何よりここでの話し合いには彼女の耳に入れたくないものもある。
だから私は軍の制服を丹念に着込んで、意気揚々と1人でこの大広間へとやってきたのだ。
…正確にはウゴを伴っていたが。
「…ああ、皆さん。遅れてしまって申し訳ありません。」
大広間の扉を開けて、私とウゴはその中へと入っていく。
プラタの"旧"お偉方は既にご自身の席に座られていたが、この会の主催者が入室すると一斉に起立して敬意を示してくれた。
プラタの副首相、国防大臣、外務大臣に国務次官。
長方形の机の奥の方には、顔馴染みの大使殿まで見える。
この他の方々は戦火の中で命を落とすか、或いは首都に留まって最終的に"行方不明"になってしまった。
席に向かう私を見送りながら扉のすぐ横に立ったウゴが、ここにいない旧プラタ政府閣僚の死亡確認写真を全員分用意してくれたから、私は頗る上機嫌だ。
生き残った閣僚のメンツが私の掌握している人数と合致しているのを確認すると、私はわざとらしく感嘆詞を口にする。
「ああ、なんとも痛ましい出来事が続きましたが…あなた方がいらっしゃったのは不幸中の幸いです。我が国にとっても、プラタにとっても。」
「大統領、この度はご招待いただき誠にありがとうございます。閣下の忠実な陸軍がいなければ…我々はどうなっていたか。」
「いいえ、とんでもない。当然のことをしたまでです。プラタの国民には新たな政府機能が必要だ。あなた方のような人材がいらっしゃれば、プラタは早急にこの混乱から立ち直ることができるでしょう。この地域の安定は西側社会全体の利益となります。」
「ご配慮にお礼を申し上げます。」
「何もお礼を言われるためにこの会を開いたんじゃありません。…皆さん、どうか御着席ください。」
我々が席に着くと、陸軍制服を着込んだ給仕係達が早速前菜を持ってやってきた。
この日のために、私は首都で1番の料理人…ルートヴィヒ夫妻の行きつけの店のシェフ…にタマンダーレの手料理と同一のものを作らせるよう、彼の家族を人質にとって訓練していた。
望みがなければあの夫妻は行きつけの店を失っていたかもしれないが、幸いにも彼らはまだ週末の楽しみを奪われずに済んだのだ。
ここにいるメンツの内、2人はタマンダーレの作った料理を食べ、残りはそのシェフが作ったものを食べる事になっている。
私の手元にきちんとタマンダーレのそれが届くよう念を押しただけあってか、普段陸軍の将官相手に料理を運んでいる給仕係はキチンとその任務を果たしてくれた。
彼女の料理は毎日食べているおかげか、匂いだけでもそれと分かる。
途方もなく細かいことに思えるかもしれないが、これは私にとって最も重要な事なのだ。
タマンダーレやボイシの作ったもの以外を口に入れるなんて考えたくないし、それに…
「それでは、皆様。お手元のグラスをお取りください。…プラタの未来に!」
「「「プラタの未来に!」」」
私が音頭を取り、シャンパンの入ったグラスを掲げるとプラタの閣僚達もそれに続いた。
そうして再び席に着いた後、前菜を楽しみながら会話を弾ませる。
「しかし、副首相殿も苦労なされましたな。国王陛下は勝ち目のない賭けをしてしまわれた。」
「ええ、全くです、大統領。我々は皆あの戦争に反対でした。陛下はロイヤルをあまりに甘く見ておられた。」
「残念な事に陛下をお救いすることは間に合いませんでした。首都に入った部隊から、陛下のご遺体を見つけたと報告を受けています。」
「ああ…それはなんとも、痛ましい。共産主義者共は国内の混乱に乗じて政権を転覆したのです。…我々もあなた方を見習うべきでした。」
「あはははっ!共産主義者の扱いについては、父からよく教わりましたからね!曰く、"奴らは壁に並べて撃ってしまうに限る"!」
「お父上は誠に正しい御方でしたね。…あのような最期を迎えられるとは…私共としても残念でなりません。実に惜しい方を亡くした。」
「そう言っていただければ主の御許にいる父も報われるでしょう。」
「彼にあなたのようなご子息がいらっしゃったのは、この国の国民にとっても我々にとっても幸いであります。プラタ国民は隣人の好意を永劫に忘れませんでしょう。」
シャンパンを吹き出しそうになったのを必死で堪えた。
何が"好意"だ。
この男が私が今からやろうとしていることを知ったらどう思うだろう?
しかしながらこの男に知る必要のない事まで話してやる理由はない。
私はせいぜい微笑みを浮かべながら、吹き出しかけたシャンパンを飲み込んだ。
「…そのようにおっしゃっていただけて私としても嬉しい限りです。さて、皆さん…もし不都合でなければメインを運ばせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
異議はなかったので、私はウゴに頷いた。
ウゴは給仕長に合図をして、陸軍の給仕係が先ほどの前菜より大きな皿を運んでくる。
やがてそれぞれの参加者の目の前にメインディッシュが運ばれてくると、彼らはその見事なオイスターロックフェラーに感嘆詞を漏らした。
「おお、これはまた見事な…」
「妻自慢の手料理です。アイリス産のブロン種を取り寄せましてね。是非ご賞味いただければと。」
「あのご婦人の!…それは楽しみですな。」
閣僚達はオイスターロックフェラーを食べ始め、私もタマンダーレの手料理を口に入れる。
何も嘘はついてない。
この中の2人はタマンダーレの手料理を食べているわけだし、彼女とシェフの料理の割合に関して聞かれたわけでもないのだから答える必要もなかろう。
無論、私の前にあるのはタマンダーレのそれだった。
全員が一通り食べ終わる頃を見計らって、私は副首相に話しかける。
「お味はいかがですか?」
「これはなんとも…ええ、誠に美味です。」
「そうですか、それは何よりです。……ところで、副首相殿。鉄血公国の宣伝大臣はご存知ですかな?」
私の質問に、副首相は少々怪訝な顔をした。
確かに藪から棒な話の振り方だし、その意味を捉えるのは至難の業だろう。
しかし私は悠々と話を続ける。
「戦前から鉄血公国であの独裁者を支えた宣伝大臣ですよ。」
「…ええ、ええ、もちろん存じ上げております。」
「それは結構。…これはあくまで持論なのですが…我々は、政治という職務にある者として彼から学び取らねばならない事があります。」
「それは…なんでしょう?」
できる限り緊張を与えないよう配慮して話したつもりだったが、しかし副首相は汗をかき始めていた。
私は彼が落ち着いていられるよう、少しばかりトーンを落とす。
「政治を行う者には責任が伴います。我々の決定で人生を左右される国民は当然多い。」
「………え、ええ…」
「ああ、いえ、緊張なさらなくても結構です。これはあくまで例え話ですよ。……さて。施政者たる者、その意思決定・行動が自国のみならず他国にまで影響を及ぼすことを考慮せねばなりません。…意味はお分かりいただけますね?」
「……………」
「どうしました?顔色が優れないようですが?」
"顔色が優れない"のは副首相だけではなかった。
見れば国防大臣も国務次官も…タマンダーレの手料理ではなく、シェフの料理を食べた全員が首元を押さえて肩で息をしている。
私はどんどんと呼吸の荒くなっていく副首相の方へ向き直ると、話を続けた。
「…私もこの手の毒を盛られた事がありますが、幸いにも致死性のものではなかった……さて、話を戻しましょう。かの宣伝大臣はシアン化物をあおって死んだそうです。…ええ、今あなたを苦しめているそれですよ。それが彼の、政治に対する責任の取り方だった。」
「…………」
「そして…これは私の責任の取り方です。不要な要素をこうして、責任あるやり方で始末する。横着はせずに…ちゃんとあなた方以外がくたばったのを確認してから周到に準備させていただいた。」
「………」
「ご評価には感謝しますが、きっと本心ではないはずです。あなた方を国に戻せば私に反旗を翻さないとも限らない。だから"不要"なんです。お分かりいただけますね?…それでは、安息があらんことを。」
そこまで言って、私は周囲で苦しむ人々が倒れ込む音に何らの反応も示すことなく食事を続けた。
せっかくのタマンダーレの手料理を残すなんてとんでもない。
残りの牡蠣を食べ続けていた私は、ふと目の前で巻き起こっている光景に戦慄している大使殿に気がついた。
私は牡蠣を食べ終わってから、口元を拭いて彼に話しかける。
「……タマンダーレ…私の妻の手料理を食べているのは、あなたと私だけです。他は料理人に仕込ませて、秘密警察に毒を盛らせた。ウゴが実に良い仕事をしてくれた。」
「だ、だ、大統領、私はっ」
「大使殿、これであなたはプラタにおいて唯一"正統な"政治家となったわけだ。他の連中はプラタでくたばったか、あるいはご覧の通り。」
「何故…何故私なのですか?」
「…この連中は、結局反対こそしたものの最後には国王に従った。その根本には野心がある。…以前お会いした時、あなたはプラタがロイヤルに敗戦すると仰っていた。あなたは祖国の政情不安を予知した上で保身に最も都合の良い所に身を置いたんだ。」
「………」
「…まあ、そう怖がらないでください。私が求めるのは余計な野心を持たない忠実な人間です。皮肉に聞こえるかもしれませんが、私はあなたをこの点で信頼している。…このまま信頼していても、大丈夫ですよね?」
大使は明らかに動転していたが、しかし床で悶えてやがて動かなくなった人々を見つめながら、静かに、しかし確かに何度も頷いてみせる。
「ええ、ええ!大統領閣下!ご期待には必ずお答えします!」
「結構。なら、あなたは現在を持ってプラタの新しい指導者です。…ああ、言い忘れていましたが、今頃秘密警察の本部では我々が彼らを保護したことを示す文書が焼却されています。彼らは"不幸にも共産勢力の手にかかった"んです。」
「そ、その通りです、閣下!」
「よろしい。…では、大使殿。せっかくですから、どうぞ召し上がってください。それとも、牡蠣はお嫌いですか?」
慌てて笑みを取り繕い、オイスターロックフェラーを頬張る大使を見て私はひとまずの安堵を得た。
私は今まで誰かの手駒だったが、今度は自分が手駒を持ったわけだ。
ライリーはクソ野郎だが、奴が何故ああなったか分かる気もする。
誰かを操作するのは確かに、言いようのないほど愉快な娯楽だろう。