あの政治家どもを毒殺した後、私は執務室に向かった。
ウゴがユニオン大統領閣下から連絡があったことを知らせてきたからだ。
言うまでもないが、この時期に私が国外へ出ることなど考えるべきではない。
だからいくらユニオン大統領と連絡を取りたいにしても、私がオフィスを出てユニオンに向かうわけにはいかなかった。
それは単に私の側の理由というだけではなく、大統領も大統領できっと今頃は東煌の件で大忙しだからだ。
つまるところ、スプルース大統領が私と連絡を取るのに電話会談という形式を取ったのは至極当然の事である。
私は電話をスピーカーフォンにして、ユニオン現職大統領のありがたいお言葉を賜ることになった。
『アドリアン、まずはユニオンの大統領として君の健闘に感謝したい。知っての通り我々は東煌での軍事的緊張の高まりから正面を絞る必要がある。』
「差し出がましいようですが、"裏庭"は私にお任せいただければと。自由主義陣営共通の利害を達成するためにも、私は必要な手段をいつでもご用意致します。」
『そうか…我々は良い同盟者を持ったようだ。君の父もよくやってくれていた。…君には彼の面影がある。』
「ありがたいお言葉に感謝致します。…しかしながら、今回…その……」
『どうした?』
「いえ…大統領から直接ご連絡をいただくとは
思いませんでしたので。いつもはライリーさんを通してお話しを」
『ライリーは…奴は自殺を図った。』
「何ですって?」
『拳銃で自分の頭を撃ち抜いたんだ。幸いにも一命は取り留めたが…新たに後任を据えても良かったが、君は今や我々の代わりに大陸の7割を掌握して戦っている。一流の指導者として、私が直接やりとりをする方が好ましいと判断した。』
大統領の言葉に、私はつい喜びの表情を浮かべそうになる。
ガスまで使って大陸の半分以上を手中に収め、最後の難関に取り掛かろうという矢先に…まさか難関の方から崩れ落ちてくれるとは。
『東煌の緊張が高まっている今、そちらの大陸の事はそちらに任せるほかない。』
「承知しております、大統領。どうかおまかせを。」
……………………
プラタの邪魔者どもを葬り去った次の日には、大使はプラタ暫定政権の首相になっていた。
私はそこで初めて"真実"を語り、西側メディアは予め決められていた通りただただ私の言葉を飲み込んだ。
どのみち、もはや彼らはこの大陸の問題に大した関心事ももっていないことだろう。
現に記者会見の出席者は前回に比べて減っていた。
西側の人々は、もう南方大陸のゴタゴタはアドリアン・セルバンデスという番犬がきちっとカタをつけてくれたと思っていたし…あるいはそう思いたかったのだ。
彼らの関心は既に東煌にある。
スプルース大統領の匙加減一つで核戦争が起きるかどうか気が気でないのだろう。
私といえば広大な海を隔てた国での話だからか、或いは自身の目標を優先したいからか、そんな人類全体の存亡をかけるような話さえ他人事のように思えてしまった。
…どうせ、今の東煌情勢に関して私が直接どうこうできることなどない。
そんな事より、鬼の居ぬ間に何とやらと言うじゃないか。
私は自分の仕事を存分にやらせてもらおう。
記者会見の翌朝には、私はいつも通り軍服に着替えて執務を始める準備をしていた。
あいも変わらずタマンダーレと一緒に寝る習慣はやめられないが、それでも最近は私の方が先に起き、まだ寝ている彼女を起こさないように出ていく事が増えている。
新しい目標が私を突き動かしていたし、この期に及んでまでタマンダーレに迷惑をかけるようなマネもできない。
この日も私はまだ眠っている彼女からそっと離れて、執務室へと向かって行った。
最近はルートヴィレッジ夫妻と共に朝食を取ることもなくなり、私は専ら1人で朝食を摂っている。
タマンダーレが作り置きしてくれたビスケットやクロワッサン、或いは食パンを食べながらコーヒーを啜り、大方の場合、本日秘密警察の銃撃によって命を落とすことになる人々の名簿を眺めるのだ。
私は大抵の場合名簿をそのままウゴに引き継ぐし、そうでない場合はあと何人か付け足してからウゴに渡す。
来週からこの名簿は2つになり、目を通す量は倍になる。
そう考えると頭痛に襲われそうになるが…致し方あるまい。
執務室に着く頃には、いつも通りエプロンをしたボイシがプレートを持ってきてくれた。
今日の朝食はバターたっぷりのクロワッサンに食パン、グリーンサラダにベーコン、それから…おや?…ジャムがいつものとは違う。
「おはよう、ボイシ。毎朝ありがとう。」
「おはようアドリアン。…ボイシにできるのはこれくらいだから…」
「いいや、そんな事はない!君がいるだけでも私は助かってる。…ところで、今日はアプリコットじゃないんだね?」
「シナモンが手に入ったから、セントルイスと一緒にリンゴのジャムを作ってみたの。…ダメ、かな?」
「ありがとう、ボイシ!リンゴジャムもアプリコットと同じくらい大好きだ。第一、君の作る物はなんでも美味しいよ。」
「ふふふっ!そう言ってくれて、ボイシも嬉しい!ところで…セントルイスは…まだ起きてこないの?」
「ああ。いつまでも彼女を朝から晩まで付き合わせるわけにもいかないよ。彼女の指揮官としても、夫としても。」
「部下を置いていく指揮官くんなんて最低だし、夫なら常に妻と寄り添っておくものよ、アドリアン?」
怒気を含んだ聞き慣れた声に、私はその場に凍りつく。
ボイシはプレートを置いた後私に微笑みを向けたまま器用にも後退りをして、その後執務室から出て行った。
残された私はいつのまにか執務室に来ていたタマンダーレと向かい合う。
「お、おはよう、タマンダーレ。」
「ええ、おはようアドリアン。…もう!起きたのなら私も起こしてくれてもいいじゃない!」
「すまない、とても気持ちよさそうに寝ていたから。」
「………本当に?」
「え?」
「本当にそれだけが理由なの?…最近、何だか避けられてるような気がするわ。」
「なっ、何を言い出すかと思えば!そんなわけないじゃないか!ただ…最近は気の抜けない場面が多くてね。」
「はぁ…昔から言ってるけど、何か悩みがあるなら私に」
「いや、これはそういう類の話じゃないんだ。君に相談するべき…いや、それ以前に話すような内容じゃない。これは私1人が全責任を持って判断しなければならない事なんだ。」
「アドリアン、私にはあなたから指輪を受け取った時点で…あなたと運命を共にする義務があるわ。もしそれが私たちの運命に関わるような問題なら、それを伝えない方が無責任じゃないかしら?」
タマンダーレの反撃はどれも的確で、私は言葉の予備師団を使い果たしてしまった。
今までの彼女の主張はどれをとっても間違いないし、私は彼女のもの以上の反論を提示することもできなかった。
事実として、私は彼女を避けていた。
一つは己の行いの数々から。
私は彼女の目で見ても、凄まじく酷い行いを重ねている。
タマンダーレはきっと悲しそうな顔をするし、私の目的を知ってさえ、それを止めようとするだろう。
寧ろ私の本当の目的を彼女が知るのであれば、彼女は間違いなく私を糾弾する。
私はもう一つの目的とは、彼女をユニオンに帰すことだ。
前にも述べたが、彼女には自分の人生を取り戻してほしい。
もちろん彼女は私にとっても大切な人だし、それは今も変わっていない。
だからこそ、私は自らの意志で彼女を遠ざける…その必要がある。
この2つの理由の内、後者の方は何がなんでも隠し通す必要があった。
だから私は1つ目の理由を糖衣に包んで、彼女の前に吐き出してみせる。
「…分かった、正直に話そう。タマンダーレ、私がやっている事は、控えめに言って外道も外道だ。今は上手く覆い隠してるし、この先もそうするだろう。…でもこんな事を君に見られて…その……」
「失望されるのが嫌なのね?…でもね、アドリアン。それを心配するには少し遅いとは思わない?私はあなたの秘密警察がスタジアムで何をしているのか、知っているわ。」
「………」
「それに…その様子なら、プラタの毒ガスはやはりあなたの所業でしょう?」
「ん?何の話かな。私は知らな」
「もう嘘はやめて!」
タマンダーレが私の目の前の机に、派手な音を立てながら両手をついた。
席に座っている私を見下ろす彼女の顔は紅潮していて、その表情は悲しみに包まれている。
ややもすると泣き出しそうですらあるが、彼女はしかしそれを必死に堪えているに違いなかった。
「…ええ、わかっているわ。あなたはこの大陸を制御しようと頑張っている。東煌の問題で悩むユニオンの心配事をこれ以上増やさない為に。」
「………」
「首都攻略に時間を掛ければ、ユニオンはいつまでも背後の担保を得られないまま北方連合の圧力と対面することになったでしょう。あなたの仕事は、ユニオンと西側社会の安寧を担保した…それは理解しているつもりよ。」
「なら…どうして」
「…あなたがライリーみたいになるのは、もう耐えられないの!」
「何を馬鹿な」
「馬鹿なこと!?…いいえ、アドリアン!どうしてあなたが私に2つだけオイスターロックフェラーを用意させたのか、その理由まで私は答えることができるのよ!?」
何てこった。
全部、全部全部お見通しだ。
ここまで彼女の目に触れないように立ち回ってきたにも関わらず、彼女の方は全てを看破してしまっていた。
もしかして、彼女は2つ目の理由まで見抜いているんじゃなかろうか?
私は猛烈な不安に襲われたが、果たして彼女を持ってしてもそこまでは到達していないようだった。
「…あなたはユニオンのために自分を犠牲にし過ぎている。…目標は素敵だけれど、もう少しだけでいいから、自分を大切にしてちょうだい。」
「………」
「ホノルルはライリーが変質することを恐れてた。だから彼女は彼と添い遂げることにしたの。ライリーが"ヴェノム"に取り憑かれないように。でも彼女が沈んでしまって…ライリーは…」
タマンダーレはとうとう涙を堪えきれなくなった。
彼女の両目から大粒の涙を流しながら、鼻を啜るか細い音が私の罪悪感を騒がせる。
やがて、彼女はそうしながらも、私の隣に席を持ってきて座り、そうして私を抱擁した。
「ぐすっ…驚かせちゃって、ごめんなさい。」
「…その…悪かったよ。君に辛い思いをさせてしまった。でも、悪いとは思ってるが、これを止めるわけにもいかないのは…分かってもらえるね?」
「………」
「すまない……」
「いいえ、アドリアン。あなたがこうするしかないのは、私も分かっているわ。」
彼女が私の行動を肯定したことに、私は驚かざるを得ない。
タマンダーレの事だから私を止めにかかるものだと思っていたのに。
「…あら?意外だった?」
「ああ…」
「…私だって、あなたにこんな事はして欲しくない。でも、こうしなければならない事くらいは分かっているつもりよ?…少なくとも、東煌の件が片付くまでは。」
「………」
「だから、アドリアン。どうか1人で抱え込むのはやめて。1人で抱え込み続けたら、あなたは本当に"ヴェノム"に飲まれてしまうでしょう。だから…あなたが手を汚すのなら、私も手を汚す。いいわね?」
「……ありがとう、タマンダーレ。」
「ええ。…それじゃあ、教えてくれないかしら?この前あなたはベラスコ元帥を怒鳴りつけたそうだけれど…その理由は?」
「ガス攻撃の件を捉えた2人組がいたんだ。恐らく写真か何かに記録してる。だから私は…」
タマンダーレに事情を説明しながらも、私は底なしの罪悪感と天井知らずの高揚感を同時に感じた。
彼女の手をも汚してしまう罪悪感は私の良心を殺したが、反面、姑息なる理性は彼女がこの国に居られなくなる理由ができたことを祝福している。
こんなことを考えていては、本当に自分を保てそうになかったから、私はいつのまにかタマンダーレに体を寄せて、運命の赴くままに任せてしまった。
後から振り返ると、きっとタマンダーレもまた、同じような気分だったに違いない。
彼女の"ヴェノム"は、おそらく私のそれよりも強大だったに違いない。