KAN-SENは歳を取らない   作:ペニーボイス

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彼女の眠る土地

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確か、20年前…とにかく、アルバロ・セルバンデスの妻がまだ生きていた時の話だ。

 クーデターを起こす前、この若い夫婦とその子供はプラタとの国境にある山脈に登山に出かけた。

 彼らは家族3人水入らずの休日を楽しんでいたが、運命の悪戯とはいつ襲いかかってくるか分かったもんじゃない。

 夫の方が少々ハメを外しすぎて、高所から転落してしまったのだ。

 

 彼は妻に言った。

「大丈夫、大したことはない!」

 その実、怪我は見た目以上に深刻だった。

 もしかすると、この日このままアルバロ・セルバンデスが亡くなっていたら後に大勢の人々が死を迎えることはなかった"かも"しれないが、残念なことにそうはならなかった。

 

 その場に居合わせた登山客の中にヴァルターという名前の、40代後半の医者がいたのだ。

 左頬に凍傷の痕がある鉄血連邦の人間で、彼の腕は確かだった。

 医者はその道の専門ではなかったにも関わらずアルバロ・セルバンデスに適切な応急処置を施したのだ。

 お陰で後年セルバンデスは後遺症に悩むことなく暴政を振るうことができた。

 

 

 命の恩人とアルバロ・セルバンデスの関係はそこでは終わらなかった。

 セルバンデスはヴァルターに感謝の意を重ねて伝え、やがてその付き合いは家族ぐるみのそれになる。

 家族は何度かエウロパ大陸まで旅行し、ヴァルターと妻に会いに行った。

 ヴァルターと妻との間に子供はなかったが、彼らはセルバンデスの1人息子を我が子のように扱ったものだ。

 

 やがてインビエルノでクーデターが起きて、セルバンデスが実権を握った。

 ヴァルターが青い顔をして、アルバロとの面会を要求してきたのもその辺りのことだった。

 夫婦は何か悪い予感を感じていたに違いない。

 彼らは今やインビエルノの最高権力者となったアルバロ・セルバンデスに、自身を彼の国民にしてほしいと言った。

 セルバンデスは快くそれを受け入れ、ヴァルターはこの国の市民権を得た。

 勿論、アルバロはその当時例の"猟兵グループ"が、旧鉄血公国戦犯狩りの範囲をエウロパ大陸にまで広げていたことを知っていたし、ヴァルターの凍傷痕が何を示すのか気づかないほど鈍感でもなかったが。

 

 それからおよそ2年後、アルバロの妻が亡くなった。

 ユニオンは彼の下に1人のKAN-SENを送り込む。

 アルバロはそのKAN-SENに息子を預けることになったが、その際ヴァルターというKAN-SEN医療の専門医のことを思い出したのだ。

 

 

 

 かくしてヴァルターはインビエルノ政府最大の切り札の専門医となった。

 以来ずっとアルバロに仕え、彼が暗殺されるとその息子に仕えた。

 妻とは既に死別していたが、この歳になって彼の仕事は最近増えている。

 担当する"患者"の数は3倍になったが、ヴァルターにはその10倍の面倒を同時に見た経験があった。

 故に彼は大して苦に思っていなかったし、それどころか楽しんですらいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………それで、結果はどう?」

 

 

 オイゲンはシャツを着直しながら、ヴァルターという老医者が診察結果を伝えるのを待っている。

 この老人は丸眼鏡越しにカルテと睨み合っていたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

 

「いいかい、落ち着いて聞いてほしい。」

 

「なぁに?勿体ぶらずに」

 

「君は妊娠してる。」

 

「ッ!…………」

 

「…おめでとう。」

 

 

 オイゲンの顔が少し紅潮し、老人も祝福の笑みを浮かべる。

 しかしながらオイゲンの表情は最初こそ喜びを帯びたものの、すぐに不安と葛藤に彩られることになった。

 ヴァルターはその理由を知っていたし、故に黙って立ち上がってそれまで開いていた診察室のドアを閉める。

 

 

「………不安なのは分かる。だが、君は安静にすべきだ。"例の件"は"我々"に任せてくれ。それに、他にも信用できる仲間がいるんだろう?」

 

「ええ…でも、セントルイスがアドリアンの側を離れればあの子は何をしでかすか分からないし、ボイシはフェニックスの件がトラウマでしょうから…」

 

「………フフッ」

 

「なっ!?ちょっと、何よ!おかしなこと言った?」

 

「いや何、君がこっちに来たばかりの事を思い出してね。あんなに恐ろしかった復讐鬼が、今じゃそんな事を考えてるんだから。」

 

「う、うるさいわねぇ!………ふはぁ…なんだか…今になって姉の気持ちがわかったような気がするわ。ヒッパーも私相手には苦労してたでしょうね。」

 

「彼女の診察は何度か受け持った事がある。いつも君の事を気に掛けていたよ。"オイゲンは無理をして余裕を取り繕う事があるから"と、口癖のように言っていた。」

 

「………」

 

 

 今度はオイゲンの表情が、寂しさを表現するそれに変わった。

 老人はカルテを置いて、少しの間目を瞑る。

 話題を変えて、彼女を励ましてみるのも良かろうか。

 

 

「…しかし、まあ。驚いたよ。こっちに来てから初めて君に再会したことにも驚いたし、まさか君が私の事を覚えているなんて。」

 

「"ヴァルター"なんて名前どこから掘り出してきたわけ?…まあ、どうでもいいけど。アンタも苦労したみたいね。」

 

「そりゃあもう苦労したさ。私の経験を書物にするならシェイクスピア並みの厚さになる。…第一編!『フィヨルドの果て』!第二編!『逃亡の旅』!第三へ」

 

「はいはい、わかったわかった。それじゃ、私がアンタから聞いた話をもとに"あらすじ"を説明しましょうか?…キールの軍港でKAN-SENの軍医をやってたアンタはティルピッツと共にフィヨルドに渡った。でもティルピッツは出撃不能に追い込まれて、アンタ達を助けるためにもアズールレーンに投降して『戦友会』に身を置いたわけ。アンタは彼女に同行して、そこで鉄血連邦支部の仕事をやっていた。…まだ国内に残っている"仲間"を救出するために。」

 

「そうとも。…すまない、君たちには悪い事をしてしまった。」

 

「前にも言ったでしょう?もう気にしないで。…とにかく、アンタはしばらく新生鉄血連邦で上手くやってたけど、その内復讐に燃える"猟兵グループ"に見つかってしまった。アンタと奥さんは命からがらエウロパ大陸から逃げ出して南方大陸に逃げてきたってわけ。…インビエルノの独裁者にツテもあったしね。」

 

「そう。だからこそ『戦友会』の勧めるプラタではなくこの国を選び…そして君に再会したわけだが。まったくとんでもないとばっちりだ。親衛隊連中め…私は終戦まで奴らの活動を知らなかった。」

 

「私だってそうよ。恐らく奴らは仲間内にさえ活動を秘匿していた。………過去を嘆いても仕方ないわ。とにかく私は…沿岸警備には参加する。その方が都合も良いし。」

 

「やめろ、オイゲン。もし何かあれば君は生涯に渡って後悔することになるかもしれない。…悪いが、この事はアドリアンに報告する。」

 

「ちょっと!」

 

「勘違いしないでくれ、君やセントルイスの計画を邪魔したいわけじゃない。…だが君は身重だ。セントルイスがアルジェリーの事を把握していたとして、アルジェリーが君の事をどこまで把握してるかまでは分からないだろう?」

 

「………」

 

「動転のあまり発砲してきてもおかしくない。私は医者として、君を前線に送らせるわけにはいかないんだ。」

 

「じゃあ、アルジェリーの件は運任せ?」

 

「………ルートヴィヒ君はこの計画をどこまで知ってるんだ?」

 

「ハンスは抜けてる所があるから話してないわ。」

 

「なら、君から妊娠の件と重ねて話したまえ。」

 

「…ハンスは耐えられるかしら?」

 

「大丈夫だ。君から真実を聞かされれば、ルートヴィヒ君もヘマはしまい。最愛の人間の命が掛かるとなれば気も引き締まる。あの男はやる時にはやる男だし…その辺はキール時代の彼を知っている、君が一番詳しいんじゃないか?」

 

「…そうね。分かった。そうしましょう。」

 

 

 

 多少の迷いは残っているようだが、オイゲンは結局ヴァルターの言う通りにする事にしたようだった。

 ヴァルターはカルテを纏めると再び立ち上がり、閉じていた診療室のドアを開ける。

 そしてオイゲンに手を差し出して、彼女を立ち上がらせた。

 

 

「くれぐれも、無理は禁物だ。分かっているね?」

 

「ええ…ねえ、最後だけ、聞いてもいいかしら?」

 

「なんだい?」

 

 

 オイゲンは診療室を出る前に立ち止まり、老人の方を振り返る。

 そして凍傷痕のある顔を見つめながら、つい本心からの心配を声に出してしまった。

 

 

「……アンタは、本当に来ないの?」

 

「………」

 

「その…アンタのやってる事は、自分の首を絞めるようなものよ?…もしこの計画が上手くいったら、アンタは…」

 

「妻は…マリーネは私のせいで鉄血に帰れなかった。この国には彼女の亡骸が眠っている。」

 

「………」

 

「そんな彼女を置いて、どこに行こうというのかね?…私の心配はしなくて大丈夫だ。何せ…ハハッ、少々長生きをし過ぎたしな。」

 

「そう…その、色々とありがとう。」

 

「いや、こちらこそありがとう。…お大事にな。」

 

 

 

 ヴァルターはオイゲンを送り出すと、再び診療室のドアを閉めた。

 そして衛星電話機を机の下から引っ張り出して、サディア企業の回線を使ってある人物に電話をかける。

 

 

『…"こちらは消費者相談サービスセンターです"』

 

「"アイロンの件でご相談があり電話しました"」

 

『…ああ、オイゲンの件ね?…彼女の計画に対する私の関与には気づいてるかしら?』

 

「まぁ、半分は話していますから。どちらにせよ彼女はこの国を出なければなりません。」

 

『分かったわ、私の方で手配を進めておきましょう。…ところで、そろそろ敬語はやめてちょうだい、"ヴァルター"?それともヨーゼフって呼んだ方がいい?』

 

「どうかご勘弁を。その名前のせいであの悪魔医者と間違えられてここにいるんですよ!?」

 

『ごめんなさい、もう2度としないわ。…他に、何か進展はあったかしら?』

 

「オイゲンは…彼女は妊娠しています。」

 

『なっ……そう。相手はルートヴィヒね。』

 

「はい。ですから、今度の任務は彼女にとっては負荷が重過ぎるかと。彼女にはルートヴィヒを巻き込むように指示しました。」

 

『ルートヴィヒに?……ええ、まあ、彼なら大丈夫でしょうけど…どちらにせよ、任せておいて。アルジェリーがプラタの沿岸さえ突破できれば、後は任せてもらって構わないわ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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