大統領宮殿近郊
私設射撃場
射出されるクレーを狙って、引き金を引く。
十分に狙ったはずだが、クレーは何事もなかったかのように飛んでいった。
私はため息混じりにサディア製の水平二連装式散弾銃を肩から外し、空薬莢を排して新しい散弾を込めようとする。
しかし、あまりにも苛立っていたせいか散弾はうまく銃に入らず、それが余計に私を苛立たせた。
「落ち着いて!アドリアン!…そんなのじゃ当たるものも当たらないわ!」
「何かがおかしいんだ、タマンダーレ。おかしいものは直さないと。」
私がようやく散弾を装填した時、背後で車の停止する音がする。
振り返ると副官を引き連れたウゴがいて、いつもの彼からは想像もつかないほど緊張しているように思えた。
理由は明白、人間いくつになろうと失敗した事を上の立場の人間に報告するのは後ろめたい気持ちになる。
「大統領、ご報告が」
「記者がKANSENだと、いつから気づいていましたか?」
私の問いかけに、ウゴが言葉を詰まらせた。
「…申し訳ありません、大統領。ご報告が遅れました。」
「報告が遅れた?…ふん…"遅れた"……"遅れた"…」
「だ、大統領。…記者こそ取り逃しましたが、ユニオンは我々の後ろ盾であり続けるでしょう。ご心配なさらずとも、必ず」
私はそこで初めてウゴの方に向き直る。
いや。
向き直っただけではなくサディア製の散弾銃を腰だめに構え、彼の副官の顔面めがけて躊躇うことなく引き金を引く。
12ゲージのペレットは元殺人犯の秘密警察将校の顔面を削ぎ落とし、次いで頭蓋骨と脳髄を破壊して、そうして頭の半分を破壊した。
夥しい血と脳漿が撒き散らされ、ウゴの白いスーツに汚らしい染みがつく。
流石の彼もこれには驚いたようで、同時に恐怖したようだった。
二連装散弾銃の、まだ使用していない方の銃身をウゴに突き付けて撃鉄を起こす。
それが何を意図しているか、彼には十分に分かっているはずだ。
「………ウゴ、もう冗談を聞いている余裕はないんですよ。"遅れた"どころじゃない。アンタはとんでもないことをやらかしてくれた。」
「………」
「私に記者の正体を明かさなかっただけじゃなく、アンタの手の内でどうにかなると思い込んだ。勝手に作戦を立て、私の承諾もなしに実行し、そして見事にしくじりやがった。」
ウゴの顔はどんどん赤くなっていく。
今まで彼は秘密警察トップとして完璧な仕事をしてきたのだ。
こんな場で部下を目前で殺されるというのは侮辱に近いし、それどころか私は彼をも手にかけようか迷っている。
彼にとっては、今までの忠義を"ちゃぶ台返し"されたようなものだろう。
しかし、だからこそ私の落胆もまた大きい。
普段は頗る優秀な彼が、報告を怠るというあまりにも些細なミスをしたせいで私の大陸政策は大きな危機を迎えている。
だから彼にとってどれだけ理不尽であれ、私は怒りの矛先を彼に向けねばならなかった。
「…大統領、スパイが…敵のスパイが政権内にいます。」
「ああ、そうだろう。でなければゲリラと記者共があそこまで連携を取れるわけがない。」
「是非とも私に調査を」
「悪いがね、ウゴ。今となっては私は君にさえその疑いを向けねばならない。」
「!?…大統領、ご正気とは思えません!たしかに今回は失敗こそしましたが、私に機会さえいただければ」
「機会はやろう。だが条件付きだ。君が勝手なことをした以上、放任するわけにはいかん。…今後秘密警察の作戦資料は全てタマンダーレを通せ。」
「ッ!?」
ウゴが正に"信じられない"というのを体現するかのような表情をする。
続いて私の妻の方を見て、彼女を睨みつけた。
理由はおそらく、自らの分限を侵されたからだろう。
情報機関の人間はこの手の事態を最も嫌うし、私はユニオン留学で勿論そのことを学んでいた。
だが、これはタマンダーレと話し合って決めたことで、私はこの決定を変えるつもりもない。
「……もしかすると、ですが」
「なんだ、ウゴ?不服か?」
「いえ。ただ…そのスパイというのは大統領に1番近い立場の人間かもしれませんよ?」
「気でも狂ったのか?…誰が彼女を寄越したのか、君が知らないわけじゃないだろう。彼女を寄越したのはユニオン政府だ。ユニオンが共産ゲリラの革命を望むとでも思うのか?」
「………いえ」
「君には悪いが、私の彼女への信頼は揺るがない…ユニオン政府が共産主義者に転覆でもされない限りは。そうでもならない限り彼女が裏切る理由がない。そうだろう?」
「………はい。申し訳ありません大統領。」
謝罪を口にしつつも、その実ウゴの表情はかなり苦々しい様子だった。
正直、父の代から政権を支えている大立者にこれ以上苦言を呈したくはなかったが、もう一つ伝えねばならないことがある。
「それと、衛兵は沿岸警備隊の人員と入れ替える。君の作戦が漏れ出ていたなら、秘密警察にネズミがいる可能性が高い。…分かってもらえるね?」
「承知致しました。内通者は必ず暴きます。それでは。」
ウゴはもうそれ以上何も言わずに回れ右をしてスタスタと立ち去っていく。
私が彼を殺害しなかったことをせめてもの恩義と感じたのか、それともどうでも良くなったのかは知らないが、未だに銃口を向けていた私の方を振り向きもしなかった。
彼が車に乗って去ると、私は幾分疲れを感じて散弾銃を弄り、空薬莢を1つだけ出して新しい散弾を装填する。
そうしてクレー射撃の続きをしようという時に、悲しげな顔をしているタマンダーレに気がついた。
「……ああ……すまない、タマンダーレ。ウゴもショックなんだ。私に黙っていたのは、自信があった証左だろう。…それでも彼は失敗した。これを放免にはできない。」
「ええ…」
どこか上の空なタマンダーレの視線の先を見ると、頭部を失った男の死体が放置されたままだったことを思い出す。
「気にしなくていい、殺人犯だ。手首にタトゥーがあるだろう?…あれが殺した人数を示す。あの男は5人殺した異常者さ。」
「………」
「ウゴの秘密警察には3通りの人間がいる。1つはこういった…"自由"を欲した犯罪者。1つは高額な給料に釣られた人間、もう1つは秘密警察にいれば粛清を免れると思っている馬鹿者。」
「………」
「少なくとも、その男は3つの中で最悪だ。…鳥にでも喰わせておけ。」
「アドリアン!」
突如として声を張り上げた彼女の顔を見て、私は後悔する。
その表情は、愛する人が人を殺すのを目の当たりにしたことを悲しんでいた。
「…………ああ、すまない。」
「ねえ、アドリアン。あなたの気持ちはよく分かるわ。それでも…例え殺人犯でも、あなたに彼を殺す権利があるわけじゃない。そのことは、どうか忘れないで?」
「大丈夫だ。わかってる」
「いいえ、分かってない。…ライリーの話は、もう何度もしたはずよ?」
ジャック・ライリー、失敗した大馬鹿野郎。
彼女の言う通り、このまま死体を放置してクレー射撃に勤しむわけにはいかなそうだった。
死体は沿岸警備隊から抽出された衛兵達によって片づけられた。
彼らは父の時代から政権に誠実で、故にあの海軍提督に左遷された海軍軍人達だ。
忠誠心は頗る高く、最初から彼らを衛兵として起用すべきだったと今では後悔している。
死体が片付けられるのを見ていると、タマンダーレが横から話しかけた。
「…アドリアン。私の思うに、やっぱり沿岸警備隊は、この件に関して」
「そうだな。何の責任も問えない。ルートヴィヒは限られた戦力で最大限の警戒線を敷いていた。秘密警察か、或いは政権内にゲリラのネズミがいたのなら、警戒線配置の穴を探り出していても不思議ではない。」
「………」
「それに、ルートヴィヒはウゴと違って何のミスもしなかった。…責めようにも責められないよ。」
「うん…やっぱり、あなたは大丈夫みたいね。…ごめんなさい、ウゴの件で…この前の悪い癖が再発したっちゃうんじゃないかって、心配していたから…」
「あの時は…私は君を信じ切れていなかった。愚かにも。でも今は違う。もう疑うこともない。本当にありがとう、タマンダーレ。………おっと、もうこんな時間だ。夕食にでもしよう。」
「……ええ、そうね。」
…………………
タマンダーレは涙を押し隠すのに必死だった。
普通の人間は例えそれが殺人犯であったとしても、人を殺した後に平然と食事をできるものではない。
アドリアンはもはや普通の人間ではなく、彼はクレー射撃から帰るなり、タマンダーレの料理を何の躊躇いもなく平らげたのだ。
事は一刻を争っている。
アルジェリー達は無事に脱出したが、彼女達がすぐに記事を発表したところで世界の誰もそれを見ないことは明白だ。
東煌の件はいよいよ片付きそうだが、タマンダーレにとって、それは賭けに近い。
アドリアンを裏切っていることに、良心が傷つくあまり悲鳴をあげていた。
それでもどうにかやり通すしかない。
そうでなければ、あの子は永遠に怪物のまま生涯を終える。
その手をもう血に染めて、自身の目的の為に人を利用しているタマンダーレは、自分自身もライリーのようになってしまうのではないかという不安を抱えながらも必死に戦っていた。
その甲斐あってか、数日後。
"ラッキー・ルー"と呼ばれた彼女に、まさしく幸運が巡ってきた。
南北東煌間の緊張が急速に解れたのである。