インビエルノ
首都内
「止めろ、止めてくれ。…車を…止めるんだ。」
「………」
タマンダーレは私を助手席に乗せ、いつかプロポーズの時に我々をレストランまで送り届けた高級車で市内を巡回している。
しかし残念なことに、道路事情や周囲の景観まで同じとはいかず、それどころか著しく劣化していた。
道路には人っ子一人いないし、道にはそこら中にゴミが転がっている。
まるでゴーストタウンのような景観だが、私が3日前に自分で外出禁止令を出したのだ。
こうなっていなければおかしいのは分かっている。
ただ、分かっているにせよ…見ていて気分の良いものではない。
それにタマンダーレはなぜか市内に繰り出してから私の問いかけに答えてすらくれなくなった。
なんというか、たまらなく気分が悪い。
高級車のエンジン音、ゴミだらけの道路、それに黙々と運転するタマンダーレ。
その全てが私に害を成そうとしているように見える。
「頼む、タマンダーレ。少しだけ止まってくれ。」
「………」
ゴーストタウンと化した首都では、もはや信号さえ機能していない。
外出を禁じているのに、市井の車両が通行することを考慮する必要はないからだ。
だからタマンダーレの車も信号で止まることはない。
ただただ延々と灰色の街並みを走らせ続ける。
「タマンダーレ!」
もう我慢が効かなくなり、私はつい叫んでしまう。
タマンダーレが何を目的にしてるかは分からないが、私の声が聞こえていないとは思えない。
今度は彼女にちゃんと聞こえたようで、タマンダーレは速度を落としながら私に応じる。
「………もう少ししたら、止まるわ。」
いつもに比して明らかに素っ気ない返事を返し、タマンダーレはまた黙り込む。
車はやがて入り込んだところに入っていき、そこでようやく停止する。
私は助手席からまるでタイヤか何かのように転げ落ちた。
タマンダーレの運転が荒かったわけでも、変なものを食べたわけでもない。
なら、この気分の悪さはなんなんだ?
ふと周囲を見渡す。
どこかで見覚えのある光景だ。
「さあ、アドリアン。行きましょう。」
いつのまにか車から降りていたタマンダーレが、私の手を握って歩き出す。
私を車に乗せた時のように、その力に若干の強制力を持たせながら。
周囲は相変わらず灰色で、そこには何の華やかさは見られない。
人もいなければ、動物もおらず、ただ侘しさを引き立てる風の音だけがこだましている。
「タマンダーレ、ここに一体何が…」
「………」
タマンダーレはただ黙して歩いていく。
ここまで来ると私も気が滅入るものがあった。
何か…おかしな事をして彼女の機嫌を損ねたのだろうか?
それとも何か
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『ねえ、アドリアン。今日は何が食べたい?』
『いつものシチューが良いかな。材料を買って帰るの?』
『ええ、あなたにも荷物を運ぶのを手伝ってもらうわよ?』
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なんだ?
何なんだ、今の光景は?
周囲を見渡して、私とタマンダーレの囲む灰色に変化がない事を確認する。
しかし、先程確かに…そう、確かに、この無機質な壁に明るい色調が見えた。
それに私の手を引くタマンダーレの背中が、一瞬明らかに別の女性のものと入れ替わった気がする。
「タマンダーレ?…なぁ、おい?」
「………アドリアン…あなたは」
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『本当にシチューが大好きね!…私は嬉しいけど、あなたは飽きないの?』
『じゃあ父さんや僕が飽きないようなシチューを作ってよ。』
『あっはは!もう!誰に似たのかしらね!』
『おおっ、いたいた!やっと見つけた!…アドリアン、母さんの手伝いか?』
『うん!買い出しの荷物を運んでたんだ!』
『よしよし、偉いぞ!』
『まったく、あなたも少しはこの子を見習って!うっふふふ!』
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視界は再び灰色を捉え続ける。
相変わらずただの無機質な壁が多いが、ところどころ何かの台の支柱だったらしき物が目につくようになってきた。
ここは…市場だったのだろうか?
そうだ、いや、そうじゃない。
いやきっとそうだったのだろう。
そうだった可能性がある。
そうであった可能性は否定できない。
市場?
市場だって?
私はそんな場所は行ったことがない。
行っていないはずだ。
そんなものは知らない。
知らない可能性を否定できない。
いや知っているはずだ。
私は知っている。
何度も来た、いや、来なかった。
来るはずがない、来るわけが、いや来ないわけがない。
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『…しかし、今日は人がやけに多いな』
『あら。忘れているかもしれないけど、今日は建国記念日よ?』
『ああいかんいかん、そうだった。』
『海の上に長くい過ぎたのね。あなたは仕事に熱心が過ぎるわ。』
『そんなこと言うなよ、お前達のために一生懸命なんだぞ。』
『うふふ!冗談!分かってるわ、あなた。』
『おお、そうだ。ウガルテの奴からカメラを譲ってもらったんだ。…ほら、アドリアン。そこに立ってご覧。試しに撮ってみよう。…そんじゃ、カメラを見て…笑顔でにっこり……はい、チーズ!』
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激しいフラッシュが瞬かれた時、私は壁の前に立っていた。
その壁は灰色ではなかった。
先程見たような…鮮やかな色調の塗装はどこかへ行ってしまったが、そこに本来の塗装はない。
壁の色は赤だった。
真っ赤な真紅。
それに時々白。
白の正体は、頭部を貫通した銃弾が灰色の壁に突き刺さった痕を示している。
つまるところ赤は…………
「……これが…こんなことがあなたの望みだったの、アドリアン?」
血塗れの壁に正対する私に、背後からタマンダーレが語りかける。
これは…悪い夢なのか?
私は目の前で食事に毒を盛られて息を引き取る大勢の男達を見ていて尚、こんな夢は見なかった。
ならこれは…こんなことが…現実だというのか?
タマンダーレの問いかけに、私は何も返すことができない。
何かが口の中から外に出ようとしているが、それを別の何かが抑えている。
飲み込もうとするが、何かが飲み込ませようとせず、しかしそれでも飲み込もうとして、更に飲み込むのを阻止しようとした。
「…ねぇ、思い出した?…本当のあなたのこと。お父さんのこと…それに、お母さんのことも。」
背後から歩いてきたタマンダーレが私の一歩後ろで立ち止まる。
そこまで来て、私はようやく言葉を放り出すことができた。
「………秘密…警察が………わ、私の…指示通りに…」
「もうやめて!」
タマンダーレが私を無理やり振り返される。
体に力が入らず、私は彼女のされるがままになった。
振り返った先のタマンダーレはいつにも増して大粒の涙を浮かべて泣きじゃくっている。
心なしか、そこには罪の意識を見てとれた。
「思い出して、アドリアン!あなたは一体何者なの!?」
「インビエルノの…大統領」
「そうじゃないでしょう!どうしてわかってくれないの!?"あなたはあなた"なのよ、アドリアン!」
彼女の言葉が脳に響き、何かをこじ開けようとしているのがわかる。
だが開けられてはならない。
それは理性が主張している。
「……違う…こんな事は…私は……」
「そうよ、アドリアン!思い出して!あなたは小さな頃、ご両親と一緒によくこの場所に来たはずよ!」
箱のいちぶが飛びでてしまったようだった。
これでは良くない。
元にもどさないといけない。
「記憶の中の世界を忘れないで!あなたはどんな気持ちだった?周りの人はどうだった?皆…皆笑ってはいなかった?」
だめだ、これ以上はほんとうに。
もどれなくなる。
こんな記憶は、ないいやある。
僕はおぼえてる。
おぼえてるはずだ。
いいや覚えているはずがない。
いやいや何を言うか!
「あなたの望みはその人たちを悲しませる事じゃなかったはず!こんなことはしたくなかったはず!…お願いだから、"戻ってきて"!アドリアン!」
タマンダーレに再び抱きしめられた時、私は…私は
そして、きっと彼女はそうなる事を知っていた。
知っていたからこそ、ここへ連れてきた。
そうして私は…私は………
「……何故…何で、こんな…こんな事になるはずじゃなかった…」
「アドリアン…」
視線を落とすと、壁に背をもたれている死体の数々が目に入り、私は思わず後退りをした。
死体には肉がなく、虫が既に齧り尽くした事を物語っている。
死体は夥しい数があり、成人男性から老人、果ては子供のものまであった。
彼らが何故そうなったのか、私は知っている。
私が命令した。
私が殺した。
外出禁止か、サボタージュか、共産主義か…理由はわからないし知るすべもない。
ただし、彼らが死んだのは私のせいだ。
私が指示したのだから。
記憶に残っている人々は、ここにおらず、笑ってもいなかった。
書類の上で"処理"された人間は今こうやって死体となって放置されている。
もっとも、こんなものは序の口で…スタジアムでは遥かに多くが殺されている事だろう。
なぜ?
どうして?
なんだって私は…彼らを殺した?
いや、理由はあったはずだ。
ユニオンの利益を守らねばならなかった…なぜ?
なぜ、こんなことをしてまでユニオンの利益を守らねばならなかった?
共産主義者は迫害しなければならないが、共産主義ってのは一体なんなんだ?
そもそも、どうして外出を禁じた?
私は一体、一体何を持ってこんな事を?
もう、ダメだった。
耐えられない。
今まで、それこそ目の前で何人もの人間を毒殺したり、大都市の真ん中にガスを散布してきたはずなのに。
それで平然としていたはずなのに。
どうして今になって。
こんな、こんな小規模な殺戮跡地にさえ耐えられないんだ。
「!…ねえ、アドリアン。」
タマンダーレが突然私を抱き抱える。
彼女のぬくもり、彼女の匂い。
呆然自若とする私に、彼女は語りかける。
「あなただけじゃない…っ!私も、私もコレに手を貸したわ。こんな事に。ライリーの片棒を担いで、あなたにこんな事をやらせ続けた。」
「君は、タマンダーレ、君じゃない。…わ、私なんだ。」
「違う!あなただけじゃないの!…私の手も、あなたと同じように血塗れ!」
「そうか……………なら、ここで終わらせよう」
「…!やめなさい!」
腰の拳銃に手を伸ばす私を、タマンダーレが思い切りビンタする。
相当痛んだはずだが、正直、あまり何も感じない。
何故か、ただ呆然としていた。
「アドリアン。…こんな事をしてごめんなさい。でも、これであなたの"トリガー"は完全に破壊されたはず。」
「………"トリガー"?」
「…いいえ、何でもないの。今は呆然としているけど、この"痛み"はきっと後から来る。だから…これからは私から離れないで。」