インビエルノ
大統領宮殿
「ええ、ええ、ライリーさん。感謝します。本当に助かります。………ええ、勿論です、何なりと…………その男は何者です?…失礼しました、そうですね………分かりました、必ずや引きずり出します。では。」
私が電話を置いて顔を上げると、そこにはまたもや心配そうな表情をこちらに向けたタマンダーレがいる。
「…どうしました、タマンダーレさん?」
「中央情報局はまたあなたに無茶を押し付けたのね?」
「いいえ、寧ろその逆です。私はベラスコ中将にある男の捜索を命じるだけで良い。それだけで大きな戦力が手に入るのですから、アウトレットセールのようなものですよ。」
心配するタマンダーレを他所に、私は比較的良い気分だった。
ユニオンは約束を守り、その上こちらの要求まで…条件付きとはいえ…応えてくれるのだから。
提督は迂闊な事に、私の予想通り海軍人事を無許可で変更していた。
その証拠をウゴに掴まれた彼は不正人事の疑いで検挙され、選挙は我々の勝利に終わったのだ。
勝ったは良いのだが、しかし、問題がないわけではない。
それどころかこの選挙によって表面化した問題の方が大きいのだ。
選挙での私の得票率は、有権者の総数から見て30%に過ぎない。
これはこの国の経済を牛耳る富裕層や新たに味方に引き入れた陸軍の勢力を除くと、他に数%しか残らない計算になる。
有力な候補であった提督が検挙された後、そもそも投票数自体が落ち込んだと言っても過言ではない。
棄権された票は全体の50%に上り、つまるところこの国の有権者の半数は提督に同情したか、或いは投票所行きのバスに乗り遅れたと見ていいわけだ。
さすがに50%の全てが敵に回ったと考えるべきではないかもしれないが、提督の人気ぶりの証左と取ったとしても順当な考えではないだろうか。
提督は今、軍法会議にかけられているが、市民からの抗議の電話や手紙が跡を絶たないらしい。
おまけにインビエルノ弁護士会の面々までもが提督の側に回っていた。
提督が味方につけたのは医師団だけではなかったのだ。
自然と考えが顔に出ていたのか、タマンダーレがこちらに寄ってきて、私に後ろからハグをする。
私は彼女の柔らかな香りと暖かさに包まれて、ホッと息を吐く。
提督の不気味な動きには心配させられるが、彼女が近くにいると色々な悩みが立ち消えてしまうのではないかというほどの安心感があった。
「…アドリアン、あなたの大統領就任に対して一番最初に祝電を送ったのは?」
「…ユニオンの大統領………」
「どういうことか分かる?あなたはユニオンに認められた。彼らは約束通り武器と兵器をこちらに運んでくれているわ。陸軍がそれを装備すれば、心配事は減らないかしら?」
「………ええ。」
「……ねえ、あなた根気を詰めすぎよ。少し休みましょう?」
タマンダーレはそう言って私を抱き抱えて立ち上がらせると、今度は手を取ってソファへと誘った。
彼女が先にソファへと座ると、私を寝かせ、後頭部を彼女自身の魅惑的な太ももの上に置かせる。
ああ…そうだ。
小さな頃から、彼女は度々こうやって私を癒やしてくれたものだ。
…………………………………
16年前
「殺せと言っとるのが分からんのかッ!女子供だろうと関係はない!共産主義者は共産主義者だ!全員殺せ!慈悲を示せば連中は虫のように湧いてくる!」
電話に怒鳴る父の背中は、とても寂しそうに見えた。
当の本人は怒り狂っているはずなのに、その心のうちは悲しんでいるようにも見えたのだ。
きっと、父も疲れていたに違いない。
独裁者というのは気の抜けない職業だ。
誰かが自分を裏切ったりしないか、殺そうとしないか、或いは取って代わろうとしないか不安で不安で仕方ない。
私も2週間前からそれを体験する事になったのだが、この時はまだほんの子供だった。
「父さん、どうしたの?」
「クソ………ん?ああ、アドリアン。」
「最近怒鳴る事が多いけど、何かあった?」
「いや、お前が心配する事じゃない。…不安にさせてすまないな。だがまあ、こんなことはすぐに片付く。だからお前は勉学に励みなさい。」
「なら良いんだけど…」
「本当に大丈夫さ。………ルイーズ!そろそろアドリアンを寝かせろ!」
「ちょっ、やめてよ父さん!僕ももう子供じゃないんだ!1人で寝れるよ!」
「そうかもしれないが、銃を持った男達から身を守れるほど一人前でもない。…いいか?前にも話した通り、お前に彼女を付けるのは…」
「はぁぁ…"お前自身を守るためだ"……心配しすぎじゃないの?」
「念には念を入れておくもんだ。それに…」
「私のことは嫌いになっちゃったの、アドリアン?」
気づかぬ内に背後にいた長身の"お世話係"の声に、私は驚いて振り返る。
そこにいたのは当時12歳の私にとってあまりにも刺激的なプロポーションを持った美女だったが、彼女は野暮ったいパジャマを着て三角帽子を被り、クッションか何かを抱えていた。
彼女自身の魅惑的な身体つきとは正反対の服装に、私はため息をつく。
「いや、あの、ルイーズおばさん、そういうわけではムグッ」
彼女がムッとしたような顔つきになり、人差し指を私の唇に押し当てた。
「お・ね・え・さ・んっ!もう!"おばさん"はやめてって言っているのに…」
「ははは、苦労が多いなルイーズ。…まだほんの子供だ、大目に見てやってくれ。」
「もうっ、仕方ないわね。」
「すいません、ルイーズさん。」
「そんなに改まらないで、アドリアン。私達は家族のようなものなんだから。さて、もう時間も時間だし…今日は寝ましょう。」
ルイーズ"おねえさん"…つまりはタマンダーレと共に寝室に行くと、私は滑稽なほど豪華な天蓋付きのキングサイズベッドに寝かしつけられた。
いつものとおり私がベッドに入ると、彼女は私の隣にきて、その包容力ある身体で私を抱え込む。
母を失ってまだ1、2年だったが、彼女の暖かさは母の代わりとまではいかなくとも、幼い私を安心させるには充分だった。
「………父さんは何をあんなに怒っているの?」
私は父が答えてくれなかった質問を、タマンダーレに尋ねてみる。
彼女は少し物思いげな顔をして、心なしかもう少しだけ強く私の事を抱きしめた気がした。
「…お父さんの心配はしなくても大丈夫よ。ちょっとお仕事が大変なだけ。」
「外に出ると、父さんのことを良く言う人もいるけど悪く言う人もいる。僕の事を暴君の息子だって言う人も。」
「お父さんが何者でも、あなたはあなたよ?私はあなたの良いところをたくさん知ってるわ…だからそんな顔しないで?」
「………」
「そうね…何か別の話をしましょう。アドリアンは、将来何になりたいの?」
「………」
タマンダーレの問いかけは、率直なところ父や私がどう思われているかと言う事よりも解答に困るものであった。
仮にも一国を治める独裁者の息子。
当時私の抱いていた夢は、その立場にはあまりにも不似合いなものだった。
父が私に、そういったものとはまるで異なる夢を持つ事を期待しているのを、私は子供ながらに察していたのかもしれない。
しばらく躊躇する私に、タマンダーレは優しく話しかける。
「……うっふふふ♪大丈夫よ、アドリアン。コレは私とあなただけの秘密。お父さんには言わないから、安心してちょうだい?」
「………なら…」
「教えてくれるかしら?あなたは将来何になりたいの?」
「…………牧場主になりたい。13家族が待ってるような大きな牧場じゃなくて良いから、僕だけの牧場が欲しい。毎日牛や馬を飼育して、いつか自分で家を建てるんだ。」
「……そう………とっても素敵な夢ね、アドリアン!」
タマンダーレはそう言って笑顔を見せてくれたが、その背景には何故か悲しみが含まれているような気がした。
今思えば、それは決して私の夢に対する失望ではなく、その夢が永遠に叶わない事を見越しているかのような、そんな哀しみだったのかもしれない。
…………………………………
「アドリアン!アドリアン!起きて!」
「大統領!お休みのところ申し訳ありませんが…」
タマンダーレとウゴの声で目を覚ます。
頭がぼんやりとしているあたり、どうもタマンダーレの膝枕で少々眠ってしまったに違いない。
左腕を持ち上げて、タマンダーレが海軍士官学校入学祝いにプレゼントしてくれた腕時計で時間を見る。
腕時計は、もうあと10分後には閣僚会議が始まる事を指し示していた。
「………すいません、少し寝込んでしまったようですね。」
「いえ、大丈夫です大統領。就任なされてからロクに休みもないのですから当然ですよ。」
「ありがとう、ウゴ。閣僚は揃っていますか?」
「はい。あとは大統領だけです。」
危ないところだった。
大統領が寝坊するなんて、間違ってもあっていい出来事ではない。
……しかしまあ、大統領…か。
さっきまで見ていた夢をふと思い出す。
牧場主なんて将来はとうの昔に忘れてしまった。
あの夜から3年後には、私は父の真意を察しつつあったのだ。
きっと父は私が牧場主になることを許さなかっただろう。
なんと言っても、恐らくは自分の跡を継がせるつもりだったのだから。
海軍士官学校への入学を前提とした話を父からされた時、私の推測は確信に変わった。
私は抗おうにも抗えない運命という大きな重しと不毛な消耗戦を繰り広げるよりかは父の敷いたレールを走り続ける事にしたのだ。
しかし、まあ、牧場主とはえらく遠い職業に就いてしまった。
そしてその職を維持することは、もはや私の命を維持することと同義になりつつある。
だからこそ私は起き上がって、服装を正し、会議室へと向かい始めた。