インビエルノの政変からいくばくか後
某大陸南端
"希望の岬"周辺にある牧場
かつてこの岬を発見したエウロパ大陸の船乗り達は、ここを"嵐の岬"と呼んでいた。
この一帯があまりに荒れ狂う海だったからだ。
だが船乗り達の出資者はこの岬を経由する航路が極東への近道だと知った途端、この岬を"希望の岬"と呼び始めた。
当時極東からもたらされる香辛料が、あまりにも多くの財産をもたらしたからである。
さて、かつては"嵐の岬"と呼ばれた場所も今日は穏やかな天気に包まれていた。
海は優しい顔をして、波は穏やか、気温も良い。
そんな日でありながらも、その男は病の床で妻に悲しげにこう問いかける。
「…これは………私に相応しい最後だったのかな?」
「ええ。あなたはもう十分に苦しんだ。この牧場を経営しながら、眠れない夜を何度も過ごしたでしょう?」
「………」
その問いは男の核心を捉えることができなかった。
実を言うと彼は問いの答えを既に導き出している。
認めたくなかったのだ。
散々やりたい放題やっておいて、その代償を払うのは彼ではない。
だが男はようやく負けを認めて、妻の顔を覗き込む。
「…なぁ。あの娘は………大丈夫だろうか?まだ若いのに…」
「ええ、あの娘ならきっと大丈夫。」
「もし……私がこんな病気にならなかったら…あの娘に教えられることが……まだいくつもあっただろう。でも…きっとこれが私の代償なんだよ。私が………私が殺めたあの国の父親達は…こんな気分だったのだろうか?」
「………ええ、そうね。私達はもうあの娘を見てあげられない。私の身体も限界が近いみたい。」
「…大丈夫…大丈夫、か。確かにな。あの子は君に似て美しくて賢い。私などには到底似つかないほどに。」
「やめて、あなた。あなたはもうたくさん頑張ったわ。」
「彼らは…許してくれるだろうか?」
「…残念だけど、それはあり得ない。けれど…"向こう"には、きっと皆んながいる。彼らまであなたを否定したりはしないはずよ?」
「そうか………」
男は少しばかり緊張した表情を解す。
そうしてもう一度妻の悲しげな顔を見て、微笑みを浮かべた。
「………そう、悲しまないでくれ、ルイーズ。私は少しばかり早く行くだけだから。」
「もう!…あなたっていつもそう!レディーファーストについて、私はあなたに教えたはずよ!」
「はは………は………すまない…そして……ありがとう…………私の……美しい…………ルイーズ……………」
"ルイーズ"。
それが男の最後の言葉だった。
妻は両目から静かに涙を滴らせる。
いつかこんな日が来るとは思ってはいたが。
それにしても、彼は亡くなるにはあまりに早過ぎる。
"ルイーズ"。
そういうふうに呼ぶようになってくれたのもつい最近なのに。
いや、少なくとも彼女にとっては十分に「最近」の部類だった。
ルイーズと呼ばれた妻は夫の両目を閉じてからその軽くなってしまった亡骸を両腕に抱える。
先ほど夫に言った事は冗談でも何でもない。
夫が旅立つのを見るのは悲しかったが、しかし
ルイーズにとっては彼のすぐ後に続く事がわかっている分まだ救いがある。
彼女はやがて家を出て、岬の方へ向かう。
そこに建てられた粗末な小屋に入ると、錆びついたKANSEN用の古い艤装を装着した。
もう何十年も前に南方大陸から脱出して以来使用していなかったのだが、艤装は問題なく作動し、しかしぎこちないような音を立てながら海の上へと進み始める。
皆、きっと待っている。
ホノルルも、ヘレナも。
アルバロ・セルバンデスもその妻も。
スプルースや"初代"エンタープライズ、それにフェニックスだって。
きっと怒られるけど、拒絶はされない。
だから彼女は海の上を進んでいく。
1人の男の亡骸を抱えるKANSENは、そうやって岬のずっと向こうへと消えていった。
…………………………………
現在
ユニオン
バージニア州の公園で
「エミリー。君は鉄血の出身なんかじゃない。」
婚約者がハッとして顔を上げたので、ヨアヒム・ルートヴィヒは自身の推測が正しかったことを理解した。
エミリーが今日帽子を深く被っているのは、その髪を染めていないからだろう。
ヨアヒムは怒っていなかったが、きっと彼女は自分の嘘がヨアヒムの不興を買ったと思ったに違いない。
だからエミリーは少し慌てた様子でヨアヒムに応える。
「え?…何のこと?」
「少し不思議に思ってたんだ。君の英語には聞き覚えのない訛りが微かに混じってる。最初は東欧系の言語かと思ったけど、最近ようやくその正体に気づいた。…インビエルノの方言の一つだろう。」
「!………」
「髪はブロンドに染めているね?きっと地毛は蒼色で、先端に行くほど紫がかっている…そうだろう?」
「やめて!」
拒否反応を起こすエミリーが、決して思い出したくないことに触れられたことが手に取るようにわかる。
よくよく思い返せば、エミリーは両親の話題を常に避けていた。
ヨアヒムの身の上話を詮索することもなかったので彼自身あまり気に留めなかったが、中央情報局の職員としてはまずかったことを認めなければならない。
しかしそれはもちろんエミリーの血筋の話ではなく、ヨアヒムは彼女の両親を知ってそれでもエミリーへの想いを決めていた。
「…聞いてくれ、エミリー。きっと…君はそのことで散々苦労したんだろう。僕が君の父親について知れば、拒絶されると思ったんだ…違うかい?」
「………」
「…………実を言うとね、エミリー。僕の両親は君の両親に助けられてるんだ。」
エミリーが思わずヨアヒムの顔を見る。
そんな事があるものだろうか?
疑問を隠そうともしないエミリーに、ヨアヒムは話を続けた。
「ご両親から旧鉄血KANSENの話はされなかったかい?」
「…!……プリンツ…オイゲンの事?」
「信じられないかもしれないけど、それが僕の母さんなんだ。…まぁ、そんな事はどうだっていい。」
「………」
「君の両親が何者で、僕の両親が何者であろうと、"僕らは僕ら"なんだ、エミリー。僕はヨアヒム・ルートヴィヒという1人の人間として、君のことを心の底から愛してる。」
「ヨアヒム………」
1組のカップルが抱き合う微笑ましい光景を遠巻きに見ている女性がいた。
プリンツ・オイゲンはティルピッツと共にコーヒーを片手に、息子とその婚約者の様子を眺めていた。
コーヒーに砂糖を入れてこなくて良かった、まもなく口から吐き出すかもしれない。
「あれがエミリア・セルバンデス。アドリアン・セルバンデスとタマンダーレ…セントルイスの間に産まれた一人娘よ。」
「なるほど。エンプの資料とも合致するわね。アドリアンとタマンダーレは一斉蜂起の後、あの大陸に亡命して小さな牧場を始めた。管理者のいなくなったブルックリンの牧場から牛が移送された記録も残っていたわ。あの年齢なら…あの子が生を受けたのは私たちがヨアヒムを設けたころか、或いはセントルイスが"初めて"をささげた頃かしら。あの2人も結局ヤルことはヤッてたのね。」
「それにしてもオイゲン、意地が悪すぎるわよ?」
「何が?…諜報員の癖して婚約相手の身内も知らなかったのよ、あの子。それに、大事な一人息子を得体も知れない女に渡すわけにもいかないじゃない。」
「はぁ、まったく。あなたは変わらないわね。少し安心した。」
エミリーが涙しながら息子に抱きついている様子を、オイゲンは遠巻きに眺めている。
かつての独裁者の一人娘がユニオンに渡った経緯は不明だが、恐らくはアドリアン・セルバンデスとタマンダーレに"ツケ"が回ってきたのが原因だろう。
エンプの資料にはセルバンデスがなんらかの病気を患っていた可能性が示唆されていたし、セントルイスは艦歴からみてその時期に沈んでいてもおかしくはない。
2人は自分達の過去が娘の将来をも汚してしまうのを嫌って、彼ら自身から遠ざけたのだ。
もしヨアヒムから離れなければならなくなったら?
オイゲンとしては、それを考えるだけでも辛い。
いつかは離れることになったとしても、エミリア・セルバンデスが両親から遠ざけられたのは彼女がまだ十代を終えた辺りだろうと推測できる。
1人で身の回りのことをできたとして、まだほんの"子供"に過ぎない。
あの2人ならそんな彼女を見守りたいと思ったに違いないが、しかし魂の取り立ては勿論猶予を許さないだろう。
「さて、と。私はもう行くわ。元気でね、オイゲン。…それと、たまには戦友会の集まりにも顔を出してちょうだい。」
「マーガレットはくたばったわ。しばらくは会うこともないでしょう。」
「ライリーは奴らがくたばったとは思えないと考えてた。私も同じ意見よ。奴らは今きっと私達の様子を伺っている。何かにつけて再び介入を試みてくる可能性は大きいわ。」
「はいはい、わかったわ、ティルピッツ。それじゃあまた。」
ティルピッツが去って、オイゲンは再びカップルの観察に戻る。
忌々しいセイレーンの諦めの悪さは、彼女の現役時代よりよく知るところだった。
『ヨアヒムを頼む、オイゲン』
ふと亡き夫の声が、背後から聞こえたような気がした。
あの、馬鹿らしいほど純粋で素敵な男の声が。
けれどオイゲンは振り返らない。
ただしそのまま前を向いて、声に向けて返事をする。
「…しょうがないわね。」
オイゲンは息子とその婚約者に向けて歩き始める。
"嫌味な姑にならないように気をつけないとね"
そんなことを考えながら、オイゲンはもうじき新婚夫婦になるカップルの方へ向かって行った。
長いようで短い間、このような駄文を読んでくださり誠に有難うございました。
お陰様で無事に完結させる事ができました。
本当にありがとうございます。
元々、史実でセントルイスをはじめとしたアメリカ海軍の艦艇が南米諸国に売却されていたことを知ったのがこのSSを描き始めたキッカケでした。
実のところ、セントルイスは米海軍のセントルイスとしてよりもブラジル海軍のタマンダーレとしての艦歴の方が長かったりするようで。
アドリアン・セルバンデス…このSSの主人公はアウグスト・ピノチェトやサダム・フサイン、それにアサド親子の所業を参考に作りました。
恐ろしいことに、ここで書いたアドリアンの悪行は史実においても似たような事が実際に起きています。
個人的にはパラノイアを患った独裁者が存分に書けたので満足しております(←こいつが一番悪では?)
セントルイス大好きなので…特にコラボ時計についてた書き下ろしセントルイスの左腋の下に住みたいくらい大好きなので(←ヤベエやつ)、また何か書くかも知れません
また、アズレンものはまた書く予定…というより既に手をつけ始めてたりするので、よろしければご覧いただければと思います(隙あらば自己宣伝)
長い間本当にありがとうございました
またお目にかかる日まで