海軍はもう古巣でもなんでもなく、ただの敵に過ぎない。
閣僚会議で海軍の戦艦『コクレーン』との連絡が取れないと知らされた時、私は改めてそう確信した。
会議が終わった後、私は個人的にウゴと陸軍のベラスコ中将を呼び出す。
現時点で私の数少ない味方である2人は、私と同様の懸念を感じているようだった。
「中将、ユニオンからの武器はまもなく届きます。完熟訓練に必要な期間は?」
「小火器であればすぐに完熟するでしょう。ユニオンの銃器は性能が良い上に操作も簡単で故障も少ない。しかし大型兵器となれば話は別です。それなりの期間は必要でしょう。しかし現有の旧式砲を用いて訓練は継続しております。少々勝手は違うかもしれませんが、砲兵に関してはそこまで時間は必要ないかと。」
「積荷にはカノン砲も含まれています。そちらは最優先で訓練させてもらいたい。」
「分かりました。」
「それから…これはウゴにも関係する話なのですが…中将にはウゴと連携して、ある男を探し出していただきたいのです。」
「…はぁ。どういった男でしょう?」
「名前はハンス・ルートヴィヒ。元鉄血公国海軍指揮官の1人で、前大戦の戦犯です。ユニオンの情報機関が彼を探しているそうで。」
「り、了解しました。我々はまとまった数の人員を動員できますが、諜報能力はありません。オンディビエラ長官にはご協力をお願いしたい。」
「ご心配なく、我々もそのつもりです。」
「それなら安心ですね。では、大統領。私は軍に動員をかけますので、この辺で。」
ベラスコ中将が見事なまでの回れ右をして出ていくと、私は改めてウゴの方に向き直る。
彼にはまだやってもらわなければならない仕事があるからだ。
ウゴに仕事の話をする前に、私はタマンダーレの方を盗み見る。
彼女はまだ会議の書類に目を通していた。
私がタマンダーレを気にしたのは、彼女には聞かれたくない話だったからだ。
「………提督の弁護士会は厄介ですか?」
「正直なところ、かなり苦戦しています。このままでは名誉毀損で逆訴訟もありえる。」
「陸軍の訓練が終わるまで、提督は拘束しておく必要があります。さすがの『コクレーン』も総大将を人質に取られていては動けないでしょう。」
「弁護士会の連中をどうにかしなければ…」
「ウゴ、あなたの機関には実働部隊がありましたね?」
「ええ、ですがルートヴィヒ狩りに動員予定です。」
「ルートヴィヒの方は陸軍に任せて、あなたは別の目標を"狩って"いただきたい。」
「別の目標、ですか?」
「………弁護士会の連中を何人か、家族とまとめて葬ってください。それも、できる限り残忍な方法で。」
ある独裁者はこう言った。
「愛とか友情とかいうものはすぐ壊れるが、恐怖は長続きする。」
弁護士会はすぐに私と秘密警察の仕業だと気づくことだろう。
だが、それをマトモに取り上げればどうなるか…彼らは目の当たりにする事になる。
ウゴの実働部隊には重犯罪刑務所から選抜されたような人間もいた。
そんな連中の手にかかった一家を見たら、連中がどれだけ弁の立つ人間であっても慎重にならざるを得ないはずだ。
「あなた方なら造作もないはずです。…どうしました?ウゴ?」
「………」
ウゴは私に何らの返答もせず、ただただ目線を左右させて私に何らかの警告を発しているようだった。
何だろう…後ろ?
ウゴのメッセージに気づいて振り返ると、そこには先ほどまで書類を見ていたはずのタマンダーレが、顔を真っ赤に紅潮させていた。
あまりの衝撃に何も言い出せないでいると、恐らくは怒り心頭な彼女の右手が私の右頬をフルスイングでビンタした。
…………………………………
「どういうつもりなの、アドリアン!?あなたらしくもない!あんな命令っ、まるでシカゴのマフィアだわ!」
タマンダーレの一撃は中々の威力のもので、私は右頬に氷を当てていなければならないほどだった。
しかしながらKAN-SENのチカラを考えれば彼女はかなり手加減した方だろう。
それでも怒りのあまり手元が少しだけ狂ったのかもしれないが。
しかしながら今までこういう類の判断を理解してくれていただけ、私も軽くショックを受けた。
或いは彼女はずっと我慢してくれていたのかもしれない。
それでも私が弁護士達の家族にまで手にかけろ…それも残虐な方法で…と命じた今日、その我慢が限界にきたのだろう。
………そういえば…彼女の"家族"は…
いや、もしそうだとしても、私は私の意見を通さねばならない。
それは私のためであり、彼女のためでもあった。
「もう手段は選べません。海軍は『コクレーン』を勝手に出港させ、提督が戻り次第我々の政権を転覆させる気だ。…タマンダーレさん、あなたならお分かりでしょう?」
「ええ、それはわかるけれど…やって良いことと悪いことがあるわ!…あんな…あなたがあんな命令を出すなんてッ…」
「出したくて出したように見えますか!?私だってこんな命令なんぞしたくはない!ですが仕方ないんです!弁護士会を妨害しなければ提督が自由の身になってしまう!」
「………」
「提督が自由になれば海軍はこちらへの攻撃を躊躇する理由がない。再武装もままなっていない陸軍は一方的に撃破されるでしょう。そうなれば我々は終わりだ。」
「もしそうなっても、ユニオンが介入してくれるわ!」
「提督は愚か者じゃない。例え彼が共産主義者の手を借りていたとしても、表向きにはユニオン相手の友好を装うはずです。それに、ユニオン海軍が介入するにしても、彼らがインビエルノに辿り着く前に我々は処刑されていますよ!」
「アドリアン、よく考えて。そんなの、ただの推測でしかないわ!」
「よく考えた上での発言ですし、身を守るにはこうするしかありません!傷つくのだって最小限の人間だ!」
「それは違うわ、アドリアン!もう気づかないフリはやめて!あなたは自分自身を傷つけているじゃない!」
タマンダーレが目に涙を浮かべて訴えかけてくる。
彼女は目元をハンカチで拭うと、いつものように私を抱擁した。
今日はいつもよりも心なしか少し強く抱えられた気がする。
その温かな胸に私を向かい入れた彼女は、私の後頭部をさすりながら…そっと話しかけた。
「………手を挙げてしまって、ごめんなさい。あなたの言う事は…本当はよく分かっているの。でも、私は幼い頃からお世話をしていたあなたが…心に負荷を負い続けるのを黙って見ていられなかった。………そうよね、あなただって、こんな事はしたくないはず。」
「………」
「でもね、アドリアン。もう少し私を頼ってくれても良いんじゃないかしら?…私なら、海軍が相手でも…」
「いや、タマンダーレさん。それはできません。…父はあなたを兵器として扱った。でも私にはそんな真似はできませんよ。…あなたには生きていてもらわないと、それこそ私は耐えられない。インビエルノ海軍は南方大陸で一番強大な海軍です。KAN-SENとはいえ、あなた1人では荷が重い。」
インビエルノ海軍の持つ戦力はあの戦艦『コクレーン』だけではない。
全て通常型の戦力とはいえ、軽巡洋艦を4隻、駆逐艦5隻、魚雷艇や掃海艇に至ってはその2倍はいる。
空母こそ保有していないが海軍航空隊もいて、タマンダーレの艦歴…"セントルイス"時代の戦績を鑑みたとしても少々荷が重く思えるし、私にとっても大切な女性をそんな賭けに出すつもりはない。
彼女を犠牲にするくらいなら、あの厄介な弁護士連中を葬り去った方が幾分かマシに思えた。
「タマンダーレさん、心配してくれてありがとうございます。でも、私ももう昔のように子供のままじゃないんです。こういった判断を迫られる場面は、今避けても次から次へとやってくる。その度にベソをかいてあなたに抱きつくわけにはいかない。」
「アドリアン…!……」
「この前あなたが言った通り、私は"大丈夫"です。ご協力が必要になる時はあるかもしれませんが、今はその時じゃない。…身勝手なのは分かりますが、今は私を信じてください。」
私は生まれて初めて、自分のほうからタマンダーレと離れた。
彼女の、少しばかり理解が追いつかないかのような…そんな悲しげな顔が私の良心に刃を突き立てる。
だがそうする他ない、いや、そうしなければならない。
「……待って!…待って、アドリアン!まだ話してる途中でしょう!?」
「すいません、タマンダーレさん。私にはやらねばならないことがあるんです。」
愕然とするタマンダーレをその場に残し、私は歩き出す。
良心は号泣していたが、しかし、もう良心に耳を傾けておくわけにもいかなかった。
私の地位を守るため。
私の命を守るため。
そしてそらは彼女の身を守る事にさえ繋がるのだから。
あの科学者は何と言ったかな。
あの新型爆弾を開発したユニオン科学者だ。
ああ、そうだ。
確か彼はこう言った。
「私は平和主義者だが、やらなければならないことがある。」