「ピアノバーのステージで歌う、ですか?」
仕事の概要を記された書類を手に、歌織が少しの動揺を言葉尻に滲ませた。
窓から差し込む春の陽光は暖かく、レッスンルームを包み込むように満たしている。
プロデューサーは頷いて答えた。
「ええ。社長と音無さんがよく行く、上品な雰囲気のバーですよ。社長を通して、マスターから依頼があったんです」
同じく、プロデューサーから召集をかけられていた琴葉と星梨花も、その書類を左右から覗き込んだ。
二人も目を丸くして、どう反応すればいいのか掴めず、眉根をしかめる。
やがて、琴葉がプロデューサーに問う。
「依頼……ですか。仕事、とは言わないんですね」
「そうだな。この件に関しては、仕事としての強制力はないんだ。やってみてはどうか? というのがマスターからのオーダーだ」
星梨花が戸惑った様子で、少し俯く。
「あの……ここは、大人の方が休まれる場所なんですよね? わたしの様な子供が行くと迷惑なんじゃ……?」
「そこは気にしなくていい。厳しい言い方になるけど、求められているのは実力だ。それがあるなら、年齢は二の次って事だな」
「は、はぁ……」
プロデューサーの言葉に気圧された様子で星梨花は、また俯いた。
歌織が気を取り直して、言う。
「プロデューサーさん、歌う曲は?」
「これです」
プロデューサーはファイリングされた楽譜を三人に渡す。
琴葉がその曲名を、ぽつりと口にする。
「瞳の中のシリウス……」
それは、貴音、海美、まつり、美也が歌った曲で、今も人気の根強いバラードだ。
歌織が楽譜に目を通しながら、呟く様に言った。
「なるほど、この曲ならバーでも浮く事はありませんね……。それで、集められたのが私達三人だと言うことは、つまり……」
ぶつぶつと何かを言う歌織に星梨花は不思議そうな表情を向ける。
琴葉も同じ様な顔をしており、歌織はプロデューサーへ向き直る。
「プロデューサーさん、今回の依頼で求められているのは、合奏……ですか?」
プロデューサーは首肯したが、琴葉と星梨花は意味を拾いきれなかったらしく、ぽかんとしている。
歌織が琴葉へ視線を投げて答えた。
「琴葉ちゃんが、歌い手。そして」
今度は星梨花へ手を向ける。
「星梨花ちゃんは、ヴァイオリンで。そして私は」
最後に、歌織は自分の胸に手を当てる。
「ピアノを担当し、演奏する。そういう事ですよね?」
プロデューサーはもう一度、頷く。
「はい。先方からアイドルの指名こそありませんでしたが、俺が相応しいと思う三人と曲を選んだつもりです。演奏の構成も歌織さんが示してくれた通りです。……後は」
プロデューサーは三人の顔を見渡す。
「みんながこの依頼を受けるかどうかを、決めて欲しい」
三人は顔を見合わせる。
不安はある。
自信だってそれほどある訳ではない。
でも、いつもとは違う環境で自分の力を試すことができる。
この業界に入って身に染みた実感だが、同じチャンスが二度来る事は、奇跡の様な偶然を除いて有り得ない。
ならば、答えは一つだった。
三人は視線でそれぞれの意思を確認して、頷いた。
歌織が代表として、その答えを口にする。
「プロデューサーさん、この依頼、お受けします。……いえ、依頼ではなく、仕事として、やらせて下さい」
その言葉に、プロデューサーは大きく頷いた。
「分かりました。いつもとは違う雰囲気と舞台でのパフォーマンスです。……気合を入れていきましょう!」
プロデューサーが勝気な表情で拳を握り、三人は口元を引き締めてる事で、固い決意を伝える。
それを確認し、プロデューサーは、ぴっと右手の人差し指を立てた。
「で、ユニット名だけど……『アルファルドの花』、でどうだろう?」
聞き慣れない単語に、三人は首を傾げたが、脳内検索に引っ掛かるものがあった歌織が顎に手を当てる。
「アルファルド……。うみへび座で最も明るい恒星ですね。確か意味はアラビア語で、『孤独』……?」
「はい。一般的には、それでいいんですが、意訳として、『極限』という説もあります」
「へぇ……。初耳です……」
感心する歌織の隣で、『極限』という語感が気に入ったのか、星梨花が目を輝かせて、両拳を胸の前で握らせた。
「『極限の花』……。なんか、カッコいいですね! 私、言葉の響きも好きです!」
琴葉もまんざらでもない様子で、「私もいいユニット名だと思います」と頷く。
プロデューサーが、ぱんと手を打って、総括する。
「よし、名前はそれで。……じゃあ、このメンバーで企画を動かすから、よろしく頼むぞ、みんな!」
プロデューサーが促し、三人も、「はい!」と胸を張って答えた。