そして、プロデューサーが提案をしてから三日後に迎えた、合同レッスンの一日目。
昼と夕方の仕事を終えた三人は、申し合わせた時刻に、タブレット端末の無料通話アプリを立ち上げた。
歌織がプライベートで使っているグランドピアノや、星梨花のヴァイオリンはそれぞれの自宅にしかない為、二人は帰宅している。
琴葉は担当する楽器が無いので、劇場のレッスンルームで準備を整える。
今日は初日という事もあって、プロデューサーも琴葉に連れ立って参加しており、端末の画面は四分割されていた。
歌織は落ち着いた様子で、ピアノの鍵盤に指を添わせ、顔を上げる。
「じゃあ、始めましょうか」
琴葉と星梨花は頷く。
プロデューサーは、レッスンルームの椅子に座り、緊張した面持ちで事の推移を見守っていた。
「まず、現状の確認から。琴葉ちゃん、星梨花ちゃん、どの位、でき上がってる?」
「私は……歌詞は頭に入れましたけど、メロディーまでは……」
「わたしも、譜面を読みこんでいる途中、です……」
歌織は、「うん」と頷く。
「なら、一度、譜面を見ながら通して演奏してみよっか」
そう言いながら、メトロノームを取り出し、指先で振り子を動かす。
かち、かち、かち、という正確な音が響き、イントロが始まる。
出だしは歌織の囁くようなピアノから始まり、琴葉のボーカルが、それをなぞる様に滑り込んだ。
『星明り照らす キミの横顔を』
琴葉は、内心で、「よし」と拳を握る。
悪くない走り出しだ。
歌織は何かを確かめるかの様に、旋律を奏で続け、琴葉が物語の序章であるAメロを淑やかに歌い上げる。
やがて差し掛かったBメロで、星梨花がヴァイオリンの弓を走らせた。
ボーカルを引き立てる様に、前面に出る事はなく、あくまで裏方に徹するイメージで弦を鳴らす。
以前、プロデューサーに説明した通り、三人はファースト、セカンド、サードの役割を崩さないまま、最後まで演奏を終えた。
プロデューサーは心の中で感嘆する。
話を持ってきてから、まだ三日なのに。
琴葉と星梨花は、まだまだ、という口調だったのに。
充分、聞く事のできるレベルまで仕上がっている。
これなら二週間あれば、余裕ではないだろうか。
歌織は鍵盤から指を離し、タブレット端末へ向いて、変わらない口調で言った。
「今度は三回連続で、いきましょう」
琴葉か、星梨花の口から、「え」という声が漏れる。
意図が掴めない二人を尻目に、歌織は鍵盤へ指を添える。
そして始まる二回目の演奏。
同じ曲を連続の演奏。
琴葉と星梨花は、緩んだ気を結び直す為に、大きく息を吐く。
流されるな。
通常のレッスンでだって、この位の事はある。
焦らなければ、いける。
事実、二人は手堅く、手堅く譜面を走り、三回の演奏は終わった。
歌織は、ふむと手を顎に当てて少し考えて、言った。
「気になる所はいくつかあるけど、それよりも今は足並みかな……。琴葉ちゃん、星梨花ちゃん」
琴葉と星梨花は真摯な眼差しでその言葉を受ける。
「スタンスとしてだけど、演奏は自分のやりたいようにやった? それとも、聞いてくれる人の為?」
二人は少し考えて、琴葉、星梨花の順に答える。
「私はお客さんの為に」
「わたしもです」
歌織は、「なるほど」と頷いた後、顎に手を当てて考える。
その様子に、琴葉が不安そうな口調で問う。
「あの……解釈が間違っていましたか?」
歌織は表情を崩して、答えた。
「ううん。そんなことはないわ。ただ、今回の仕事はいつもと客層が違うでしょ? だから、『やるべき事をやる』と、『やりたい事をやる』の天秤のバランス調整は必要だと思ったの」
星梨花が首を傾げる。
「バランス……ですか?」
「ええ。個人的には、『やりたい事をやる』方へ舵を切った方がいいと思うけど……。どうでしょうか、プロデューサーさん?」
急に話題を振られたプロデューサーは驚いた素振りを見せたが、社長と共に行ったバーの雰囲気と、歌織が自衛隊の基地で歌の仕事をしていた過去を思い出し、頷いた。
「歌織さんが、そう言うのなら、俺からは何も。そこを疑ったことはありませんから」
プロデューサーの言葉に、歌織はちょっと視線を逸らして、頬を掻きながら答える。
「嬉しい言葉を、どうも。……と、いうワケで、『やりたいようにやる』方で攻めようと思うんだけど、二人はどう?」
琴葉と星梨花は、姿勢を正して頷く。
歌織は微笑む。
「決まりね。……じゃあ、これからの時間は全て技術的な問題の解決と、解釈の修正に当てましょう。一つ一つ潰していくイメージで」
そう言って、歌織は譜面へ修正点を書き込み始め、二人もそれにならう。
「まずBメロ。ボーカルとピアノにヴァイオリンが交わる所から。この曲は終盤に向かっていくにつれて、物語が展開されていく構成だから、中盤までの低音はピアノが支える。だからヴァイオリンの主張は控えめに―――」
こうして、普段の歌織からは、想像もできない厳しさを持ったレッスンは始まった。
プロデューサーは三日前の、歌織の言葉を思い出していた。
これが彼女の言う、『厳しく、徹底的な』という事なのだと。