アルファルドの花   作:キョクアジサシ

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シリウスが導く光の先に

「うん、よく似合ってる。準備万端って感じだな」

 

 そして迎えた、ステージ当日。

 陽が沈み、夜の帳が降り始めた頃、控室でノースリーブのロングドレスへ着替えた琴葉、歌織、星梨花にプロデューサーは満足げな様子で頷いた。

 色はクリアブルーで統一され、店や『瞳の中のシリウス』の曲調に合わせた雰囲気作りは、ひとまず成功と言った所だろうか。

 ドレスの肩の裾を掴みながら、歌織が問う。

 

「プロデューサーさん、結構、お金かけました?」

 

 プロデューサーは苦笑する。

 

「ええ。折角だから、奮発しました。こういう機会は中々ないでしょうし。……琴葉と星梨花は、どこか気になるところとかないか?」

 

 プロデューサーの問いに、琴葉と星梨花は満足げに頷く。

 琴葉が答えた。

 

「背中を押された気分です。少し、力んでしまいそう」

 

 そう言ったが、程よい緊張感があるらしく、繰り返す呼吸に息苦しさはない。

 歌織と星梨花も同じ様で、発声練習をしたり、背伸びをしたりして、不必要に背負い込んでいる様子もないので、プロデューサーは胸を撫で下ろした。

 

「じゃあ、俺はフロアで見てるから。社長と音無さんはカウンターからだって。……後はお願いします、歌織さん」

 

 控室から出て行くプロデューサーは一度、軽く頭を下げると、歌織は微笑んで会釈し返した。

 プロデューサーが去った後、三人は何度か深呼吸して、出番を待つ。

 やがて、アルバイトのフロアスタッフが、「お願いします」と三人へ声を掛けた。

 琴葉は胸に手を当て、高鳴る鼓動を感じつつ、歌織と星梨花に視線を投げる。

 歌織がいつも通りの口調で言った。

 

「じゃあ、行きましょうか。……出し切って、楽しみましょう!」

 

 三人は、ぱんと右手でハイタッチして、控室を出る。

 薄暗く、狭い従業員通路を通って、淡い照明の照らすフロアへ。

 琴葉はいつもより高めの客層の視線を認めて、身体の強張りを感じるが、努めてそれを押し殺す。

 こういう時こそ、いつも通りに。

 その為に、レッスンをしてきたのだから。

 徐々に強くなる鼓動と、手足の震え。

 呼気が荒くなって、くらりと軽いめまいを感じるが、下唇を噛んで平静を保つ。

 そして、琴葉は持ち場のセンターに立ち、歌織はグランドピアノの前、星梨花はヴァイオリンを手に取った。 

 顔を上げると、いつも以上に近い位置で、壮年、高齢の男性客、女性客の表情が見て取れて、息を飲む。

 淡々と値踏みする様な視線が、痛い。

 プロデューサーが言った通り、求められているのは、年齢ではなく純然たる実力だ。

 琴葉は一度だけ、視線で二人とタイミングを合わせて、姿勢を正す。

 顔を上げて言う。

 

「聞いて下さい。……『瞳の中のシリウス』」

 

 数拍置いて、歌織のピアノによる前奏が入る。

 密やかに、囁くように、静かな導入が奏でられ、観客の興味を誘う。

 歌織の旋律はレッスンの時のそれと変わらない。

 三人で何度も譜面をさらい、作り上げた一つのイメージを再現する演奏が、琴葉の心に流れ出す。

 

『星明り照らす キミの横顔を』

 

 開いた琴葉の口から、言葉が零れ落ちる。

 Aメロはほぼ、琴葉と歌織のみのパートだ。

 アカペラとピアノ。

 シンプル故に、ごまかしの効かない構成だ。

 怯みそうになる自分の心を、琴葉は鼓舞する様に声を出す。

 幸い、歌織のピアノの低音域に迷いはない。

 多少、音を外してしまったとしても、フォローは入ると分かっているので、安心して歌える。

 やがて、差し掛かるBメロに、星梨花のヴァイオリンが走る。

 

『そんなに優しい微笑みの理由が』

 

 徐々にメロディーに厚みが出て来る。

 ピアノの低音とヴァイオリンの高音が、琴葉の声をリードする。

 琴葉の頭には、常に譜面がある。

 二人の演奏が、その指示から外れることはない。

 その音を背に歌えることのかけがえのなさを感じつつ、琴葉は旋律と歌詞に心を込めて歌い上げる。

 歌織はそんな琴葉の歌を聞きながら、考えた。

 ここまではいつも通り。

 そう、いつもなら、この辺りから琴葉の声には陰りが見られる様になってくる。

 多分、音符を拾う技術や、お腹の奥からの発声、譜面の解釈に不足があると自覚しているのだろう。

 高いハードルを据えた故の評価だとも思うが、その面倒くささこそ、『田中琴葉』の個性だから、歌織は口を挟まなかった。

 一朝一夕で何とかなる問題でもないが、あの『掃除』をしてから、足りないながらも、何か他に切るカードを得た様な素振りが見えたのだ。

 一瞬、歌織は星梨花へ視線を投げると、それがぶつかったので、彼女も琴葉の『何か』を待っているのだろう。

 そして、最初のサビへ入る。

 

『溢れる 溢れる 瞳のシリウスが 煌めいて』

 

 突然、密やかだった琴葉の声が、低音と高音を包み込むスケールを持って、フロアを満たした。

 ざわ、と観客に動揺が走る。

 今まで、正面から歌を聞いていたのに、不意に背後を含む、頭部全体を押さえられた様な感触を覚えたからだ。

 イメージとしては、目の前のスピーカーから聞いていた平面の音が、オールアラウンドのヘッドフォンへ変わったかの様な耳触り。

 当然、歌織と星梨花も驚きを隠せない。

 急な、この変化を……どうやって?

 普段のレッスンで実力を隠すタイプではないし、Aメロ、Bメロの声質はいつも通りだった。

 歌織は戸惑いを感じつつ、ヒントを探して、周囲へ視線を走らせる。

 

『天体を駆けていくよ ホラ、見えるでしょう?』

 

 そうこうしている間に、最初のサビは終わり、琴葉の歌声が元へ戻る。

 戻る、ということは、サビの音量、音質の増加が偶然ではないということ。

 音に緩急を付ける為の、トリックがあるということだ。

 星梨花もヴァイオリンの弦を走る弓が、焦れていることを感じつつ、思考を巡らせていた。

 技術的な面で、琴葉が不安を覚えているのは知っていた。

 ステージまで日数もなかったし、もし自分がその立場だったら、どう克服すればいいのだろう、どう現場を乗り切ればいいのだろう……と背筋を寒くした記憶もある。

 だからこそ、今、田中琴葉のしている『何か』が理解できず、戦慄を覚えていた。 

 それは怖れであり、同時に歓喜でもあって、星梨花の子供らしい好奇心が揺さぶられる。

 できるのだ、恐怖の克服は。

 努力でもなく、技術でもない、何かがある。

 星梨花の心を欲求が満たす。

 答えが知りたい。 

 ステージを降りてからではなく、今、オンステージの内に。 

 でないと価値がない。

 その欲求を自覚した星梨花のヴァイオリンの音が、高音の中で幅を持ち始める。

 譜面の指示から外れず、高音の中のピアニッシモとフォルテッシモにメリハリが出始める。

 音に、奥行きが生まれつつある証拠だった。

 それぞれに思考を巡らせながら、二度目のサビを迎える。

 『瞳の中のシリウス』は、AメロBメロCメロ、そしてAメロBメロ、間奏後、アウトロ……つまりエンディングのサビで構成されている曲だ。

 だから次のサビが声量を増やす為に琴葉のしている何か……ギミックを探す、最後のチャンスとなる。

 

『溢れる 溢れる 瞳のシリウスが 煌めいて』

 

 再び、琴葉の歌声が立体感を持つ。

 観客は息を飲み、グラスを傾けることも忘れて、その旋律に身を委ねている。

 格好としては、琴葉に良い所を持って行かれている状況の中、トリックに気付いた歌織は、口元に微笑みが浮かんでいる自覚を持つ。

 なるほど、『反響』か。

 同じ結論にたどり着いたらしい星梨花は、どこかくやしそうに唇を尖らせている。

 実際にやっているところを見れば、仕組みは一目瞭然だ。

 琴葉は、A、B、サビに合わせて反響させる声質と量を変えている。

 具体的に言えば、天井や壁や窓の位置と質を把握して、観客へ返って来る音を計算し、立体感と奥行きを演出しているのだ。

 それ自体は珍しいことでもない。

 世の大物アーティストの多くも、コンサートホールが変われば、アカペラで声出しをして、反響の具合を念入りに確認する。

 客席を歩きながら、やる人もいて、あの『掃除』の様に傍からは不審に見えるだろう。

 だが、規模がどうであれ、年季や季節や動員数で歌い方を変え、よりファンに楽しんでもらうライブ作りをするのは当然のことだ。

 アーティスト側から見れば一年の内に何十と歌う曲であっても、ライブへ足を運ぶファンにとっては、年にたった一度の特別な日かもしれないのだから。

 歌織と星梨花も、同じチャンスが二度巡って来る事は、ほとんどないという自覚はあった。

 それを分かった上で、この案件を受けたつもりだった。

 だが、劇場とは環境が違うということの意味の理解が一歩、及ばなかった。

 努力が足りなくて、技術も拙いのなら、現場の工夫で補えばいい。

 未熟な自分を変えられないなら、魅せ方を変えて、自身を演出すればいい。

 そういう視野の広さと、鉄火場経験の足りなさを自覚した星梨花のヴァイオリンの演奏に感情が乗り、調べの鋭さが増していく。

 琴葉と星梨花のハーモニーが生まれ変わり、観客の背筋に冷たいものが走った。

 そんな二人の演奏の下支えをしながら、歌織は苦笑する。

 何と言うか、これ、トレーナーがいなくても、『やりたいようにやる』になっていたんだろうな、と。

 まだ自覚は薄いだろうが、彼女達が彼女達である限り、最後には、そこへ行きつくんだろうな、とも。

 

『零れる 零れる 瞳の シリウスが揺らめいて』

 

 そして最後のエンディングへ入る。

 琴葉はギミックを隠さない。

 自分の思い描ける最高のスケールを以て、このフロアを歌声で満たすだけだ。

 星梨花はその旋律を、走る弓で追いかけ、歌織のピアノが地盤を固める。

 身体が熱を持ち、心も満ち足りていくのを、琴葉は実感する。

 後は、声を出して走り切ればいいだけだ。

 この二人なら、何をやっても呆れずに、付いて来てくれる。

 プロデューサーに言った通り、自分はどこまでも面倒くさい完璧主義者だ。

 でも今はそれが、こんなに誇らしい。 

 歌織のピアノが心強い。

 星梨花のヴァイオリンが心地いい。

 頬を流れる熱い汗を感じながら、琴葉は思う。

 私は今、幸せだ。

 だから琴葉は安心して、最後のフレーズに身を任せた。

 

『夢も満ちる だからもう大丈夫』

 

 


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