シンちゃん、シンちゃん、大好きよ!   作:しゅとるむ

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第二話 シンちゃん、シンちゃん、許してね……

 

 明城学院附属の昼食派閥は学食派、購買パン派、コンビニ派、自作の弁当派の四つに大分される。

 

 僕と明日香は弁当派。僕が明日香の分の弁当も作ってる(今日のお弁当は明日香の大好きなポークビッツやミートボールを入れた)。明日香の分まで作る理由?要するに最初の動機は餌付けだったのだ。

 

 僕と明日香は許婚だから、いずれは結婚する事になる。下手すれば、十八歳になった瞬間に入籍ということで、高校在学中かも知れない。色々と抵抗した末、僕はもう諦めているが(親同士の色々な事情があるのだ)、このままでは無茶苦茶で我が儘な明日香の尻に敷かれるのは目に見えている。

 

 だから弁当で餌付けをしようと始めた事だった。僕の料理で胃袋を掴んで、大事な局面では逆らえないようにする。料理なんか本当は好きじゃないけど、料理マンガばかり読み込んでいるのはそのため。やや遠大な計画だ。

 

 今、僕らは男子5人、女子5人のいつものグループに分かれて、机をくっつけて昼食を取るところだ。

 

 僕以外の男子は、相田剣介(ケンスケ)がコンビニ派で、鈴原冬二(トウジ)が購買パン派、加持良治(リョウジ)が僕と同じく弁当派で、渚薫(カヲル)が水派だ。

 

 ……なんだよ水派って。新派閥爆誕か……一人だけの軍隊か?

 

「渚は、どうしていつも水なの……」

 

 大きなグラスをどんと目の前に一つだけ置いている渚薫に、今まで何となく聞きづらかったことを遂に聞いてみる事にした。みんな凄く気になってただろうけど、聞きたくても聞けなかったと思うんだよね……

 

「金が無くて……昼はいつも抜きなんだ。真嗣クンはいつも弁当でいいね……」

 

 ああ、もうそのまんまなんだね。聞いて悪いことをした……

 

 弁当は人類の文化だね、とかそんな事をブツブツ言っている。渚の家はあまり豊かではないらしく、渚の頭が抜群に良いので奨学金でここに通っているが、生活費を相当切り詰めているみたいだ。哀れみを誘うなあ。

 

「あの良かったら、僕が渚の分も作って……」

 

 差し出がましいようだが、弁当を2つ作るも3つ作るも同じかと、そう水を向けたら、向こうの女子たちの島から明日香が凄い剣幕で反対してきた。

 

「駄目よ!シンちゃんのポークビッツはアタシだけのものなんだから!」

 

 周囲が当然、ざわめく。まあ、定番メニューで毎回入れさせられているソーセージの話をしているだけなのだが、聞きようによっては卑猥な発言にしか聞こえない。みんな多感な思春期だしね……。僕は立ち上がって、明日香の代わりに、周囲に向かって頭をペコペコ下げる。

 

 ─すみません、そういう意味じゃないんです。そもそも僕のモノはポークビッツじゃありません。あんまり明日香に言われるから、つい不安になって(ちくしょう)こないだ夜中にちゃんと計りましたが(計ってる間、こんなことをしている自分が惨めだった……)全然違いました。それは明日香の妄想です。寝ている間にこっそりサイズ測定されたりはしてなかったんです。……本当に良かった。僕はポークビッツじゃなかったんだ。ここにいてもいいんだ。それにしても明日香め、僕を何だと思ってるんだ。なんて失礼な……

 

 そういう想いを込めて、頭を下げてるんだが、皆には伝わってくれたかな。明日香には伝わってくれたかな?

 

 あ、さっそく明日香からハンドサインと、口パクで伝言だ。何々?

 

 僕の事を指さして、「シンちゃんの」

 中指を立てて(下品だなあ)、「ナニが」

 親指と人差し指の間を関節一つ分、広げる仕草で、「ポークビッツでも」

 目を瞑って、手を胸に当て、それから両手を合わせてハート型を作り、「愛してる」

 

(シンちゃんの……ナニが……ポークビッツでも……愛してる)

 

 やかましいよ!……いずれ誤解を解いて、ビックリさせてやる。

 

 にしても、明日香は顔だけはいいから、なんとか中身を変えられないかなあ……

 

 そんな事を考えていると、渚薫が頭を下げていた。ああ、弁当を作ってきてあげようかという話が途中だったね。

 

「気持ちだけ貰っておくよ、真嗣クン。水もしばらく置いておくと、ボーフラみたいなのが湧いてきて、少しは飲み応えが増すこともある……それも寂しいけど、何だかいいね」

 

 くぅ、ツッコミ気質の人間として、ツッコミたくてたまらない。でも疲れるだけだから、僕は少しだけ哀しそうに眉を顰めて、頷いてやった。

 

「しかし、碇もそうだが、リョージの弁当も手が込んでるな。出汁巻き卵に昆布の煮染め、里芋の煮っ転がし、筑前煮……」

 

 ケンスケがそういって、加持良治の広げている弁当箱を指さした。

 

 極めておばあちゃんっぽいメニューだが、一つ一つ丁寧に作られているのが分かる。確かに美味しそうだ。

 

 ケンスケがちょっと羨ましそうなのは、毎回コンビニ弁当だからでもあるだろう。コンビニ飯は割高なのになあ……。まあ、親父さんが有名な電機会社の社長とかで、小遣いには困ってないんだろうけど。うちの高校の学費は高いので(無償化でも私立は公立との差額は払う必要があるのだ)どちらかといえば、ケンスケみたいな「良家の坊ちゃん嬢ちゃん」が多い。僕も明日香もそれに属するんだろうけど。

 

「これ、全部リョージが作ったの?」

 

 僕が尋ねると、ああ、と加持良治が頷いた。

 

「オレのは真嗣のと違って、単なる夕食の残り物の詰め合わせさ。オヤジと二人暮らしだからな。飯ぐらいは自分で作れないと」

 

 加持良治の親父さんは、有名な作家で「加持リョージ」というペンネームで知られている。ちょっとややこしいが、自分のペンネームを息子に実名として付けたらしい。親父さんの本名は良一とかいうのだそうだ。

 昔は直木賞とかそういうレベルの賞をわんさか取っていたが、今はあまり本を書かずに女遊びばかりしているらしい。それで良治の母親もだいぶ前に愛想を尽かして出て行った、ということらしい。

 

 ……そのお母さん、今はどこで何をしているんだろう。

 

 それはともかく、彼は本当に爽やかだ。性格も優しくて真っ直ぐで、声も爽やかで、マスクも甘い。自分で言うのもなんだけど、顔で言ったら、クラスの男子では僕と渚と加持でスリートップだろう。その中でも加持は醤油顔のイケメンだった。童顔なのでちょっとショタ寄りと思われてる僕や、いかにも中性的な美少年といった風情の渚より万人向けで、さぞや女子にモテるだろう。

 

 僕は明日香が「シンちゃんはアタシのもの!手を出す女子は殺す!」的な剣幕だから、せっかく顔がいいのに全然モテないよ。モテたいなあ。毎週のデートとかで女子をとっかえひっかえしたいよなあ。毎週デートが明日香だけとなんて辛すぎるよ。明日香からはセクハラばっかりだし。

 

 前に家でそんな愚痴をこぼしたら、明日香にグーパンチを貰ったんだった。それから、

 

「シンちゃん、ちょっとここおいで」

 

 明日香はポンポンと自分の膝を叩く。

 

「え、何?」

「いいから。膝枕してあげるから、されながら話を聞いて」

「えぇ……」

 

 すごく恥ずかしい事を強要されている。僕がしぶしぶ明日香の膝の上に頭を乗せると、明日香はいきなり僕の下半身に手を伸ばし、ズボンの上から、僕の股間をさわさわと撫でてきた。

 

 セクハラぁ!

 

「あのね、シンちゃん。フィアンセの場合にも、貞操義務があるのよ。シンちゃんのこの象さんを勝手に使ったらいけないの。ここはアタシと結婚した後の為に未使用で取っておくの。わかる?アタシも未使用でシンちゃんの為に取っておいてるのよ。だからちゃんとして」

 

 まあそれは分かってるけど、ちょっと大袈裟過ぎる。それはそうとして「象さん」を撫でられるのは、悪くないような……

 

「いや、あのね明日香。モテたいとか他の女の子ともデートしてみたいとかは、別にそこまでいやらしい話ではなくて……」

「シンちゃんのミートボール、握り潰してもいい?」

 

 むにむにと僕の二つの玉を掌の中で転がしながら、明日香は言った。ズボンの上からでも気持ちがいい。恐怖と隣り合わせの快感。危ない何かに目覚めてしまいそうだ。

 

「いいんだよ、シンちゃんが好きな方を選んでね。アタシを選んで男の子のままでいるか。……他の女を選んで男の子をやめるか」

「えっと流石に冗談だよね」

「チャレンジしてみる?」

 

 ごめんなさい……もうモテたいとかは言わない。

僕は男でいたいので、速攻、明日香に謝りました。

 

「……ごめん、浮気とかはしないから。モテなくていいから……」

「よろしい。アタシもしないからね。シンちゃん一筋!」

「うん。ありがとう……でもさっきの本気だったの?」

「まさか。答えを間違えたら、内出血するぐらい、つねってやろうとは思ってたけど。でも本当に浮気したら、そのぐらいやるかもね」

 

 もう浮気は絶対出来ない……ボールを守らなくちゃ……。

 

 

「しかし、女子たちはみんな弁当かいな。ちんまいのでよく腹が持つなぁ」

 

 イントネーションも怪しい似非関西弁でそう言ったのは、鈴原冬二。最初は、そのいかがわしい関西弁もどきに眉を顰め、高校デビューのキャラ付けなのかと思ったら、彼のお父さんの経営する会社(そんなに大きくはない)が関西圏にあるので、東京育ちのトウジも次期社長として取引先への挨拶などで関西弁を強いられ、むちゃくちゃな言葉になっているらしい。彼は生粋の購買パン派だ。購買でパンを買うのって高校生男子としては、ちょっと憧れるよね。

 

「まあ、確かに女子は弁当派が多いけど……」

 

 僕の作った弁当を食べている明日香はもちろん、自分で作ったと思われる小さなお弁当箱をついばむようにして食べているのは、明日香の友達の洞木光に、霧島愛。周囲から隠すようにしてちょっと恥ずかしそうに食べているのが可愛いよなぁ。

 

 洞木光……ヒカリは明日香がクラスで最初に話しかけた女子らしく、温厚で極めて常識人だ。それを見込まれたのか、クラスの学級委員長にも選ばれた。トウジのことが好きらしいのがバレバレなんだけど、間違っても「鈴原のシャウエッセン!」とか言いそうにない実に清楚な女の子だ。まあこれに関しては全面的に、そうでない明日香がおかしいんだけどね。

 

 霧島愛……霧島マナの場合はもっと複雑だ。マナは入学初日に僕にラブレターをくれた積極的な女の子だ。僕はそれを後で読もうと鞄の中に隠しておいたのに、鞄をチラチラと見て気にしている僕の態度から、明日香は目ざとくそれを見つけてしまった。帰宅してから明日香の拷問まがいのくすぐり&電気あんま刑の末、僕は無記名のラブレターの差出人を自白してしまう。明日香は翌日からマナを自分のグループに引き込もうとして動き回り、最初はマナに警戒され、次に敵視され、最後にはげんなりされて、結局はしぶしぶながらであったが、明日香のグループに入ることに同意させた。

 

「シンちゃんを好きになれるってことは見所のある女なのよ。アタシのシンちゃんの価値が分かるんだから。アタシはそういう女とは仲良くするの」

 

 まあそれは嘘ではないのだろうけど、むろん、監視も兼ねてるんだろうな。とりあえず明日香には逆らわない方がいいと思う。明日香の行動力はヤバい。

 

 もう一人、グループには、真希波真理という眼鏡女子がいる。彼女は珍しく、明日香からではなく、彼女の方から明日香に近づいてきたという。明日香を姫と呼ぶ変わった子だ。明日香のお父さんたちの会社の企業城下町出身、って訳でもなさそうだけど……?

 

 トウジと同じく購買パン派だが、今日の彼女はスペシャルサンドをはむはむと食べていた。

 ソフトなロールパンにミルククリームと甘酸っぱいあんずジャムをサンドしチェリーを型どったゼリーをトッピングしてあるパン。美味しいんだよね。

 

「わんこクンもスペシャルサンド半分食べるぅ?」

「ありがとう!でもいいや……」

 

 でも僕はスペシャルサンドの丸いゼリーより、二つのボールが大切だから、遠慮します。明日香が睨んでるしね。

 

 真希波も非弁当派だが、ここには更にもう一人重要な例外がいる。僕はそれを指摘してやる。

 

「よく見なよ、トウジ、綾波を」

 

と、僕は綾波を指差した。綾波麗。シャギーの入ったショートカットがトレードマークの、活発、元気な少女だ。クラスの中では男子に一番人気。明るくて、本当にやることなすこと、可愛いからね。

 え、明日香?「シンちゃんのポークビッツ!」とか叫ぶ女子に、人気があると思う? 最初は見た目で明日香も大人気だったけど、その後、人気は僕関連のあやしい、いやらしい言動で暴落した。たぶん、クラスで女子の人気投票とかあったら、一票しか入らないよ。フィアンセだから僕は入れてあげるからね。

 

「あ、あれはッ……まさかッ」

「そう、吉野家のスタミナ超特盛丼。吉野家史上最大のボリューム!牛肉、豚肉、鶏肉を醤油ベースににんにく風味だれで仕上げた。アレだけで1,665kcalの化け物だよ」

「テイクアウトもできるんやな……わしも食べたことあるが、女子でアレに挑戦するか。勇ましいやっちゃなあ」

「ちょっと男子ー。何か文句でもあるのぉ?大丈夫よ、ラクロスでちゃんとカロリーは消費するから」

 

 綾波がむくれている。機嫌が悪そうにしていてもちょっと可愛い。あと、放課後、ラクロス部で練習してる姿を時々見に行ってるけど、それも可愛い。スコートが短めで可愛いんだ。明日香の目を盗んで危険を冒す価値はある。

 

 街道沿いに吉野家があるから、自転車通学の綾波はよく吉野家のテイクアウトを買ってお昼に食べている。確かに色んな意味で勇ましくて、僕は好きだな。

 

「お肉好きだよね、綾波」

 

 僕がそう声を掛けると、綾波は顔を綻ばせて、

 

「うん、超好き!牛肉も豚肉も鶏肉も大好き!そうだ、今度みんなで週末にバーベキューでもやろうよ!」

「あ、楽しそうね!やろうやろう!」

 

 明日香が綾波の提案にすぐ乗ってくる。綾波はクラスで男子からの人気ナンバーワン女子だが、明日香は別に男子からの人気に関する対抗心とかはないらしく、二人は結構仲が良い。

 

「で、幹事は、ヒカリと鈴原ね!」

「え、アタシ!?……鈴原と?」

 

 それは二人に触れ合う機会を与えてやろうという明日香なりの気遣いらしかった。

 

 ヒカリは立ち上がって顔を赤らめ、困ったような顔でトウジを見た。それに対するトウジの反応を見ると、トウジも満更ではなさそうだ。

 

「決まりね!」

 

 明日香はこういう周りの人間関係の外堀を埋めるのが巧いんだよな。

 

 自分の生き方はあんまり上手くないのに……。すぐに他人の幸せを自分の幸せより優先してしまうのに。

 

 そう思ってると、明日香が着信でもあったのか、スマホに目を落とした。しばらく黙って、画面を見つめていたが、顔を上げて、僕の方を見た。無言で左右に首を振る。それからスマホにメッセージが来た。

 

「パパがアタシたちの様子を見に来るって」

 

 僕が返信を返す前に明日香のメッセージは続いた。

 

「パパになんて、会いたくないよ」

 

 明日香のお父さん、いずれ僕のお義父さんになる人だが、正直冷たい印象のする人だ。もちろん僕への愛想はいい。それは僕の顔に、僕ではなくて、僕の両親の会社の財務諸表を見ているからだ。

 

 また、明日香と僕の仲を確認し、二人の結婚話を進めるのだろう。僕にとっても正直、積極的に会いたい人ではなかった。

 

「パパがシンちゃんを見る顔が嫌い。パパがシンちゃんの事を欠片も気にしてないのを見るのがイヤ……」

 

 最後のメッセージはこれだ。僕は明日香に何も返信してあげられなかった。

 

 だから、その日、僕は放課後、ケンスケたちと約束してた綾波のラクロス練習を見に行けなくなった。マナと「偶然」図書館で出会うことも、マリに駅前の商店街でちょっかいを掛けられる選択肢もなくなった。

 

 明日香が泣きそうだって、顔を見なくても分かったから。どんなに友達と笑いあっていても、明日香が泣きそうだって、僕には分かったから。

 

 

 夕焼け空の下、二人は手を繋いで帰宅の途についた。

 

「シンちゃん……あたしと初めて会った時の事、憶えてる?」

 

 先を行く明日香は、真嗣の方を振り向いて夕陽を背中にちょっと寂しげに微笑んでいる。

 

「うん……明日香は僕のことを親の仇のように睨み付けていたね」

 

 母親に連れられ、こちらを睨み付けてくる幼い明日香。当時は小学校の五年生ぐらいだったか。

 

「アタシには、婚約者になったシンちゃんが自分の貞操を未来に汚す、悪魔みたいに思えてたんだ。アタシは早熟だったから、何となく男が女に何をするのか分かっていたし、それが疎ましかった」

 

 なんでこんな冴えない奴と結婚しなくちゃいけないんだ、女の貞操は一方的に男の欲望に汚される。まだ小学生なのに、そんな男女の身体の違いへの偏見混じりの苛立ちや敵意があって、それをシンちゃんにぶつけていたのだ。

 今にして思えば、別にシンちゃんだって、好き好んで男に生まれた訳でもなかろうに。

 

「碇真嗣と惣流明日香の政略結婚を断固粉砕する同盟……か」

「あはは、そんなの作ったわねえ。けっきょく嫌な相手とでも協力しないとこの政略結婚は阻止できない、そう思ってしぶしぶ協力を始めたんだった。アタシが粉砕同盟の会長でシンちゃんが副会長。たった二人の叛乱軍……」

 

 碇真嗣の実家が率いる世界的企業集団Nerv、惣流明日香の両親一族が経営する国内随一のコングロマリットである式波グループ。両者の経営統合が始まったのが、ちょうど二人が生まれた頃で、二人は異質な歴史を持つ両企業集団の和合の象徴として将来が決められてしまった。二人が結婚すれば、やがてその間に生まれる後継者はどちらの企業集団にとっても、正当な後継者といえるようになる。そんな仕組まれた結び付き。当然、若い二人は反撥する。

 

 シンちゃん呼びだって、そのとき明日香が思い付いた親たちに対する偽装で、あくまで二人は許婚として仲良くなり、親の決めた縁談に刃向かおうなどとはゆめゆめ思っていない、そういう風に大人たちを油断させ欺瞞するための代物だったのだ。……初めはね。

 

「でもアタシが日和ってしまった。結婚に反対して妨害するための画策をシンちゃんと一緒に頑張っているうちに、アタシは相手がシンちゃんでもいいと思ってしまった。ううん、シンちゃんがいいと思えてしまった。だって、二人で一緒に何かをするのが嬉しくて愉しかったんだもの。だから、シンちゃんから見たらアタシは裏切り者だよね。一緒に、誰かに押し付けられたのじゃない、別の運命の相手を探そうと誓い合って、その為に頑張ってきたのに」 

 

 二人が結ばれないようにするための同盟。膝詰めで額を寄せ合って、若い男女二人が大人たちへの敵意や反撥を連帯感にして、叛逆作戦を毎日のように考えていた。だから、その同盟の成果は、当然、全く反対方向に向かってしまう。そんな事が分からないぐらい、二人は幼かったのだ。

 

 シンちゃんという呼び方だってそう呼び続けていたら、明日香には真嗣がシンちゃんだとしか思えなくなった。名が体を表すとばかりに、いつの間にか明日香にとってシンちゃんは、可愛くて可愛くてたまらない存在になっていた。

 

「シンちゃん、許してね……弱い、アタシを許してね」

 

 明日香はそう言って俯いた。足の動きも完全に止まった。

 

(明日香が謝ることなんて一つもない。僕だって「同盟」の趣旨を気持ちが裏切ってるのは同じだ。僕は明日香みたいに素直に気持ちを出せない。気持ちをそのままぶつけてくる明日香に正面から向き合わないようにして、取り繕って、表面的な明日香の言動に文句を付けて。単に男らしくなくて、卑怯なだけだ)

 

「……別にいいよ。明日香が笑顔になれるのなら。僕でいいのならそれでもいいし、僕がいやならそれでもいい。明日香の気持ちが一番だ」

「でも、シンちゃんは我慢してるんだよね……そのぐらい、いくらアタシでも分かる」

「僕が我慢してるのは明日香のセクハラだよ。明日香を我慢してるんじゃない。それはぜんぜん違う。違うんだよ」

「シンちゃん……」

 

 明日香の鼻の奥がツンとなった。

 

「もう、いっつも、そういう事言って、泣かせるんだよなぁ……シンちゃんは。だから予定が狂ってアタシが惚れちゃうんだよ。少しは反省しなさいよ……」

 

 明日香は顔を空に向けた。迂闊に涙が零れ落ちないように。

 

「ありがとう、僕を好きになってくれて……。でも、同盟はまだ生きてるんでしょ?」

 

 でなければ、真剣な顔をして、明日香が出会った時の話など持ち出す筈がない。

 

「うん、パパからの連絡を見てやっぱり思った。政略結婚は……やっぱり潰す。あんなの、ちゃんと潰そうよ。アタシとシンちゃんはそんなもので結ばれちゃいけないんだ。そりゃアタシも散々悩んだし、ちょっと勿体ないとは思うけど……」

「大人には理解してもらえないだろうな……僕だって正直、お互い相手に不満がないならそのまま結婚すればいいと思ってしまうもの。そうすれば皆に祝福してもらえる」

 

 真嗣にはまだ迷いがあった。家族や全てを捨てて僕は幸せになれるのか。家族や全てを捨てて明日香を幸せにできるのか。

 

「でも、今この瞬間の、大人になれてないアタシたちにしか理解できない大切なものがあるはずだよ」

 

 シンちゃんとの政略結婚はあくまで拒絶し、同じ相手のシンちゃんと駆け落ちする。それが明日香の思い描いてる未来航路だ。

 

 ─アタシは潔癖に過ぎるのだろうか?でもどうしても汚されたくない想い、というのがある。アタシはシンちゃんとの結び付きから、打算や他人の思惑を一切排除したかった。本当に好きな人だから、親から押し付けられたりはしたくなかった。

 

 夕焼け空にいわし雲が一面に浮かんでいる。あの真っ赤な空が何故だが明日香は嫌いだ。

 

「あんな空、嫌いだわ。あんな色の空はいや」

 

 好きな人と傷付けあったり、結ばれなかったり。そんな悲劇を予感させるような赤い色だ。そう連想してしまう理由は分からない。

 

 シンちゃんについついセクハラみたいに強引に迫ってしまうのだって、あれは男の身体への怖さが半分だ。男の身体を見くびるような発言で自分を鼓舞し、鎧っている。そして残り半分の理由は、手をつかねていたら想い合っていてもシンちゃんとは遂に結ばれない、そんな悲劇をつい予感してしまうからだ。どうしてそんな風に未来を悲観してしまうのか分からない。とにかく気が急いてたまらない。二人の間に確実なものを確立したいと願っている。

 

「そうかな。僕は赤はなぜだか、明日香の色って気がするけど。胸がざわついたり、苦しくなったり、切なかったり、色んな気持ちが混じるけど。でも明日香にはまた会える。こうやって、何度だって巡り逢える」

 

 だから、二人の手はこうしてしっかりと繋がれているのだ。

 

 そう、何度だって碇真嗣は、惣流明日香とは巡り逢える。だから、何一つ絶望することはない。焦ることだってないのだ。真嗣の腹も決まった。恐れるものは己の怯懦以外に、何もない。

 

「シンちゃん……」

「僕らの結婚話、二人で潰そう」

「うん、うん……」

 

 明日香は勢いよく頷いた。大好きなシンちゃんとの結婚話を壊す。自分たちの手で約束された幸せを潰す。その事を改めて考えると涙が止まらない。でも、シンちゃんはちゃんと理解してくれている。二人に大切なものが何かってことを。約束された幸せではなく、約束されていない二人の未来が欲しいのだ。

 

「アタシ、バカなことをしてるって分かってる。もしかしたら後悔するかも……だけど、ありがとう。ありがとう、シンちゃん……」

 

(僕と明日香の恋物語は、僕と明日香が結婚する物語じゃない。僕と明日香が結婚をぶっ潰す物語だ。僕らはきっとバカなんだろうね)

 

 僕と明日香は涙を流しながら、真っ赤な夕焼けの下、それから長い時間をかけてキスをした。


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