ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~ 作:KENT(ケント)
11話
雪が降っていた。
小島にリュカたちは立っていた。雪が積もっており、ところどころから草が飛び出している。白く染まる息が、宙に漂い消えていった。
白い息に引き寄せられるように視線を上げると、しんしんと降り続く雪が頬に落ちてきた。その冷たさを感じながら、リュカは雪の生まれる場所を見つけようとした。雪は、遥か上空から降ってくる。リュカの視力では見ることのできないほどの高さから。空はどこまで続いているのだろう。そんなことをふと思った。
この小島は本来は湖に浮いていたのだろうが、今は湖は凍りついてしまっている。それほどにここは寒かった。リュカはしっかりとマントを身体に巻きつける。ソロは平然として辺りをキョロキョロと見回していた。
小島からは、大きな蓮の葉らしき葉っぱでできた道が二本、それぞれ正反対に伸びている。本来なら水面に浮く葉っぱの上を渡るものなのだろうが、今は湖が凍っているため、せっかくの葉っぱも道しるべの役割を果たしているにすぎない。
「来てくれたのねっ! さあ、ポワン様のところまで案内するわ。ついて来て」
声のするほうを向くと、葉でできた道をたどりさっさと歩いていくベラが見えた。何をそんなに急ぐ必要があるのか、ほとんど小走りだ。遅れないようにリュカは急いだ。氷の上を歩くとつるつる滑ってしまうが、葉の上を歩けば滑ることはなかった。
ベラが向かう先には、巨大な木が生えていた――巨大も巨大だ。各地を旅してきたリュカも、これほど大きな木は見たことがない。見上げてみても、てっぺんの様子は見えない。全貌を知ろうと思ったら、もっと離れて見なければならないようだ。大きい、ただそれだけのことでも、度を越せば神秘性すら漂わせる。
裾を広げて、凍った湖に足を突っ込んでいるその木は、それ自体が建物のように加工されているようだった。葉の道に面した一本の太い根っこが削られ、階段のようになっている。そこを上ると、木の幹につけられた扉に突き当たった。
扉を開けて入っていくベラに続く。
中には広々とした空間が広がっていた。木の匂いが充満している。この巨大な木はくりぬかれて建物のようになっているようだ。リュカは呆気にとられてキョロキョロ見回した。壁も天井も床も全て木だ。
一階は多くの本棚がずらっと置かれていて、図書館のようになっていた。机もイスもたくさん置かれている。入り口から見て手前に机とイスは並んでいて、奥に本棚という構図だ。
ここにはチラホラと妖精がおり、各々が黙々と読書に勤しんでいた。どの妖精も耳が尖っている。きっとそれが妖精という種族の特徴なのだろう。そしてどの妖精も女だった。妖精には女しかいないのか、それともここにいる妖精がたまたま全員女だっただけなのかはわからない。服も皆同じようなものを着ている。
部屋の外周に沿って、階段がぐるりと上へ伸びていた。どうやら階段も木を浮き彫りにするようにして作られたもののようだ。一体誰が作ったのだろうか。大変な労力が費やされたことだろう。
ベラは階段を上っていく。
二階には教会があった。だだっ広い空間だ。大きな赤いじゅうたんが敷かれていて、小さな祭壇とイスがいくつも並んでいる。ただそれだけの部屋だ。神父とシスターしかおらず、ガランとしている。妖精も神を崇めているとは、リュカにはなぜだか少し不思議に思えた。
ここの神父とシスターは見たところ人間のようだ。耳が尖っていない。妖精の国にも人間がいるとは、少々意外だった。そのことを口にすると、ベラは振り向いて言った。
「妖精の国といっても、妖精しかいないってことはないの。人間だって少しはいるのよ。ほんの少しだけどね」
さらに階段を上ると、そこは少し様子が違った。一階には図書館、二階には教会と、ただ広い空間が広がっていただけだったのだが、三階は細かく区切られているようだ。区切っている壁も、もちろん木だ。ここも恐らくくりぬかれて作られたのだろう。広々としたスペースを作るよりも大変そうだ。
一階と二階は静かなものだったが、三階はそこまででもなかった。妖精が何人もいるのが見えるし、姿は見えないもののそれ以上に多くの人の気配がする。とは言え、決して賑やかなわけではない。図書館や教会ほどではないが、それでも十分に静かだ。多くの気配があるうえでのこの静かさは不自然さを覚えるほどで、むしろ図書館や教会以上に静まりかえっているかのような錯覚をリュカに与えた。
ベラはもう一つ階段をぐるりと上った。四階も三階と同じような作りだ。さらに上への階段もあるが、ベラは階段へは向かわず、まっすぐに伸びる廊下を進んだ。廊下の両脇の壁にはいくつものドアがずらりと並んでいる。
「ここは城に仕える妖精たちが住むところよ」
ベラが振り向いて言ったが、足は止めない。彼女には似合わない、硬い表情だった。
彼女はこの建物を城と呼んだが、別に華美な装飾が施されているわけではない。それどころか質素である。リュカの思う城とは随分と異なった印象の建物だ。
しかし、何よりもリュカを驚かせたのは、辺りの荒らされ具合だ――そう、この階は荒らされていた。壁や床のあちこちに傷が刻まれている。刃物で切られたような跡。杭を打ちつけられたような跡。壁が突き破られているところまである。その穴から中をちらりと覗いてみると、小さなベッドに妖精が一人寝ていた。貧相な家具が少し置かれているだけの慎ましい部屋だ。じろじろと覗き込むのもどうかと思ったので、内装をはっきりと把握することはできなかったが、そこいらの宿屋よりも質素な部屋だとリュカは思った。
そこかしこに木屑や木片などが散乱しているが、傷をつけたであろう刃物の類は見当たらない。ところどころに黒ずんだ汚れが染み付いている。一つだけ見当たった焦げ跡とはまた違った黒い汚れだ。
ソロが大きめの木片にかじりついた。なにか新しい遊びでも思いついたのかと思いきや、あっさりと木片を捨てる。一体なにがしたいのだろうかと、リュカは首をかしげつつ歩を進めた。
この階の廊下には、一転してたくさんの妖精がいた。妖精たちは壁に向かって手を伸ばし、目を閉じて、じっとたたずんでいる。何をしているのかは不明だが、手を向けられた部分がかすかに光っているように見えなくもない。変な連中だ、リュカは彼女らの脇を通り過ぎながら、ベラに尋ねてみた。
「傷ついた木を修復してるの。まあ、妖精の特殊能力みたいな感じ」
「魔法?」
「厳密に言えば違うんだけどね。似たようなものよ」
なぜこんなにも荒らされているのかも尋ねてみたのだが、その答えをベラは濁した。詳しいことはポワンという人が話してくれるらしい。
廊下の至る所に突っ立っている妖精たちの間を縫うように、ずんずん奥へと進んでいくベラ。後に続くリュカたち。すれ違うたびに花の香りがした。妖精は皆そうなのかもしれない。
妖精たちはリュカたちの存在に気付いているのかいないのか、何の反応も見せず、ただ目を閉じて手を突き出して立っている。
やがて突き当たった壁には、今まで見てきたドアとは違って大きな扉がついていた。扉の表面には、奇妙な模様が刻まれている。
「ここはポワン様の部屋。いい? お行儀良くしなきゃダメだよ? ソロもね?」
「うん」
ソロにはベラの言葉の意味が理解できているのか怪しいものだが、ソロもむやみやたらと暴れる獣ではないのだから、きっと大丈夫だろう。
ベラが扉をノックして、中へ呼びかけた。すると中から女性の声が入室を許可してくる。と同時に、扉の模様が淡く光った。
「失礼します」
ベラは扉を開けて中へ入った。濃厚な甘い匂いが溢れてくる。リュカたちも続いた。
この部屋は、そこまで広くもなく、そこまで豪奢な作りでもなかった。ベラがポワン様と呼ぶ人はたぶん偉い人なのだろうと思っていたリュカは、少し意外に感じた。赤いじゅうたんが敷かれ、左右にタンスや机がいくつか置かれ、正面に大き目のベッドが置かれているだけの部屋だ。
もちろんその家具のどれもがリュカの家のものと比べると豪華なものではあったが、偉い人が使用するものにしては地味だ。ベッドの向こう側の壁には、大きな窓が一つある。窓の向こうには、雪に白く染められた山々の景色が広がっていた。
ベッドには女性が腰掛けていた。他に人はいないため、これがポワンという人なのだろう。今まで見てきた妖精たちは皆少女っぽい見た目だったのだが、ポワンは大人だった。ベラと同じ紫色の髪を、腰の辺りまでふんわりと伸ばしており、その間から尖った耳がちょろっと覗いている。肌は白く透き通るようだった。目はベラと同じで大きく切れ長だ。妖精たちは皆同じような服を着ていたのだが、ポワンだけは違った。まるで、極めて薄い布を何枚も何枚も重ねて羽織っているかのような、ふわふわしている霧のような服だ。どんな材質なのかはリュカには想像もつかない。
「ポワン様! 身体を起こしても大丈夫なんですか!?」
慌てた様子でベラはポワンに駆け寄る。あまりお行儀が良いとはいえないベラを見ながら、リュカはなんとなく理解した。ベラがずっと急いでいた様子だったのは、ポワンに早く会いたかったからだ。ベラの言葉から察するに、体調が思わしくないのだろう。
「ええ、これくらいなら大丈夫よ。それより、その方たちは?」
「あ、はい。彼はリュカといいまして、ポワン様の命により私が連れてきた人間界の戦士です」
ベラは直立して言った。ベラらしからぬ、と言うには付き合いが短いが、そう思わせるほどにかしこまった様子にさっと切り替わる。
「そう、ご苦労様」
「い、いえ、そんな!」
ポワンに微笑みかけられ、ベラは恐縮した様子だ。
ポワンはそんなベラの様子にもう一度微笑むと、リュカへ顔を向け口を開いた。
「よく来てくれました、この妖精の村へ。リュカ、実はあなたに頼みたいことがあるのです。話を聞いてもらえますか?」
ここまで来ておいて、聞かずに帰るはずもない。リュカは頷いた。
ポワンは礼を言って言葉を続ける。
「妖精界に代々伝わる秘宝、春風のフルートが奪われてしまったのです。あなたには春風のフルートを取り戻してもらいたいのです」
「春風のフルートがないと、世界に春が訪れないの……やがて世界が冷え切ってしまうわ。リュカ、お願い。力を貸して」
フルートが奪われたのはわかったが、そんなものは自分たちの手で取り返すのが普通ではないだろうか。そんな疑問もよぎったが、それを口にすることはなかった。続けて彼女が語り始めたからだ。
「犯人はドワーフ。逃げ込んだ場所もわかっています。しかし、私たちには取り返すだけの力が足りないのです」
ポワンは一瞬俯いたが、すぐにリュカに目を合わせた。
「元々妖精は力が強くないの。魔力は多少あるんだけど戦いに慣れてないから、賊が侵入してきたときもどうにもできなかったの……」
「多くの仲間が傷付き倒れました。情けないことに、私もその一人です。亡くなった者もたくさんいます。だから私はベラに人間界から助けを呼んでくるよう頼んだのです。そして現れたのがリュカ、あなたです。どうか力を貸してもらえませんか?」
ポワンの声は耳に心地いい。加えて、穏やかそうな表情に、女性らしい丸みを感じさせる雰囲気は、包み込まれるような温かさをリュカに与えていた。
リュカは頼みを受け入れた。もとより断るつもりなどさらさらなかったが。こんな冒険の気配をはね付けるわけがない。
「引き受けてくれるのですね? ありがとうございます」
ポワンは優しく微笑んだ。そしてベラに顔を向けた。
「ベラ、あなたもお供しなさい」
「はい!」
ベラはそう返事をすると、こちらを向いた。
「さあ、リュカ、急ぐよ!」
リュカの手を取ると、ベラはそう言って扉へ向かう。随分と気合が入っているようだ。
「それではポワン様、失礼します」
最後にポワンに向き直ると、そう言って頭を下げた。ぶんぶんとベラに振り回されているような心地だ。
扉を開け、ベラはリュカを引っ張って部屋を出て、廊下を歩いていく。後ろで扉が閉まる音が聞こえた。
ソロはちゃんとついて来ているだろうかと振り返ってみると、ソロの姿がない。リュカは立ち止まった。
「ん、どうしたの?」
「ソロが……」
怪訝な表情で足を止めるベラ。
そのとき、ポワンの部屋の扉が小さく開いた。その隙間からソロがひょっこり顔を覗かせる。ソロはキョロキョロと辺りを見回し、リュカと目が合うとこちらへ駆け寄ってきた。ポワンが扉の隙間からソロの後ろ姿をにこにこしながら見ている。彼女が扉を開けてくれたのだろう。扉が閉まった。
あっという間にリュカの隣に来たソロは、リュカを見上げながら、座って尻尾を揺らしている。
「コラッ! ポワン様に扉を開けさせるなんて、ダメでしょ!」
ベラはソロの顔を両手で挟み、無理やり目を合わせ叱る。だが、きょとんとした様子のソロに諦めたのか、ベラはため息をついた。
「……まあいいか。私が置いてっちゃったのが悪いんだもんね」
彼女はソロの頭をひと撫ですると、歩きだす。
「そんなに酷い怪我してるの? ポワン様って人」
ポワンに対するベラの心配っぷりが気になった。リュカが見たところ、ポワンは怪我をしている様子はなかったし、体調もそこまで酷いようには見えなかったのだ。
「怪我はもう治っているわ。ポワン様だけに限らず、みんなね。回復魔法で治療してるから。怪我人がいないってことだけが救いよ、今は……ほんとに」
回復魔法とは、父が使うホイミのようなもののことだろう。
「じゃあ、何で寝てるの?」
「魔力を使い果たしてしまったの。みんなの治療はほとんどポワン様がしたから……」
魔力を使い果たすと倒れてしまうらしい。確かにリュカも魔法を使って酷く疲れた経験はある。それが限界を超えると倒れてしまうということなのだろうか。だが、それなら皆で分担して治療に当たればいいのに、そう思って尋ねてみた。
「みんなが回復魔法を使えるってわけじゃないの。使える人は限られるうえに、多くの妖精が傷ついて倒れてたから……。回復魔法を使えて、なおかつ他人の治療をする余裕のある妖精はほとんどいなかったの」
「へー」
「今も寝込んでる妖精はいるけど、みんな魔力切れで寝込んでるの。ポワン様も本当はまだ起き上がるのも大変なはずなんだけど……」
だが、リュカはふと思い出した。
「魔力って一晩寝たら回復するんじゃないの?」
以前、自分が魔力を使い尽くしてへばっていたときは、一晩寝たらすっかり元通りだったはずだ。人間と妖精とでは種族が違う以上、そのあたりが異なっていても決しておかしいわけではないが。
「魔力量が少ない人なら一晩で全快することもあるけど、魔力量が多いとそうはいかないの。もちろん回復はするけど、全快には何日もかかったりするのよ」
タルに水を注いでいくように、器が大きいほど満タンになるには時間がかかるということだろうか。
だが、満タンにならずとも、回復はしているのだ。それなのに寝込んでいなければならないほどだとは、妖精とはかなり貧弱な種族なのだろうか。戦う力がないとも言っていたし、そのとおりなのかもしれない。
「魔力の量って増やせるの?」
ベラは曖昧に頷いた。
「成長するにつれて自然に増えていくって感じかな。これといって増やす方法があるわけじゃないの」
リュカはがっかりした。もっとたくさん魔法を使えるようになったら、もっと強くなれるのに。
話しているうちに、階段のところまで辿り着いていた。ソロもちゃんとついて来ている。
「ところでさあ、私が連れてきておいてなんだけど、いいの? 簡単に協力してくれたけど」
「うん」
「なんで?」
妖精の国を歩けるというのに、断るほうがどうかしている。リュカはそう思った。だが、そんなことはベラにとってはどうでもいいはずだ。
「……別にどうでもいいじゃん」
自分の考えをわざわざ言葉にすることにわずらわしさを覚えたリュカは、端的にそう返した。
「ま、まあ、言いたくないならいいんだけど……」
頬を引きつらせた彼女を気にとめることもなく、リュカは斜め前を行く彼女に続いて歩いた。
木の匂いはリュカの好きな匂いの一つだ。自然の匂いが好きなのだ。妖精の国という未知への期待も相まって、リュカは今かなりいい気分だった。階段を一段一段下りる度に、マントが小さく波打つように揺れている。
二階の教会へ来たとき、父が旅立つ前には教会でお祈りをしていることをふと思った。神に旅の無事を祈るのだと父は言っていたが、リュカは真面目に祈ったことはなかった。いつもとりあえず父の真似をして、目を閉じ少し俯くということをしているだけだ。
今日はお祈りをしていこうか少し迷ったが、やめておくことにした。単純に面倒だからだ。
「犯人はどこにいるの?」
トントンと杖を突きつつ階段を下りていきながら、リュカは思い出したように尋ねた。
「氷の館っていうところにいるみたい。この村から北の方にあるの」
「へー」
「その前にやらなきゃいけないことがあるんだけどね。今すぐ氷の館に直行すればいいってわけじゃないの」
リュカは首をかしげた。
「氷の館の入り口は閉ざされてるらしいの。それを開ける方法を見つけないといけないんだけど……まだ見つかってないのよ」
ほら、とベラは階下の図書館を指差す。
「みんなその方法を探してるの。私もこれから探すのを手伝ってくるから、しばらく待っててもらっていい? どれくらいかかるかわからないけど」
「……わかった」
渋々リュカは頷いた。
「暇だろうから、村を見て回ってきてもいいわよ。興味あるんでしょ?」
階段の最後の段をふわりと飛び降り、ベラはリュカに顔を向けて花のように笑った。リュカの妖精の国への興味は見抜かれていたようだ。
最初の小島から、城とは反対方向へのびる葉の道の先にあった小さな村落にリュカ来ていた。
一面に薄く雪が積もっており、ところどころから植物が飛び出している。木も何本も生えているが、どれも葉の一枚もなく、表皮を薄く雪で染められている。まるで無機質な造形物のようだった。
建物は全て木造だった。どれも慎ましやかな建物である。今まで見てきたことから察するに、妖精という種族は清貧と言っては大袈裟かもしれないが、それに近いものを感じさせる。無駄に飾り立てるようなことはせず、自然の素材を大いに生かして生活しているようだった。
建物はけっこうあるが、人気はほとんどない。静かな村だった。どの建物も白く染められている。
小屋のような建物が並ぶなか、一つだけそれとは異なる目立った建物がある。巨大な切り株の建物だ。外見はただの切り株――と言っても相当大きい――だが、側面にドアと窓がついているのが見える。きっとさっきまでいた城と同じように、中身をくりぬかれているのだろう。
その切り株の建物の前には、普通の大きさの切り株がいくつも並んでいる。その前に丸太を真っ二つにしたようなテーブルが置かれているのを見るに、恐らくイスの代わりなのだろう。
切り株の建物に入ってみようと、リュカはいつの間にか木に登って遊んでいたソロを呼び、建物に近寄っていく。呼ばれたソロは、木の上からぴょんと飛び降り、こちらへ駆け寄ってきた。すごい運動神経だと、リュカは感心した。
入ってみよう、といったものの、何も他人の家に勝手に上がりこもうなんてことを考えているわけではない。切り株の建物のドアの横には「INN」と書かれた札が掛かっていたのだ。これは宿屋の記号だということをリュカは知っている。
地表に露出した根っこの部分は階段状に削られていたが、それはほんの数段だけのものだった。ドアはそこを上った先にある。
雪で滑らないように少し慎重に階段を上り、ドアに手をかける。
リュカに開かれたドアは、小さく軋んだ音を立てた。中から暖かい空気が漏れ出してくる。
左手にカウンターがあるが、そこには誰もいなかった。右手には暖炉といくつものイス、テーブルが置かれた広間のようなスペースが広がっている。そこはいろんな人で賑わっていた。奥の方にはいくつものドアがある。きっとその奥には客が泊まるための部屋があるに違いない。
パチパチと暖炉から温かな音がする。周囲を包む壁、床、天井の木の色が暖かく照らされていた。
「おや、お客さんかい? 珍しいこともあったもんだ」
右手の広間にいた小さな男がこちらを見て声を上げる。小さいと言っても、それは身長だけだ。身長は低いが岩のようにがっちりした体形の、ひげ面の男だ。岩男はイスから腰を上げると、のしのしとこちらへ歩いてくる。
「坊主、人間か? こりゃまた珍しい!」
彼はリュカと同じくらいの身長だった。リュカの顔をまじまじと覗き込み、また驚いたような声を上げる。彼は土のような匂いがした。
「ほう、嬉しいのう。同族に会えるとは。坊や、こっちへおいで」
老人が声をかけてくる。その言葉からして、彼は人間なのだろう。暖炉の前のイスの背もたれにゆったりともたれて、こちらへ目を向けている。老人の膝にはスライムが乗っていた。奇妙な光景だ。
「かわいらしい客だナ」
骸骨がカタカタと笑った。リュカはギョッとし、思わず目を見開いた。骸骨はイスには座らず、床にあぐらをかいている。
「あなたでもかわいらしいなんて言うのね」
イスに座った妖精がからかうように言うと、骸骨は不気味に笑い声を立てた。
岩男に肩を抱かれ、リュカはその一団のなかへ連れて行かれた。岩男と老人、骸骨、妖精、そしてスライム。妖精の村にでも来ない限り、こんな一団に出くわすことはないだろう。
岩男に促され、リュカもイスに座った。岩男はリュカの隣のイスに座った。
一つのテーブルを囲むことになったリュカたちだが、骸骨だけはそっぽを向いて暖炉を眺めている。
「うわ! そ、そ、そ、そいつは! ま、まさか!」
スライムが突然奇声を発して飛び上がり、老人の後ろに隠れた。目だけを覗かせ、こちらをうかがっている。目線はソロに向いているようだ。
「どうしたんじゃ、突然?」
老人がスライムに顔を向ける。そこでスライムの目線に気付いたのか、ソロに顔を向けた。
「ほう! キラーパンサーの子どもを従えておるのか!?」
「やっぱりー!」
泣きそうな声でスライムが悲鳴を上げる。
ソロはわずらわしそうに一瞬スライムに目を向けたが、何をするでもなく、リュカの足下に座った。
「どうしたの?」
リュカは首をかしげる。
「キラーパンサーは、地獄の殺し屋という異名もあるほどに怖れられておるんじゃよ。スラぼうが怖がるのも無理はないのう」
ソロはそんなに物騒な生き物なのだろうか。ふと目をやると、ソロは大人しく座って、キョロキョロと辺りを見回している。とてもそうは見えない。
「魔物を従える者はまれにおるが、まさか子どもとは言えキラーパンサーが人に懐くとは……信じられんのう」
「へえ、おめえ魔物使いカ。道理でな……。俺は人を見るとぶっ殺してやりたくなるんだけどヨ、おめえにはそんな気にならねエ」
「それはお前さんの邪気が薄れてきておるからじゃよ。もちろんそれもあるかもしれんが」
「馬鹿言ってんじゃねえヨ」
骸骨が笑う。骸骨が笑うたびに、カタカタと乾いた音が鳴る。骨と骨がぶつかり合う音のようだ。
「この爺さんも魔物使いなんだぞ」
「端くれじゃがな」
スライムはこの老人が従えているのだろうか。そう尋ねてみる。
「そうじゃな。ただ、従えるという言葉は誤解を生むかもしれん。わしにしてみれば、そうじゃな……我が子のような感覚が強いかもしれん。どうじゃ? 坊やにとってそのキラーパンサーはどんな存在じゃ?」
「……友達」
老人は微笑んだ。
「うむ、それで良い。魔物使いのなかには、時折勘違いしている輩もおる。まるで魔物が己の手先、あるいは道具であるかのようにな。しかし、それは間違いじゃ。魔物は生き物。そして、魔物使いにとっては共に歩む仲間じゃ。色々な関係性はあっていいと思うが、尊敬を持って接してやらねばならん」
「尊敬?」
老人は、老人らしく難しいことを言う。
「そう。魔物使いである坊やには、魔物が己に従順な手下のように思えてしまうときがくるかもしれん。しかし、魔物にも心はある。それを忘れてはならん。まあ、これは言うまでもないほどに当たり前のことじゃ」
老人はスライムの頭をポンポンと優しく叩いた。ぷるぷると身体が波打ち、スライムは楽しげに笑う。老人は、スライムのソロへの恐怖も取り除いてしまったようだった。
「ここからが大事なんじゃが、魔物は我々人間とは異なる生き物じゃ。我ら魔物使いにとって、魔物がどんなに大人しい、人畜無害な生き物に思えても、魔物は魔物じゃ。心の内に魔物としての本能を抱えておる」
魔物としての本能とは、どういうことだろうか。凶暴性とかそういうことだろうか。リュカにはよくわからなかった。
「その魔物としての本能は、人間から見れば唾棄すべきもののように感じることもあるかもしれん。しかし、そこから目をそらしてはならん。そこをしっかりと見つめ、受け止めてやらねばならん。そうすることで、真に相手のことを理解し、仲間となれるんじゃ。そうすることが、我らと共に歩んでくれる魔物たちへの尊敬の形じゃと、わしは思う。もちろん、魔物に好き勝手暴れさせてやれと言っているわけではないぞ」
老人がなにを言っているのか、リュカにはちんぷんかんぷんだった。だが、なにか大切なことを言われているような気がする。不思議と聞き流す気にはならない。
「爺さん、坊主が困ってるぞ。話が難しすぎるんじゃないか?」
「これだから年寄りの説教は……」
岩男と妖精が呆れたような顔をしている。
「おお、すまんすまん。要するに、そのキラーパンサーの子どもは、坊やにとって大人しい友達のように思えているのかもしれんが……今も大人しくしとるしな。じゃが、その子がキラーパンサーであることは事実。坊やが驚くほどの残虐性をあらわにするときがきっとくる。そのときに、その子を嫌いになっちゃいかんぞということじゃ」
ちょっと違うか、と老人は笑った。
ソロを見ると、前足を舐めてはその前足を頭に擦り付けたりしている。その姿からは残虐性など垣間見ることもできない。ビアンカがソロを猫呼ばわりしていたのもわかる気がした。
「すまんのう。年を取ると、坊やのような少年を導いてやりたくなってしまうんじゃ。余計なお世話じゃったな」
「年寄りは余計な世話を焼きたがるものよ。聞き流してあげて」
妖精が大きく切れ長な目を細めてリュカに言うと、老人はさらに笑った。
「ところで、君はどうしてここにいるの? 人間がそう簡単に来られるところじゃないはずだけど」
リュカは、自分が妖精の国へ来た経緯を簡単に説明した。
「へぇ、ベラは人間界へ戦士を探しに行ったって聞いたけど……それじゃあ君が人間界の戦士なの?」
というより、単にベラが自分以外の人間に気付いてもらえなかっただけのことだろう。
妖精は胡散臭そうにこちらを見ている。リュカ自身、自分が戦士と呼ぶには若干勇ましさが足りないということは自覚している。だが、かといってあまり下に見られるのも面白くはない。
「子どもだと思って侮ってはならんぞ。子どもは時に思いもよらないことをやってのけるもんじゃ」
「……まあ、いいけどね。それじゃあ氷の館へ行くの? 春風のフルートを取り戻しに?」
リュカは頷いた。
「でも氷の館は閉ざされていると聞いたけど……どうするの?」
今、ベラをはじめとする妖精たちが方法を探していることを、リュカは伝えた。
それより、この妖精はこんなところで一体なにをしているのだろうか。ふとリュカは疑問に思った。城は今大変なことになっているようだった。みんな城の修繕をしていたり、氷の館を開く方法を探していたり、寝込んでいたりするという話だったが。
「図書館には確かにいろんな本があるけどなぁ……扉の開け方なんて書いてある本があるのかね? 鍵穴があるなら、開けてやれる自信はあるんだがなぁ」
「ピッキングってやつ? ドワーフってほんとそんなのが得意よね」
妖精がため息をつく。
「ドワーフ?」
リュカが首を傾けた。
「ん? ドワーフを知らないのか? まあ、妖精の一種みたいなもんだ」
「おじさん人間じゃないの?」
「人間だと思ってたのか?」
リュカは頷いた。岩男はドワーフという生き物らしい。ドワーフは豪快に笑った。
「馬鹿ね。人間はこんなにチビじゃないでしょ」
「チビとはなんだ。お前だってたいして変わらんだろう?」
確かに妖精もそんなに大きくはない。リュカより少し背が高いくらいだ。
「アタシはまだ若いのよ。身長だってまだまだ伸びるわ。でもアンタはおっさんじゃない。もうこれ以上伸びはしないわよね」
「なに?」
「よさんか。客人の前じゃぞ」
「ケケケ……いっそ殺し合エ」
若干ピリピリした場を老人がたしなめる。
ドワーフはばつの悪そうな顔で咳払いをした。
「そうだな……うん。それで? 氷の館はどうやって閉ざされてるんだ? 鍵なら開けてやれるかもしれんぞ」
「鍵穴みたいなものはないらしいわ。魔法をぶつけてみても開かなかったらしいし。もうお手上げだってぼやいてたわよ」
「なんだそりゃ。中からじゃないと開閉できないってことか? 実際に見てみんとよくわからんな」
力技でも無理だということは、中から開けてもらうのを待つしかないのだろうか。案外、入り口の前で待ち伏せしていれば、いつか扉が開くのではないかとリュカは思った。篭もりっきりでは餓死してしまう。
「だいたいポワン様は甘いのよ。だから付け上がってこんな真似をするやつが出てくるんだわ。上に立つ者はもっと威厳がなきゃダメね」
妖精はイスの肘掛に右肘を立て、頬杖をつき、足を組んだ。眉をひそめて、愚痴るように言う。
「それも一つの意見じゃろうな。しかし、その優しさこそがポワン様の魅力なのではないか?」
「そうだよ。ポワン様はほんとに優しいよ。だってボクみたいなスライムでもここに住ませてくれるんだもん」
諭すように穏やかに言う老人に、スライムも続いた。
「甘いのか優しいのカ、どっちなんダ?」
骸骨のその言葉を、皆意図的かどうかはわからないが無視したようだった。
「それはわかってるわよ。でも、先代の頃はこんなことは起こらなかったわ。みんな先代の怒りに触れることを怖れてた。そのおかげで馬鹿な真似をするやつもほとんどいなかったのよ」
「でも、全くいなかったわけじゃないよな。そしてポワン様の代になってからは、大きな事件といえばこの一件くらいだ。どっちのやり方が正しいかなんて、今の段階ではわからんよ。ポワン様はまだ長になって日が浅いんだし」
「春風のフルートが盗まれるなんて大事件は前代未聞よ。軽く見ていいことではないわ」
頬杖をついた手の人差し指で、彼女は頬をトントンと叩く。
「犯人はドワーフだったナ? そういや先代に追放された馬鹿もドワーフだったっけカ。何やって追放されたんだっけなァ」
骸骨がニヤニヤして言う――実際には骸骨に表情などないため、ニヤニヤしているかなんてわからないのだが、リュカは骸骨の口調からそう感じた。
「そうだ! 鍵の技法だ! 鍵の技法を編み出したんだ」
ドワーフが跳ねた。
「ああ……聞いたことあるような気がするわ。なんだっけ?」
「どんな鍵でも開けてしまう技じゃったかのぅ? よくわからんが」
老人と妖精は首をかしげている。
「俺も話でしか聞いたことはないけど、効力は爺さんの言ったとおりだ。どうも魔法のようなものらしい」
「胡散臭いわねぇ。どんな鍵でも開けるって? しかも魔法? 確かにドワーフは器用な連中ではあるけど……魔法を開発したって言うの?」
「はっきりとしたことはわからんよ。だが、先代がその効力を危険視して追放するほどのものであったことは確かだ」
その鍵の技法とやらを使えば、氷の館を開けることもできるかもしれない。そう思ったリュカは尋ねてみた。
「その人ってどこにいるの?」
「ん? 追放されたドワーフのことかい?」
リュカは頷く。
「ここから西にある洞窟にいるはずだが、行くつもりかい?」
リュカは再び頷いた。
「鍵の技法をもらいにいこうっていうの? 眉唾物だと思うけどね。しかも魔法だっていうんだから、ちょうだいって言って、はいどうぞってわけにはいかないかもしれないわよ?」
確かに、鍵の技法が魔法だとしたら、どうしたら習得できるのか、リュカには想像もつかない。だが、ここでじっとしているよりは有益な時間になるだろう。行ってみても損はないはずだ。それにリュカが妖精の国に来たのは、宿屋で雑談に興じるためではない。妖精の国を見て回るためなのだ。
「行動力があるのう。少年はそうでなくてはならん」
「行くんだったらベラも連れていきなさい。魔物だって出るんだから。あの子が戦力になるかどうかは微妙だけど、頭数は多いほうがいいでしょ」
リュカは頷きを返しながら、立ち上がる。ソロも立ち上がった。
「ていうか、泊まっていかないのかい? お客さんだろう?」
「ちがうよ」
「違ったのかい」
彼らに手を振りながら、リュカはその場を後にする。気をつけてな、という声を背に受けながら、ドアを開けて外へ出た。冷たい空気がリュカの身を襲う。
「あっ、リュカー!」
リュカがマントをしっかりと身体に巻きつけながら、階段を一段一段慎重に下りきったとき、自分を呼ぶ声がした。声の方へ目をやると、ベラが駆け寄ってきている。
「ここにいたのね。探したわ」
リュカの前まで来た彼女の吐く息が白く染まっている。
「どうしたの?」
「見つかったのよ。氷の館を開ける方法」
ベラが語った方法とは、鍵の技法であった。盗み聞きでもしていたのかと疑ったリュカであったが、ベラが言うには、鍵の技法について書かれた本が図書館にあったとのことだった。鍵の技法について書かれたというよりは、鍵の技法を編み出したドワーフに先代が罰を与えたという歴史がささやかに記されていたにすぎなかったようだが。
「でもね、当時のことを覚えてらっしゃる方がいたの。その方が言うには、そのドワーフは西の洞窟に追放されたんだって。ねえ、行ってみようよ」
こうしてリュカたちは西の洞窟へ向かうことになった。