ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~ 作:KENT(ケント)
15話
凍り付いてしまった湖を、果たして湖と呼んでしまっていいのだろうか。湖は湖なのだろうが、目の前に広がる景色を湖と呼ぶには、リュカには多少の抵抗があった。だが、そんなことは些細なことだ。この美しい光景は、リュカの心をがっちりと捕らえていた。
この湖の中央に、氷の館は建っていた。その名のとおり、氷でできているようだ。この景色はここにしかない。妖精の世界へ来たのは、間違っていなかった。リュカはそう確信した。
「綺麗……」
うっとりしたように呟くベラ。
彼女の言うとおり、全てが氷でできているこの館は幻想的だった。透き通る館が、陽光を受けてキラキラときらめいている。そしてその身には白く染まる冷気を纏っていた。冷気はゆっくりと渦を巻くように氷の館の表面を撫でながら、天に立ち上っていく。ここが敵の根城だなんて、悪い夢のようだ。
ここは、妖精の村から北西の方にある森の奥。木々のベールの向こうに慎ましく潜んでいたであろうこの湖に目を付けるとは、敵もなかなかセンスがある。単なる盗人という犯人のイメージを少し変更しようとリュカは思った。
「でも、どうやって建てたんだろうね?」
不思議そうな顔をするベラに、リュカが返せる答えなどない。妖精の世界に伝わる不思議な力か何かの為せる技なのかと思っていたが、ベラの様子を見ると、そうではなさそうだ。
この光景に、しばし立ち尽くしていたリュカたちであったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。リュカは凍りついた湖に足を踏み出した。
「大丈夫? 割れない?」
「……大丈夫みたい」
杖で氷面を突いてみても、氷が割れる様子はない。手ごたえからは、かなりの分厚さを感じる。もしかしたら底まで凍っているのかもしれない。
滑らないよう慎重に歩くリュカの斜め後ろを、ソロが平然と続く。
降り積もる雪のせいで、外はどこも白く染められていたが、氷の館の周囲はいっそう白かった。木々もなく、草も、土すらない。全てが氷だ。そんななかに降り積もる雪。色のない空間というのは、どこか非現実的な思いを抱かせた。不確かな道を行くように、リュカは歩いた。
扉が見える。扉の上部がせり出してきており、ちょっとした屋根のようになっている。それを支える扉の両脇の柱。扉の左右に伸びる壁。その全てが氷でできていた。
氷は透き通るようだったが、向こう側を見通すことはできなかった。不思議に視界が歪められてしまうのだ。
扉の取っ手に触れてみると、痺れるように冷たい。扉も氷でできているようだ。前後に押し引きしてみても、ビクともしない。中から閂でもかけられているのだろうか。
「盾は?」
「ああ、これを使うんだよね?」
ベラは背負っていた盾を手にした。コロマージに手渡されたものだ。丸く、ドーム状に反っている。中央に小さな球が埋め込まれているが、これと言った装飾もない、地味な盾だった。
「魔法が封じられてるとか言ってたよね?」
ベラは魔力を込めたのだろう。盾を持つ手が淡い光を帯びている。光は盾へと伝達され、盾自体が光を纏うようになった。
「……で?」
「当ててみれば? 扉に」
そうね、とベラは扉へ近づき、盾を扉に押し当てた。すると扉が淡い光を放ち、次の瞬間ゆっくりと開き始めた。
「わっ! さむーい!」
薄く開かれた扉の隙間から、白い冷気が漏れ出してくる。扉はお構いなしに隙間を広げ、やがて完全に開かれた。
リュカはしっかりとマントの前を閉じたが、それでも歯がカチカチ鳴る。首が縮こまった。
中へ踏み込むと、当然というべきか、床も天井も氷だ。どれもほとんど透明で、しかし、やはり向こう側が透けて見えるわけでもない。
「さむ~い! けど、綺麗……」
しきりにむき出しの腕を擦るベラ。寒いはずだ。下半身だって、膝より少し上までのスカート姿なのだ。
ソロもどこか縮こまったようだった。ソロにとっても寒いのだろうか。
「でも、何もないね……」
ベラの言うとおり、柱こそ何本か立っているものの、それ以外には階段が一つあるだけだ。壁にはいくつかアーチ状の窓がいくつかあるが、そこにガラスがはめられているのか、あるいは氷が張られているのかはよくわからない。
リュカはとりあえず階段に向かおうと歩き出した。
奇妙なほどに障害はない。単なる大広間なのかもしれない。なんのためのスペースなのだろう。リュカは首をひねった。
階段を上る。親切にも備え付けられた手すりのおかげで、滑って転げ落ちる心配もない。だが、冷たく、手が張り付いてしまいそうな感覚があった。
すぐに二階へ辿り着く。
二階も広間だった。この階自体が一つの部屋のようだった。だが、物は全くと言っていいほどない。向かいに階段が、右側に大きなイスがある。イスも氷でできているのかもしれないが、大きな毛布がすっぽりと被せてあるため、よくわからない。玉座のような造りのイスのように思われるが、それも定かではない。
「何だお前ら?」
そのイスに座っていた男が、首を傾けて言った。覆面を被り、顔を完全に隠している。
「その覆面……小柄な体形……。あんたがザイルね!」
ベラが杖を抜く。
ザイルが舌打ちをして、勢いよく立ち上がる。
「追っ手かよ! クソッ! どうやってここに入ってきやがった!?」
「フルートを返せ!」
「返せと言われて返せるかよ!」
イスに立てかけてあった斧を、ザイルは手に取った。
「返して欲しけりゃ、力ずくで奪ってみやがれ!」
ザイルが襲い掛かってくる。氷の上だというのに、滑る様子もない。意外と速い、リュカは気を引き締めた。
ザイルが被っている覆面は、襟巻きやマントと一体化している少し変わったものだった。その下に毛皮の服を着ているのが見える。マントをはためかせながら、彼は一気に距離を詰めてきた。
「おりゃぁッ!」
「うわっ!」
とはいえ、彼の狙いはベラのようだ。リュカは成り行きを見つつ、隙をうかがう。
斧をブンブン振り回しているザイルは、傍から見ていても力強かった。その猛攻を、必死な様子ではあるが、どうにかかわし続けているベラもなかなかのものだ。
ソロは、彼から目を離さないものの、動く様子もない。
「ちょっと、リュカ! あんたも手貸してよ!」
「ん?」
ザイルがこちらに顔を向けた。
ベラに集中していたザイルの隙を突こうと思っていたのだが、それも難しくなってしまった。彼はもうこちらにも注意を払っている。
仕方がないので、杖に魔力を集中する。本当は駆け寄って殴ってやりたいのだが、下が氷では速く走ることはできない。
「バギ!」
「クッ!」
幾筋もの風の刃は、逃げる間も与えずザイルに迫る。斧を盾のように構えるザイル。だが、それでは全身を覆うことはできず、至るところを切り裂かれる。
ザイルはうめき、それから雄叫びを上げつつ、斧を一気に振り下ろしバギを霧散させた。バギを放った反動で後ろに滑りながら、目を見開くリュカ。
「舐めんじゃねえ!」
別に舐めているつもりはないのだが、ザイルは怒りをあらわにこちらへ疾走してくる。その足に横から飛びつき、噛み付くソロ。
「いってえ!」
すっ転んで、足を押さえながら転げまわるザイル。血が氷の床に赤くなすり付けられる。
「覚悟しなさい!」
そんなザイルの様子を見てチャンスだと思ったのか、ベラが駆け寄り、杖を振り上げる。
「調子に乗んな!」
「うっ!」
大きく横薙ぎにされた斧を間一髪で彼女はかわすが、続けざまに放たれた拳が腹に直撃する。ベラは後ろに飛ばされ、そしてうずくまった。苦しげなうめき声を漏らしている。
ザイルは立ち上がると、リュカを睨みつけてくる。
「だいたいお前は何もんだ! 妖精じゃねえだろ! 何で首を突っ込んできやがる! 関係ねえだろ!」
「そうでもない」
むしろ大有りだ。このままでは一生春がこないというのだから。実感はないが。
「うるせえよ!」
傷ついた足にもかかわらず、ザイルはこちらへ駆けてくる。何でこんなに敵視されるのだろう。内心首を傾げつつも、リュカは身構える。
叫びとともに振り下ろされた斧に、杖をフルスイングする。甲高い音が響く。
「おらぁッ!」
二度三度、両者の武器がぶつかり合う。一際高い音が鳴り、つばぜり合いの状態となる。
足下が滑って踏ん張りがきかず、リュカは否応なしに後退する。押され続けて、やがて壁に押し付けられる。冷たい。壁に背を預けているだけでも、なかなかの苦痛だ。
ザイルの表情は覆面に隠れて見えない。ただ、血走った目が見えるだけだ。口元からは白い息が荒々しく漏れている。
「くっ!」
幸か不幸か、壁に身体を預けているおかげで、斧を少し押し返すことができた。
さらに大きくうなり、ザイルはリュカの頭を叩き割ろうと力を加えてくる。
リュカは杖を斜めに反らすと同時に、壁を肘で押した反動で身体をザイルの横へ素早くずらした。
「うわっ!」
その拍子に斧が壁に叩きつけられ、耳障りな音が響く。
体勢が崩れたザイルの顎をかち上げ、さらに杖を横に振り抜く。ザイルは右手に持った斧で受け止めた。そして、そのまま左拳でリュカの顔を殴りつけた。
「ぐっ!」
よろめくリュカ。衝撃で滑る。氷の上では止まることすら容易ではない。そんな状況に若干イラつきながら、リュカは杖を突いてどうにか体勢を立て直す。
息つく間もなく、襲いくる斧をどうにか杖で受け止めるが、衝撃で後ろに滑り、再び壁にぶつかる。
すかさず間を詰めてくるザイルの顔面に、リュカは突きを繰り出した。
「うわ!」
慌てて大きく仰け反るザイル。
追撃するリュカに、対応するザイル。幾度も打ち合う音が響くなか、ついにザイルの頬を、リュカの杖がしたたかに打ち据える。重い手ごたえ。鈍い音。ザイルは膝をついた。
とどめとばかりに、頭に向けて杖を振り切る。直撃だ。ザイルは後方に吹っ飛び、仰向けに倒れた。
ザイルは動かない。気を失っているようだ。
視線を巡らせる。ベラはまだうずくまっている。そんな彼女で遊んでいるソロ。
「ベラ、大丈夫?」
答えるように、ベラはうめき声を漏らしながら、ふらふらと立ち上がろうとした。のしかかるソロ。倒れ込むベラ。
「へぶっ!」
「ソロ。おいで」
名残惜しそうにソロはこちらへ向かってくる。
「こんなに思いっきり殴られたの初めてかも……」
そう言いながら、ようやくベラは立ち上がった。彼女は周りを見回すと、ザイルのところで目を止めた。
ザイルに歩み寄ると、彼の胸倉をつかみ、激しく揺さ振った。
「こら、起きろ! フルートはどこ! 返しなさい!」
ザイルの首がガックンガックン揺れている。あれでは起きるものも起きない。そんなことを思っていると、なんとザイルが目を覚ました。
「うぅ……なんだ……?」
「なんだじゃない! フルートはどこ!?」
「フルートか……。っていうか離せ!」
ザイルはベラの手を払いのけた。そして、リュカに目を向けた。
ベラは怒りの表情でザイルを睨んでいる。
「おい、お前。名前なんていうんだ?」
「……リュカ」
「そうか。リュカ、お前なかなか強いじゃねえか。ただのガキかと思ったが、見直したぜ」
身体の大きさではほとんど変わらないくせに、リュカは少しむっとした。だが、どこかさっぱりとした声色に、リュカは思わずわずかに、ほんのわずかにだが頬を緩めていた。きっと覆面で隠れた彼の顔は、それ以上の笑顔を浮かべているに違いない。そう思わせる声色だった。
「今回は負けを認めてやる。でも次は負けねえからな!」
「次?」
そう首をかしげると、ザイルはニカッと笑った――と思われた。実際は表情は見えない。
「……あんた、だいたいどうしてフルートを盗んだりしたの?」
ベラはため息を一つつくと、どこか呆れたように尋ねた。もう怒りの色はだいぶ薄れている。
「ああ、それは――」
それっきりだった。ザイルはそれ以上言葉を続けることはなかった。できなかったと言うべきか。
「――え?」
リュカは唖然として立ち尽くすしかなかった。ベラも目の前で起こった現象に、呆然とした声を漏らすことしかできない。
ソロのうなり声が聞こえる。
「使えないな……」
ぼそりと聞こえた冷たい呟き。
たった今、床から突如として突き出してきた何本もの鋭く尖った氷の槍に、ザイルは全身を貫かれていた。
その呟きが、そんなザイルに向けて発せられたものだということが、リュカには考えるまでもなくわかった。
ザイルの口がだらしなく開き、震えている。彼は顔を上への階段の方へ緩慢に向けた。
「……ユキ」
それがザイルの最後の言葉となった。うつろな目を、階段の中程からこちらを見下ろす何者かに向けて、そしてガクリと力を抜いた。
「ちょっと……なに……? なんなの……?」
地面から生える氷柱のように鋭く尖ったものを、真っ赤な血が伝う。氷がその赤を引き立てているようで、氷を伝い、やがて床に溜まる血には、奇妙な美しさがあった。
ベラがザイルに背を向けて、うずくまる。彼女の震えは、寒さのせいばかりではあるまい。
「やはり、子どもを誑かしてという考えは甘かったか……」
リュカは身構えた。
階段を下りきった彼女は、この部屋によく映えた。真っ白な肌に、水色の髪。水色のドレス。氷の化身――そんな言葉がふと頭をよぎる。
「フルートは諦めなさい。そうすれば見逃してあげましょう」
魔性の美とはこのことか。そう思わせる、氷のように冷たい微笑。自分たちのことなど眼中にないのだろう。言葉より何より、その目がそう物語っていた。
チラリとリュカは、亡き骸となったザイルに目を向ける。至るところを串刺しにされ、倒れることすら許されないザイル。表情は見えないが、光を失った瞳と、そこににじんだ涙の痕跡。
リュカは、氷の化身に目を戻した。
「やだ」
この部屋に満ちる冷気が、一層その冷たさを増した。
彼女の赤い瞳が殺意を帯びる。
現実逃避をしているかのような、震えたままのベラ。臨戦態勢のソロ。リュカは杖を強く握りしめる。
「愚かな。いや、哀れというべきか。その愚かさ故に命を落とすことになるのだから」
彼女は片腕をこちらに伸ばす。手首にきらめく銀色のブレスレットが、青く淡い光を帯びる。冷気が渦を巻き、ドレスの裾が揺れる。
「ヒャド」
呪文とともに、解き放たれた魔力。それは次の瞬間、氷の結晶となり、弾丸のように一直線に飛来する。
かわそうとするも、氷の床が滑って、機敏に動けない。そして、飛来する氷の結晶の速度。間に合わない。一か八か、杖での迎撃を狙う。
横薙ぎの杖が、結晶に命中する。重い手ごたえ。若干軌道が変わったかと思いつつ、リュカは衝撃で後ろにはじかれる。結晶が壁か何かにぶつかったのだろう。轟音が部屋を揺るがす。強く杖で床を突き、どうにか動きを止める。
猛然と駆けるソロの姿が目に入った。
彼女は、青白い炎のようにも見える揺らめきを手首より先に纏い、腕を一閃した。その拳が飛び掛ったソロの脇腹に吸い込まれ、小さな身体は簡単に弾き返される。床に転がったソロは、すばやく体勢を立て直した。霜が降りたかのように、ソロの脇腹の毛が白く染まっている。
「仮にも魔物が、妖精のために戦おうというのか? 所詮、獣か」
彼女は手のひらをソロへ向ける。
「バギ!」
させじと放たれたリュカのバギが、彼女の身体を包む。反動でリュカは後ろに滑る。バギを打つたびにこうなのだろうか。リュカはうんざりした。
まとわりつく風を払うように彼女が腕を横に一振りすると、バギは掻き消された。
残されたのは、細い切れ込みがいくつも刻まれた彼女のドレスと身体だ。奇妙なことに、彼女の傷からは血などは出ておらず、代わりに氷が漏れ出してきているようだ。傷口に沿って氷が盛り上がり、糸のような筋を浮かび上がらせている。
「やってくれるな……」
氷の視線がリュカを貫く。
それを隙と見たか、ソロが動いた。彼女に向かって疾走する。
「小賢しい」
彼女がソロへ向けて手を向ける。一際彼女の手が強い光を放つ。すると、行く手に氷の槍が切っ先をソロへ向けて、床から何本も突き出してきた。それをかわそうと飛び上がったところに、彼女の一撃が待ち受けていた。
またもや弾き飛ばされたソロは、さらに毛を白く染め、倒れた。
この間、リュカも黙って傍観していたわけではない。どうにか一撃見舞おうと、走ろうとしていたのだが、ツルツル滑ってうまくいかない。歩くような速度で彼女へ接近していっていたが、当然のごとく間に合わない。
彼女はリュカへ向けて手を突き出す。
すると、リュカの足下で冷気が渦を巻いた。白いもやに膝下を覆われながら、リュカの頭が警鐘を鳴らす。
咄嗟にリュカは横っ飛びをした。その瞬間、床から何本もの氷の棘が出現する。
刃のような鋭さが、リュカの足をかすめる。鮮血が舞う。
「ヒャド」
転がりながら目を向けると、氷の弾丸が迫りくる。マズイ。そう思って杖でガードする間もなく、それは腹に直撃した。
「がはッ!」
勢いよく吹っ飛ばされ、激しく壁にぶち当たる。
苦しい。そして、身体中の痛み。リュカは歯を食いしばり、うずくまる。
「リュカ!」
そのときベラが叫んだ。
いつの間に立ち直ったのだろうか、そんなことが頭の片隅に浮かぶ。
「許さない……」
「お怒りのようだな」
怒りに震えるベラを、彼女は笑う。
「一体、何を怒っているんだ?」
「……わからないの?」
考えを巡らす素振りをする氷の化身。
「心当たりはいくつかある」
「たぶん全部当たりよ」
ベラは強いて声を抑えているようだった。
対照的に、氷の化身は笑った。
「そんなにフルートが大事か? それとも友達が? どちらにせよダメだな。大事ならもっとしっかり守っておかないと」
「……守ってみせる。フルートも、リュカも、ソロも!」
ベラの声がうわずっていく。
「守るもなにも……もうフルートは私の手の中にある。お前のお友達も既に倒れた」
「フルートは取り返す。リュカたちもまだ死んではいないわ!」
「なるほど……」
氷の化身の赤き瞳に、残酷な色が灯った。
「望みがあるから、鬱陶しくも立ち向かってくるのだな。お前を殺すことなど造作もないが、それよりも、その望みを壊してやりたくなってしまったぞ」
彼女は視線をリュカのほうへ向ける。
「やめろ!」
「やめて欲しければ、止めてみるがいい。もっとも、妖精ごときにできることなど、たかが知れてるがな」
酷薄な笑みを浮かべた氷の化身は、いまだにうずくまるリュカに向けて手をかざした。
自身を貫く言い知れぬ予感に、リュカは顔を上げた。
「やめろ!!」
その叫びとともに、氷の化身に向けられたベラの杖が赤い光を帯びる。冷気が満ちた室内に、一筋の熱が生まれる――
「ギラ!」
――杖の先端から一条の閃光が走る。瞬く間に迫った光は、炎となって彼女に絡みつく。白い彼女を犯す真紅の炎。その色彩の対比が、暴力性をより浮かび上がらせた。
周囲の氷の表面が歪み、水の膜が生じる。そして氷の化身の身体にも、同様の現象が起こった。
「くっ!」
青白い冷気が、追い立てるように炎を払う。そして鬱陶しいとでも言いたげに腕を振ると、一際強力な冷気がベラに向かって降り注ぎ、同時に炎は完全に霧散した。
「きゃあっ!」
ベラは悲鳴を上げつつ両腕で身体を庇うも、耐えかねたか、倒れこんだ。ベラの腕に薄い氷が張っている。ベラの周囲――氷の化身が放った冷気に煽られた辺りに、更なる氷が生まれた。まるで突き出してきたかのように盛り上がっている。
すでに氷の化身の身体に溶けたような跡はない。周囲の氷もいびつな形に固まっている。
「妖精には戦う力はないと聞いていたが……そのわりには、なかなかやるではないか」
「くっ!」
苦々しげな表情を浮かべ、ベラは己の身体を抱くように、両腕を押さえる。
「さて……ん? お前、起きていたのか」
リュカと氷の化身との視線が交わった。
リュカは駆け出した。いい加減この足場にも慣れ、早歩き程度の速度は出せるようになっていた。だが、それでも遅すぎることに変わりはない。余裕の笑みを浮かべ、氷の化身は手のひらを向けてくる。
「いい的にしか見えんぞ」
相手の手のひらに光が収束する。
リュカとしてもできることなら魔法を連発したいのだが、あまり使いすぎるわけにもいかない。何せ魔力は限られているのだ。だが、相手はそんなことには頓着せずに魔法を使っているように見える。うらやましい限りだ。
「ヒャド」
迫りくる弾丸を、リュカはしゃがんで避ける。そのまま滑りながら相手へ迫るが、一段と濃い冷気に飲み込まれる。
「串刺しになるがいい」
リュカは素早く立ち上がると同時に杖を強く床に突き、飛び上がった。宙へ逃げるリュカを追うように、氷の槍が眼下から伸びる。それをしっかりと視界に捕らえ、リュカは慌ただしく足を動かしてかわす。
「敵から目をそらすとは、余裕だな」
相手の声が届く。
リュカも、それがよろしくないということは重々承知しているが、かといって万が一にも串刺しにされるわけにはいかないのだ。
空中で敵に視線を戻すと、手に光を纏い、迎撃体制は整っているようだった。
宙に放物線を描きながら、リュカは敵に迫る。
「ソロ!」
その声に答えたのか、姿勢を低くし、影のように雪の化身の背後から迫るソロの姿があった。
「なっ!」
咄嗟に振り向き、相手はその勢いで腕を横に振り抜き、氷の弾丸が放たれる。だが、狙いを定めたとは言いがたいその攻撃は、ソロを捕らえることはかなわない。ソロは弾丸の下を駆け抜け、氷の化身の足首に喰らいついた。
「ぐっ! このケダモノが!」
ソロを振り払おうと魔力を込める相手だったが、それをリュカは許しはしない。落下の勢いに乗って、杖を振り下ろした。
「ガッ!!」
重い手ごたえを残して、杖はしたたかに相手の首筋を撃った。
相手がうめき、膝をつくとともに、リュカも着地する。そして、杖を横なぎにしようと構えた瞬間、ベラの声が響いた。
「ルカナン!」
氷の化身の身体が、不確かな淡い光に一瞬包まれたような気がしたが、リュカはかまわず杖を振り切った。
リュカの一撃は、想像以上のダメージを与えた。相手は殴り飛ばされ、その拍子にソロが喰らいついていた足首がへし折れた。骨折したとか、そんな生易しいものではない。彼女がまるで氷の彫像であったかのように、文字通り折れてしまったのだ。
足の先を失った彼女は、甲高い悲鳴を上げて床に投げ出される。だが、いつまでも痛みに悶えるような甘い相手ではない。すぐにこちらをにらみつけ、体勢を整える。とは言え、立ち上がれはしないようだ。
「おのれ……調子に乗りおって」
寒気のするような形相で、彼女は淡い光を纏った。すると、パキパキと凍るような音を立て、折れた足首が伸びていく。余波を受けたのか、彼女の周囲の氷が徐々に盛り上がってくる。
ソロがうなる。
リュカは目を見張った。
「足が生えてきた……」
「許さんぞ。もうお遊びは終わりだ」
彼女の長く美しい髪が、さながら青い炎のように波打つ。
彼女は立ち上がり、少し胸を張り、息を大きく吸うような仕草を見せた。そして次の瞬間、一気に息を吐き出した。
「うわっ!」
吐き出された息は、吹雪となってリュカの視界を覆った。かわすには範囲が広すぎる。リュカはやり過ごそうと、マントで身体をすっぽり隠した。
吹雪のなかには氷のつぶてが混ざっていたらしい。あるものはマントを裂き、あるものはその下にある皮膚までも裂く。身体に突き刺さるものもあれば、殴打するものもある。
「くっ!」
全身から血を流し、リュカは倒れる。だが、ヒャドのように一発一発が強力なわけではない。痛みこそ襲っても、意識が刈り取られることはない。リュカは転がる勢いで素早く体勢を立て直す。
ソロも血を流しているが、闘争心を失ってはいない。ベラは離れたところにいたため、難を逃れたようだ。杖を敵に向け、魔力を宿す。
駆け出したソロにリュカも続く。ベラの魔法が放たれる。
「ギラ!」
赤い閃熱が空間を裂き、瞬く間に氷の化身に迫る。
己に迫る炎に対し、敵は青白く光る手のひらを向けた。
「惰弱な種族が、楯突くな!」
ギラは相手の手のひらに触れた瞬間、音を立てて即座に掻き消える。それと同時に蒸気が急激に発生した。
敵はベラの魔法を注視してはいたものの、決してその他に対して無防備になっていたわけではない。だが、わずかな隙を見出したのだろうか。ソロは体勢を低くし気配を消して、ベラとは対極の位置に疾風のように回り込む。リュカはそれには続かず、一直線に駆ける。
「もう一発! ルカナン!」
意図してのことかはわからないが、ベラは相手の注意を引きつけるように、魔法を紡いだ。
「くっ! 鬱陶しい!」
淡い魔力光が氷の化身を浸す。刃物のような目つきで氷の化身がベラをにらみつけた瞬間、ソロが彼女のふくらはぎに深々と牙を食い込ませた。
悲鳴を上げ、反射的にソロを振り向く氷の化身。その目は、己のふくらはぎを噛み砕く獣に、一瞬であろうとも釘付けにされただろう。ぐらりと揺らぐ氷の化身の顔に、リュカは杖を振るった。
硬い音が響き、相手は倒れ込む。ふくらはぎは抉られたかのように欠け、顔にはひびが蜘蛛の巣のように走っている。
ソロが食いちぎったものを吐き出す。それはやはりと言うべきか、相手の身体の肉などではなく、氷のようなものだった。ソロの口周りが白く染まっている。
この機を逃すわけにはいかない。もう一撃加えようと、倒れている相手に駆け寄るリュカ。
そのとき、氷の視線に貫かれたような気がした。
前方の床に一際濃い冷気が流れた。リュカの背筋をひやりとしたものが伝う。リュカは両腕とその手に持った杖で身体を守りつつ、横に転がってでもかわそうとした。
細く鋭い氷の槍が目にもとまらぬ速さで、何本も伸びてくる。それはリュカの両腕を、両足を、容赦なく串刺しにした。