ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~ 作:KENT(ケント)
19話
日が沈みつつある。夕日に赤く照らされた平原を行きながら、パパスは視線をラインハット城のある方角へ向けた。
ラインハット城は肉眼ではまだ見えない。距離のせいもあるが、森や小山の連なりに視線を阻まれているからだ。ラインハットへはその森や小山をある程度避けながら向かうことになる。
今日中に着くのは無理だな、パパスは内心で呟いた。自分一人でならそうとも言えないが、今はリュカを連れている。なんならリュカを抱えて目的地までひとっ飛びということも可能だが、そうするつもりはなかったし、そうしたことは今までもほとんどしたことはなかった。
それは、そうすることがリュカの糧になると考えているからだ。普通の親なら他にいくらでも子に教え伝えることがあるのかもしれないが、リュカをこのような旅の生活に連れ出してしまった以上、生きていく術を与えることが何よりも重要だろうとパパスは思っている。
吹き抜ける風が、草木をそよがせる。そのなかに足音が二人と一匹分。パパスには振り向かずともリュカがしっかりついてきていることがわかっていた。背後から聞こえる一定のリズムを刻む足音は、パパスにとって慣れ親しんだものだ。
「お父さん、あれなんだっけ?」
「ん?」
リュカを振り向くと、なにやら右の方を指差している。その先にはさほど遠くない位置に森が広がっていたが、何の変哲もないように思える。
「森がどうかしたか?」
「森の中。木の隙間から見えるやつ」
目を凝らして木々の隙間を順番に見ていくと、目につくものがあった。夕日の届かぬ木々の奥、ひっそりと禍々しさを漂わせている沼地だ。パパスにとっては見慣れたものだ。
「ああ、毒の沼地のことか」
「毒の沼地……どこかで聞いた……」
リュカは首をひねっている。どこかで聞いたことがあるのも当然だ。なぜなら、以前もパパスはリュカに毒の沼地のことを教えてやったことがあるからだ。そのときも同じようにリュカが尋ね、同じようにパパスが答えた。親の欲目なのかどうなのか、リュカは物覚えの悪い子ではない。だが、強く興味のひかれた物事でない限り、一度聞いただけで記憶していられるわけもない。こんなことはよくあることだ。
風に小さく後ろ髪をなびかせながら、少しの間考え込んでいたリュカは、ふとパパスに目を向けた。
「見に行っていい?」
「むやみに近づくべきではない。何せ毒だからな」
このやり取りも以前したな、どこか残念そうな顔をするリュカを見ながらそう思った。リュカは名残惜しげに沼地のほうを見つめながら、パパスに続いて歩く。渋々なのが足音から伝わってきて、少しおかしかった。
不思議なもので、リュカに何度同じ質問をされようが、面倒に思ったことはない。辛抱強く教えてやるのも親の務めなのだろうと思うと、むしろ温かささえ感じるのである。
それは、ちゃんと親としての務めを果たせていないのではないかという不安があるがゆえなのかもしれない。本当なら、まだ幼いリュカは危険とは無縁で平穏な生活を送っているべきなのだ。それなのに、その当たり前の生活さえ与えてやれていない。せめてもの救いは、リュカがまるでそう運命付けられていたかのように、あっという間に旅の生活に順応し、また旅を好んでいるらしいことである。
旅の生活では友達も出来づらい。多くの友達に囲まれて毎日騒がしく遊びまわるのが、おそらく健全な幼少期なのだろう。だがリュカには友達と呼べる存在などほとんどいないようだ。その最も大きな要因は、紛れもなくこの旅の生活だ。そのことにリュカが寂しさを感じている様子がないのが唯一の救いだが、それが友達がいる喜びを知らぬがゆえのことなのではないかと思うと、パパスは胸が締め付けられるような苦しさを感じるのである。
せめて母がいればよかった。そうであったなら、きっと己にはない柔らかな両腕でリュカを抱いてくれただろう。リュカから何でもない話を聞いてやり、温かな笑顔で頷きを返してくれただろうし、想いのこもった手料理でリュカの胃袋を満たしてくれただろう。どれも自分にはできない。
サンチョがその代わりになろうと頑張ってくれているが、やはり母とは違う。サンチョは女ではない。女は男よりも胸に溜め込める愛情の容量が遥かに多いのではないかと、パパスはたびたび思うことがあった。
「リュカ、今夜は野宿をするぞ。準備に入るとしよう」
日が沈みきる前に準備を済ませておいたほうがいいと考え、パパスは言った。
「薪、集めてくる?」
ああ、と返すと、リュカは縛った後ろ髪を跳ねさせながら、近くの森へと駆けていく。ソロが後に続いた。赤く染まる平原に、一人と一匹の小さな影が伸びる。
リュカのそんな姿を見ていると――いや、どんな姿であろうと、パパスから見れば可愛らしく愛おしいものだ。だが、そんな感情をどう形にしてやればいいのかパパスにはわからなかった。妻が――リュカの母がいたなら、パパスに代わって惜しみない愛情でリュカを包んでくれるはずだ。そうすればリュカは、自分が愛されていることを十分に実感できただろう。リュカは今、自分が愛されていることを理解しているだろうか。そうであってほしいとパパスは願いながら、リュカの後をゆっくりと追った。
森から近すぎず遠すぎずというところでパパスたちは野営をすることにした。森は平原よりも魔物が多いため、野営するのに適していない。かと言って、あまり森から離れたところまで薪や食材を運ぶのも面倒だ。
パチパチと耳障りの良い音を立てて燃える、放射状に組まれた薪。すっかり日が沈み、暗闇に包まれた広大な平原の一所を、針の先のように照らす唯一の光源だ。この薪の組み方だと、大きな炎を生むことはないが長く火持ちする。オレンジ色の小さな炎だが、二人と一匹には十分だ。揺らめく小さな炎は、闇のなかにパパスたちの姿を陽炎のように浮かび上がらせている。
パパスはもちろんだが、リュカも薪集めや食材集めは慣れたもので、さほど苦労することなく森でそれらを見つけてきた。山菜やキノコ、木の実など、森には数多くの食材が隠れているが、そのなかには毒のあるものもある。見慣れない食材は、少量を口に含んでみたり、汁を肌に塗りつけてみたりして毒がないかどうかを確かめる必要があるのだが、リュカはそんなことはしていなかった。害がないと知っている食材だけを集めてきたのだ。今までの経験から記憶していたのだろう。食べなければ生きていけない以上、きっとリュカも一生懸命覚えようとしたに違いない。
見慣れない食材には手を出さないというのは賢明な判断だと、パパスは頬を緩めた。なかには毒消し草を用意して、手当たり次第に何でも食べる者もいるそうだが、そんな者たちよりもリュカのほうがよっぽど旅人らしい。また、街で食料を買い溜めしておいて、旅のなかではそれを消費するという者もいるが、それはパパスは好まない。手荷物はできる限り減らしたほうがいいと考えているからだ。
脇に下ろした暗い緑色の道具袋から、パパスはくすんだ鉄製の鍋を一つ取り出した。小さくてかさ張らないため、旅に出る際、持ち運ぶのに適している。長年愛用してきたものだ。そのなかに、食材を次々放り込んでいく。
「はい」
ゴソゴソ道具袋を漁っていたリュカが、水筒を取り出して差し出してきた。ポンと頭を撫でてやり、それを受け取る。水筒は皮革でできたものだ。中身が染み出してきたりもするが、空のときは小さく折りたため、かさ張らないので、これもまた持ち運びに適している。食材の入った鍋に水を入れる。
「はい」
再び道具袋を漁っていたリュカが、小さな網のようなものを差し出してきた。これには針金のように細い鉄でできた脚が四本ついており、自立させられるようになっている。脚は折りたためるようになっており、これまたかさ張らない。これを焚き火の片隅をまたぐように立てる。
網の部分も針金のような鉄でできている。四角い枠を、何本か区切るように細い鉄棒が走っているだけだ。だがこれでも上に鍋を置くことくらいならできる。あとは鍋が煮えるのを待つだけだ。
この小さな鍋ですら少しはみ出すほどの大きさしかない網だが、だからこそいいのだとパパスは思っている。迅速な行動を妨げる物は可能な限り持ち運ぶべきではない。
「お腹すいたね」
ぼそりとリュカが言った。そうだな、と言葉を返す。
リュカは感情を表に出すのが苦手のようだった。一見するとリュカはただ膝を抱えて座ってボーっと焚き火に炙られる鍋を眺めているようにしか見えない。
しかしパパスには、鍋を眺めるリュカの目に普段よりも期待の色が強く、リュカの関心の大半が鍋に注がれているのがわかった。時折、思い出したように横で食事をしているソロを撫でるが、ソロに唸られて手を引っ込めている。
エサを取られるとでも思ったのだろうか。だったらリュカに寄り添っていないで、離れたところで食べていればいいだろうにとパパスは思ったが、動物は動物なりに考えることがあるのだろう。ちなみにソロのエサはソロ自身が狩ってきたものだ。リュカやサンチョからエサをもらっているところを何度も見たことがあるが、施しを受けるばかりではないらしい。結構なことだ。
静かな時が流れる。自分もリュカも賑やかなタイプではないため、旅の最中、二人きりのときは大体静かだ。だが、そこに気まずさなどない。
それに、意識すれば自然のなかには様々な音があふれていることがわかる。草木のざわめきや、虫たちの鳴き声、薪の弾ける音。ときにはどこからか獣の遠吠えが聞こえてくることもある。自然の音たちに包まれているのがパパスは好きだった。リュカもどうやらそうらしい。そんな自分たちはきっと旅に向いているのだろう。
「もうできた?」
リュカの様子をなんとなく眺めていると、ふとこちらを見上げたリュカと目が合い、そう問われた。
鍋の様子を見てみると、沸騰しはじめていた。香りも漂ってくる。おいしそうな香りとは言えないが、それは当然と言えば当然だ。ただ食べられる食材をぶちこんで水で煮ただけなのだから、まともな料理ができあがるほうがおかしい。しかしそれでも栄養は摂取できる。肉でも入れればまた違ったのかもしれないが、野生動物はどんな病気にかかっているか知れたものではない。肉を食って力をつけたほうがいいときもあるが、今回のような短い旅ではわざわざ食べる必要もない。
「ああ、もういいだろう」
そう答えてやると、リュカはまた道具袋に手を突っ込んで、二つの小さなお椀を取り出した。そのうちの一つをパパスに渡し、もう一方は手に持ったまま鍋に向かって突き出している。よそえということだろう。パパスはふっと頬を緩めた。
鍋の取っ手を持って、リュカのお椀に注いでやる。すると、とうに食事を終えていたソロが、鼻をひくつかせながらリュカのお椀に顔を近づけていく。だがリュカに押し退けられて諦めたようだ。
次に自分のお椀にも注ぎ、鍋を置く。
「うまいか?」
黙々と食べていたリュカはちらりとこちらを向き、あんまり、と言った。パパスも我ながらそう思った。そして、母がいれば少しは違っただろうなどと考える。
そのとき、パパスの神経が微弱な気配を敏感に捉えた。そちらに目をやると、森から一頭の魔物がのそのそと這い出してきていた。暗くてはっきりとは見えないので、どんな魔物かはわからないが、どうも元気がなさそうに歩いてくる。危険な相手ではない。ゆっくりとこちらへ向かってくる。
パパスが何かを見ていることに気づいたのか、リュカも同じ方向に目を向ける。そしてリュカも気づいたようだ。脇に置かれた杖に手を添える。ソロは一度ちらりと見たきり、興味を失ったように横になり、目を閉じた。
「戦わないの?」
「ああ。どうも弱っているようだから、向こうも無駄に戦おうとはしないはずだ」
とは言え、襲ってくるなら戦うしかない。
魔物はさらに近づいてきて、ついに焚き火の明かりがその姿をあらわにした。
「グルルン……」
そう弱々しく唸る魔物――ドラゴンキッズは、牙をむき出しにしてリュカをにらんでいる。黄色い鱗に覆われた、小さな竜だ。大きさはソロとそう変わらない。何者かに襲われたのか、あちこちに傷が刻まれ、血があふれている。
必要とあらば剣を抜けるようにと、かすかに身構えていると、リュカが突然自分のお椀をドラゴンキッズに差し出した。
「どうした、リュカ?」
「お腹空いてるらしいから……」
すると、ドラゴンキッズはお椀に顔を突っ込み、食べ始めた。
パパスは驚きに目をわずかに見開いた。リュカには魔物の気持ちがわかるのだろうか。今までも魔物といつの間にか仲良くなっていたことは何度かあったし、現に今もベビーパンサーを連れ歩いている。だが、今のリュカのように魔物の気持ちを読み取るかのようなところは見たことがない。ドラゴンキッズが食べ物を強請るような様子を見せていたならともかく、パパスにはリュカを威嚇しているようにしか見えなかったのだ。
思い出すまでもなく、パパスは妻の姿を脳裏に浮かべた。彼女も魔物と心を通わせることのできる人だった。リュカのように魔物と戯れるだけでなく、魔物の言葉を理解し、己の言葉を魔物に伝えることができた。リュカにはそこまでの力はないと思っていたが、もしかしたらその素養は備わっているのかもしれない。
魔物とは心を持たぬ残虐な生物だと思っていた――おぞましい本能のみに従い、他者の血潮でしか渇きを満たすことのできない、哀れで醜い悪魔だと。無論、そのような魔物がほとんどだ。だが妻のおかげで、パパスは心を持つ魔物もいるのだと知った。それ以来、むやみやたらと魔物を殺す気にはなれなくなったのだった。
食べ終えたドラゴンキッズがおずおずと鼻先をリュカの手に寄せていった。それに応えるようにリュカの指先がドラゴンキッズの顎をくすぐると、ゆらゆらと太い尻尾を揺らす。そんなドラゴンキッズを見つめるリュカの目は、どこか優しい。
リュカは母を知らない。知らぬまま、その瞳に母と同じ色を宿すことがある。そこに確かな血の繋がりを見て、パパスの胸に温かさと苦しさの混ざり合ったものが生まれる。彼女もまた魔物を含め動物が好きで、とても優しくそれらを眺めた。
「リュカ、父さんのを使うといい」
自分の分の食事をドラゴンキッズに与えてしまったリュカに、パパスは自分のお椀を差し出した。リュカのお椀はドラゴンキッズが舐めまわしてしまったため使えない。
「うん」
再び食べ始めたリュカからドラゴンキッズに目を移す。もう敵意はないようだ。ペットのようにリュカにじゃれついている。一度エサをもらったくらいで懐柔されるのもどうなんだとは思うが、リュカにはそういう素質があるのだから仕方がないのだろう。
不思議な力だ。妻やリュカのような者を『魔物使い』と呼ぶらしい。世界にはこういう人間がそれなりにいると聞くが、世界中を旅してきたパパスでさえ今まで妻とリュカ以外にはほとんど見たことがない。
ドラゴンキッズに手をかざすと、警戒心を向けてくる。だが構わずホイミを唱え、傷を癒してやる。元気になったとたん、ホイミを放った手に噛み付こうとしてくるのを、手を引っ込めてかわす。リュカには懐いてもパパスのことは気に食わないらしい。パパスは苦笑いを浮かべた。
「ごちそうさま」
食べ終えたリュカはお椀を無造作に置いて、こちらを向いた。
「明日には着く?」
「ああ」
「何しに行くの?」
「ラインハットの王様に呼ばれてな、話を聞きに行くんだ」
ふーん、と興味なさげに相槌を打つリュカ。
ラインハットはどうなっているのか、詳しいことはパパスもまだ聞いていない。相談したいことがあるとのことだったが、直接でないと話はできないとのことだった。
川を眺めていた老人の言葉を思い出す。何か良からぬことが起こっているのかもしれない。リュカは置いてくるべきだったかと、少し思う。
リュカは眠くなったのだろう、ターバンも巻いたまま横になった。ドラゴンキッズも寄り添うように横になる。仲のいいことだと、ラインハットへの懸念も消え、パパスの頬が緩む。
おやすみという言葉とともに本格的な眠りに入ったらしいリュカをしばらく見つめ、やがてパパスは視線を空へ移した。
夜空には満月が煌々としている。あのときも――妻が消えた夜も――今日のように満月が不気味なほどくっきりと浮かんでいて、また異様なほどに月が大きく見えたのだった。動揺し、辺りを探し回り、ついには妻の姿を天に求めたとき、そんな己を睥睨する月と目が合ったような気がした。そのときパパスは身体の芯が凍り付いていくような恐怖を感じたのだ。こんな月を見るたびに、どうしてもあの夜を思い出す。
彼女の居場所どころか、彼女が今生きているのかどうかさえわからない。だが、生きているような気がするのだ。根拠など何もないが。生きていてほしいという願望が、パパスにそう思わせるのかもしれない。
月の光が反射して、首に掛けた銀のペンダントがきらりと光った。それに応じたわけではないが、パパスは無意識のうちにひんやりとしたそれを握った。
翌朝、リュカが目を覚ますと、ドラゴンキッズは消えていた。代わりに変な木の実が置かれている。父が言うには、これは『命の木の実』というものだそうだ。食べると体力がつくらしい。眉唾物だと思ったが、父が言うのだからそうなのだろう。
この命の木の実はきっとドラゴンキッズが残していったものだろう。お礼のつもりなんじゃないか、と父は言った。リュカは食べておくことにした。うまいものではないし、体力がついた実感もない。だが、ありがたいことではある。目に映るこの広大な森のどこかに、あのドラゴンキッズはいるのだろう。そう思うと、きっともう二度と会うことはないのだろうと、すんなりと思えた。たいした出会いではなかった。だからたいした別れでもない。そう思うことで寂しさから目をそらせるということを、リュカは無意識のうちにだが理解していたのだ。