ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~   作:KENT(ケント)

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20話

20話

 

 

 

 

 

 ラインハットの城下町は、サンタローズやアルカパとは比べ物にならないほど大きな町だった。それどころか、リュカが父との旅のなか見てきたどの町よりも大きいだろう。ラインハットは有数の大国だという父の言葉のとおりだ。多くの人で賑わっており、リュカの好みにはあまり合わない。

 そんな城下町から跳ね橋で通じた、水堀に囲まれた城に今リュカたちはいる。堅牢でありながら、随所に装飾を凝らした石造りの城だ。

 無論、国王に呼ばれた父が国王に謁見するためである。そのためリュカたちは玉座の間に通された。大国ラインハットの王となれば、それはもうとんでもなく偉い人なのだろう。それはこの玉座の間を一目しただけでも感じ取れる。

 まず、何といっても玉座だ。背もたれから肘掛けから脚から、全てが黄金で意匠を凝らした造りだ。背もたれと座面には赤いクッションのような柔らかそうな素材が埋め込まれているのか敷いてあるのか、とにかく座り心地もよさそうである。背もたれは、人間がもたれるにはかなり高く、座面は、かなりの巨漢でも苦もなく座れるだろうほどの大きさだ。

 床に敷かれた職人の技術の結晶とも思える赤いじゅうたんは、嫌でもこの場の格式の高さを思い知らせてくる。

 円形のこの部屋の壁には、等間隔にランセット型の窓が並び、そこから差し込む陽光がこの部屋から闇を払っていた。

 玉座の奥には上への階段が見える。おそらくは王の私室がその先にはあると思われるが、さすがに上って確かめるわけにはいかない。

 そんな偉い人からなぜ父が呼び出しを受けるのか少し気になったリュカだが、すぐにその疑問をぶん投げた。考えてもわからないことだし、今この場で父に問いかけるのもおかしいだろう。

 国王にしてみれば、用があるのは言うまでもなく父のみだ。だから国王と父が人目を憚るように二人でなにやら話しはじめてしまったのも、半ば追い出されるように「城を見て回ってきたらどうだ」と言われてしまうのも当然だ。この謁見の間まで同行を許されただけでも寛大だと思って納得するしかあるまい。それどころか、ソロまでも謁見の間に立ち入ることを許されたのは、破格としか言いようがない。

 よく考えてみれば、この場に留まったところでたいして面白くもないだろう。リュカはそう思うことで気を取り直した。それよりは城のなかを見て回るほうが有意義な時間を過ごせるはずだ。

 

「ソロ、行こ」

 

 玉座の奥に上への階段が見えるが、リュカはここまで来た道を戻るように、王座と対極に位置する赤いじゅうたんが敷かれた階段を下りた。

 階段を下りた先のこの部屋もまた円形の部屋で、左右両側の壁に扉があり、また下への階段もある。とりあえず右の扉を開けてみると、そこは屋上だった。リュカが今までいたのは、頭一つ突き出た円形の塔だったらしい。

 

「でかい……」

 

 広い中庭があるのが眼下に見え、それを囲むようにぐるりと四角くこの城は築かれている。そのため屋上は太い通路のように伸びており、四角く回ってこの塔の反対側に繋がっている。さっきの部屋の左側の扉に通じているのだろう。

 中庭は緑が豊かな広場だった。人の手が入った場所ほど、どうにか緑を残そうという意図が感じられる。人が手を入れなければ、放っておいても緑であふれかえるというのに。

 リュカは部屋に戻ることにした。屋上を歩いても、ざっと見渡した限り何もなさそうだったからだ。

 部屋に戻ると、リュカはさらに下への階段を、コツコツと杖をつきながら下りた。すると、また同じように円形の空間が広がっており、やはり左右に扉がある。今度は下への階段はない。

 とりあえず左側の扉を行ってみると、その先には正面に階段が、左側に折れた廊下の先に扉がある。誰かの私室のようだ。

 私室に入るわけにもいかず、リュカは階段を下りることにした。

 階段を下りると、前方にはまっすぐ赤いじゅうたんが敷かれた通路がのびており、一方塔のある左側の壁には大きな扉があった。通路は、来たときに通った道だった。ならば、とリュカは扉を開けた。

 

「いい匂いがする……」

 

 そこは食堂らしきところだった。いい匂いが漂う、円形の広々とした空間だ。長方形のテーブルがいくつも整然と置かれ、壁際には調理場もあった。大きな調理場だったが、今はその一所で女性が一人作業をしているのみだ。隅には井戸もあった。ソロが鼻をひくつかせて辺りを見回している。

 ほとんど人はいなかったが、あるテーブルにだけ数人集まっており、歓談中のようだ。

 入ってきたところとは別に、もう一つ扉があった。こちらは大きな扉ではない。この食堂の大きさには多少驚いたものの、特に見るべきものもなさそうだと思い、そちらへ抜けようとリュカは歩き出した。杖がむき出しの石の床を軽く突く音が鳴る。ソロは足音を全く立てない。

 そのとき高く幼い声が響いた。

 

「ねえ、あなたヘンリー様の遊び相手として呼ばれた子でしょ?」

 

 リュカは最初、それが自分に向けられた声だと気付かなかった。よって足を止めることもなかったのだが、再度かけられた声に立ち止まった。

 

「ちょっと、無視しないでよ、そこの紫の小さいの」

 

 振り向くと、テーブルについていた少女がこちらをまっすぐに見ている。リュカより少し年上と思われたが、さほど変わらない年頃の子だ。

 そのテーブルには、青年と少年もいた。少年はリュカよりも年下のように見える。ふわふわした羽毛のような茶髪で、気弱そうな少年だ。

 

「聞いてるの?」

 

 少し不機嫌そうな声色に変わった。

 リュカとて、別に聞いていなかったわけではない。ヘンリー様がどうとか言っていただろうか。リュカには全く身に覚えのないことである。ゆえにどう返したらいいのか、そもそも言葉を返してやる必要があるのか考えていたのだ。

 ソロもリュカの足元で、リュカと同じ気持ちであるかのように、キョトンとした顔で少女を見上げている。

 

「ヘンリー様って誰?」

 

 興味の欠片もわかぬ相手であろうと無視するのはよくないらしいという、リュカの頭の片隅におぼろげに残っていた知識に従い、一応言葉を返す。本音としては、ヘンリーというのが誰であろうとどうでもいい。

 

「ヘンリー様はこの国の王子様でしょうが。なに言ってんの」

「こらこら、そういう言い方はよくないよ」

 

 なだめるような青年の声。少年もどこか不安そうな顔で少女に目を向けている。その視線に怯んだように、少女は「うっ……」と言葉に詰まった。

 

「喧嘩はよくないよ。デール様もそう思いますよね?」

「……うん」

 

 少年――デールというらしい――に対して敬語を使う青年。おかしな図式ではあったが、ここが城であるがゆえに、納得できる理由も思いつく。この少年は身分が高いのだろう。それは彼の身なりからもうかがえる。衣服の質が明らかに少女や青年のものとは違っており、実に高級そうだ。

 

「うぅ……、わかりました! わかりましたよ! でも喧嘩していたわけじゃなくて……こいつが無視するから……だから、その……。そう、こいつが悪いんです!」

 

 ビシッと聞こえそうなほど、勢いよくリュカを指差す少女。そんな彼女の様子に、デールは顔を曇らせた。

 

「やっぱりぼくはダメだ。ケンカ一つ止められないのに、王様だなんて……無理だよ……」

 

 ブツブツと呟くデールに、青年と少女は焦りを露骨に表情に浮かべる。

 

「そ、そんなことありませんよ! デール様はとても賢くていらっしゃるし」

「そうですよ! ヘンリー様よりもずっと王様にふさわしいですよ!」

 

 しかし、そんなフォローをされるにつれて、デールの表情はますます沈んでいく。

 

「そんなことないよ……。兄さんのほうがずっと王様にふさわしいんだ」

「いやぁ……それはどうでしょう……」

「ヘンリー様が王様になったらと思うと……ゾッとするわ」

 

 どうやらヘンリーという王子は評判がよろしくないらしい。そんな、自分にとっては何の意味もない情報をリュカは得た。

 顔を引きつらせる二人に、デールはどこかムッとしたような視線を向けた。

 

「兄さんの悪口を言わないで」

「す、すみません」

 

 フォローするのも大変だな。リュカは半ば同情を込めた視線を送った。

 そしてリュカは今度こそこの部屋を後にすることを決めた。後ろから何やら少女が騒いでいる声が聞こえるが、小さい扉のほうに向かう。

 扉に手をかけようとしたそのとき、勢いよく扉が開いた。その勢いのままに、何者かが飛び込んでくる。

 

「うわっ!」

 

 当然のように、リュカと何者かは激突した。リュカは反射的に身構えたためよかったが、何者かは驚いた声を上げながら尻もちをついている。

 

「いってー。何だお前!」

 

 何者かが怒鳴った。ぶつかったことを怒っているようだが、非は相手にあるとリュカは思った。

 

「ヘンリー様!」

 

 少女が素っ頓狂な声を上げた。

 どうやらこれがヘンリー様とやららしい。リュカは静かに観察した。

 青年がどこか怯えたような声を漏らした。

 

「お前はなんだと聞いているんだ! 答えろ!」

 

 何だ、と聞かれ困ったが、とりあえず名前を答えておく。あの少女が言うには、自分はこいつの遊び相手なのだそうだが、身に覚えがない。

 

「お前、見ない顔だな。この国の人間じゃないだろ」

 

 立ち上がりながらヘンリーが言った。

 リュカは僅かに目を見開いた。

 ひと目見ただけでそれを看破するとは、なかなかの洞察力を持っているようだ。あるいは、全ての国民の顔を記憶しているのかもしれない。どちらにせよただ者ではない。ただやかましいだけの子どもかと思っていたが、王子というだけあって、どうやらそうではないらしい。

 リュカは頷きを返した。

 

「やっぱりな。あっ、もしかしてお前、親父に呼ばれてきたパパスとかいうやつの子どもか!」

 

 リュカは再び頷く。

 隣で座っているソロが退屈そうにあくびをした。

 

「やっぱり、ヘンリー様の遊び相手なんじゃない」

 

 なぜか得意げな少女の言葉が聞こえた。得意げなのは結構だが、彼女の言うことは間違っている。

 

「なに、遊び相手だと?」

 

 ヘンリーが訝しげな表情を浮かべた。

 

「おい、いいか。よく聞けよ。おれはこの国の王子だ。つまり王様の次に偉いんだ。わかるか? お前のような薄汚いやつが、おれの遊び相手になんてなれるわけないだろ」

 

 言い方は若干不快だが、言っていることはもっともだ。

 ヘンリーは、態度こそ上品さの欠片もないが、見た目はなかなかのものだった。緑色のさらさらの髪を、お坊ちゃまらしくおかっぱにし、上品な服の上に赤いマントを羽織っている。

 彼はふと何か思いついたように、嫌味たらしい表情を浮かべた。

 

「だが、まあ、子分にならしてやってもいいぞ」

「いい」

 

 リュカは首を横に振った。

 ヘンリーの眉がピクリとする。

 

「ん、なんだって? もういっぺん言ってみろ」

「いい」

「お前、生意気だな」

 

 ヘンリーが懐に手を忍ばせた。

 人々が一斉に飛び退いた。何事かとリュカは首をかしげる。

 そのとき、皆が飛び退くなか、一人立ち上がり身を乗り出す少年をリュカは見た。デールである。

 

「ちょっと、兄さん、何する気なの!?」

「ん、デールか? お前こんなところでなにしてる」

 

 懐に手を入れたまま、ヘンリーが怪訝そうな目を少年に向けた。デールは俯いて言いよどんでいる。ヘンリーは鼻で笑った。

 

「どうせまた逃げ出してきたんだろ。勉強しか取り柄がないくせに」

「だって、ぼく、王様になんてなりたくないんだもん」

 

 デールは勉強が得意のようだ。自分よりも年下だろうに、たいしたものだ。リュカは感心していた。そして、まだ読み書きもできない己の不甲斐なさを思い、少し落ち込んだ。

 

「またあの母親がうるさいぞ」

 

 再び俯くデールを見て、ヘンリーは口元を歪めた。

 

「ウジウジしやがって……。そういうところがむかつくんだよ!」

 

 懐から何かを取り出したヘンリーは、それを宙にばらまいた。黒い小石のようなものがいくつも宙を舞っている。リュカはそれを注視した。それはなんの変哲もない小石に見えたが、突然淡い光を纏った。リュカは咄嗟に杖を身体の前に構えた。と同時に小石が一際鋭い光を放ったと思った瞬間、爆発した。

 悲鳴を上げて、皆が頭を抱えてしゃがみこむ。ソロがキョロキョロと視線をさまよわせている。

 その爆発は、たいしたものではなかった。負傷者など一人も出なかったし、リュカも爆風すら感じなかった。だが、音と光はけっこうなものだ。爆竹のように小石の一粒一粒が激しい音を連鎖的に立て、同時に光が周囲の景色を掻き消す。

 

「やめてよ、兄さん! なんでこんなことするの!?」

 

 爆発は瞬間的なものだ。すぐにおさまり、同時にデールが叫んだ。

 

「うるさい! 子分が楯突くな!」

 

 再びヘンリーは膨らんだ小さな袋を懐から取り出し、地面に投げつけた。衝撃でその袋の口が開き、中からほんのりと紫に色付いた気体が漏れ出してくる。

 

「くっさー!」

 

 今度は皆、鼻を摘まんで顔をしかめる。一際不快感をあらわにしたのはソロだった。一声うなる。するとヘンリーはビクリとこちらを向いた。

 まずい、リュカは思った。ソロが苛立っている。いつヘンリーに襲いかかってもおかしくない。

 どうしたものかと思っていると、ヘンリーが懐からまた何かを投げた。団子のようなものがソロの目の前にボトリと落ちる。ソロはそれに飛びついた。

 ヘンリーがホッと息をつく。

 

「魔物のエサが効いたか……。ってことは、そのネコ、魔物か!?」

「うん」

 

 今度はヘンリーも含め、皆が飛び退いた。

 

「なんで城のなかに魔物がいるんだ!」

「王様がいいって」

 

 ソロはまだネコっぽいといえばネコっぽい。だから、サンタローズでもアルカパでも騒ぎにならなかったが、魔物に対する反応としてはこれが普通なのだろう。

 

「親父が? なに考えてんだ?」

「王様がそうおっしゃるってことは、危険じゃないってことかしら」

 

 そのとき、大きいほうの扉が音を立てて開かれた。

 

「デール! ああっ、こんなところにいたのですね。何です、さっきの音は? お怪我はないでしょうね?」

「母上……」

 

 そこから入ってきた女が、カツカツと乾いた足音を立てながらデールに駆け寄り、抱きしめた。見るからに高貴な身なりの女だ。足元まで覆うただでさえ派手なドレスの上に、さらに派手な服を羽織っている。純白の襟元に、ツヤのあるブロンドがよく映えていた。

 酷く安堵した様子でデールを抱きしめている女とは対極に、デールはどこか浮かない顔だ。

 女がふと何かに気づいたように顔を上げ、眉をひそめて辺りを見回す。そして片腕でデールを抱いたまま、もう片腕で鼻と口を覆った。袖口できらびやかな装飾が光る。

 

「まあ、酷い匂いだこと! こんなところにいてはいけません。さあデールや、早くお部屋に戻りましょうね」

 

 彼女はデールを抱き上げた。デールは相変わらず俯いて黙っている。

 そこで彼女は気付いたように、ヘンリーへと視線を向けた。デールに向けたのとは180度違う冷たい視線と、ヘンリーの視線がぶつかり合う。だが、女は何も言わずこの部屋を出て行った。バタンと扉が閉まる音が響く。

 ヘンリーが激しく表情を歪め、舌打ちをした。

 

「あれ誰?」

 

 ヘンリーの弟であるデールの母ということは、ヘンリーの母でもあるはずだが、どうもそんな感じではない。その辺りが気になって尋ねたのだが、それはどうやら禁句だったらしい。

 

「うるせえ!」

 

 ヘンリーはリュカをにらみつけ、叫んだ。そして、小さいほうの扉を飛び出していった。騒ぐだけ騒いで消えていく、嵐のようなやつだった。

 なんだったのだろう、リュカはヘンリーの出て行った扉を見つめた。ソロは魔物のエサを食べ終えたようだ。

 

「やっと静かになったわね」

 

 少女がため息をついた。匂いついちゃってないかしら、そう漏らしつつ自分の服をかいでいる。

 

「相変わらず騒々しい方だなぁ」

 

 男が倒れたイスを立てながら、疲れたように言った。

 

「大変ねえ、あなたも。あのヘンリー様とちゃんと遊べる?」

 

 少女が同情をこめた目をリュカに向けてくる。

 

「遊ばない」

「まあ無理よね。きっと誰にも無理だわ」

「ヘンリー様を悪く言う人は多いけど、私はそうは思わないがねぇ」

 

 調理場で料理をしていた女性が、盛り付けられた皿をテーブルに置きながら言った。恰幅のいい女性だ。体型だけならサンチョに似ている。顔つきはサンチョのほうが優しげだが。

 

「本当のお母上を亡くしてさ、新しい母親ができたからって、ヘンリー様にしてみれば本当の母親じゃないしねぇ。しかも新しい母親がかわいがるのはデール様だけときたら、ひねくれたってしょうがないと思うけどねぇ」

「たしかになあ……」

 

 男が答える。視線は料理に釘付けだ。

 

「それにしたって限度があるわ」

 

 少女は腰に手を当てて憤りを表している。

 

「それに、次期国王の座までも奪われそうだって言うじゃないか。まあ、その辺はよくわからないけどさ、王族ってのも大変なんじゃないかい?」

「王妃様は露骨にデール様贔屓だからなあ。王様はどうお考えなんだろう」

「ヘンリー様のほうがお兄さんなのにねぇ……」

 

 今度こそリュカは部屋を出ようとした。

 そのとき、大きい方の扉が開いた。ふとそちらに目を向けると、そこには父の姿があった。

 

「あ」

「リュカ、ここにいたのか」

 

 なぜ国王と話していたはずの父がここにいるのだろう。リュカはそんな疑問を口にした。

 

「ヘンリー王子を探しているんだ。国王様に頼まれて王子のお相手をすることになったのだが、部屋にはいらっしゃらないようでな」

「さっきまでここにいたよ」

「おお、そうか。どこへ行ったかわかるか?」

 

 その言葉に答えようとしたとき、小さい方の扉の向こうから爆発音が響いた。扉がわずかに振動する。またヘンリーがおもちゃを爆発させたのかもしれない。

 皆がざわつくなか、リュカは扉を見つめ、パパスは何かを察知したのか扉へ向かって駆け出した。

 扉を開け放ち飛び出すパパスに、リュカも興味本位で続く。ソロもだ。その先はさっき屋上から眺めた中庭だった。中庭とは思えないほど広い。サンタローズの村くらいならすっぽり入ってしまうかもしれないとリュカは思った。

 下草が綺麗に刈り込まれ、樹木も何本も生えている。

 何らかの爆発はこの中庭で起こったようだった。火薬の匂いがわずかに漂っている。ヘンリーがまたあの爆発物を使用したのだろうと思っていたのだが、肝心のヘンリーの姿がない。

 

「まさか……」

 

 パパスは辺りに視線をさまよわせていたが、そう呟くとすぐに駆け出した。リュカとソロも続いた――中庭の探索を優先しようか少し迷ったが。

 中庭を囲む城壁に取り付けられている扉――リュカたちが出てきた扉とは別のものだ――を勢いよく開けパパスは駆け込んでいく。速い。その尋常でない様子に、リュカも気を引き締め後に続いた。

 扉は当然城内に通じており、通路が右に伸びていた。石造りの床で、じゅうたんなどは敷かれていない。リュカたちの足音が反響する。

 少し行くとさらに右に折れている。その通路を駆け抜けていると、側壁に扉があるのが見えた。パパスは迷わずそこを出た。

 

「どうしたの、お父さん?」

「王子がさらわれた!」

 

 リュカは目を見開いた。

 扉を出ると、そこは城の外だった。目の前は城を囲む水堀だ。地面が途絶え、眼下に水面が揺れている。堀の幅はわりと広い。普通の人なら飛び越えることはできないだろう。それも当然だ。堀というのは、外敵の侵入を防ぐためにあるのだ。

 パパスは足を止めずに、城と水堀の間を駆ける。リュカも続き、そして見た。前方に水堀を小船で進む者がいる。数人の男だ。

 堀は深く、水面は割りと低い。外からは小船が行っているのは、覗き込まない限り見えないだろう。堀の向こうに広がる城下町の住人たちは、今まさに自分たちの国の王子がさらわれているなんて、気付きもしない。

 

「いかん! 外へ逃げられる!」

 

 パパスは速度を上げた。小船との距離が縮まっていく。逆にリュカとの距離は開いた。

 堀の外側の壁の一部が低くなっており、そこへ男たちは小船をつけた。そして、大きな袋を抱えて走る。あの中にヘンリーは押し込められているのだろう。

 

「リュカ、お前も来るのか!?」

「うん」

 

 リュカは、行きたいという好奇心と、行っては邪魔になるかもしれないという思いとの間で迷ったが、頷いた。どうしてもダメだと父が思ったのなら、来るなと言ったはずだ。言わなかったということは行ってもいいのだろう。

 

「わかった!」

 

 パパスは即座に判断を下した。リュカの方へ駆け戻ると、リュカを抱えて再び小船がつけられた方へ走る。リュカは抱えあげられる直前に、ソロを咄嗟に抱き上げていた。父は急いでいるときはリュカを抱き上げて走るということが過去に何度もあった。それをリュカは覚えていたのだ。

 パパスは走る勢いをそのままに、堀を飛び越えた。

 

「あれは……まずい!」

 

 追われているのはわかっているようで、ちらちらこちらを振り返りながら、焦った様子で城下町のある方角とは別の方角へ走る。人目に触れず、城から離れようというのだろう。そして男たちが何者かと合流するのが見えた。何者かの手には白い羽が握られている――キメラの翼だ。

 彼らは白い光を纏った。そして次の瞬間、飛び去った。空に白い光の軌跡が残されている。

 

「逃がさん!」

 

 駆けるパパスの腕のなかから見る風景は、全てが後ろに吹っ飛んでいっているようだった。

 ラインハットは背を山々に預けた城だった。光の軌跡はその山を越えた先へ伸びている。それを追おうと、パパスはなんと山を駆け上がった。

 木々が現れては消え、消えては現れる。草を分けるというよりは、地面を抉るような音が絶えず聞こえる。リュカは落とさないようソロをぎゅっと抱きしめた。

 山は特別高いわけではなかったが、決して低い小山というわけでもない。普通の人間なら何時間かかるかわからないが、パパスはあっという間に山頂へ辿り着いた。そして、足を止めず跳んだ。

 山頂から一気に大地に向かって放物線を描き、落下する。ほぼ全ての音が消える。あるのは風が激しく暴れる音だけだ。髪とマントが千切れ飛びそうなほどなびく。

 

「うわ……」

 

 空と雲が一面に広がっている――今、リュカたちは空にいる。長い長い浮遊感。内臓が軒並み持ち上がる。ソロがギャーギャー騒いでいるが、リュカはギュッと押さえつけるように抱いた。もし落ちたら間違いなく死ぬ。

 眼下に急激に大地が迫ってきた。普通の人間なら当たり前のように血と肉の塊に成り果てるだろうが、パパスは着地した。衝撃で草に覆われた地面が抉れ、土が飛び出してくる。地面を滑る、というより、パパスの足が地面にみるみる埋まっていく。しばらくして静止すると、パパスの後ろには、巨大な生物が地面を引っ掻いたかのような跡が刻まれていた。

 

「ふぅ……」

 

 リュカがため息をつき終わる間もなく、パパスは広がる草原を風のように駆け出した。

 遠くに見えた森が、次の瞬間、目前に迫っている。森に踏み入ったと思った瞬間、森から抜けている。リュカの理解を超えた現象だった。足が速いとか、そういう言葉で片付けていいのだろうか。リュカは唖然としたまま、頭の片隅でそんなことを何とはなしに思った。

 ソロがリュカの胸にしがみ付くように、軽く爪を立てる。安心させるように、指先で軽く撫でてやる。

  

「あそこか」

 

 白い軌跡はすでに消えている。だが、行く手にそれらしい遺跡がある。

 キメラの翼は、一直線に目的地へ飛ぶ。つまり白い軌跡が伸びていった直線上に、敵の目的地はあるということだ。その直線上に当たるのが、あの遺跡だということなのだろう――リュカにはあの白い光がどの方向へ伸びていたのかなどもはやわからなかったが、父は正確に理解しているに違いない。

 もちろん、この遺跡のさらに向こうに目的地はあるのかもしれない。その可能性はある。だが、もしそうだった場合、そこを突き止めるには時間がかかるだろう。別の大陸まで飛んでいってしまっている可能性すらあるのだ。

 とは言え、その可能性を考慮して、この遺跡を無視するつもりはパパスにはないのだろう。ヘンリーをどうするつもりなのかは知らないが、ここにあの連中がいるとすればまだ間に合う可能性はある。もしここでないとすれば、どの道、間に合わない。

――それに、リュカはここがあの連中の目的地に違いないと思った。なぜならば、漂ってくるからだ。濃密な魔の気配が。

 

 

 

 

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