ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~   作:KENT(ケント)

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21話

21話

 

 

 

 

 

 そこは、石造りの遺跡だった。入り口からは、まっすぐに一本の通路が伸びている。その突き当たりに仰々しい扉があった。扉の両脇にろうそくが灯されている――明らかに現在進行形で人の手が加えられている。

 パパスはリュカを抱えたまま一気に駆け抜け、大きな鉄の扉を蹴破った。シンと静まり返ったなかに、激しい破壊音が響いた。

 その先には、複雑に入り組んだ遺跡の内部が広がっていた。廃城とも思えるような造りだ。至るところにろうそくが灯されており、薄暗いものの内部の様子は見える。上へ下へ階段がいくつもあり、縦横に通路が何本も伸びている、立体的な構造だ。

 

「おそらく、ここは連中の隠れ家なのだろう」

「あいつら何なの?」

「最近不穏な空気を感じると国王が言っていたが、おそらく連中のことだ。王子をさらおうというのだから、ただの人さらいではなさそうだが……」

 

 パパスが立ち止まり、辺りを見回す。

 通路の手すり越しに、下の階の大きな扉が見下ろせる。本来は、この迷路のような道を行き、どこかの階段を下り、下の階の通路を進んだ先に辿り着く扉なのだろう。だが、パパスはリュカを抱えたままここから飛び降りた。

 その扉の前でリュカを降ろし、扉に手をかける。両開きの大きな扉だ。

 リュカもソロを降ろした。

 扉の向こうには特に障害のない道が続いていた。右へ左へ伸びているが、奥の方へと伸びている通路は一本しかない。薄暗さのせいで、先は見通せない。

 奥への通路を行くパパスにリュカは続いた。杖をつく音が静寂に反響する。

 すると、開けた場所に出た。ここは一際薄暗いが、なにがあるのかはどうにか見える――牢獄だ。

 

「ヘンリー王子!」

 

 パパスは駆け寄り、檻に手をかける。そのまま押し引きするが、ガシャガシャと音がするだけで扉は開かない。当然と言えば当然だ。

 パパスが剣の柄に手をかけると、闇に一筋の線が刻まれた。鍵が破壊され、牢屋の扉が開かれる。

 リュカたちはパパスとともに足を踏み入れた。隅に座り込んでいるヘンリーが暗闇に溶けてしまいそうで、とても小さく見える。

 

「ヘンリー王子、お怪我は?」

 

 ヘンリーがのろのろと顔を上げた。薄暗くて表情はよく見えない。「遅かったな」ぼそりと彼は言った。

 

「だが、まあいい。どうせオレは城に戻るつもりはないからな。王位は弟が継ぐんだ。なら、オレはいないほうがいい」

 

 吐き捨てるようにヘンリーは言った。

 パパスがしゃがみこんで、ヘンリーと視線を合わせた。

 

「王子。あなたはお父上と一度よく話をしてみたほうがいい。あなたの本心を、一度でもお父上に打ち明けてみたことがおありか?」

 

 静かな声だった。

 その言葉でヘンリーの心がどう動いたのかはわからないが、彼は俯いて唇を震わせた。

 

「オレは……オレはいないほうがいいんだ……」

 

 そこに、リュカはヘンリーの本心を垣間見た気がした。嵐のように騒がしかった彼には似つかわしくない、薄闇に掻き消されてしまいそうな声だ。

 そう呟いたヘンリーの両肩にパパスは手を添えた。

 

「お父上の話も聞いてあげなさい。それからゆっくりと考えればいい。そのためにも、帰りましょう」

 

 心を閉ざしたように、ヘンリーは無反応だった。聞いていなかったのではないかとリュカは疑ったが、しばらくしてヘンリーは小さく頷いた。パパスがどこかホッとしたように表情を緩める。ヘンリーはのろのろと立ち上がった。そして彼の視線がリュカに向いた。

 

「……お前も来てたのか」

「うん」

 

 もっとも、来る必要はなかったが。むしろ、パパスにとってリュカは足手纏いにしかならない。それをリュカは理解していたし、パパスにも当然わかっていたはずだった。なのに、このような一刻を争う状況で、なぜ父は自分を連れてきてくれたのだろう。リュカは今さらながらそう思った。

 付いて行きたいと言うリュカを説得する時間が惜しいと思ったのだろうか。それならば、リュカを置いてさっさと行ってしまえばよかったのだ。そうすれば、リュカは追いつけはしない。リュカの足では、ラインハットからここまで来るのに何時間も、あるいは何日もかかっていたかもしれないのだ。

 そもそもリュカは今までパパスに口答えをした記憶がない。説得などしなくとも、「来るな」と一言言うだけで済むだろうことはパパスもわかっていたはずだ。

 牢屋を出て、通路を戻っていく。先頭を行くのはパパスだ。リュカとヘンリーとソロは横並びで歩く。

 

「お前、やっぱりオレの子分になれよ。こんなとこまでオレを助けに来るなんて、気に入ったぞ」

 

 気に入ったのは結構だが、父までも子分に勧誘しているヘンリーの姿を見て、リュカはヘンリーを気に入らないと感じ始めていた。パパスは苦笑しながら、子分の座を辞していた。

 そのとき、唐突にリュカは邪悪な気配を感じ取った。元々楽しい場所ではなかったが、明らかに空気が変わる。

 パッと振り向く。ソロがうなった。

 

「何者だ」

 

 パパスが刃のような声で言った。

 その先には、闇のなかに緑色のローブを纏った人影が三つたたずんでいた。暗くて顔は見えない。姿形こそ人間のようだったが、この人影が人間であるはずがない。リュカは瞬時に悟っていた。

 そのうちの一人がリュカに目を向けたような気がした。それだけでリュカの背筋を冷たいものが走った。愚かと知りつつ、敵前でリュカは硬直する。自分では勝てない。そのことを一瞬にして理解させられていたのだ。

 

「な、なんだ、こいつら」

 

 ヘンリーが震えた声を漏らす。

 ソロが一際大きくうなる。

 三人が手のひらをこちらにかざした。同時にそれぞれの手のひらの前に火球が生じた。一気に辺りに光が満ちる。赤い光に石壁や床が照らされる。人影も照らされたが、フードで隠れて口元しか顔は見えない。ローブは何の装飾もなく、ボロ雑巾のように古ぼけて、ところどころ破れている。

 一瞬光が強まるとともに、三つの火球が飛来した。死の予感に膝が震えているのをリュカは感じた。目を見開くことしかできない。

 

「――え?」

 

 そのとき、火球が消し飛んだ。

 

「リュカ、ここは父さんが引き受ける。王子を連れて外へ」

 

 何が起きたのかわからぬまま、リュカは震える足を叱咤し、ヘンリーの手を取って転がるように駆け出した。危険な相手だ。とにかく父の邪魔をしてはいけない。

 ソロも付いてくる。

 リュカは来た道を必死で戻った。

 あの、一段低くなっているところの扉まで一目散に駆けてきたが、ここからが問題だ。パパスは上から飛び降りてきただけなので、道がわからない。ここから上の階に飛び上がることは、リュカにはできない。

 

「な、なあ……お前の親父さん大丈夫かな?」

「うん」

 

 危険な相手だが、父が負けるところもリュカには想像できなかった。

 とにかく走るしかない。出口の方向は把握している。その方向を意識しながら、リュカは走った。他に何も考えもせず、ひたすら走った。

 荒い息遣いが聞こえる。足音が響く。誰もしゃべる余裕はない。

 途中、扉を見つけた。中から人の騒ぐ声が聞こえる。リュカはそれを無視して駆け抜けた。こんなところにいる人間なんて碌なもんじゃない。

 階段があった。そこを迷わず上った。出口のほうへ走る。幸いというか、あちこち遠回りは強いられるものの、ここはほとんど一本道と言ってよかった。

 パパスが蹴破った扉のところに辿り着いた。あとはまっすぐな通路を抜けるだけだ。そう安堵の息を漏らしたときだった、その声が響いたのは――

 

「ここから逃げ出そうとは、いけない子どもたちですね」

 

――その者は、通路に立ち塞がるようにしてそこにいた。紫色のローブを身に纏い、シルエットは人間のように見える。だが、フードの下に覗く青白い顔、黄色く濁った目、そして何より醸し出す邪悪なオーラ。

 

「私がお仕置きをしてあげましょう」

 

 穏やかな声だ。まるで母親がいたずらをした子どもを諭すような、そんな声。本来ならその中に安心感を見出せなければならないはずの声色。

 だが違う。これは、そんなものではない。魂の底から濁っている、そんな存在。

 リュカは知らず後ずさりしていた。だが、戻っても仕方がない。立ち向かわなければならない。だが、勝ち目はない。父が来るのを待とうか。だが、それまで相手が待ってくれるはずもない。リュカの頭は迷いに支配され、取るべき行動を選べずにいた。

 相手が指を一本こちらへ突きつけた。その指先に針の先のような極小の光がきらめく。

 

「安心してかかってきなさい。殺すつもりはありません」

 

 余波を残して、光が射出された。相手のローブが小さく揺れる。宙に糸のように細い光の線が一直線に刻まれた。

 反応する間もなく、リュカは腹を光に貫かれる。カッと目を開き、リュカは膝を突いた。

 

「ぐっ……」

 

 肉が焼かれる熱さを感じた。歯を食い縛り、片手で腹を押さえ、どうにか痛みを堪えようとする。

 

「おい、リュカッ!!」

 

 ヘンリーが悲鳴のような声を上げ、リュカの身体を支える。

 ソロが相手に向かって駆け出した。やめろ、とリュカは叫ぼうとしたが、痛みで喉が詰まり、声が出ない。

 飛び掛ったソロを、相手は羽虫を追い払うように叩いた。壁に叩きつけられ、床に落下し、ソロはそのまま動かなくなった。あっけない。それほどに大きな力の差があった。

 

「な、なんだよ……お前……」

 

 ヘンリーが腰を抜かしたようにリュカに寄り添うようにして座り込んだ。次の瞬間、相手はヘンリーの目の前にいた。リュカの目では追えぬ動き。そして、ヘンリーの頭に手をかざすと、彼はなぜか意識を失った。

 

「さあ、もうあなただけになってしまいましたよ」

 

 何が起こっているのだろう。リュカは呆然とした。

 黄色い目がリュカを見下ろしているのに次の瞬間気付いた。ガチガチと硬いものがぶつかり合う音が聞こえる。それが、自分の奥歯が鳴る音だということに、リュカは少しの間気付かなかった。

 相手が一歩、距離を詰めた。

 

「うっ」

 

 膝が崩れ、リュカは尻餅をついた。硬く冷たい石の床の感触。

 もう一歩距離を詰め、相手はリュカの腹にかかとをめり込ませた。あの光に貫かれたところだ。傷は手で押さえていたものの、おかまいなしに手の上から踏みつけてくる。

 リュカが搾り出した悲鳴が、通路に反響する。あまりの痛みに意識が薄れていく。そして奥歯が砕けるかと思うほど、歯を食い縛り、うめき声が漏れる。杖を硬く握り締める。身体は勝手にのた打ち回ろうとしているが、相手の足に押さえつけられ、それすら適わない。

 何の気なしに踏まれているような見た目だが、リュカはとんでもない重さを感じた。

 

「子どもが苦痛に悶える姿。嫌いじゃありませんよ」

 

 ほっほっほ、と相手は笑う。

 リュカは杖を振った。相手の足に当たる。スライムにすらダメージを与えられないであろう一撃。

 相手は抉るようにかかとに力を込めた。リュカは声にならない叫びを上げる。目が飛び出るほどに見開く。

 ふとゲマは何かに気付くように、奥へちらりと目をやると、リュカに向かって赤い息を吹きかけた。リュカは吸い込まないように咄嗟に息を止めた。だが、いつまでも息を止めていられるわけもない。

 その赤い息を吸ってしまうと、リュカの身体から感覚が薄れていく。痛みも消えていく代わりに、力も抜けていく。意識はあるのに動けない。強制的にだらりと床に身を預けさせられる。

 

「リュカ! ヘンリー王子!」

 

 そのとき、パパスの声が響いた。

 

「おやおや、私の部下たちはやられてしまったようですね」

 

 部下たちとは、おそらくあの緑色のローブの三人なのだろう。

 

「何者だ」

「私はゲマと申します」

 

 はじめまして、とおどけたようにゲマは名乗った。

 

「そうか、ゲマ、その足をどけろ」

「これは失礼」

 

 いつになくパパスは厳しい顔つきだ。

 それに怯んだわけではないだろうが、ゲマはリュカを踏みつけていた足をどけた。

 

「引け。そうすれば、あえて見過ごす」

「残念ながら、それはできません。わけあってこの王子様を連れていく必要がありまして」

 

 ゲマは恭しくヘンリーを指す。ヘンリーは未だに意識を失っているようだ。リュカの隣でぐったりとして動かない。死んでいないのは、かすかに胸が上下していることからもわかる。

 

「高貴な身分の子どもが、次々とさらわれているという噂は聞いたことがあるが……お前、光の教団の者か?」

 

 パパスが一層目つきを鋭くした。

 

「おや、よくご存知で」

 

 ゲマは、大袈裟に驚く。

 

「何が狙いだ?」

「内緒です」

 

 からかうようにゲマは笑った。

 パパスは剣の柄に手をかけ、「まあいい」と呟いた。静かな声だった。

 

「落ち着いて下さいよ」

 

 ゲマが慌てたように、両手をパパスに向けて制するように突き出した。彼の仕草は、いちいち道化じみている。慌てたようなそぶりでありながら、そのなかに確かな余裕を感じさせていた。

 

「じゃあ、こうしませんか。この紫の子は返しましょう。その代わり王子様は下さい。それで良しとしませんか? あまり物騒なことはお互い好まない性質でしょう?」

「心にもないことを。それに、私は守るべきもののためなら、剣を抜くことを躊躇わない」

「交渉決裂でしょうかね?」

 

 ゲマは両腕を大きく広げた。そして、その身に光を飲み込むような闇を纏った。

 

「ジャミ! ゴンズ!」

 

 そう叫ぶと、ゲマの纏っていた闇が一回り広がった。その闇は、ゲマの傍らで倒れているリュカにまで及ぶ。そのときリュカは、麻痺しているにも関わらず強烈な魔の気配を感じた。神経とは別の部分がそれを感じ取っているのかもしれない。かつて感じたことのないほど濃厚な魔の気配に、気が狂いそうになる。この闇は冥界への扉だ。リュカは本気でそう思った。もしも身動きが取れたなら、一も二もなくここから逃げ出しただろう。

 闇から何者かが這い出てくる――強烈な邪気を宿す、二体の魔物。徐々にその姿があらわになる。

 役目を終えたように、ゲマが纏っていた闇は霧散した。

 

「ゲマ様、御用でしょうか?」

 

 馬のような姿の魔物が言った。白い鱗で全身を覆い、紫のたてがみが豊かに逆立っている。馬の姿でありながら、後ろの二足で立っていた。

 

「ええ、この男の相手をしてやってほしいのですよ」

「人間の相手ですかい? まあ、構いませんがね」

 

 今度は、もう一方の魔物が舐めきったように言った。岩のようにがっしりとした、紫の鬼と猪を混ぜ合わせたような姿だ。一本の角が頭から天に向かって伸びており、鋭い牙が口から覗く。巨大な鉈のような剣と巨大な盾を携え、鎧に身を包んでいる。

 パパスもかなり大柄な男だが、二体ともそれ以上に大きい。筋骨隆々だ。だがそれ以上に、彼らの放つ剥き出しの魔の気配が、リュカに脅威を叩きつけていた。掛け値なしの怪物だ。

 ゲマが笑った。

 

「ジャミとゴンズは、さきほどの部下たちとは一味違いますよ。さあ、お手並み拝見といきましょうか」

 

 何だこの光景は、リュカは身体こそ動かないものの、内心震え上がる思いだった。これは地獄絵だ。魔の気配を敏感に察知できるリュカだからこそ、そうまで思うのかもしれない。この三体の魔物は、闇の世界のさらに深淵に住む悪魔たちだ。そこいらの魔物とは、強さとかそういう次元ではない明らかな違いがあった。言うなれば、その身に宿す邪気。邪気を凝縮し、魔物の形に形成すれば、このような存在が出来上がるのかもしれない。

 周囲の薄闇が、彼らのせいでより濃くなっているようだった。ゲマは動く様子はない。対して、ジャミとゴンズはニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべ、パパスに少しずつ近寄っていく。明らかにパパスを舐めているが、それは確かな実力に裏打ちされた態度のように思われた。

 背負った剣の柄に手をかけ、パパスは静かに待ち受けている。

 巨大な剣をガリガリと引きずりながら歩むゴンズが、突如その速度を上げた。その巨体からは想像できないほどの速度で、パパスとの距離を一気に詰めると、剣を振りかぶった。

 その途端、ゴンズの鎧が砕けた。

 

「――あ?」

 

 一瞬、世界が止まったような気がした。パパス以外の誰もが、今起こったことを理解できずにいただろう。

 ゴンズの目の前には、剣を抜き去り、振り切った体勢のパパスの姿があった。一拍置いて血が噴き出す。間髪入れずに二撃目がゴンズの腹に真一文字の傷を刻んだ。

 ゴンズが苦悶の声を上げ、膝から崩れた。

 

「貴様ッ!!」

 

 馬の魔物――ジャミが激昂し、突進した。殺気が吹き荒れ、リュカの心臓を打ちのめす。ひづめが石を打つ音が鳴る。

 前足を振りかぶったジャミの首筋から血が舞い、続けざまに胴に斜めの切り傷が生じた。それはパパスの仕業に相違ないが、リュカには太刀筋どころか、パパスの動きすら見えない。殺気を撒き散らす相手に対して、パパスはどこまでも静かだ。ただ意思を持たぬ像のようにそこにある。

 身体を血に染め、膝を突いたジャミは、それでも戦意を失わない。バッと飛び退いてパパスから距離を取り、息を大きく吸うと、一気に吐き出した。白い息がパパスに殺到しながら、無数の氷の刃を内に生み出していく。

 通路一杯に逃げ場のないほど広がった凍て付く冷気を前にして、パパスはただ剣を頭上に掲げた。そして、まっすぐに振り下ろす。

 不可視の斬撃が大気を両断した。冷気が真っ二つに割れ、さらに驚くべきことにその向こうのジャミをも裂く。悲鳴が響き渡る。

 直後、パパスの姿が消えた――と同時に鋭い金属音が鳴る。

 

「……なるほど。あなたを少々甘く見ていたようですね」

 

 いつの間にか鎌を手にしたゲマが、リュカから離れたところで言った。代わりにパパスがリュカの傍らにいる。どうやらパパスがゲマを弾き飛ばしたようだった。

 

「私が相手をするしかない。そういうことなのでしょうね」

 

 ゲマが炎を吐き出した。炎が壁のように通路を埋め尽くし迫ってくる。薄暗い通路が暴力的な光に包まれた。大気があまりの高熱に悲鳴を上げる。

 パパスはリュカとヘンリーを抱え、壁際で倒れているソロの下に飛んだ。父に抱えられても、今のリュカは温もりを感じることはない。

 パパスは二人を降ろすと、一振りで炎の壁を切り裂いた。

 その炎の壁の裂け目から死神の鎌の切っ先がパパスに迫る。身を反らしかわす。続く横薙ぎの一撃をパパスは剣で受け止めた。炎が掻き消えた。再び通路が薄暗さに包まれる。

 間合いを取ったゲマをパパスが追う。次の瞬間、二人の姿がリュカの動体視力では捕らえられないほどの速度で動いた。戦う二人の姿もないまま、いくつもの金属音が至るところでほぼ同時に鳴り響く。その余波で遺跡が揺れる。パラパラと細かな粉塵が天井から降ってきた。

 ゲマが姿を現した。片手を突き出し、瞬時にその手のひらの前に巨大な火球を生み出し、放った。滑らかで瞬間的な動作だ。リュカならまず魔力を集め、集中し、狙いを定め、呪文を唱え、ようやく魔法が放たれるのだが、ゲマはそんな過程をすっ飛ばしているのかと思えるほどに早い。

 闇を喰らいながら迫る流星のごときその魔弾をパパスはかわし、ゲマに迫る。標的を失った火球は、遺跡の奥へと消えていく。それがどこかに着弾したのだろう、轟音とともに光と熱が世界を侵す。あの広い遺跡内部にさえおさまり切らなかったらしいそれらが、蹴破られた扉からこの通路にまでも漏れ出してくる。

 

「すばらしい。あなたほどの人間がいたとは――」

 

 その言葉を遮るように、ゲマの頬に一本の傷が刻まれた。

 

「お喋りの余裕があるのか?」

 

 ふふ、とゲマが笑って返した。

 

「なるほど。本気でかからねば私ですら危ないと、そういうことですね」

 

 ゲマが両手を広げると、宙に無数の火球が生まれた。

 

「かわせば子どもたちに当たってしまうかもしれませんよ。どうしますか?」

 

 両手がパパスに向けられると同時に、無数の火球が流星群のごとく宙に軌跡を描き、降り注ぐ。

 パパスが空気を弾くような気合を声に込めて発した。爆発を起こしたかのような圧力を伴って、パパスの身体から目に見えぬ力が放たれた。同時に全ての火球がその場で破裂する。炎の幕が二人を隔てた。

 瞠目するゲマに、炎の幕を突き抜けて瞬く間に肉薄したパパスの至高の一閃――空間さえも両断するような斬撃の極致を前に、咄嗟に身をよじるゲマだが、間に合わない。

 鮮血とともにゲマの片腕が舞う。それだけには飽き足らず、斬撃は通路の天井と床をどこまでも向こうまで両断した。それに伴い、細かい石片が上下から舞い上がる。

 だが、ゲマは動きを止めなかった。ゲマがうめきながら身体を反転させ、パパスの背後に立った。そして跳躍する。

 

「しまった!」

 

 ゲマはリュカの傍らに至った。そして大きく息をつく。

 

「苦労させられましたよ。なかなか隙を見せてくれないんですから。逸りすぎましたか?」

 

 その言葉で、リュカは悟った。ゲマは父と戦いながら、その実、リュカたちを狙っていたのだ。そんなゲマから父はリュカたちを庇いつつ戦っていたのだ。足を引っ張ってしまっていた――いつものことだ。だが、状況がいつもと違った。

 今のリュカには、歯を食い縛ることすらできない。ただ、忸怩たる思いに心を締め付けられた。

 荒い息をつき、ゲマは鎌をリュカの首にあてがった。切り落とされた側の腕からボタボタと血が溢れ出て床を濡らす。

 パパスが顔を歪める。

 

「実はこういうやり方のほうが性に合っていましてね。ジャミ、ゴンズ、そろそろ起きなさい」

 

 今まで意識を失っていた二匹は、その言葉で目を覚ましたようだった。ピクリと反応すると、よろよろと立ち上がる。

 

「さあ、もう一度あの戦士の相手をして差し上げなさい」

「おのれ……」

 

 パパスが歯を食い縛る。

 

「この子どもの命が惜しくなければ、存分に戦いなさい。しかし、この子どもの魂は永遠に地獄をさまようことになるでしょう」

 

 ほっほっほ――ゲマは悪魔の哄笑を響かせた。

 ジャミとゴンズがゆっくりとパパスに近寄っていく。

 

「剣を捨てな」

 

 ゴンズがその双眸に淀んだ光を宿しながら言った。パパスは逆らえない。黙って剣を床に突き立てた。

 

「さっきはよくもやってくれたな」

「覚悟しな!」

 

 二匹が拳を振りかぶった。ゴンズには武器もあるというのに、あえて拳を武器として選んだようだ。そして、パパスに向かって振るわれた。

 ゲマが歪んだ笑みを浮かべている。

 鈍い音が絶えず響き渡る。リュカに身体の自由が少しでも戻っていたなら、喉が潰れるまで叫んだだろう。それほどに凄惨な光景だった。

 パパスは血まみれだった。だが、それでも立っていた。

 ゴンズの拳がパパスの腹を打った。ゴボリと口から血が溢れる。足下の血だまりに、また新たな血液が加わり、その範囲を広げる。

 振るわれたジャミの前足のひづめの角が、パパスの目を抉った。溢れた鮮血で、眼球がどうなっているのか見えない。

 続いて振るわれたゴンズの拳がパパスの顎を打ち据え、ついに彼は血だまりに膝を突いた。

 

「いいものですね。子を想う親の姿というのは」

 

 そして、とゲマはリュカに目をやる。その目には、涙を流すリュカの姿が映っただろう。

 

「親を想う子の姿というのも」

 

 小さくゲマは笑みを漏らした。

 

「いつまでも見ていたい気もしますが、そろそろ終わりにしましょうか」

 

 手のひらを上にかざしたゲマは、その身に淡い闇を纏った。すると手のひらに支えられるように、小さな火球が生じた。仄かなそれは急激にその大きさを増し、辺りに激しい熱を発する。荘厳な炎が遺跡内を照らした。

 

「ジャミ、ゴンズ、離れなさい」

 

 それに従う二匹。

 火球はもはやこの通路にはおさまり切らないほどの大きさだった。天井や壁に触れた火球は、なんとそれらを溶かし、その勢力を拡大していく。まるで地の底の溶岩を召喚したかのような現象。溶けた天井や壁は蒸発し、その周囲の石も高熱により赤く染まっている。

 リュカは絶望的な目でその様子を見ていた。ぼたりと、うっすらと表面に火を纏った赤い液体が垂れてきて、宙で蒸発する。

 破滅的な光がこの地をこの世のものとは思えぬ様へと変質させていた。

 

「リュカ……聞こえているか?」

 

 そのとき、パパスの声が聞こえた。リュカはそちらへ意識を向ける。

 いつの間にか立ち上がっていたボロボロの父が、それでもまっすぐに折れることのない視線をこちらに向けていた。炎に照らされ、その様子が涙に霞む視界でもはっきりと見える。

 

「これだけは言っておかねば……。お前の母さんは生きているはず」

 

 父は、グッと胸にかけた銀のペンダントを握り締めた。

 激しく大気が焼かれていく轟音が鼓膜を打つ。だがそれでもパパスの声は揺らぐことなくリュカに届いた。

 

「父さんに代わって、母さんを――」

 

 それ以上、言葉は続かなかった。ゲマが手をパパスに向けて振ると、火球が――地上に顕現した太陽が、彼に向けて放たれたのだ。

 断末魔の声が木霊した。この声を一生忘れることはないだろう。リュカはそう確信した。

 少しずつ太陽が地に沈んでいく。ゆっくりとゆっくりと沈み、半分ほど沈んだところで一際激しい光を放ち、天を突くような火柱を、地響きを伴い吹き上げた。神が降臨したかのようなその火柱は、重い音を響かせつつ、天井を掻き消しどこまでも伸びていく。リュカの網膜に、その赤い地獄の景色が焼き付いた。やがて天まで達したそれは、少しずつ細くなっていき、糸のようになり、そして消えた。

 

「ジャミ、ゴンズ、行きますよ」

 

 ゲマはふと何かに気付いたようにリュカの道具袋に目をやると、そこからレヌール城で手に入れた金色の球――ゴールドオーブを取り出した。

 オーブをしばし眺めたゲマは、オーブを圧するように持ち、破壊した。

 二匹がゲマに並ぶと、ゲマは黒い光を――あるいは闇をその身に纏った。

 

「ゲマ様。このベビーパンサーは?」

「捨て置きなさい。野に返れば、その魔性を取り戻すでしょう」

 

 ゲマが纏った闇が、その範囲を広げていく。その闇が自分を覆うのを、リュカは感じた。ゲマたちとリュカ、ヘンリーを飲み込んだ闇は、一転して今度は収縮し、点となり、やがて消えた――そこにはもう彼らの姿はなかった。

 

 

 

 

 


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