ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~ 作:KENT(ケント)
3話
内臓が浮き上がる感覚、右足の激痛、身体中の打撲の痛み。いろいろな感覚がリュカを襲っているが、最も不味いのは浮遊感――すなわち現在進行形で穴の底へと落ちていっているという状況であるに違いない。穴の深さなど確かめようも無いが、落ちてしまえば死んでもおかしくない。憎たらしく笑うドラキーたちの顔が見える。相変わらずの笑い声は実に耳障りだった。
(死にたくない)
リュカは切実にそう思った。
死ぬこと自体が嫌なのは当然だが、あんな小さな魔物に殺されるのは納得がいかなかった。それに、この洞窟に来てまだ数匹の魔物しか倒していないのだ。別に魔物を殺しまくりたいというわけではないが――リュカは別に魔物が嫌いだというわけではなかった――戦果としては実に情けないではないか。このままでは死んでも死にきれない。
とは言え、空中に放り出された状態では何もできない。手足は動くが、それが何になるというのだ。
手の打ちようのない状況に、不本意ながら諦めかけたそのとき、突然リュカは閃いた。リュカが全く知らなかったことを、唐突に理解した。まるで情報が無理やり頭に押し込められたかのように。
身体の真ん中から、何かが湧き出してくるのを感じた。とても熱い何かだ。それはにわかに身体全体にしみ渡った。今にも身体から溢れ出しそうだ――そう、これは魔力だ。なぜだかリュカは理解していた。
リュカにはどうすればいいのかわかっていた。杖を持つ右手に魔力を集束させるのだ。右手もろとも、杖までもが淡い緑色の光を発しはじめた。熱が右手に集中する。後は簡単だ。呪文に乗せて、魔力を解き放ってやればいいのだ。リュカは身体を捻り、右腕を穴の底へ向けた。そして呪文を高らかに唱えた。
「バギ!」
緑色の光が一際強い輝きを放つと、幾筋もの流れとなって解き放たれた。それぞれの光の蛇がうねりながら風を切り裂く。好き勝手に暴れまわるそれぞれの光は、再び一つになろうとでもするかのように、やがてある一点へと向かいはじめた。そして一点に全ての光が再び集約したとき、まるで爆発が起こったかのように、激しい炸裂音とともに周囲に衝撃波を発した。
「--っ!」
その衝撃波に吹き飛ばされ、リュカは穴の上まで――ドラキーたちの頭上にまで達した。轟音が洞窟内に反響したためか、混乱しているドラキーたちに向かって、渾身の力を込めて未だに光を帯びている杖を横薙ぎにした。緑色の光が杖の軌跡を宙に描いた。一振りで二匹のドラキーを地面に叩きつけると、落下の勢いそのままにせみもぐらの頭にも杖を叩きつけた。三匹の魔物は、悲鳴の一つも上げずに死んだ。
バギは風を操る初級魔法である。これがリュカがはじめて使った魔法だった。右腕と杖の光はもう消えてしまった。
「これが魔法……」
何で突然魔法が使えるようになったのだろうか。リュカにとって心底疑問だったが、別に困るわけでもないし、いいだろうという結論に達した。と言うより、むしろ喜ばしいことである。
今までは魔力の存在を己の中に感じたことなどなかったのだが、今は自分の体内に存在する魔力を感じ取ることができるようになっていた。不思議な感覚だ。試しに魔力を右腕に集中してみると、再び淡い緑光を纏った。しかし、やけに疲れたため止めると光は霧散した。
「い、いたい……」
興奮で忘れていたが、足の痛みがまたぶり返してきた。正直立っていられないほどに痛んだが、とりあえず穴から離れようと、片足立ちでしばらく先へ何とか進んだ。そして岩壁にもたれて座り込み、薬草を取り出し治療した。
薬草の用意は冒険の基本だとよく言うが、リュカは今その言葉の正しさをしみじみと理解していた。
先ほどのバギの大音響により、ますます魔物を集めてしまっていないかと、少々不安だったが、むしろ魔物たちは逃げていってしまったようだ。辺りに魔物の姿は見えない。地面の下にはあの憎たらしいせみもぐらがいるかもしれないが、心配したところで地中の様子などわかるはずもない。
左へとカーブを描き続ける道をリュカは進んでいく。すると、また道が二手に分かれていた。左の道は、先ほどスライムに遭遇したところに続いている。つまり、ぐるりと一周回っただけだったのだ。ドラキーやせみもぐらとの死闘が不要なはずの争いだったという事実に、リュカは辟易する思いだった。そのおかげでバギが使えるようになったのだと、なんとか自分に言い聞かせることで心を落ち着かせた。
右へ進むとまた左右に道が分かれていたが、今度は左への道が行き止まりになっているのが見えたので、迷わず右へと進めた。その先には下り坂があり、下へ降りた。
下の階には普通に魔物がうろついていた。バギの爆音も、下の階の魔物を追い払うことはできなかったようだ。もう一度炸裂させてやろうかとも思ったが、止めておいた。何せ疲れるのだ。バギを使ったときはいとも簡単に魔力を集めることが出来たのだが、今はそれが難しい。難しいといっても、魔力を集中させること自体は簡単だ。だが、それが酷く疲れる。魔力が残り少なくなってしまっているようだ。魔法も使い放題というわけにはいかないらしい。
曲がりくねっていたが、一本道だったので、しばらくは順調に進めた。途中、スライムやドラキーなどにも幾度と無く遭遇したが、一度戦っているからだろうか、穴も近くにないことだし、苦戦することはほとんど無かった。足元にも注意を払っていたが、にっくきせみもぐらは姿を見せなかった。
やがて分かれ道に出会った。今度は真っ直ぐ行くか、左に曲がるかという分かれ道だ。どちらも途中で折れ曲がっており、先は見通せない。とりあえず真っ直ぐ行くことに決めた。全く悩むことは無かった。いくら悩んだところで、どちらが当たりかなんてわかるとは思えなかったからだ。
しばらく行くと、右に道が折れていた。さらに進むと、そこは行き止まりになっており、小さな泉があった。泉のほとりには草がぼうぼうと生えている。リュカの腰の高さほどの草だ。薄暗かった洞窟でここだけは明るい。澄み切った泉の水面には草が放つ仄かな光が反射し、きらきらと宝石を散りばめたようだった。一瞬ここが洞窟の中だということを忘れるほどに、幻想的な光景だ。
「うわあ……」
綺麗だな、とリュカは引き寄せられるように、泉に近付いた。その水に触れてみたかったからだ。水面にリュカの顔が映った。心なしか逞しくなったように見えるのは気のせいだろうか。でも間違いなく自分は成長しているはずだと思った。
そのとき、リュカは密集した草の中に水色の物体が見えたような気がした。何かと思い、草を掻き分けてみると、そこには一匹のスライムがいた――今まで戦ってきたスライムたちより若干色が薄く、身体も小さいような気がした。
咄嗟に杖を構えると、スライムは焦ったように飛び上がった。
「ぴきー! いじめないで! ぼく悪いスライムじゃないよ」
そのスライムはなんと言葉を発した。子供のように高い声だ。
「ほ、本当だよ! この泉は不思議な力を持ってるんだ。それで悪い魔物は近寄れないんだよ。ほら、周りに魔物はいないでしょ?」
慌てたように、矢継ぎ早にまくし立てる。
「君がいるけど」
リュカはスライムが喋ったことにも大した反応を示さず、静かに呟いた。
「だからぼくは悪いスライムじゃないって言ってるんだよ!」
スライムはプルプルと身体を波打たせた。
「なんで喋れるの?」
「えっとね、ここにはよく人間が来るんだ。それにぼく村の入り口にも行ったりしてたんだ。それでたくさん人間の言葉を聞いてたら覚えてたんだ」
スライムは何故か少し寂しそうに言った。
「ここには人間がよく来るの? なんで?」
「う~ん……よくわかんないけど……何か岩を削ったりとか、草を採ったりとかしてるみたい」
「何で村の入り口まで来るの?」
「だって魔物といてもつまんないんだもん……人間のほうがおもしろいよ」
どことなくしゅんとしている様子だ。
ふーん、と聞いていたのかいないのかわからないような返事をして、立て続けに質問していたわりには、リュカはそっけなく会話を打ち切った。
「ねえ……君は何ていう名前なの?」
スライムが恐る恐るといった様子で聞いた。リュカだと答えてやる。
「へぇ~、リュカっていうんだ…………ぼくはスラリンっていうんだ!」
スラリンはリュカを真っ直ぐに見つめて言った。黒く、つぶらな瞳が輝いている。
「そう」
「……リュカはどうしてここまで来たの?」
「探検」
池を覗き込みながらリュカが答える。
「へぇー、そうなんだ。あっ、そうだ! ぼくが案内してあげようか? この洞窟には詳しいんだ!」
これ以上の名案はないとばかりに、スラリンは目をきらきらさせていた。
それも悪くはないかもしれない。リュカはそう思った。自分一人で探検する醍醐味というものはあるが、誰か詳しい人に案内してもらうというのもまた、思いも寄らぬ発見があったりするものだ。
「よろしく」
「うん、いいよ! じゃあ行こうよ!」
大袈裟と思えるほどに喜びを爆発させたスラリンは、今やぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
リュカはぴょんぴょん進んでいくスラリンの後を追った――スライムは足が無いため、跳ねて移動するのだ。大変そうだな、とリュカは思ったが、スラリンは苦でもないようにニコニコしている。泉は行き止まりにあったため、道を引き返しているのだが、魔物の姿は無い。泉へと続く道だからかもしれない。
「そういえば、何で泉の水は魔物を遠ざけるの?」
リュカがふと思い出したように聞いた。
「えっ? う~ん……わかんない。でもずっとそうなんだよ」
申し訳無さげに身体を縮める。スライムの身体は変幻自在だった。
そうこうしているうちに、分かれ道のところまで戻ってきた。まだ行っていないほうへ進む。右へ折れ曲がった道を進むと、開けた場所に出た。
だだっ広い空間だ。ドーム状に天井も高くなっている。大小さまざまな岩がゴロゴロ転がっており、またところどころ土の盛られた小山もある。どうも人の手の介入を感じさせる空間だった。向こう側には二本の道が続いているのが見える。
「あっ、見てリュカ! 人が倒れてるよ!」
「え?」
突然スラリンが飛び跳ねながら叫んだ。
スラリンの目線の先に目をやると、確かに男が一人倒れていた。岩に押し潰されるような形で、仰向けに寝ている。身じろぎ一つしない。その男の周りには、数匹の魔物が群がっている。
関わらないほうがいいだろうな、リュカは即断した。男を囲んでいる魔物が多すぎた。魔物に徒党を組まれると非常に厄介だということもわかっている。正直言って荷が重い。
そもそも、岩に押し潰されたうえ、魔物にああも寄って来られたら、生きているはずがないとリュカは思った――無傷のように見えるのは気のせいだろう。
「静かに。気付かれる」
スラリンにそう耳打ちする。スライムの耳がどこにあるのかリュカにはわからなかったが、身体の側面のどこかにあるだろうと思うことにした。足音を殺して、先へと続く道へ向かう。
「えー、助けてあげないの?」
スラリンが魔物らしからぬことを言う。静かに、とスラリンをたしなめるが、もう遅かったようだ。
「んー……誰かおるんかぁ?」
その男は生きていた。低くて太い、暢気な声だ。せみもぐらに鎌を叩きつけられていることにも無頓着だ。大きな欠伸をしている。寝ていたのかもしれない。
嘘のような光景だ。リュカは思わず己の目と耳を疑った。
「ちょいと手ぇ貸してくれんか? 岩が重くてな、起き上がれんのだ」
助けを求めている人間とは思えないようなのんびりとした口調だった。リュカたちに目を向けて、身をよじるような素振りを見せる。
仕方ないか。顔も見られたことだし、このまま無視するのもばつが悪い。スラリンも妙に乗り気だ。
気が重そうにため息を一つつくと、リュカたちは男のほうへ歩み寄っていく。当然魔物たちはこちらに気付く。いくらいたぶってもビクともしない男に飽きたのか、魔物たちは何の躊躇もなくこちらへ向かってくる。
「や、やばいよ。リュカ、どうしよう……」
「倒すしかないよ」
当然ともいえる事態に慌てふためくスラリンに、リュカは言葉少なに告げる。しかし、慌てるスラリンを責めることはできない。スライムは最弱の魔物と有名なのだ。
向かってくるなかには見知らぬ魔物も結構いた。
そのうちの一つは、形は丸みを帯びた三角形のようであり、ちょこんと小さな手足が生えている。つぶらな瞳で、口や鼻は見当たらない。身体の上半分は紫色の短い毛に覆われており、下半分と手足は薄茶色の肌が露出している。その手には重量感のある大きな木槌が握られている――おおきづちという名の魔物だ。
他には、黄色い角を生やしたウサギ――いっかくうさぎという魔物もいる。
もう一種類、全身緑色で、丸い身体中から角のような棘を生やしているもの。小さな手足がある。とげぼうずという魔物だ。
その他に、ドラキーやせみもぐらが何匹も顔を覗かせている。
薄暗いなかで見る魔物の姿は、一際恐ろしく感じられた。今日一番にヤバい気がする、冷や汗が頬を流れるのを感じた。
「ありゃりゃ……まあ頑張れよ、坊主!」
男が勝手なことを言う。
ドラキーが先手を打ってきた。頭上から急降下してくる。ドラキーのスピードは既に把握していたため、叩き落してやろうとしたが、とげぼうすが続いて突進してきているのが見えたため、ドラキーをかわしてとげぼうずを迎え撃つことにした。かわされたドラキーが即座に反転して再びこちらへ向かってきたが、スラリンが勢いをつけて飛び上がり、下から体当たりを命中させた。
「どうだ!」
得意気にぷくっと身体を膨らませる。
間近に迫ったとげぼうずを杖で横殴りにすると吹っ飛んでいったが、攻撃後の隙を狙ったのか、先ほどとは別のドラキーが脇腹にぶつかってきた。
「くっ!」
息を詰まらせ倒れこむリュカに、せみもぐらが地面の中を通って――地面の盛り上げながら移動していたので視認できた――ドラキーがUターンして、同時に突進してくる。スラリンがまたドラキーを迎撃しに向かったが、体当たりをかわされ、逆に突き飛ばされた。ぴきー、と悲鳴を上げている。
リュカは急いで起き上がり、モグラ叩きのようにせみもぐらを叩き潰してやろうと杖を構えるが、先ほど殴り飛ばしたとげぼうずが怒って突進してきていたので、一旦距離を取らなければならなかった。
このままじゃ戦いようがない、攻撃する隙が見当たらない。
そういえば、父はどうしていただろう。走り回って敵から逃げつつリュカは考えた。
父は魔物に囲まれても、難なく切り抜けていた印象しかない。よく思い出すと、確か一振りで何匹もの魔物を同時に倒していたような気がする。敵から距離を取りながらリュカは思考を巡らせる。
杖の一振りではそんなことは自分にはできないが、魔法なら――。
魔力を搾り出せば、後一発くらいはバギを打てるはずだ。一発しか打てないなら、その一発でできるだけ多くの敵を倒したい。スラリンが猛スピードで敵から逃げ回っているのが視界の端に映った。そういえば、スライムは確かに最弱と言われているが、すばやさにだけは定評があることを思い出した。
「スラリン! 来て!」
よし、と決心し、珍しくリュカが声を張り上げると、スラリンはぷるっと身体を震わせ方向転換し、こちらへ凄いスピードで向かってくる。
敵が人間の言葉を理解できるのかはわからないが、念のためスラリンを片手で抱え上げ、そっと耳打ちした。
「敵を一箇所に集めて」
接近してきたドラキーを杖を振り回して威嚇する。
「えっ、そんな……無理だよ……ぼくはスライムだよ?」
天地が引っ繰り返ってもそんなことは不可能だと言わんばかりだ。
「大丈夫」
リュカが確信をもっているかのように言った。
「この中ではスラリンが一番速いから」
スラリンは一瞬雷に打たれたかのような表情を浮かべると、しばらく俯いて何か考え込んでいるようだった。ドラキーから身をかわし、とげぼうずを殴り飛ばし、せみもぐらに足をすくわれ尻餅をついたところで、ようやくスラリンが顔を上げた。その顔は少しだけ頼もしく見えた。
「わかった! ぼくやってみせるよ!」
そう言うやいなやリュカの腕から飛び出し、弾丸のように駆け出した。
それを見てリュカはすばやく立ち上がり、今にも振り下ろされようとしていたせみもぐらの鎌から飛び退いた。それからリュカは全ての攻撃を防ぐことに全神経を集中した。スラリンの働きに賭けた。チャンスをひたすら待った。
スラリンは魔物たちの脇を駆け抜けたり、体当たりをしたり、舌を突き出したりして、巧みに挑発した。怒った魔物はスラリンを叩き潰してやろうと荒々しく襲い掛かるが、怒りで攻撃が大雑把になっており、またスラリンのすばやさが並外れていたこともあり、空を切るばかりだった。かわされるとさらに苛立つのか、攻撃が荒くなり、ますます当たらなくなるという悪循環に魔物たちは陥っていた。追いかけ回してくる魔物たちに、付かず離れずの距離を保ち、実に見事にスラリンは魔物たちを誘導する。
「こっち!」
リュカが叫ぶと、魔物を率いてこちらへ向かってくる。
リュカは自分に纏わりついてくる魔物たちを、スラリンが連れてきた魔物たちと一直線上に並ぶように誘導すると、右腕に魔力を集中させた。
「スラリン! 避けて!」
魔力を根こそぎ奪われるような感覚を感じ取りながら、杖を握った右腕を魔物たちの方へと突き出した。
「バギ!」
呪文によって溢れ出した緑色の奔流が、魔物たちに牙を剥いた。空気を切り裂く鋭い音を上げつつ、地面を削り取りながら粉塵を巻き上げ、敵に迫る。そんな暴風に恐れをなしたのか、魔物たちは慌てて逃げようとするも、風より速く動ける者はいなかった。やがて過ぎ去った暴風のせいで、静寂がより際立った。
リュカの警告のおかげでなんとかバギをかわしたスラリンは、ズタズタに切り裂かれた魔物たちを、あっけにとられた表情で見ていた。目はまん丸で、口はだらしなく開かれている。
スラリンは全ての魔物を誘導できたわけではなかったが、スラリンに釣られなかった魔物も既に逃げ去っていた。
「リュカ……今の何?」
ひとり言のように、スラリンが呟く。魔法だと、リュカは大きくため息を漏らしながら座り込み、ぐったりとして答えた。
「魔法? 凄いよ! ぼく魔法ってはじめて見た!」
息を弾ませながらスラリンはリュカに駆け寄ってきた。
「どうしたの? 怪我したの?」
傍まで来ると、リュカのぐったりとした様子に、一転して心配の色を顔ににじませた。くるくる変わるスラリンの表情が面白いとリュカは思った。
「疲れた」
結構なダメージも受けていたが、魔力の枯渇に比べれば大したことではなかった。
「大丈夫?」
「スラリンのおかげでね」
スラリンは輝くような笑みを浮かべた。
「やるじゃねえか、おめえら!」
そういえば、男の存在をすっかり忘れていた。男に目を向けると、嬉しそうな笑顔でこちらを見つめている。
「それで、お疲れのところ悪いんだけどよ、早く助けてくれんか?」
「リュカは休んでなよ! ぼくが助けてくるから!」
そう言って駆けていくと、そのまま岩に体当たりした。しかし岩はビクともせず、スラリンはピンポン球のように弾き返された。
「いたた……」
「お前さんにゃ無理だ!」
「むぅぅ……」
何故か嬉しそうに豪快に笑う男に、スラリンは頬を膨らませる。
仕方なくリュカは男の元まで行くことにした。
「いいか、儂が下から岩を持ち上げるから、坊主は横から岩を押してくれ。そこのちっこいのは何もせんでええぞ」
「なんだとー!」
怒ったスラリンは身体をぷるぷる震わせて怒鳴る。
リュカが小さく頷くと、男は口元を引き締めた。
「無視するなっ!」
「よし、じゃあいくぞ! ぬおおおっ!」
再び無視されてむくれているスラリンを横目に、リュカは岩を思い切り押した。
二人のうめき声が響き渡るが、岩はわずかに傾いただけだった。
「ぼくも手伝ってあげるよ!」
これは自分の力をこの失礼な男に見せ付けるチャンスだと思ったのか、妙に気合の入った表情で言うと、岩と地面の間に身体を平たくして潜り込んだ。岩を持ち上げようとしているのだろうか。
うめき声が三人分になり、岩はさっきよりも大きく傾いた。すると、男は一際大きな声を上げ、こめかみに青筋を浮かべながら、半ば投げ飛ばすように一気に岩を横に転がした。
男は仰向けのまま大の字に、リュカはがくりと座り込んで、スラリンはぺしゃんこになって、三人揃ってため息をついた。
「おかげで助かったそ! ありがとうな、おまえら!」
男は身体を起こすと、憎めない笑みを浮かべて二人に礼を言った。
「ところで、坊主はどうしてこんなところまで来たんだ?」
今更なような気もしたが、リュカは「探検」と一言答えた。
「そうか! そりゃ逞しいことだ!」
わっはっはと、豪快な笑い声を上げる。
「おっちゃんこそ何してたの? こんなところで岩に潰されてさ」
スラリンがもっともな疑問をぶつける。リュカも気になったので、男に視線を送る。
「好きで岩に潰されとったんじゃないわ! 儂は薬草を採りに来とったんだ。薬草といってもただの薬草じゃないぞ。ここには珍しい薬草が生えとるんだ。そしたら突然上から岩が次々に落ちてきてな、潰されちまったんだ。おかげで何日ここで過ごしたことやらわからん」
愚痴るような口調だ。
「ふーん。おっちゃんに薬草なんて似合わないね。怪我なんてしそうにないし」
ちらりと男の無傷な身体に視線を向ける。
スラリンの言うことはもっともだ。落ちてきた岩に潰されたら、普通の人間なら潰れたトマトのようになるだろう。
「別に儂が使うわけじゃないわい。それに怪我じゃなくて病気に効く薬草だ。儂は薬師でな、客に頼まれて採りにきたんだが、随分待たせちまった。さっさと採って帰らんとな」
そう言いながら男は起き上がる。そして立ち上がって大きく伸びをした。
男は背が低かった。リュカよりは頭ひとつ分くらい大きいが、大人にしてはかなり小さい。しかし、その代わりに横幅は人の倍くらいあった。太っているわけではなく、筋肉が盛り上がっているようだ。そこらに転がる岩よりもゴツイ印象をリュカは受けた。
「坊主は探検に来たんだったな? 儂はこの先へ行くが、一緒に行くか?」
毛がモジャモジャの顔をリュカに向けて言った。
「この先に薬草が生えてるの?」
「おお、右側の道の先にな。左側の道には特に何もない。まあ、壁でも削りゃあ鉱石が見つかるかもしれんが」
ここに来たときに奥のほうに見えていた二本の道を指して言った。
「じゃあ行く」
そう言ってリュカもふらふらと立ち上がる。
「ほれ、これ食うといい」
リュカがふらついているのを見て、男が懐から一枚の葉っぱをおもむろに取り出し、リュカに差し出した。リュカが持っている薬草より色が青っぽい。
「怪我も治るし、疲れも取れる」
「食べるの?」
「おお、まあ苦いが我慢しろ」
リュカは薬草を小さく丸めて口に押し込んだ。噛みしめるごとに苦い汁が出てくるが、我慢して全て飲み込む。すると、身体がカッと熱くなり、身体中の痛みは消え、疲労も軽くなった。リュカは目を大きく見開いて男を見上げた。
「よし! じゃあ行くか!」
リュカの様子に満足気な顔をすると、男はそう言ってさっさと先へ歩いていってしまった。男を追いながら、スラリンはリュカを見上げて言う。
「この先は一本道だよ。すぐに行き止まりになるんだ。そこに草がいっぱい生えてるんだけど、あれって薬草だったんだね」
細い曲がりくねった道を進んでいくと、あっという間に到着した。あまり広い場所ではなかった。
そこには小さな泉があり、周囲にはたくさんの植物が生い茂っていた。壁一面植物で覆われている。色も大きさも形もさまざまだ。植物の匂いが充満している。
「この泉は不思議な力があってな、魔物を寄せ付けんのだ。だから草がたくさん繁殖できるのかもしれん。ここまでの道にも魔物はおらんかったろ?」
要するに、スラリンに出会ったところと同じだ。そういえば、あそこにも草がたくさん生えていた。あの中にも薬草はあったのだろうか。そんなことを、薬草を採取している男を見ながら考えていた。
「よし! じゃあ帰るか!」
何枚か採取しただけで、男は満足したらしい。
「ばいばい」
「ん、坊主は帰らんのか?」
「もう片っぽの道にも行ってみる」
「左側にあった道のことか?」
リュカは頷く。
「あっちにゃ何も無いっつっただろ? すぐ行き止まりに突き当たっちまうし、楽しいもんなんて何も無いぞ。それとも鉱石が欲しいんか? 鉱石掘るには力もいるし時間もかかるぞ?」
そう聞くと、行く意味は無さそうだ。もう洞窟は探索し尽しただろうか? まだ行っていない道があったような気もするが、いろいろあったため記憶は曖昧だ。確かめに行くのも面倒だ――何だかもうこの洞窟は探索し尽したような気がしてきたからだ。
「やっぱり帰る」
「そうか。じゃあ一緒に帰るか? 儂と一緒に帰るなら、儂の魔法で入り口まで一瞬で行けるぞ」
この男が魔法を使えるとは少々意外だったが、それは便利だとリュカは頷く。
「おっちゃん、魔法使えるの? 似合わないなぁ」
スラリンが素っ頓狂な声を出す。
「おお、使えるぞ! ちょっとだけだけどな」
目をまん丸にしていたスラリン。だが、次の瞬間表情を一転させて、消え入りそうな声でリュカに呼びかける。
「……リュカ、もう帰っちゃうの?」
うん、と一言答える。
「そっか……」
そう言って、スラリンは心なしか身体を縮め、しばらくの間俯いた。沈黙が流れる。やがてスラリンは顔を上げ、笑顔をリュカに見せた。
「じゃあばいばい! また遊ぼうね!」
探索し尽した洞窟にはもう何の用も無い。だが、もう遊ばないよ、なんて言うのも気が引けたため、リュカは何も言わないことにした。
「坊主、儂の腕につかまれ」
男の言うとおりリュカは腕をつかんだ――リュカの腰より太そうな腕だ。男の身体が白い光を纏っているのにふと気付いた。これは魔力だ。魔法の前兆だということがリュカにはわかった。腕をつかんだリュカまでも白い光に包まれる。
それを確認した男は呪文を唱えた。
「リレミト」
呪文と同時に光が一層強く輝いた。視界が白一色に染まり、そして次の瞬間、リュカの目の前には洞窟の入り口が広がっていた。
「よし、着いたぞ!」
消える間際に、スラリンの声がもう一度聞こえたような気がした。
「もう夜か……家まで送ってやろうか?」
「いい」
「そうか。じゃあ儂は先に帰るぞ。急いで薬を作ってやらにゃいかん。じゃあな!」
そう言って走って去って行く男をぼんやりと見送りながら、リュカは喉に小骨が引っかかったような、何とも言えない気持ちを持て余していた。
何て言ってたんだろう、最後に聞こえたスラリンの声が無性に気になった。最後に見せたスラリンの顔が頭から離れなかった。何故こんなにも気になるのか、リュカにはわからなかった。この感情の名前をリュカは知らない。
空を仰ぐと、無数に散りばめられた星が光を放ち、漆黒の夜空を彩っている。洞窟へと目を移すと、一転そこにはただひたすら闇が満ちていた。
しばらく眺めていたリュカは、やがておもむろに家路を辿りはじめた。