ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~   作:KENT(ケント)

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4話

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「おはよう」

 

 目をほとんど閉じたままのリュカは、危なっかしい足取りで階段を下りながら呟いた。階段から転げ落ちないのが不思議なくらいだ。普段頭に巻かれているターバンは身につけておらず、肩の辺りまで無造作に伸ばされた黒い髪があちこちに飛び跳ねている。マントも身につけていないため、今は草のような色の服だ。足首まで覆っている。実はその下に白いズボンも履いているのだが、ほとんど見えない。

 

「やっと起きたか。おはよう」

「おはようございます、坊っちゃん。よくおやすみでしたね」

 

 父とサンチョの声が返ってくる。二人ともイスに座ってくつろいでいる。

 

「さあ、坊っちゃん、顔を洗ってきましょうね。その間にご飯の用意をしておきますから」

 

 ようやく階段を下りきったリュカにサンチョが声をかけ、キッチンに向かう。リュカは小さく頷き、ふらふらと家の外へ向かった。

 戸を開け外に出ると、リュカは寒さに身体を強張らせた。家の中へとUターンしたいという欲求に抗い、いつものように家の前の井戸の水で顔を洗った。井戸の水は凍りついていないのが不思議なほどに冷たく、不明瞭だった意識を一瞬で覚醒させた。そして、同時に昨日の出来事も思い出させた。

 昨日の洞窟探索は、今のところリュカにとって人生最大の冒険だった。はじめての魔法を習得することにもなった。あれが夢ではなかったことを確かめようと、魔力を右手にこめてみた。すると、右手は淡い緑色の光を発し、確かに夢ではなかったことをリュカに知らせた。一晩寝たら、魔力は回復するようだ――寝ると回復するのか、時間を置いたら回復するのかはわからないが。リュカは魔力を霧散させ、顔をかすかに綻ばせた。

 

「おや、リュカ君じゃないかい。一体何してるんだい? 顔ビシャビシャにしちゃって」

 

 横から突然声をかけられた。そちらへ顔を向けると、少し離れたところに訝しげな顔のマグダレーナがいた。

 

「顔洗ってた」

「そうかい。とりあえず顔拭かないとねぇ。風邪引いちまうよ。早く家入んな」

 

 そう言ってマグダレーナは近寄って来ると、リュカの背を押し、家へと促す。リュカは逆らわず、素直に家のドアを開けた。

 

「やあ、ちょっと邪魔するよ」

 

 ドアが開くなり、マグダレーナがそう言いながら家に足を踏み入れた。彼女に押される形でリュカは彼女よりも一足先に家に入っていた。それほど大きくもない暖炉は、しっかりと室内を暖めていた。

 

「ん、マグダレーナか。どうした?」

 

 パパスは視線だけこちらへ向けて言った。

 

「ちょっと話したいことがあってね。あと、リュカ君の顔拭いてやんなさい」

 

 リュカの頭に手を乗せながら言った。首にずっしりと重みがかかる。

 

「ああ、坊っちゃん。タオルを持っていかなかったんですか?」

 

 慌てた様子でサンチョがこちらへ寄って来て、テーブルの上にちゃんと用意してあったタオルをリュカに手渡す。サンチョは過保護だということに、リュカはとっくに気付いていた。

 

「とりあえず座るといい」

「悪いねぇ」

 

 マグダレーナがイスに座るのを、顔を拭きながら見ていたリュカは、いい匂いが漂っていることに気付いた。匂いのするほうに顔を向けると、サンチョが微笑みを向けてくる。

 

「朝食の用意ができていますからね、坊っちゃん」

 

 リュカがイスに座ると、湯気を立てる料理が並べてあった。

 

「で、話とは何だ?」

「今朝、薬師が宿に来てね、薬が調合できたって持ってきたんだよ」

「ようやくか。随分かかったな」

「それが洞窟でトラブルがあったらしいんだよ。まあ、それはどうでもいいんだけどね。それで、今日アルカパに帰るから、挨拶に寄らせてもらったのさ」

 

 リュカは、食べながら聞くとも無しに話を聞いていたが、その薬師とは洞窟で会ったあの男だと気付いた。あの毛むくじゃらの男が薬を調合している姿なんて、リュカにはどう足掻いても想像できなかった。加えて不衛生である。あの男の作った薬なんて、自分だったら絶対に飲まない。リュカはまだ見ぬ被験者に同情を禁じ得なかった。

 

「そうか、護衛はつけているのか?」

「いるわけないよ、そんなもん」

 

 豪快に笑いながらマグダレーナは答える。

 

「じゃあ、女二人で帰るのか? それは危険だろう。私が同行しよう。ダンカンの見舞いもしたいしな」

「そうかい? じゃあお言葉に甘えるとするかねぇ」

 

 一連のやり取りを聞き流しながら、リュカはすばやく食事を終えた。サンチョの料理は相変わらずおいしかった。

 

「ごちそうさま」

「リュカ、お前も一緒に行くか?」

 

 キッチンに朝食の皿を運んでいたリュカに、パパスが声をかけた。

 うん、とリュカは即答した。既にサンタローズを知り尽くしてしまったリュカにとって、断る理由など無かった。

 

「そうか、じゃあすぐに出発するからな、早く支度をしてきなさい」

 

 リュカは二階に戻り支度を始めた。支度と言ってもすることは特に無い。髪を後ろで無造作に縛り、ターバンを適当に巻き、腰に縄を巻き、そこに道具袋をぶら下げ、マントを着て、あとは杖を持つだけだ。

 すばやく準備を済ませたリュカは、軽やかな足音を響かせながら階段を下りた。今度はしっかりとした足取りだった。

 一階には既に支度を済ませたパパスの姿があった。とは言え、パパスにとっても大した支度は必要無かったようだ。灰色の毛皮に縁取られた青い皮の腰巻を身に着け、腰に巻かれた銀色のベルトに赤い小さな道具袋をぶら下げ、茶色い鞘に収められた剣を背負っただけだ。パパスの部屋も二階なのだが、旅に必要なものは一階に置いてあったのだろう。

 

「よし、では行くか」

「悪いねぇ、リュカ君」

 

 まだ子供のリュカに護衛の真似事をさせるというのは多少気が引けたのか、マグダレーナが申し訳なさそうな表情を浮かべた。だが、護衛ならパパスだけでも十分だし、マグダレーナも本気でリュカに護衛の真似事をさせようとは思っていないはずだ。

 

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 

 サンチョの言葉に返事をしながら、パパスがドアを開け出て行く。その後にマグダレーナが続き、最後にリュカが家を出た。

 

「行ってきます」

 

 リュカが振り返ってサンチョの顔に目を向け小さくそう言うと、サンチョはにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 この日もいい天気だった。雲一つ無い澄み渡った空を仰ぎ、リュカは大きく息を吸った。胸に流れ込んできた空気は、この時期にしては冷たすぎるように思えた。そろそろ暖かくなっていなければおかしい季節なのだが、最近ますます寒さが増しているような気がする。リュカは身体をしっかりとマントで包み直し、身体が強張っていくのを感じながら、先を行くパパスたちを追った。

 

「宿屋にビアンカは置いてきてるんでね、まずは宿屋に向かってくれるかい?」

 

 そのマグダレーナの言葉に従い、まず宿屋へ向かった。と言っても、宿屋は村の入り口付近にあるため、あえて向かうということでもない。宿屋の前に差し掛かると、マグダレーナが一人で入って行く。

 

「寒いね」

 

 リュカは言った。

 

「そうだな。今年は特に寒い。もう春が近いというのにな」

 

 パパスは答えた。

 そこでしばらく会話は途切れた。リュカたち親子の会話はこんなものだ。お互いあまり饒舌な方ではないからか、会話が弾むということはそうそうない。

 

「サンタローズのことも忘れていたくらいだから覚えてはいないだろうが、アルカパにも行ったことがあるんだぞ。随分昔だがな」

 

 リュカはパッとパパスを見た。

 

「ダンカンの家に泊まったときだったな、お前とビアンカちゃんが知り合ったのは。随分遊んでもらっていた」

「お父さんはダンカンって人と仲良いの?」

 

 ああ、とパパスは頷く。

 父を慕う人物はけっこういるが、父が仲が良いという人は珍しい。それでは今回もダンカンという人の家に泊まるんだろうか。気になったリュカは尋ねると、いや、とパパスは首を横に振る。

 

「病気の人間の家に居座るわけにもいくまい。見舞いを済ませたら帰るつもりだ」

 

 父は護衛という名目でアルカパまで向かうことになったのだが、ダンカンに会いたかったという理由の方がもしかしたら大きいのかもしれない。

 そのとき、宿屋の入り口の戸が開き、マグダレーナがビアンカを連れて出てきた。

 

「おはようございます、おじさま。リュカもね」

 

 気取った様子で言ったビアンカに、マグダレーナが呆れたような目を向けている。パパスは表情を緩めて挨拶を返し、リュカも気の無い言葉を返す。

 

「待たせたね。それじゃあ行こうか」

 

 こうして四人が揃い、一行はサンタローズを後にした。

 

 

 

 

 

 パパスとマグダレーナが何やら話しながら進んでいく後ろに、リュカとビアンカは並んで歩いていた。最初は、他の三人が歩く後ろをリュカが歩くという構図だったのだが、大人たちといるよりリュカといたほうが面白みのある旅路になると思ったのだろうか、リュカの隣にそそくさと寄ってきたのだ。

 

「サンタローズはいい村だったわね。でも、アルカパもとってもいいところなのよ」

 

 にっこり笑ったビアンカの表情が、リュカは苦手だった。嫌なわけではないのだが、胸の奥のほうがザワザワとするのだ。どうしてそうなるのかリュカにはわからなかった。ビアンカの笑顔を見るたびにその理由を解明しようと首を捻ってきたのだが、また首を捻らなければならなくなってしまった。

 

「むこうに着いたら、今度はわたしがアルカパを案内してあげるね!」

 

 リュカはサンタローズを案内したつもりは無かったが、ビアンカの中ではそういうことになっているようだ。それ以前にリュカ自身、サンタローズを知らなかったのだ。サンタローズの全貌を知るために探索を繰り返したリュカにかなりの頻度で付いて回っていたビアンカが、それを案内ととらえたのかもしれない。

 アルカパが探索するに値するかどうか楽しみではあったが、見舞いを済ませたら帰ると父が言っている以上、そうそう時間もないだろう。リュカにとっては不服ではあったが、父に楯突いてまでそうしたいと思うほど、リュカの関心はアルカパに向けられてはいなかった。

 リュカの膝ほどまでの草が擦れ合う音が絶えず聞こえる。

 

「ちょっと、何か言ったらどう?」

 

 どことなく鋭い目をこちらに向けたビアンカに、リュカはかすかに頬を引きつらせた。どうやら何か言わなければならないらしい。

 

「何かって?」

「もう!」

 

 ビアンカはいよいよ腰に手を当てて、怒りの色を明確に浮かべた。

 

「案内してあげるって言ってるのよ? 別に喜べとは言わないけど、リュカったら何も言わないし、表情も変えないんだもの。それって失礼だわ!」

 

 リュカは困り、そしてむっすりと黙り込んだ。そういえば、こんなこと今まで誰にも言われたことがなかったな。リュカは思った。

 そんな彼を見て、ビアンカは呆れたように眉尻を下げ、ため息をついた。

 

「まあいいわ。そういう子なのよね」

 

 彼女は勝手に納得してみせると、それはそうと、と話を変えた。ありがたい、リュカはホッとした。

 

「凄くスムーズに進めるわね。やっぱりおじさまのおかげよね。わたしたちがサンタローズに来るときなんて大変だったのよ」

 

 彼女はそう言うが、リュカにしてみれば随分ゆっくりとした旅路だった。二人のときは、もっと速い。

 だが、彼女の機嫌を損ねては面倒だ。リュカは意図して相槌を打った。

 

「魔物に襲われたらいけないから聖水はたくさん使わなきゃいけなかったし。それでもずっと魔物がいないかどうか確かめながら進まなきゃいけなかったんだから」

 

 魔物を一太刀で仕留めているパパスの姿を見ながら、ビアンカが聞いてもいないことをペラペラと喋る。心なしか目をきらきらさせているビアンカを見て、父はビアンカの尊敬を勝ち得たことを確信した。父の戦い方は、ビアンカが見惚れるのも当然だとリュカは思った。洞窟での経験から、一人で魔物の群れを相手にすることの難しさを身にしみて知っていたリュカは、いとも容易く群れを退けている父の強さをあらためて感じた。

 

「おじさまは世界中を旅してたのよね? だからあんなに強いのね。リュカも一緒に旅してたんでしょ? リュカも強いの?」

 

 リュカは首を横に振った。

 洞窟である程度自信をつけたリュカだったが、自分が強いかと聞かれると、そうだとはとてもじゃないが言えない。そもそもリュカは旅の間ほとんどパパスと二人きりだった。だから、パパス以外の人間が戦うところなどほとんど見たことがない。よって比べる対象がパパスくらいしかいないのだ。そしてそのパパスと比べた場合、比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの差があるのは自明のことだ。

 

「そうよね、まだリュカは子供だもんね」

 

 その子供と二歳しか違わない自分はどうなんだ、と言ってやりたくなったが、やめておいた。ビアンカがお姉さん振るのはいつものことだし、そもそも自分が子供だということは事実だ。だが、中身はビアンカのほうが子供だとリュカは密かに思っていた――自分はビアンカにお姉さん振らせてあげているのだ。

 

 

 

 

 

 山々が連なっている景色を右手に感じながら、リュカたちはひたすら歩き続けた。時折パパスが、少し休憩するか、とマグダレーナやビアンカに聞くのだが、二人とも強がっているのか、気を使っているのか、そもそも疲れていないのか、決して首を縦には振らなかった。

 頭上に白く輝く太陽から降り注ぐ日差しが、遮られることなく地上を照らし、周りに広がる広大な草原が青々と映えていた。その草原を囲むように、山々が連なっている。雲一つ無い天気のおかげで、山々の稜線がくっきりと見えた。 

 そんな草原をひたすら歩いてきたが、それもそろそろ終わりを迎えるようだ。

 

「リュカ、見て! あそこに森が見えるでしょ? あの森の中にアルカパはあるのよ」

 

 ビアンカが指差す方は、草原の周囲の山並みが幅を狭めてきており、その向こう側は再びひょうたんのように幅を広げている。向こう側の草原には、確かに森が見えた。

 

 

 

 

 

 そのまましばらく歩き続けると、やがて森に辿り着いた。森に足を踏み入れても、木の葉の多くが枯れ落ちてしまっているため木漏れ日が十分に差しこみ、そこまで暗さは感じなかった。

 ビアンカの足取りがどんどん軽くなっていき、その拍子に三つ編みが跳ねる。

 地面は下草や落ち葉などで覆われているが、それらが取り払われ土が露出している細い道ができており、その道に沿って進むと、途中で分かれ道になっていた――そのまま真っ直ぐ伸びる道と、右に直角に曲がっている道だ。パパスは迷う様子も無く右への道を行き、そのまま真っ直ぐ進むと、すぐに町が目に入った。

 

「リュカ、あれがアルカパよ! さあ、早く行きましょ!」

 

 ビアンカは余程嬉しいのか、ぴょんぴょん飛び跳ねている。大人二人は顔を綻ばせてその姿を見ており、リュカも僅かに頬を緩めている。いつも大人振っていたビアンカの子供っぽい仕草が面白く感じられたのだ。

 

「ちょっと! 何笑ってるのよ、リュカ!」

 

 一転して、目を吊り上げてリュカに詰め寄るビアンカと、それをかわそうとするリュカの姿は、じゃれ合っているようにも見える。というか、実際じゃれ合いでしかない。

 

「先行くよ」

「あ、待ってよ、ママ!」

 

 リュカへの追求の手を一向に緩めなかったビアンカだが、マグダレーナの言葉を聞くと、サッと身を翻して大人二人を走って追いかけた。取り残されたリュカは、口煩いビアンカが離れていくことに胸を撫で下ろし、急ぐ様子も無く歩を進めた。

 

 

 

 

 

 アルカパは森に囲まれたのどかな町だったが、サンタローズよりも整備されていた。村の規模が違うからだろう。建物の数がサンタローズよりもかなり多い。村の外周に沿うように建物が連なって建てられ、中央には教会がある。刈り込まれた芝生に敷いてある石畳の細い道がそれぞれの建物に続いており、それに沿うようにマグダレーナは進み、リュカたちを先導した。

 リュカはキョロキョロと辺りを見回しながら、町の入り口から真っ直ぐに進んだ。右側に武器屋や防具屋、道具屋が連なっているのを見ながら歩いていると、おそらく町で一番大きいであろう建物に突き当たった。レンガ造りで頑丈そうな、灰色っぽい建物だ。入り口の扉は大きな木製のもので、扉の横には「INN」と書かれた看板が掛けられている。旅をしていた頃にはしょっちゅう宿屋に泊まっていたので、その看板が宿屋を示すものだということがリュカにはすぐにわかった。

 

「ここがわたしの家なのよ。リュカが小さい頃、遊びに来たこともあるの。どう、覚えてる?」

 

 リュカは首を横に振った。当然である。そもそもリュカはビアンカのことすら覚えていなかったのだ。

 

「そっか。まあ仕方ないわよね。行きましょ」

 

 ビアンカはリュカの手を取り、既に中へと入っていった大人たちの後に続いた。

 中に入ると、そこには広々としたスペースが設けられており、正面にはカウンターがあった。入り口からカウンターまでは、石の床の上に一直線に赤い絨毯が敷かれている。マグダレーナはカウンターの右側にある扉を開けて入っていった。パパスがその後に続き、ビアンカとリュカもパパスの後に続いた。

 中はそれほど大きくはない部屋だった。床は板張りで、壁には小さな窓が二つある。窓から入る光が室内を淡く照らしていた。マグダレーナは部屋の隅のさらに奥へと続くドアを開けて入っていく。

 続いて入ると、そこは寝室だった。ベッドは三つ並んで置かれており、左端のベッドには男が寝ていた。ベッド以外には小さなタンスがある程度で、簡素な部屋だ。

 マグダレーナとビアンカとパパスはその男に近寄った。リュカはその男になど興味はなかったが、かといって外へ遊びに出るわけにもいかず、とりあえずパパスの隣にいることにした。

 

「ただいま。具合はどうだい?」

 

 マグダレーナが優しくその男に問いかける。マグダレーナは豪快な人だというイメージが強かったためか、その声色がリュカには意外に思えた。

 

「お父さん、大丈夫?」

 

 ビアンカも心配そうに顔を曇らせていた。さっきまであんなにはしゃいでいたビアンカのこの変わり様は、リュカには不可思議なことでしかなかった。

 

「……ああ、帰ってきたのか。おかえり。具合は……まあまあだな」

 

 苦しげに咳き込みながら、その男は薄く目を開けて言った。具合がまあまあな人間が出す声ではなかった。顔色もよくない。

 

「薬持って帰ってきたよ。飲めるかい?」

 

 ベッドの脇に置いてあった容器から、同じく置いてあったコップに水を注ぎながら言う。

 

「ああ」

 

 マグダレーナは小さく折りたたまれた紙をポケットから取り出し、男に手渡した。男は寝ていた身体を緩慢に起こすと、その紙に包まれた粉状の薬を水と一緒に飲んだ。リュカは、あの毛むくじゃらが作った薬が本当に効くのかどうか疑わしく思っていたが、みるみる男の顔色が赤みを帯びていくのを見て、驚愕するとともにあの薬師を見直した。

 

「おお! 一気に気分が良くなったぞ」

 

 心底驚いた様子で言った男を、心底驚いた様子のマグダレーナとビアンカが穴の開きそうなほどに見つめていた。

 

「久しぶりだな、ダンカン。具合はもういいのか?」

 

 今まで黙って突っ立っていたパパスが声をかける。

 

「パパスか!? 本当に久しぶりじゃないか! 確か二年振りじゃないのか? なんでここにいるんだ?」

 

 さっきまで病人だったとは思えないほどに、その男――ダンカンは矢継ぎ早にまくし立てる。

 

「ついこの間サンタローズに戻ったんだ。お前の言う通り、だいたい二年振りだ。で、体調はどうなんだ? 聞かずともだいたいわかるが」

「そうかそうか! ああ、体調ならもう大丈夫だ」

 

 喜色満面といった様子だ。余程パパスと仲が良いのだろう。パパスも嬉しそうだ。

 

「凄い薬ねぇ……」

「あの薬師さんって凄かったのね……意外」

 

 マグダレーナとビアンカがようやく口を開いた。呆然とした口調だ。ビアンカのあの薬師に対する印象は、自分が持っていたものと同じだとリュカは確信した。

 

「心配かけてすまんかったな。もうほとんど治ったから、心配はいらんからな」

 

 ダンカンが家族に向き直り、温かみのある声で言った。そしてビアンカの頭に手を伸ばし、ポンポンと軽く叩いた。涙ぐむビアンカ。リュカには何だか大袈裟に見える光景だったが、かなりの重病だったのだろう。

 

「まあ、お父さんの病気が治ったんならそれでいいわ。リュカ、ここにいても退屈でしょ? 遊びに行きましょうよ」

 

 ダンカンの手を頭から払いのけたビアンカは、眉を顰めながら口元をにやけさせるという実に奇妙な表情で言った。照れ隠しにリュカが利用されたのは明白だったが、リュカは渡りに船だとばかりにその案を受け入れようとした。

 

「ん、リュカ? おお、リュカか! 久しぶりだなぁ。おじさんのこと覚えてるか?」

 

 だが、それもはばまれる。ダンカンに気づかれてしまった。リュカは内心ムッとするが、父の友人相手にあまり失礼な態度を取るわけにもいかない。仕方ないのでダンカンと向き合い、首を横に振る。会ったことがあるということはパパスから聞いていたが、覚えていないものは覚えていないのだから、他にどうしようもない。案の定、大きくなったなぁ、と言われたが、リュカには曖昧に頷くことしかできなかった。

 

「さあ、早く行きましょ!」

 

 痺れを切らしたようにビアンカが強引にリュカの手を引き、部屋を出て行く。ビアンカの強引さに感謝する日がくるとは思いも寄らなかった。

 

「アルカパを案内してあげるって言ったよね? 約束通り案内してあげるね!」

 

 宿屋の入り口の扉を勢いよく開け放ち、二人して外へ飛び出しながら、ビアンカは明るく笑って言った。

 

 

 

 

 

「じゃあ、どこから案内しようかな……。ホントは宿屋の中をたくさん見せてあげたいんだけど、それじゃあ町を案内したことにならないんじゃないかしら……」

 

 難しい顔をして一人でぶつぶつ言い出したビアンカを尻目に、リュカは宿屋に向かって左の方へ歩き出した。左へ行くことに特に理由はない。ただ、町をぐるりと回ってみようという考えから、とりあえず左回りに行こうと思っただけだ。リュカにはタイムリミットがあった。パパスが帰ると言い出す前に、アルカパの探索を終えなければならない。そのため、おそらく大雑把に見て回ることしかできないだろう。

 

「あっ、待ってよ! どこ行くの?」

「町を一周するの」

「あっ、それいい考えかもしれないわね! 町を全部見せてあげればいいのよね! そのあと宿屋を見せてあげるね! うん、それがいいわ」

 

 ビアンカは余程宿屋のことが自慢らしい。リュカと並んで歩きながら宿屋の話ばかりしてくる。

 

「三階建てなのよ。三階の部屋が一番いいお部屋なの」

「ママがぶどう棚を作ったのよ。おいしいぶどうができたら、食べさせてあげるね」

 

 リュカが見ているところとは無関係の話だ。何となしにその話を聞きながら、リュカはビアンカに案内役失格の烙印を押した。コツコツと杖が石畳を突く乾いた音が鳴る。

 

「あっ、あいつら!」

 

 たわいない話をしながら――というよりビアンカが一方的に話しながら――ぶらぶら歩いていると、ビアンカが突然金切り声を上げた。リュカはビクリとして、ビアンカの視線を辿る。視線の先には、二人の少年と、黄色っぽい動物がいた。何をしているのかはリュカにはよくわからなかったが、少年たちは結構興奮しているようだ。

 彼らは、周囲が堀のようになっている水で囲まれたところにいた。掘は結構な幅があったが、小さな橋が渡してあり行き来できるようになっている。

 

「行くわよ、リュカ!」

 

 そう言ってビアンカはリュカの杖を持っていない方の手を引いて走り出した。ビアンカはどうやらリュカの手を引くのが癖になっているらしい。リュカを半ば引きずるような形で少年たちの方へ駆けて行き、木で出来た小さな橋を飛び越した。橋を渡るときに見た堀に張られた水は綺麗に透き通っており、リュカは手を突っ込んでみたくなったが、それはかなわない。

 

「あんたたち! 何してるの!」

 

 少年たちの目の前にまで辿り着くと、ビアンカは二人を怒鳴りつけた。彼らは黄色っぽい動物をいじめていたのだ。石をぶつけてみたり、蹴飛ばしてみたりと、やりたい放題だった。

 

「何だよ! 今こいつをいじめて遊んでるんだ! 邪魔すんなよな!」

「そうだそうだ! ビアンカには関係ないだろ」

 

 どうやら二人はビアンカの知り合いのようだ。二人とも目を吊り上げて、ビアンカに相対している。

 それにしても、無抵抗の生き物をいじめることに楽しみを見出すとは、なんとも醜悪なことだ。リュカの好む類ではない。子ども故の残酷さと言えば聞こえはいいのかそうでもないのかはわからない。

 

「かわいそうでしょ! そのネコちゃんを渡しなさい!」

 

 ビアンカも負けじと目を吊り上げ、両手を腰に当て、あくまで強気の姿勢を崩さない。「ネコちゃん」という呼び方が玉にきずだが、それでも相当な迫力だ。三つ編みが逆立ち、鬼の角のようになっている……ような幻覚をリュカたちに与える。

 それに押されたか、少年たちは顔を寄せ合って話し合いをはじめる。

 しばらく待つと、どうやら結論が出たようだ。二人はこちらに向き直る。

 

「レヌール城のお化け退治をしてきたら、このネコをやるよ」

 

 二人はニヤニヤしながら条件を突きつけてきた。

 ビアンカは目を見開いた。なにやら衝撃を受けているようだが、リュカにはよくわからない。

 やがてビアンカは意を決したように口を開いた。

 

「……いいわ。や、やってやろうじゃない。その約束、絶対忘れないでよ」

 

 彼女の表情は少し引きつっていたように見えたが、その条件を飲むことにしたようだ。一連のやり取りをぼーっと眺めながら、リュカはなぜ自分がここに引きずられてきたのか疑問に思った。

 お化けじゃなくて、こいつらを退治すればいいのに。リュカは割りと物騒かつ合理的なことをふと思いついたが、それをビアンカに伝えることはしなかった。自分には関係ないことだと思っていたからだ。

 それに、何故そんなにビアンカはむきになっているのかリュカにはわからなかった。なぜなら、リュカにはどう考えても黄色いやつが苦痛を感じているようには見えなかったからだ。昼寝をするネコのように身体を丸めながら地面に寝転がっている様子は、見方によったら苦痛にうずくまっているように見えなくもないかもしれない。だが、のんきに欠伸をしているところをリュカは見逃さなかった。明らかに少年たちのことを意に介していない。

 ついでに言えば、リュカにはその動物がネコには到底見えなかった。リュカの知識が正しければ、ネコにはオレンジ色のたてがみなど生えていなかったはずだし、口を閉じていてもチョロッと顔を覗かせるほどの長さの牙は生えていないはずだった。それに間違っても地面に寝転んだ状態で、リュカの腰の辺りにまで達するほどの体格ではないはずだ。

 しゃがんでそのネコもどきの顔を見つめてみると、眠たげに落ちていたまぶたが開かれ、リュカに目を合わせてきた。ネコもどきは尻尾をゆらりと一度揺らすと、喉を鳴らして目を閉じた。どうやら本格的に昼寝をはじめるらしい。

 

「リュカ、行きましょ」

 

 ビアンカは最後にひと睨みすると、踵を返した。肩を怒らせてずんずんと進んでいくビアンカをのんびりと追いながら、レヌール城とはどういうところだろうと考えていた。お化け退治というワードには心引かれるものがあったが、自分には関係ないことなのだということを思い出し、あまり考えないようにしようと思った。どうせ行けないのに、好奇心ばかり高まっても虚しいだけだからだ。

 橋を渡ったところでビアンカは立ち止まってリュカを待っていた。まだ怒りが治まらないようだ。口をへの字に曲げて、眉をひそめている。

 

「あいつらいっつも悪いことばっかりしてるのよ。この前なんてわたしの……い、いや、なんでもないわ!」

 

 不満たらたらの顔で愚痴ってきたビアンカだったが、途中で何かを言いかけると、急に顔を赤くして黙り込んだ。

 

「と、とにかく、あのネコちゃんは助けてあげないとね! ねえ……リュカも手伝ってくれない?」

 

 コロコロ表情を変えながら、最終的に不安げな顔でリュカに助けを求めた。

 

「たぶん無理」

 

 淡々と断ったリュカだったが、内心では、もしそうできるならアルカパの探索などできなくてもいいとさえ思っていた。

 

「え、なんで?」

「お父さんはすぐに帰ると思うから」

「そう……じゃあ、おじさまが帰らなかったら手伝ってくれる?」

 

 リュカは即座に頷いた。

 

「ホント!? じゃあ、わたしが何とかしてみせるわ! 約束よ! 絶対手伝ってね!」

 

 ビアンカは目をらんらんと輝かせ、グッと両の拳を胸の前で硬く握った。ビアンカの固い決意が伝わってくるようだ。リュカは、父の意思に反することはできればしたくなかったが、このときばかりは彼女を応援することにした。必要とあらば、援護射撃も辞さない覚悟だ。

 

「とりあえずうちに帰らない? おじさまを早く説得しなきゃ。夜に抜け出すには早く寝とかなきゃダメだもん」

「なんで夜なの?」

 

 キョトンとしてたずねた。

 

「わたしたちだけでそんな遠くまで行くなんて、ママは絶対許してくれないわ。ママにばれないようにするには夜に抜け出すしかないでしょ?」

 

 ムっとした様子でビアンカは言った。いつになってもママはわたしのこと子供扱いするんだから、などと愚痴るように呟いていたが、それは当然だとリュカは思った。

 

「夜じゃなくても、言わなきゃばれないよ、きっと」

「夜じゃないとお化けがいないかもしれないじゃない。お化けがいないと退治だってできないわ」

「……たしかに」

 

 リュカにはお化けの生態に関する知識はなかった。

 

「それに、町の入り口には警備の人がいるのよ。気付かなかった? 私たちだけじゃきっと通してくれないわ」

「夜なら通してくれるの?」

「夜はたぶん寝てるわよ。警備の人だって眠いときは眠いはずだわ」

 

 それもどうかとは思うが、この町の住人であるビアンカがそう言うのならそうなのだろう。

 

「これで決まりね。いい、絶対におじさまにもばれちゃダメよ?」

 

 ビアンカが声を潜めて、リュカの耳に顔を寄せて言った。

 

「なんで?」

「もしかしたらおじさまがママにばらしちゃうかもしれないじゃない。大人って意外とずるいんだから。それにおじさまがママみたいなこと言うかもしれないでしょ? この計画は、失敗は決して許されないのよ」

 

 ビアンカの瞳には、確かな決意を秘めた炎が灯っていた。

 いつしか二人はしゃがみ込み、顔を寄せ合ってコソコソと話し合っていた。

 

 

 

 

 

「おお、リュカ。やっと戻ってきたか。たくさん遊んでもらったか?」

 

 宿屋のビアンカたちの部屋に戻ると、パパスはイスに座ってマグダレーナたちと三人で何やら話していたようだ。ダンカンもすっかり調子は良さそうに見える。

 遊んでもらってはいない、そう返すことを控える程度の分別はリュカにもあった。

 

「見舞いも済んだことだし、そろそろサンタローズに帰るとしようか」

 

 パパスの言葉を聞いて、リュカとビアンカは揃って顔を引きつらせたが、即座に気を取り直し、ビアンカが一歩前に足を踏み出した。

 

「あ、あの……おじさま――」

「何言ってんだい! このまま帰るなんてとんでもないよ!」

 

 ビアンカの言葉を遮って、マグダレーナが声を張り上げた。リュカたちは思わずマグダレーナに目をやる。

 

「そうだぞ。せっかく二年振りくらいに会ったんだ。何日か泊まっていってくれてもバチは当たらないんじゃないか?」

 

 ダンカンもマグダレーナを後押しした。リュカたちにとって想定外の援軍の存在は、やたらと心強く感じた。リュカもパパスの目を訴えかけるように見つめてみた。

 

「そうだな……ではお言葉に甘えるとするか」

 

 パパスは苦笑していた。リュカとビアンカは顔を見合わせて笑った。リュカの笑顔を見たビアンカは一瞬目を見開いたが、すぐに笑顔に戻った。

 

「ああ、よかった……じゃあとりあえず部屋まで案内するから、ついてきてくれるかい?」

 

 マグダレーナはホッとしたように笑みを浮かべる。やはりパパスは彼らと仲がいいのだろう。ダンカンもマグダレーナも、そしてパパスも嬉しそうだ。パパスのこんな顔を、リュカはあまり見たことが無かった。

 

「リュカ、今のうちに寝ておきなさいよ。夜になったら起こしに行くからね」

 

 ビアンカはリュカに耳打ちした。リュカは一つ小さく頷くと、歩いていくマグダレーナの後に続いた。

 

 

 

 

 

 マグダレーナは階段を二つ上がって、三階に向かった。二階にはいくつも部屋があったのだが、三階には一つしか部屋はなかった。結構な広さのある部屋で、大きなベッドも置かれている。床は赤いじゅうたんに覆われており、部屋の隅には観葉植物が飾られていた。リュカはビアンカが、三階の部屋が一番いいお部屋なの、と言っていたことをふと思い出した。窓は三つあり、そこから見える空は赤みを帯びている。

 

「じゃあ鍵は預けておくから、好きに使ってくれて構わないよ」

「わかった」

 

 二人が言葉を交わしているのを横目に、リュカはターバンとマントを脱いでいた。それらを道具袋と杖と一緒にベッドの脇に放り、髪をほどき、寝る気満々だ。

 

「ん、もう寝るのか?」

 

 ベッドに潜り込みはじめたリュカの方を振り返り、パパスが声をかける。

 

「うん」

「そうか。おやすみ」

「おやおや、まだご飯も食べてないだろうに……まあ今日は疲れただろう。ゆっくりおやすみ」

 

 そう言って、二人は部屋を出ていった。遠ざかっていく足音が聞こえる。

 リュカはまだ見ぬレヌール城に思いを馳せながら眠りについた。

 

 

 

 

 

 

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