ドラゴンクエスト5~リュカの生きる道~ 作:KENT(ケント)
8話
「ほう、戻ってきたのか。気に入ってくれたか、舞踏会は? もっと楽しんできてもよかったのだぞ?」
振り返る親玉に対し、リュカは杖を構える。
親玉が笑う。
「そういえば、俺様を退治しにきたとか言っていたな」
品定めするように親玉はリュカたちに視線を這わせた。そしてまた笑う。
ビアンカが鞭を身体の前で構える。ソフィアが俯きがちに立ち尽くす。
「よかろう。相手をしてやる」
親玉のローブがゆらゆらと揺れる。戦闘態勢に入り、威圧感が増す。気圧されたのだろうか、重力が増したような感覚。
こちらへ右腕を突き出してくる。赤い光が掌に集中する。金色の腕輪がきらりと光を反射する。
「お手並み拝見だ」
光が渦を巻きながら凝縮し、小さな球を形作る。その球は一瞬にして火球となり膨張する。
「メラ」
火の粉を散らしながら、火球が放たれる。風を受けたように、親玉のローブが揺れた。
ビアンカが魔力を練り上げる。
「メラ!」
ビアンカのメラは敵のメラを迎撃すべく、的確なコントロールで飛んでいく。
直撃。爆発が起こる。爆風がリュカの髪とマントを揺らす。
「嘘!?」
爆発を突き破って、火球が飛び出してきた。
「俺様のメラを打ち消そうなど、身の程を知れ」
酸素を食らいながら、獰猛に襲い来る火球。
リュカは慌ててかわす。マントにかすり、少し焦げた。
相手は手をこちらへかざしたまま、メラを次々に放つ。放たれる度、夜闇がパッと照らされる。あるものは空の彼方へ消え、あるものは城壁に激突し弾けた。
リュカは避け続けていたが、気付くとバルコニーの角に追い詰められていた。誘導されたのだろうか。狙い澄ましたように、リュカの腹に火球が吸い込まれる。
「リュカ!」
腹で火球は破裂した。背中まで突き抜けるような衝撃。内臓まで焼かれたのではないかとすら思える熱。目を見開いて歯を食い縛り、リュカは膝を着く。背中が勝手に丸まっていく。
駆け寄ってくるビアンカ。敵から目を離すな、そう言いたかったリュカだが声にはならない。
ビアンカの背に相手は笑みを浮かべながら手を突き出す。今にも魔法が放たれるかと思ったそのとき、呪文とともにソフィアから放たれたギラが相手にまとわりついた。
「グッ……!」
うめきながら敵はもがく。
心配してくるビアンカを尻目に、リュカは杖を支えに立ち上がる。ふらついたが、戦えないほどではない。
蛇のように相手の身体に絡みついていた炎は、徐々に細くなり消える。
「こざかしいわ!」
メラがソフィアに向けて放たれるが、ひらりとかわす。そして、ソフィアもメラを返す。メラで迎撃し、爆音が轟く。
相手はソフィアに気を取られている。この隙を突くべく、リュカは痛む腹には頓着せず駆けた。
だが、相手の目も節穴ではない。ギロリとこちらへ目を向けると、掌を向けてくる。
「もう一度焼いてやろうか」
放たれた火球をリュカは横に転がり紙一重で避ける。火球は次々と追撃してくる。リュカはそれをかわすことに専念せざるをえなかった。
相手を見ると、驚くべきことに、片手でリュカ、もう一方の手でソフィアを相手取っている。リュカは魔力が限られているため、そう何発も魔法を使うことはできないのだが、相手はそうではないのだろうか。
だが、相手の腕は二本しかない。今の状態は両手を塞がれているようなものだ。それをビアンカは見逃さなかったようだ。
駆けてきたビアンカはひらりと飛び上がる。そして空中で、鞭に助走を取らせるように一回大きく旋回させると、敵の顔面を痛打した。いかにも痛そうな破裂音が響き、相手が仰け反る。ビアンカは相手の目の前に着地し、腹に両手を突きつける。
「リュカの仇よ!」
――メラ!
カッと火花が散り、炎が炸裂した。相手が身体をくの字に曲げる。
炎に照らされた親玉の形相。むき出しの歯。眼球が飛び出るのではないかと思えるほど見開かれた目。やばい――リュカは本能的に思った。
「調子に……乗るな!」
ビアンカの喉をつかみ、持ち上げる相手。ローブの袖の部分がずり落ち、紫色の腕が露出する。金色の腕輪がカタカタと揺れている。
リュカは飛び出した。喉をつかむ手に魔力を込める相手に、杖を振り下ろした。
「ガッ!」
重い手ごたえ。相手はビアンカから手を離してしまう。ビアンカは咳き込んでいる。
「ギラ!」
ソフィアの魔法が相手を飲み込んだ。断末魔のような悲鳴が上がる。
炎の中の相手を見る。その身体から湯気のようなものが立ち上っている。リュカは一瞬相手の焼けた身体から立ち上る煙なのではないかと思った。だが、直後向けられた殺気に、それは勘違いだと気付いた――あれは魔力だ。
「鬱陶しいわッ!」
殺気とあいまって、恫喝されたようにリュカとビアンカはすくんだ。それは致命的な隙だった。
大気が蹂躙される音が辺りを包んだ。魔力の波が押し寄せてくる。それは、いつしか赤い炎へと姿を変える。ギラだ――それも、ソフィアのギラを超える規模の。
ビアンカの悲鳴が聞こえるが、どうなったのかは見えない。
リュカは咄嗟に、押し寄せる炎の波――リュカには壁のようにすら見えた――にバギを放っていた。魔力の温存など考えている場合ではない。バギは壁に亀裂を生じさせた。そのおかげだろう、リュカは炎に煽られたぐらいで、そこまでのダメージはなかった。
だが次の瞬間、身体に目には見えない何かがまとわりつくような感触に包まれた。そして何とも言いがたい感覚――身体の中から何かが吸い取られていくような曖昧な感覚が確かにあった。不自然な脱力感がリュカを襲う。
「死ね」
直後、いつの間にかリュカに肉薄していた親玉が、片腕を後ろに引いていた。黒い光を帯びたその腕は、勢いよくリュカの腹に振り抜かれた。
肺から口に空気が一気に抜け、リュカは衝撃で吹っ飛ばされた。着地も取れず、倒れこむ。血を吐きながら身体を丸める。猛烈な吐き気と痛みを堪える。敵の前でこんな無防備な姿を晒すわけにはいかないとわかっていながら、リュカは身動きが取れなかった。
相手が歩み寄ってくる足音が聞こえる。
「しぶといガキだ。とどめを刺してやろう」
顔を上げることすらできないリュカには、相手が何をしようとしているのかわからなかった。だが、死が目前に迫っているということはわかっていた。戦いとはそういうものだ。弱ければ殺される。それは十分にわかっていたはずなのに、死を前にした今、リュカを死への恐怖が襲っていた。なんで死ななければならないのだろう、そんな身勝手なことをリュカは思った。戦いを挑んだのは自分なのに。己の弱さをこれほど悔いることになるとは。杖を握る手に力がこもる。
「もうやめて!」
ソフィアが叫んだ。
あのギラを凌いだのだろうか。よく考えればソフィアは幽霊なのだ。上空に避難すれば、あのギラをかわすこともできるだろう。そのままどこかへ逃げてしまえばいいのに、リュカは思った。だが、彼女はここに留まっている――自分を庇っている。
「お前から死ぬか? いいんだぞ、俺様としてはどの順番でも」
声から愉悦が伝わってくる。
「もういいでしょう……あなたが何をしても、この城はもう元には戻らない。幽霊をいくら集めたって、いくら踊らせたって、もうあのころには戻らないのよ」
ソフィアが悲しみをそのまま音にしたような声で言う。
「……なにを言っている?」
「あなたは変わってしまったわ。あなたは優しい人だった。でも、そんなあなたはもういないのね」
「なに?」
困惑した様子の親玉。
ソフィアの口調には、なぜか相手への親しみが感じられた。
「わかっていたわ。でも、諦められなかった。どうにかしてあなたを元に戻せないかって、その方法を探し続けた……」
俯くソフィア。何かを堪えるような表情だった。
「私もあなたと変わらないのかもしれないわね。どうしたって取り戻せないものがあるのに……それを認めることができなかった」
「さっきから何をゴチャゴチャと――!」
「忘れてしまったのね……何もかも……。私のことも」
「お前のことなど知らん!」
親玉が動揺したように怒鳴る。
「でも、完全に忘れてしまったわけではないわよね。辛かったのよね。その悲しみが、未練が、膨れ上がってしまったのよね。そこを魔に付け込まれてしまったのよね。それがあなたの心を覆い隠してしまったのよね」
ソフィアは悲しみのなかに、確かな慈愛を込めて言った。そして、そこには願望も込められているようだった。さっきまでの、迷いをにじませた彼女はもういない。
親玉は黙りこんでいる。
「今のあなたは、魔に歪められてしまった思いのままに生きる魔物。元のあなたを取り戻せないのなら……私があなたを倒すわ。それがきっと私に残された最後の役目」
涙の跡を頬に残しながら、ソフィアはまっすぐに親玉を見つめた。幽霊にも、流す涙があることをリュカは知った。
「幽霊ごときが……消し去ってくれるわ!」
互いの魔力が膨れ上がった。
ソフィアは空中にふわりと浮き上がり、魔法を放つ。メラとメラがぶつかり合う。
「無駄だ!」
親玉のメラがソフィアのメラを掻き消し、ソフィアへと迫る。だがソフィアは軽々とかわした。
幾度かのメラの応酬は、どちらにもダメージを与えることはなかった。このままでは埒が明かないと判断したのか、ソフィアは今までよりも濃い魔力をまとった。
「ギラ!」
ソフィアが特大のギラを放った。宙を奔る一匹の炎の大蛇が闇を分断する。
「甘い!」
親玉もギラで迎撃する。
ぶつかり合い、大きな爆発が宙に起こった。爆風がリュカにも吹き付ける。熱い。
空を覆う炎の幕に紛れて、ソフィアが親玉の背後に回りこんでいた。掌を親玉に突きつける。
「気付かんと思ったか!?」
振り返りざまに親玉は腕を振るう。だが、その腕はソフィアの身体をすり抜けた。
「幽霊に打撃は通用しないのよ!」
ソフィアの掌から放たれたギラが相手に絡みつく。
うめきながらも耐える相手。
ソフィアの身体が赤い光をまとった。そして一つ力んだ声を発すると、炎は膨れ上がり、親玉を火達磨にした。親玉が絶叫する。
炎がおさまったとき、親玉は身体から煙を上げてながらも立っていた。ソフィアは荒い息遣いでそんな親玉を見つめていた。
「これでとどめよ」
再びソフィアがダメ押しのギラを放つ。全身を焼く更なる炎に、親玉は悲鳴の一つも上げなかった。
魔力を使い果たしたのか、ソフィアは座りこんだ。頭をがくりと落として荒い息をついている。そして、しばらくして顔を上げ、炎の中の親玉へ目を向けた。そのとき、ソフィアは驚愕の声を上げる。親玉がギロリとソフィアを睨みつけていたのだ。
「俺様がこれしきのことで死ぬと思ったか?」
炎の中からぬっと手を伸ばす。肌はもはや黒く焦げていた。地獄から這い出る悪魔のようにすら思える光景。炎という光のなかにあってさえ、親玉は闇を纏う。その闇の深さは、もはやどんな光ですら掻き消すことはできないようにさえ思えた。
炭のような掌から放たれたギラが、ソフィアを飲み込む。
ソフィアは悲鳴を上げた。全ての苦痛を混ぜ合わせたような、悲痛な叫びだった。断末魔とはこのことか。死の気配を乗せた叫びは、リュカの耳にも届いていた。
ギラに吹き飛ばされたソフィアは、炎に包まれながら悶えていた。そして炎がおさまると、何の偶然か、リュカの隣に倒れこんだ。
「ごめんなさい……リュカちゃん。私ではあなたを……守れなかった……」
ソフィアは横たわりながらリュカに顔を向けた。ソフィアは泣いていた。
「私ではあの人を……」
ぽつりと絞り出された一言が、慟哭のように聞こえた。人は言葉にこれほどの感情を込めることができるのだということを、リュカははじめて知った。
もともと透き通っていたソフィアの身体が、少しずつ薄まっていく。ソフィアは死ぬのだ、リュカはそう思った。幽霊なのだから、死ぬという表現は適切ではないのかもしれない。だが、他にどう表現したらいいのかリュカにはわからなかった。
リュカは杖を突いてふらふらと立ち上がった。
ソフィアが目を見開いてリュカを見ていた。
「僕が倒す」
リュカは言った。
今、リュカの胸には様々な思いが渦巻いていた。そのせいで、一体何が自分を奮い立たせているのか、リュカ自身にもわからなかった。
「まだ立てたのか。いいだろう、すぐに終わらせてやる」
親玉を焼いていた炎はすでに消えていた。あらわになった親玉の全身は酷いものだった。ぼろぼろのローブの向こうに垣間見える焼け焦げた身体。今もブスブスと燻っている。
親玉へと歩を進めるリュカの背に、消え入るようなソフィアの声が届いた。
「おねがい……」
リュカは身体に緑色の光を纏った。もはや魔力は残り少なかったが、出し惜しみするつもりなどさらさらなかった。全てをぶつけて、親玉を倒す。
親玉も魔力を纏う。そして腕をこちらに突き出してくる。
「よくやった。ガキにしては、勇敢に戦った。それを誇りに死んでゆけ」
相手の掌に魔力が集中する。
なにが誇りだ、リュカは思った。己の無力をどう誇れというのだろうか。強くなりたい。リュカは今、心底そう願っていた。こいつには負けるわけにはいかない。なぜかと問われれば、リュカは返答に困っただろう。ソフィアへの同情か、無力感の払拭か、それとも他の何かか。だが、断固とした思いが胸にあった。
リュカは一直線に駆け出した。小細工はなしだ。逃げ回って、相手の隙を突いて、なんて悠長なことをしているだけの力は残されていない。
「くたばれ!」
親玉が手のひらに渦を巻く光の球を練り上げた。
恐らく相手の魔法が放たれる方が早いだろう。だがそれでもいいと思った――そのときだった。
「なっ!?」
どこからか飛来した火球が、親玉の腕を横から弾いた。その拍子に放たれた親玉のメラは、リュカに命中するには程遠い、あらぬ方向へ飛んでいく。
親玉が、火球の飛んできた方へ思わず顔を向ける。
「あのガキッ!」
リュカは全ての魔力を杖を持つ手に集中した。手と杖が緑色の光を漂わせる。
リュカは杖を斜めに振り上げた。直後、親玉の目前に瞬く間に迫ると、袈裟懸けに杖を振り下ろした。そして同時にリュカは練り上げた魔力を解き放った――緑色の光が膨れ上がり、親玉を飲み込んだ。リュカの目に緑色が反射する。杖の一閃とともに、風の刃が闇を裂く。
親玉はガラスを引っ掻いたような、耳障りな悲鳴を上げた。
炭のようになっていた親玉の身体を砕きながら、杖は斜めに振り切られた。
斜めに刻まれた傷は、周囲に亀裂を広げ、親玉の身体を崩壊へと導く。叫びながらのたうち回る親玉は、ほどなくして動きを止めた。
膝立ちでがっくりと親玉は天を見上げた。黒く焦げついた出来の悪い木の人形のような身体に、ぼろ雑巾のようなローブが引っ掛かっている。そんな彼でさえ、月は平等に照らしていた。彼の目には光るものがあった。死を前にして取り戻すものもあるのかもしれなかった。
彼は、ソフィア、と一言呟くと、それっきり動くことも声を出すこともなかった。暗雲に走る稲妻のように、身体の亀裂が徐々に広がっていく。一瞬が永遠にも感じられる不思議な時を置いて、やがて彼の身体は粉々に崩れ去った。
「倒したのね?」
よたよたとビアンカが歩いてきた。リュカは頷きを返す。終わったのだ。親玉は死んだ。リュカはがっくりと座りこんだ。身体中の力が抜けてしまったようだ。
沈黙が流れた。
静寂が辺りを支配する。月明かりは、何事もなかったかのように辺りを照らしていた。リュカが命がけで戦おうが、どんな魔物が暴れようが、月にとっては関係のないことらしい。
城を覆っていた魔の気配が薄れていく。
「そうだ、リュカ。はい、これ」
ビアンカが薬草を差し出してきた。
「苦いけど食べるのよ」
「ビアンカはいいの?」
「私はさっき食べたから」
薬草はすり潰して傷口に塗ることでも効力を発揮するが、単に食べるだけでも効果があるのだ。
薬草は苦かったが、そんなことは気にならなかった。全快には程遠いが、身体中の痛みが薄まっていく。リュカは小さくため息を漏らした。だが、なぜか極度の疲労は回復する気配がない。
「ソフィアさん!」
ビアンカが突然叫び、ソフィアの元へ走り出した。リュカもふらふらと後を追う。
「ソフィアさん、大丈夫!?」
ソフィアはほとんど消えかかっていた。もう顔もはっきりと見えないほどだ。
「ありがとう。あの人を止めてくれたのですね?」
穏やかな声色だった。
リュカもビアンカもソフィアの横に座り込んでいた。
「ソフィアさん、しっかりして!」
「私は大丈夫ですよ。幽霊ですもの。消えていくのは自然なことなのです」
「そんな……」
ビアンカは泣いている。
ソフィアが消えていく。それは、彼女の未練がなくなったことを意味していると考えていいのだろうか。それとも、親玉の攻撃により消滅してゆくというだけのことなのだろうか。彼女は今どんな思いでいるのだろうか。リュカにはわからなかった。
「ソフィア……」
背後から、何者かの声が突如聞こえた。リュカは驚いて勢いよく振り返る。
そこには、一人の男がいた。身体が透けている。幽霊だ。
「……あなた?」
呆然としてソフィアが呟く。
あなたと呼ばれた幽霊は、ソフィアの隣にしゃがみこむ。
「あなたなのね?」
「ああ。すまなかった、ソフィア」
「あなた!」
ソフィアが男に両手を伸ばした。彼は彼女の身体を起こし、優しく抱きしめる。
男の身体が淡い光を発した。その光はソフィアの身体を優しく包み込む。すると、ソフィアの消えかけていた身体が徐々に濃くなっていく。
「すごい……」
ビアンカが目の前の光景を唖然として眺めていた。リュカも同様だ。
「ていうか、誰なの?」
いつまでも抱き合っている二人を前に、ビアンカが疑問を口にする。もっともな疑問だとリュカは思った。
「すまなかったね、君たちも」
男が言った。
「何が?」
「私はエリックという。さっきまで君たちが戦っていた魔族なんだ」
「え、親玉!?」
申し訳なさそうにエリックは頷く。
「君たちに倒されたおかげで、私の魂に巣食っていた魔が晴れたようだ。本当にありがとう」
「魔が晴れる?」
リュカとビアンカは揃って首をかしげた。
「エリックは私の夫、もちろん人間だったのよ。でも、魔族になってしまったの」
「ええ!? 夫!?」
「だが、君たちのおかげで人間の心を取り戻せたよ」
ソフィアもエリックも笑った。
「人間が魔族になることがあるの?」
リュカが緩慢に尋ねた。というか、魔族とはなんだろう。語感からして魔物みたいなものなのだろうが。もう言葉を発するのも苦痛に思えるほど疲れていた。
「あるみたいですよ。よく聞く話ではありませんが」
「現になったしね」
それは、かなり驚くべきことなのではないだろうか。二人の様子を見ていると、どうもそうは思えなかったが。
「それはそうと、リュカ君……だったね? 随分疲れているようだね。ちょっとじっとしててね」
エリックがリュカに近づき、リュカの頭に手をかざす。淡い光が灯ると、リュカの疲労が少しやわらいだ。リュカはきょとんとしてエリックを見上げる。
「応急処置みたいなものだが、楽になっただろう? 君は魔力を使いすぎたんだよ」
お前のせいだけどな、リュカは内心で呟いた。
「ところで、君たちにはお礼をしないとね。この城には大した宝なんてないんだけど、私たちの宝物をあげよう」
「いい考えね。あれはこの子たちにもらってほしいわ! このまま朽ち果てさせるには惜しいもの」
二人は微笑み合う。
「宝物? なになに?」
「それは見てのお楽しみさ。さあ、おいで」
エリックは両手をリュカたちにかざしながら、浮き上がった。すると、リュカたちも一緒に浮かんでいく。
「うわ、すっごーい! 私たち飛んでるわよ、リュカ!」
「うん」
念のためリュカは相づちを打った。
そのままふわふわと飛んでいき、屋上に降り立った。墓が一つと、その回りに咲く草花しかない、あの屋上だ。
エリックは墓に手をかざす。すると墓の蓋がずれた。
「この中にしまっておいたんだ。ソフィアの身体はなくなってしまったから……せめてその代わりにと思って」
「あなた……」
二人は見つめ合う。
取り残されたリュカとビアンカも、目を合わせてみる。
「あの……」
「ああ、ごめんごめん。これなんだ」
墓から銀色の食器らしきものが浮かんで出てきた。
「これはティーセットなんだ。私たちはこれでお茶を飲むのが好きでね、よくここで二人で飲んだものだよ。ここからの景色を眺めながらね」
エリックは、遠い目をして景色に目をやった。
リュカたちもつられて景色を眺める。
空がかすかに白んできていた。これから時を置かずして、海の向こうから太陽が顔を出すのだろう。いつもと何も変わらずに。
澄んだ淡い光に照らされた、美しい景色だった。広大な森、青々とした草原、静かに凪ぐ海、なだらかな稜線。日が照っているときなら、もっとすばらしい景色が広がっているのだろう。リュカはそんな景色を想像した。
素敵ね、とビアンカはリュカに囁いた。
「本当はここに机もイスも置いてあったんだけど……捨ててしまった。どうかしていたんだ」
「あなた……」
「そんな大切なものをもらっていいんですか?」
ビアンカが、並んで置かれた銀のポット、トレイ、カップを見ながら尋ねた。
「もちろん」
エリックたちはにっこり笑った。ビアンカも笑った。リュカも少し微笑んだ。
「いいところですよね、ここ。憧れちゃうな。私もこんなお城に住んでみたいな」
ビアンカが景色を眺めながらうっとりと言った。風が静かに髪を揺らす。
「ああ、いい城だったよ……本当に」
「……どうしてこのお城は滅んじゃったんですか?」
ビアンカの問いに、しばし沈黙が続く。
「すいません、こんなこと聞いちゃって」
「いや、いいんだよ。ただ、どう答えたらいいものか……」
「魔物に襲われたのよ」
ソフィアがフォローするように口を挟む。
「それはそうなんだが、あれはただの魔物の群れではなかった。指揮官らしき者がいてね。そいつの指示で動いていたみたいだ。おそらくあの指揮官は魔族だ。言葉を話していたからね」
彼の口ぶりからすると、魔族と魔物とは別物のように感じられる。そして、言葉を話すのが魔族だと。
「魔族ってなに?」
リュカは端的にたずねてみた。
エリックは、うーん、とうなった。
「改めて聞かれると、答えに困るな……。まあ、強い魔物みたいなものだよ」
そういえば、サンタローズの洞窟にも、言葉を話すスライムがいたことを思い出した。あれも魔族だというものなのだろうか。強い魔物――エリックの言葉には信憑性がないとリュカは思った。
「魔族なんていたかしら……」
「……君は早々に殺されてしまったからね」
エリックは言い辛そうに言った。
彼は言葉を続けた。
「どうやら、奴らは私たちの子どもを狙っていたらしい。そして私たちに子どもがいないことに気付いたらしい奴らは、無差別に暴れだしたんだ」
「そういえば、邪悪な手の者が世界中から身分のある子どもをさらっているという噂を聞いたことがあるわ。あれは本当だったのね」
「酷いわ……」
ビアンカが呟く。
「済んだ話よ。沈んでいても仕方がないわ。城の皆も解放されたみたいだし、もう全てが終わったのよ」
「そうだね。死者は眠るのみだ」
二人は穏やかだった。リュカは、二人にはもう少し何か湧き上がる感情があってもいいのではないかと思ったが、彼らは安らいでいるかのようだった。どこか達観しているように見える。城が滅んだという事実がもたらす悲しみや憎しみ。そんなものを越えたところに今二人はいるのかもしれない。ここへ辿り着くまでの彼らの道のりは、リュカには想像もつかない。
「眠るって……」
「あなたたちのおかげで、ゆっくり眠れそうだわ。ありがとう。リュカちゃん、ビアンカちゃん」
「城の者たちも安らかな眠りについたようだ。私たちも行かないとね。彼らにはあの世で詫びなければならない」
ビアンカは複雑そうだったが、それでも笑った。二人も微笑みを返した。
「さあ、行こうか、ソフィア」
「はい、あなた」
二人の姿が少しずつ薄れていく。やがて白いもやになった二人は、天へ上っていく。二つの白い筋はいつしか絡み合い、一筋の糸となって、消えた。
「二人は幸せに眠り続けるのよね。きっと、そのはずよ」
リュカたちは空を見上げた。二人が消えていった先を。
朝日が顔を覗かせていた。彼らが夜の名残りを払ったのだろうか。それはないか、とリュカは頬を緩めた。
「あら、なにかしら?」
ビアンカを見ると、彼女は目を下ろしていた。しゃがんで、墓の周りの草花の中から金色の球を拾い上げる。
「きれいな宝石ね。これもきっとお礼よ。もらっていきましょ」
調子のいいことを言うビアンカ。もしこれがお礼なら、ティーセットと一緒に渡してくれただろう。だが、それを指摘することはしなかった。それはもちろん、もらって帰りたかったからだ。
何の装飾もほどこされていない、単なる球だった。それでいてこの金色の球は、どんなに高価な装飾品よりも美しいと思えた。それは、内に宿す輝きが、吸い込まれそうなほどに崇高なものに思えたからかもしれない。
「この球はリュカのものでいいわ。その代わりこのティーセットは私がもらってもいい?」
「いいよ」
「ありがとう。はい」
手渡された金色の球を、リュカは道具袋にしまう。
「さあ、私たちも帰りましょ。キメラの翼、使っちゃおうか?」
「うん」
「じゃあ、行くわよ」
ビアンカはキメラの翼を取り出し、頭上に掲げた。パッと白い光がリュカたちを包むと、次の瞬間二人は空に軌跡を残して消えていた。
小さな小さな花園は、人知れず風に揺られている。レヌール城はもはやお化け屋敷ではない。不穏な気配を漂わせることもない。今は、森の奥にひっそりとたたずむ、ただの廃城でしかなかった。