-1-主人公不在の物語の行く果て
4月24日。
修学旅行4日目の朝、桜咲刹那は布団に横たわる小さな友人をじっと見守っていた。
魘される彼女の表情を見て手に持った竹刀袋、その中に収められた愛刀夕凪を握る手に力が入る。
昨夜、危惧していた関西呪術協会からの本格的な襲撃があった。狙われたのは彼女の護衛対象であり、関西呪術協会の長の娘である近衛木乃香。
一度は敵の手に渡った近衛木乃香だったが、彼女と彼女の担任教師でもあり魔法先生であるネギ・スプリングフィールド、そしてその従者である神楽坂明日菜の獅子奮迅の活躍により近衛木乃香を奪還。昨夜の襲撃は事なきを得た。
しかし、桜咲刹那は悔いずにはいられなかった。
魘される友人を前に悔いることしかできなかった。
「綾瀬、お前は戦ったのだな。私やネギ先生、明日菜さんがお嬢様を助けようと戦っている間に、綾瀬もまた戦っていたのだな。それもお前をこんな風にする強敵と」
寝込む綾瀬夕映は表向きには慣れない環境により高熱を出しただけだとされているが、それは違う。魔法を知るものであれば誰しもが彼女のこの状態は魔力の枯渇による人体のオーバーヒートだと分かるだろう。
熱で魘される程度で済んでいる綾瀬夕映のこの状態、既に命の危機は去ってはいる。
寝ていれば魔力量は自然と回復し、熱も下がる。
しかし、それは生きていればの話だ。自らの魔力を全て使い切り奇跡的に生きていられたから、綾瀬夕映は生きているのだ。
「お前は、バカだ。大バカだ。どうして助けを求めなかった。どうして一人で戦った」
問いかけながら、桜咲刹那には何故綾瀬夕映が助けを求めなかったのか、その答えが解っていた。
桜咲刹那にはわかる。綾瀬夕映の無二の親友たち、宮崎のどかや早乙女ハルナにもわからないことが彼女にはわかる。
「守りたいものがある。救いたいものがある。そうなのだろう、綾瀬」
意味不明に呟かれたように思える言葉には、しかし、明確な意思があった。
「守りたいものがあるから、周りを見ずに戦って。救いたいものがあるから、後ろを見ずに戦った」
―――守りたいから被害(まわり)を見ずに、救いたいから犠牲(うしろ)を見ずに、戦うのだろう人間よ―――
ずきりと桜咲刹那の胸が痛む。彼女の身に潜む人間ではない部分が綾瀬夕映の無謀を嘲笑う。
―――愚かなりけり人間よ。鬼に横道なきものを―――
「黙れ………貴様にはこの尊さがわかるまい」
化生は人を笑い、人は化生を断罪する。
半人半鬼。半妖たる己の心を戒めながら、桜咲刹那は愛刀夕凪を手に立ち上がる。
「私も同じだよ、綾瀬。私にも守りたいものがある。守り続けたい人がいる。その為に故郷を捨てた。神明流を、関西を裏切った。ただ一つ。ただ一つの思いを遂げるその為に………木乃香お嬢様は私が守る。奴らの企みなどに屈するものか。だから、あとは私達に任せて、今は安心して眠っていろ」
桜咲刹那は行く。
今日この日、全ての舞台となる関西呪術協会の総本山。彼女の守りたい少女、近衛木乃香の生家へと向かう。
桜咲刹那は行く。
綾瀬夕映はもう行けぬ。
修学旅行において彼女を中心とした物語はこうして道半ばで途絶えながら、しかし、確かな結果を残し終わった。
綾瀬夕映(ヒロイン)は負けた。
桜咲刹那が綾瀬夕映の元を去った後、もう一組、彼女の元へ訪れる者たちがいた。
綾瀬夕映の担任教師ネギ・スプリングフィールドとクラスメイト神楽坂明日菜は布団に横たわり苦しげに息をする綾瀬夕映の姿を見て顔を歪ませる。
「僕の所為です。僕が綾瀬さんを守れなかったから」
続いていた沈黙の中でネギ・スプリングフィールドはポツリとそう呟いた。
それに対して神楽坂明日菜は違う、そうじゃないと首を振り彼の頭に優しく手を置いた。
「あんたの所為じゃないわ。綾瀬さんが襲われている時、あんたは木乃香を守ろうと必死だった。他に敵がいることに気が付かなくて当然じゃない。悪いのはあんたじゃない。ネギは悪くない。悪いのは全部あいつらよ」
神楽坂明日菜が思い出すものは昨夜の戦闘。攫われた近衛木乃香を救い出すために戦った者たちの顔。
言動から察するにこの件の首謀者であろう陰陽師―天ヶ崎千草。
その天ヶ崎千草の護衛として雇われた京都神鳴流剣士―月詠。
それらが倒すべき敵であると神楽坂明日菜は思っている。
彼女はこの時に気付けなかった。クラスメイトが倒れ焦っていたのもあったし、日常を送る上ではいい方向に働く生来の無頓着さが今回は悪い方向に働き気が付けなかった。
この件に関して彼女を責めることは出来ないだろう。
ネギ・スプリングフィールドが気づくべきだったのだ。
彼の優秀な頭脳をもってすれば気が付くことが出来たはずだし、この段階で、事が起こる前の段階で有効な手段を打つことが出来たはずだった。
しかし、彼もまた焦っていた。教師として生徒が寝込んでいる様子を見て冷静であることなど出来なかった。
この辺が彼の目の前で寝込んでいる綾瀬夕映にして魔法使いとしては優秀だが教師としては未熟だと言われる十歳の少年どうしようもない現実だった。
彼らが認識している敵は現状にて三人。そしてここに追加される敵は未だ出会っていない二人。
今日、関東呪術協会の長近衛近右衛門から託された親書を届ける為に近衛木乃香の実家である関西呪術協会の総本山の途中で出会う犬神遣いの少年と羅漢狂気の弟子である綾瀬夕映をこれほどまでに追い込んだ相手、フェイトと名乗った白い少年。
敵はそれだけだと誰もが思っていた。
気が付けない。
綾瀬夕映を襲った敵を勘定から外してしまっていたネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜だけではなく桜咲刹那も果ては羅漢狂気ですら気が付けない。
当然だ。これは予定調和ではない。白い少年が物語を更に白く。白々しくしていることに今は誰も気づけない。
そしてその結果、今宵ひとつの悲劇が生まれる。
極東最強の大妖酒呑童子は再来する。
そして、その日の夜。4月24日。未明――ネギ・スプリングフィールドは悲鳴を聞いた。
少女が恐怖の末に出す断末魔。その響きは天ヶ崎千草や月詠、犬神小太郎らの妨害を掻い潜り学園長近衛近右衛門から託されていた親書を関西呪術協会の長である近衛詠春へと届けた達成感に浸り緩んでいた彼の気持ちを引き締めるのに十分すぎるものだった。
駆けつけた先。安全だとおもっていた関西呪術連合の総本山。近衛木乃香の生家である近衛家本家の一室で高等魔術によって石化した自分の生徒たちをみて、彼は思い出す。
「宮崎さん、早乙女さん、朝倉さん………どうして、こんな」
未だに敵は健在。何も終わって等いなかったことを理解する。
この時の彼を羅漢狂気なら甘いと断じエヴァンジェリンなら舐めているのかと嗤うだろう。
事実、ネギ・スプリングフィールドは甘く敵を舐めていた。もう終わったと思っていた。
親書を届け終えて、自分の京都での冒険は、物語はもう終わったのだとそう思っていた。
そんな中、起きた惨事。彼の責任だ。勘違いが招いた悲劇。
終わって等いなかった。否、始まってすらいなかった。
「僕のせいだ。………僕のせいで生徒のみんなを……そうだっ!明日菜さん」
ネギ・スプリングフィールドは駆ける。大切な生徒たちを救う為に、大事なパートナーを守る為に、彼を主演とした物語がようやく始まる。
彼一人では抗えぬ悲劇を抱えて、始まった。
ネギ・スプリングフィールド。彼は駆ける。たった一人で関西呪術協会の総本山を駆け抜ける。その道中で彼は見る。彼の生徒と同じように石化の呪いをかけられ石像と化した関西呪術協会の人々。
「っっ」
その姿が、その存在が、少年の心を大きく抉る。古傷すらも抉り取る。思い出すのは遠い記憶。彼の故郷もまた紅蓮の業火と共に石化の呪いに掛けられた。
今この瞬間も彼の故郷の人々は石像となりながら苦しむことも許されずに、泣くことも出来ずに、ただ時の止まった世界の中に居る。
「明日菜さん。木乃香さん。刹那さん。どうか、無事でいてください」
それは生徒の無事を願う先生の祈りのように聞こえた。
それは仲間の無事を信じる魔法使いの決意のように聞こえた。
しかし、その決意が、祈りが、壊れ砕ける瞬間は刻一刻と迫っていた。
狂いに狂ったこの物語。断言しよう。英雄の息子―ネギ・スプリングフィールドの力をもってしても単純な大団円では終われない。
敵が予定通りならよかった。
ネギ・スプリングフィールドが開け放った大浴場の扉。その先で神楽坂明日菜を水の魔方陣で捕え桜咲刹那を殴打し吹き飛ばした白い少年。フェイト。
フェイトが総本山を攪乱している間に近衛木乃香を誘拐し利用しようと大鬼神の眠る祭壇へと向かう陰陽師。天ヶ崎千草。
流血と興奮を望む堕ちた神明流剣士。月詠。
戦闘と興奮を望む熱き犬神使いの少年。犬神小太郎。
そして、天ヶ崎千草の手によって復活する大鬼神。リョウメンスクナ。
敵がこれだけならよかった。そうすれば何の問題もなく世界は事なきを得ただろう。
何も無くさず。何も砕けず。ネギ・スプリングフィールドと生徒たちを中心とした成長と青春と正義と愛の物語は明るく輝きながら続き続けていたはずだ。
しかし、そこに異物が入り込む。
フェイトと名乗る白い少年が終わった英雄を倒すために狩りだした一体の鬼の存在がこの物語を狂わせる。
神楽坂明日菜に励まされ。桜咲刹那と手を取り合い。眠りから覚めた綾瀬夕映の力を借りて。綾瀬夕映に呼ばれ駆けつけてくれた三人の協力を得て。
近衛木乃香の元へとたどり着いたネギ・スプリングフィールドに告げられる究極の問い。
「ネギ君。誰が切り札はリョウメンスクナだけだと言った。リョウメンスクナに勝るとも劣らない鬼を僕は切り札として切っている。ああ、そんな風に周りを気にしなくても大丈夫。彼はここにはいないよ。彼がいるのは大江山連邦。ここから遠く離れた山奥さ。そこに彼は居る。君の大切な生徒と一緒にね」
「どうする。ネギ君。大切な生徒を見捨てるかい?それとも関東魔法協会の危機となるリョウメンスクナの復活を無視してでも助けにいくかい?どちらにせよ。君は大切なモノを守れず終わる」
「さあ、選ぶと言い。生徒を見捨てて使命無き教師となるか。リョウメンスクナを無視して覚悟なき魔法使いになるか。好きな方を選ぶといい」
答えなき問いを前にネギ・スプリングフィールドは呆然と立ち尽くすことしかできずにいた。
京都における彼の物語はここで終わる。自身の処理能力を大きく超えた問題を前に答えを出せずに結果を出せずに不様に終わる。しかし、ああ、一体誰が彼を責められよう。
懸命に頑張った。勇敢に立ち向かった。仲間と共に励まし合ってここまで来た。
ネギ・スプリングフィールド。彼は確かに全力でやりきった。
だがそれでも届かなかったというだけなのだ。
懸命に頑張っても足りず。勇気を持っても足りず。仲間を持ってもまだ足りず。
狂いに狂ったこの物語で彼の小さな手は大団円には届かなかった。
「………答えは出せずに死んでいくかい。それが答えかい」
フェイトの右腕がネギ・スプリングフィールドへと伸びる。右腕に収縮されていく魔力。
唱えるは時すら止める石化の魔法。このままでは数秒後に自分は関西呪術連合の人々と同じ、故郷の人々と同じ末路を辿ると理解しながらそれでも彼は動くことが出来なかった。
いっそ、このまま石化してしまえば楽だという考えすら頭に浮かんできた。
キャパシティは越えている。彼は悪くない。明晰な頭脳が今こうしている間にもどちらを救う事か正解か、損得勘定に生徒と関西魔法協会を含め考えていること自体が彼を自滅へと向かわせる因子。
もういやだ。もういやだった。彼は未だに十歳の少年に過ぎない。
世界を救うか。女の子を救うか。
一昔前に流行った取捨選択を幼き彼に選び取れと言う方が酷だ。
彼を支え続けた少女、神楽坂明日菜の言葉すら自己嫌悪と世相否定と思考の海に沈んだ彼の耳には届かない。
「………僕は、守りたかっただけなのに」
ポツリとこぼれた彼の言葉はなんと悲しく悲痛なものか。
守りたかっただけなのに。ただそれだけだったのに。世界はそれすら許さずに前を見ることでしか生きて行けなかった少年は二つに分かれた道の先、前すら見ることが出来なくなって立ち止まる。
過去を振りかえすことが出来ずとも未来を信じることでここまで来た少年は過去(うしろ)を見られず。未来(まえ)も見られず。ただ立ち尽くす。
「さようなら、ネギ君」
フェイトは魔法を謳い上げる。
終えることなく立ち止まった英雄の子の時を止めるため石化の息吹が放たれた。
-2-主人公不在の理由
「京都には狂気が居るから大丈夫だろう?はぁ?おいおい、耄碌したのか爺。大丈夫な訳がないだろう。貴様は狂気の何を見てきたのだ?奴がボウヤ達のピンチを救えるはずがないだろう」
4月24日。
現在、物語の舞台である京都から遠く離れた関東の地、麻帆良学園にて物語の根底を揺るがす話題が麻帆良学園学園長室にて碁石を打つ音と共に行われていた。
大きな意味はない会話のはずだった。囲碁を打つ最中に言った、「たとえネギ君に失敗があっても狂気君がフォローに回ってくれるじゃろう」というなんてことのない一言のはずだった。
しかし、帰ってきた返答は予想外だった。
麻帆良学園学園長、近衛近右衛門はそんな返答をしてきた古い友人、エヴァンジェリンに戸惑いの視線を向ける。
「それは狂気君がネギ君をピンチを見過ごすということかのぉ。まあ、彼は確かに少々斜に構えておる所もあるが、根はやさしい青年じゃ。文句をいいながらも入学以来、ずっと麻帆良を守り続けてきてくれたようにネギ君のことも守ってくれると思うがのぉ」
そんな近衛近右衛門にエヴァンジェリンは本当に何もわかっていないのかと呆れながら、逆に言えば自分がよく彼のことを理解しているということだという事実に優越感を感じる。
そうエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは羅漢狂気のある種の特異性をよく理解している。
それは彼の過去とか人間性とか、ましてや伝説とまで謳われた全盛期の彼女と比べても相違ない強さの度合いなどではない。そんなものは弟子である綾瀬夕映や目の前にいる極東最強の魔法使い近衛近右衛門も理解している。
そんなものは特別であって特異とは言わない。
もっと別の物だ。過去を持ってしか表すことが出来ないと言われた羅漢狂気という青年を理解するにはもっと別の事。いっそ別世界のことと言ってもいいことを、知っていなければならない。
それを目の前の老人は知らないのだ。エヴァンジェリンは薄く笑った。
―――愚かしいな。いや、私だから気づけたのだろう。六百年間という長い間、生き続け続き続けた私だからこそ、狂気のことを理解してやれるのだ―――
誰しもが彼の過去。人間性。そして強さに気を取られ、知ることの出来ない彼の持つもう一つの大きなパーソナリティー。それは特異な特性。常人を越えている羅漢狂気が常人でも持っているものを有していないという事実。その事実に気づいているものは全ての世界を探してもたったの二人しかいない。そして、その内の一人である彼女は言う。
「奴は、既に終えている。人間がその人生をかけ行うすべてを狂気は齢十八にて全て終えているのさ。成長も進化も、堕落も落第も、獲得も喪失も、生と死すら終えている。奴はもう前にも後ろにも進めない。いや、前を見ることはできるのだろう。後を振りかえることも出来るかもしれん。しかしな、そこに成長は無い。成長したように思えてもそれはただ失っていたものを取り戻しただけだ。奴が得るものなどもう何もない。すでに奴は完成品として存在しているのだから」
完成品―――羅漢狂気。
エヴァンジェリンが言ったその言葉に偽りはない。
羅漢狂気の送った十八年間の人生は濃かった。血のように濃い人生だった。
人間的にあり得ない筈の環境。両親なくして彼は生まれ、英雄として生み出され、戦った。
駆け抜けた戦場は夜空に浮かぶ星々のように数えるのすら躊躇われるほど。
その中で羅漢狂気は全てを得て、全てを失った。
そして、終わりに終わり、逃げ出した世界で彼は完成した。
彼を拾い育てた褐色の大男は彼が前の世界で唯一手に入れなれなかったものである親の愛情を彼に注ぎ、羅漢狂気は完成した。
全てを得たのだ。全てを失ったのだ。そして、多くを取り戻したのだ。
これ以上、羅漢狂気に成長の余地は無い。進化もない。獲得すべきものは全て持っている。
彼は人生を終えている。
「ああ、勘違いするなよ。私は狂気を貶めたいわけじゃない。奴は素晴らしい。なにせ完成品だ。人類の英知と言ってもいいほどに美しい。吸血鬼である私を魅せるほどに。そして、そんな奴だからこそ欠けているものがある。いや、この場合は欠けているのではなく狂気にとってはもう、要らないものなのかもしれないな」
人生を終えた人はどこに行く。それは誰にもわからないことだった。人命が絶えるのではない、人生を終えるのだ。そんな人間は未だかつてどこにもいなかった故に誰もそれを知らずにいた。人は皆、死ぬ間際に後悔する。死にたくないとそう願う。思い残すことなく安らかに眠る人などいない。やり残したことがきっとある。走馬燈の合間に、人は皆、それ思い出す。
だから人が願う。もっと生きていたかったとそう願い。次の人生を願い人命を終える。
そして、輪廻は転生し人はまた人生をやり直す。終えることなく永遠にやり直す。
故、人生は終わらない。人生を終えることなどできはしない。
その筈だった。
しかし、もし仮に、人生を終えた人間がいるとするのなら、どこに行く?
そしてその人間が人生を終えてなお人命を終えなかったとしたら、どうなる?
その答えをエヴァンジェリンは知っている。いや、彼女だけじゃない。知ろうと思えば誰だって、近衛近右衛門にだって知れた。
エヴァンジェリンのように彼の過去や人間性や強さに目を奪われずに彼羅漢狂気の往く道を見ていたのなら、知れた。
「なあ、近右衛門。お前は思ったことがあるだろう。もし、狂気が綾瀬夕映を救い弟子にするのが一年遅かったのなら、狂気と坊やの出会いは少し違うものとなり良い方向へと進んじゃないかと」
近衛近右衛門は心を覗かれたように感じて背筋を震わせた。
思わないはずがない。もし仮にそうだったとしたのなら、彼ら、英雄の子同士の出会いはもっと劇的で例えるなら英雄譚の序章のようなものだったのではないかと。
「狂気が坊やと出会って以降、狸な貴様のことだ、どうせ英雄の子同士の繋がりを深めようといろいろと画策したのだろうよ。しかし、狂気が坊やに再開したのは二か月も後になってのことだった。貴様の策略は何故か無意味に終わっていった。そのことに疑問だって覚えたはずだ」
確かに、その通りだ。近衛近右衛門は羅漢狂気とネギ・スプリングフィールドの絆を深めようと些細なものから大きなものまで、さまざまな計略を練っていた。
ある時はネギ・スプリングフィールドが禁止されている惚れ薬を学園に持ち込んだのをその効力が小さなものであることを確認し見逃し。
ある時は羅漢狂気の通う麻帆良上坂高校と交流のあるウルスナ女子高等学校の生徒とネギ・スプリングフィールドが担任を務める生徒たちの学生らしい喧嘩を見逃し。
ある時は羅漢狂気の弟子である綾瀬夕映を巻き込んだ図書館島での勉強会を開いた。
しかし、その全てに羅漢狂気が関わることはなかった。
どころかその存在すら、羅漢狂気は知らないだろうと近衛近右衛門は思う。
どれもそこまで大きな謀ではない。もちろん悪意もない。故に気づかなかったのなら、仕方がないと思っていた。運がないとお茶をすすりながら嘆いていた。
しかし、言われてみれば不自然でしかない。
同じ町、同じ学園都市に通っていながら羅漢狂気は弟子である綾瀬夕映に直接ネギ・スプリングフィールドに会って欲しいと頼まれるその時まで彼を見かけたことすらなかった。
子供先生と最強の不良。互いに人混みに紛れても目立ってしまう個性の持ち主だというのに何故、彼らはまるで反発するように出会うことがないのか。
思えば今回の修学旅行の件だってそうだ。
近衛近右衛門は今回の修学旅行でネギ・スプリングフィールドに頼んだ関西呪術協会への親書の受け渡しの護衛として本来なら羅漢狂気を付けるつもりだった。もちろん、危険の少ないこの任務の護衛など名ばかりで本来は彼ら二人の交流が目的だったそれは、突如として飛び込んできた不穏な噂の解消の為に頓挫した。
まるで狙い澄ましたかのように彼らの交流は阻まれた。
ゴクリと近衛近右衛門は唾を呑む。既に碁を打つ手は止まっている。
一体なにが起こっているのかはわからないが、彼にも何かが起こっているのだということは理解が出来た。
そして、それが人知の及ぶ範囲外での出来事なのだということも、長年の経験から悟る。
それでも足掻くように近衛近右衛門は言った。
「エヴァ、君は一体なにが言いたいのじゃ」
「私は言いたいことは既に見てきただろう?狂気は人生を終えている。人生を終えた人はどこに往く。答えは、どこにも行けない。もう全て終えているから何も得られずに何も失えない。その機会を狂気は剥奪されている。成長も進化も、堕落も落第も、獲得も喪失も、生と死すら、全てを終えた奴に二度目は無い。羅漢狂気の物語。それは既に完結しているのさ」
火星を守り、地球と戦った一人の少年の成長と進化と堕落と落第と獲得と喪失の物語は既に終わっている。逃げ出した先の世界で確かに手にした両親の温もりに包まれて大団円の内に幕を閉じた。
「そんな狂気にはもう出番などない。無論、生きている限り誰かと関わることは出来るが、そんなものはエピローグだ。番外編だ。本編(ボウヤ)には関われない。奴は既に因果律から外れている」
世界の意志。エヴァンジェリンの言うことを要約するとそういう事なのだろうと近衛近右衛門は思った。それを否定する気は無い。世界には有る種の意志があるのではないかという仮説は魔法学的にも科学的にも確かに存在する。
それがあるから悪は蔓延りながらも最後には正義が勝つのだとそう言われている。
そんな世界の意志から羅漢狂気は外れているというのか。
「しかし、狂気君も絶対に関われないというわけではないじゃろ。エヴァ、君がネギ君と戦った時には狂気君は駆けつけた。ネギ君の物語に介入したのじゃ。たとえそれが綾瀬君と言う仲介を介しての結果だとしてものぉ」
「ふん、それは確かにそうだ。だがな、もし仮にそんなことを繰り返し狂気が坊やの物語に関われたとしても良い関係を築けるとは私は思わんぞ。元主人公が物語に現れる時、それは大概悪役として現れる。聖人は堕落し勇者は魔王に成り果てる。それが王道だろう」
クククとエヴァンジェリンは笑い、近衛近右衛門は冷や汗をかく。
あの彼、羅漢狂気が敵に回る。それは想像しただけで恐怖に身が震えることだった。
そしてなぜが異様なまでの現実感を持ってその姿を想像できてしまう。
具体的に言うと二か月後の麻帆良祭にて暴れ回る羅漢狂気の姿が思い浮かんだ。
近衛近右衛門はそんな想像を打ち消し、緊張感に満ちてしまった場を和ませる為に言う。
「エヴァ、漫画の読み過ぎじゃないかのぉ」
殴られた。
ぽっくり逝くところだった。