-1-桜通りの怪
闇と言うものがある。それは光によって生み出される影とは似て非なる概念だ。
いつの世も人は闇を恐れて生きてきた。
太古の人は火を用いて闇を祓い。
現代の人々は地上に数多くの光源を植え付けて地上を星空のように照らした。
しかし、そこまでしてなお闇を完全に消し去ることはできない。
だから人は闇を恐れ、闇より出でる魔を恐れた。
現在、ここに夜の闇の中をかける一人の少女がいた。
桜通りと呼ばれるその街道はその名の通り、春になれば満開の桜が咲き誇り見るものを楽しませるが、日が落ちてしまえばそこには昼間には見ることの出来ない桜通りのもう一つの面が顔を覗かせる。
―――綺麗な桜の木の下には死体が埋まってるって聞いたことがある―――
走る少女。先日、無事に最終試験を乗り越え正式に教員として採用された子供先生。ネギ・スプリングフィールドの教え子達と言うことで、麻帆良では最近何かと話題に上がる麻帆良女子中等部3-A組所属の佐々木まき絵はそんなことを思いだしたが、不安を祓うように首を振り、苦笑いを浮かべ独り言をつぶやいた。
「いやいや、そんなのよくある噂だもん。あはは、暗いからこんなこと考えちゃうのかな」
それは自分を元気づけるために呟いた独り言。佐々木まき絵は返事なんて期待していなかったし、返事なんて望んではいなかった。
だというのに、どこからか声が聞こえてくる
「ふふふ、意外といい勘をしているじゃないか。貴様、ただのバカじゃなかったのか」
「え?」
佐々木まき絵はそれが走る自分のすぐ後ろから聞こえてきたものだと気が付いて後ろを振りかえり、そして、すぐ後ろにいた誰かを見ることもなく意識を失うのだった。
倒れてきた佐々木まき絵を受け止めながら、彼女は笑う。
その笑う口からは、二本の鋭い犬歯が覗き、妖しく光っていた。
最近、麻帆良で噂される桜通りの怪。
そこに潜む魔の物は確かに此処に存在していた。
その翌日、佐々木まき絵は桜通りで倒れているところを彼女のクラスメイトに発見される。
そして、保健室へと佐々木まき絵の容体を確認しに行った彼女の担任。
ネギ・スプリングフィールドは彼女の首筋に付けられた二つの小さな傷穴から魔力の匂いを嗅ぎ取り、桜通りの怪を解決するべく乗り出すこととなるのだが、我らが主人公にしてもう一人の英雄の息子、羅漢狂気がこの事件に関わることになるのは既に事件の犯人が麻帆良の地に封じられている伝説の吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)、 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだと判明した辺りからなので、その辺りから物語の焦点を彼へと、当ててみてみよう。
-2-彼の望んだ卒業式
その日、羅漢狂気は弟子である綾瀬夕映から連絡を受け、世界樹広場へと来ていた。
彼の全身には万人に恐怖を与えるものが刻まれている故に彼の周りには誰も近づこうとはしなかったが、そんなことを気にすることもなく羅漢狂気は携帯電話を開き時間を確認する。
約束の時間まであと10分。
思考する時間は十分にあるなと羅漢狂気は思考の海へと潜っていく。
常に、万事に、あらゆる予測を立て対応する。
それが見た目からは想像できない彼の臆病とも取れる性質の一つだった。
たかが弟子と会うだけで何をと、誰もが言うだろう。
しかし、この性質だけは羅漢狂気自身にもどうしようもないものだった。
彼はこういう風に育てられてきたのだから。
そして、弟子からの連絡に対して数多く立てた仮説の中の一つ通りに、世界樹広場へと現れたのは弟子である綾瀬夕映だけではなかった。
2か月前に出会ったばかりの少女、神楽坂明日菜と自分と似た境遇に立つ少年、ネギ・スプリングフィールドが神妙な面持ちで綾瀬夕映に連れられやってきた。
「師匠、来てくれてありがとうございます。時間を取らせて申し訳ないのです」
ぺこりと頭を下げる綾瀬夕映に羅漢狂気は問題ないと首を振る。
「別に用事もなかったしな。委員長と副委員長を撒くのに時間はかかったが、掛かった手間はそれくらいだ。礼を言われるほどのことじゃない。頭を上げろ、デコ弟子」
羅漢狂気は授業をサボり教室を抜け出したところを自分のクラスの委員長と副委員長を務める二人の女生徒に見つかり、30分近くに及ぶ鬼ごっこがあったことを弟子には言わないことにして言葉を続けた。
「で、俺に用があるのはその二人でいいんだよな?」
綾瀬夕映は頷き、クラスメイトと担任教師を見た。
「はいです。自己紹介の方はもう、済んでいるのですよね?」
「ああ。久しぶりだな。神楽坂、ネギ先生。その後は順調に最終試験を終えていっているようでなによりだ」
これが英雄の息子。ネギ・スプリングフィールドとその協力者(パートナー)、神楽坂明日菜との2か月ぶりの邂逅だった。
ネギ・スプリングフィールドは緊張した面持ちで羅漢狂気を見る。
その瞳に映る刺青に少しの恐怖を感じながらも、臆することなく羅漢狂気の顔を見て頭を下げた。
その横で神楽坂明日菜もまた、頭を下げた。
彼女の顔にはネギ・スプリングフィールドとは違い、羅漢狂気に対して少しの恐怖も浮かんではいなかった。それは多分、前に羅漢狂気に対して渾身の右ストレートを放ったのが理由だった。
「えっと、お久しぶりです。この前は本当にありがとうございました。それで、今日は狂気さんにお願いしたいことがあって来ました。あっ、あの、綾瀬さんから貴方は姓で呼ばれるのはあまり好きじゃないと聞いたんですけど、狂気さんと呼んでもいいですか?」
「ああ、そうだな。嫌いと言うよりは紛らわしいだけなんだが、好きに呼んでくれて構わない。それで話と言うのは―――エヴァのことか?」
これから話そうとしていた本題。桜通りの怪の犯人であるエヴァンジェリンの名前が、話す前に羅漢狂気の口から出たことにネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜の二人は驚きながら、口を開いた。
「狂気さん、どうしてそれを………」
「あんた、じゃなくて狂気さん、エヴァンジェリンさんのこと知ってるの?あの子がその、吸血鬼だってことも」
「ああ、それもただの吸血鬼じゃない。伝説の吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)。闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)。童姿の闇の魔王として魔法界では恐れられている伝説の賞金首であることも知っているよ。最近、噂になっている桜通りの怪の犯人があいつじゃないかってことも、予想はしてたんだが、ネギ先生たちが来たってことはやっぱりそうだったのか」
やりたいことはわかるが、回りくどいことを羅漢狂気はため息をついた。
そして羅漢狂気とエヴァンジェリンの関係性を知らないネギ・スプリングフィールドは拳を握りながら至極真っ当な疑問を口にする。
「そ、そこまで知っていてどうして狂気さんは、麻帆良は彼女のことを放っておいたんですか!大勢の人を襲って、エヴァンジェリンは悪い魔法使いです。僕の生徒も被害を受けて………昨日だって、僕が駆けつけなければ宮崎さんは危ない所だったんです」
宮崎。どこかで聞いた名前だなと羅漢狂気は考えて、思い出す。
―――たしか、デコ弟子の親友の名前だったか。宮崎、宮崎のどかだったか―――
そう思い、綾瀬夕映の方を見れば、師である羅漢狂気とエヴァンジェリンの関係性を知っている彼女はそこまで心配はしていないようであったが、少しだけ悲しげに地面を見ていた。
羅漢狂気はそんな様子の綾瀬夕映の頭に手を置き、大丈夫だと言うように少しだけ頭を撫でた。
綾瀬夕映は顔を上げ、自分の頭を撫でる羅漢狂気の顔を見て顔を赤らめる。
「あぅ」
―――あれ?綾瀬さんと狂気さんってただの師弟関係ってだけじゃないの?―――
その様子をみて神楽坂明日菜は少しだけ混乱した。
そんな二人を置き去りに英雄の息子たちの会話は続く。
「生徒が被害を受けたのか。なるほど、それでネギ先生はエヴァを止めようとしている訳で、俺に会いに来たのは俺にも協力してほしいってことでいいのか?」
「はい。今、タカミチは出張中ですしエヴァンジェリンさんから他の魔法先生にこのことを話せばもっと酷いことをすると言われていて………もう、頼れる相手が魔法生徒である狂気さんしかいなくて、お願いです。僕に協力してください!」
羅漢狂気は静かに首を振る。
「悪いが俺は協力できない」
「え………そんな、どうしてですか!」
一瞬、断られたということに思考が追い付かなかったネギ・スプリングフィールドは、断られたのだとわかると声を張り上げる。
昼間の世界樹広場。そこは学生たちの憩いの場所であり、多くの学生たちが居て、ネギ・スプリングフィールドの声に反応して大勢が羅漢狂気とネギ・スプリングフィールドの二人を遠巻きに見た。
文字通り、大人と子供ほどの身長差がある二人。
しかも不良に見えると羅漢狂気と子供にしか見えない先生、ネギ・スプリングフィールドのやり取りを見ていた彼らが二人のことをどう思ったか、二人はそれを知る由もない。
「………俺はな、ネギ先生。お前よりも二年早くエヴァと出会っている。そして、色々なことを話して色々なことをした。あいつがどうして今、こんなことをしているのか。その理由も知っている。もし、あいつが本当に無差別に生徒を襲っているのだとしたら、誰でもない、俺が真っ先にあいつを止めよう。だが、そうじゃない。あいつはあいつの目的があって生徒を襲っている」
「エヴァンジェリンさんの目的?」
「ああ、そうだ」
羅漢狂気はネギ・スプリングフィールドの瞳をまっすぐに見つめる。
その瞳が言外に、目的はお前なんだと語っていた。
ネギ・スプリングフィールドは動揺を隠すことが出来なかった。
「どうして、僕を」
「お前には知る権利があるか。………15年程前の話だ。ある魔法使いが当時、世界を彷徨っていた伝説の吸血鬼を此処、麻帆良の地に封じた。その封印自体は本来なら3年で解ける筈のもので、封印した魔法使いもまた3年後に封印を解きに来ると吸血鬼に約束をした。吸血鬼は3年間、魔法使いとの約束通りに魔力を封じられ普通の女生徒として学校に通い続けた。3年後、卒業式のその日に魔法使いが来てくれると信じ続けて、な。しかし、卒業式の日、いくら待っても吸血鬼の前に魔法使いが現れることはなかった」
羅漢狂気が思い出すのは、いつの日にか夢見の魔法によって不可抗力で見てしまったさびしすぎる光景。
卒業式の日。ここ世界樹広場で卒業証書と花束を抱え、いつまでも魔法使いを待ち続けた小さな吸血鬼の姿。
「そこからが、あいつの地獄の始まりだった。本来、術者が解かなくても3年で自然と消える筈だったその封印は術者であった魔法使いが『英雄』と呼ばれるほど規格外な魔力を持っていた所為でその性質を変化させ永遠に解けないものへと変わってしまっていた。吸血鬼は封印の影響によって卒業してもなお学校へ通うことを強要され続ける。この麻帆良から出ることもできず、ずっとずっと15年間もの間、ずっとな」
吸血鬼を封印した魔法使いは、別にそんなつもりはなかったのだろうと羅漢狂気はそう思う。
本当に3年したら封印を解くつもりだったのだろうと思う。
彼ただ、彼女に知ってほしかっただけなのだろう。
闇の中を生きてきた吸血鬼に、日の当たる世界の光景を。
「もしかして、その魔法使いって言うのは、僕のお父さんなんですか?僕がずっと探している、僕のお父さんがエヴァンジェリンにそんな封印を?」
「ああ、そうだ。だからエヴァはお前を狙う。『英雄』ナギ・スプリングフィールドの息子であるお前の血を使って自分にかけられた封印を解くために。それがエヴァの目的だ。あいつはいい加減、自由になりたいのさ。そんなあいつを止めようとは、俺は思わない」
ネギ・スプリングフィールドはまだ10歳の子供だ。
たとえ魔法学校を首席で卒業しようと、先生として自分よりも年上の少女たちを導く立場に立っていようと、いまだ子供に過ぎない。
そんな彼はエヴァンジェリンのことを明確な悪だと、倒すべき相手だと思っていた。
しかし、この話を聞いてネギ・スプリングフィールドはもうエヴァンジェリンのことを悪だと言っていいのか、わからなかった。
憧れている父親。自分にとって英雄そのものである父親が遺した負の遺産。
それを清算することもまた息子である自分の役目。
そのためなら、たとえ自分が犠牲になったってエヴァンジェリンの解放を―――
「ちょっと待ちさない!ネギ!妙なこと考えるんじゃないわよ!」
―――と、そんな思考に陥りそうになった彼を救ったのはやはりと言うべきか、隣で話を聞いていた神楽坂明日菜だった。
「確かにエヴァンジェリンさんのことは可哀想だと思うし、助けてあげたいって思うけど、だからってネギが犠牲になるのは違うでしょ!」
「け、けど、明日菜さん。エヴァンジェリンさんはただ、自由になりたくて。ただ、それだけで、悪いのは、僕の父さんなんですよ。なら、息子である僕が―――っぅ」
バゴンと人の頭部が鳴らしてはならないと音が鳴る。
神楽坂明日菜はネギ・スプリングフィールドの頭部を容赦なく、グーで殴打した。
ネギ・スプリングフィールドはシュゥゥと煙を立てる自分の頭部を抱え、涙目で驚きながら神楽坂明日菜を見る。
その横でネギ・スプリングフィールドが頭部を殴られる音を聞いて、自分が顔面を殴られた時のことを思いだし羅漢狂気が少しだけびっくりしたのは誰にも内緒だ。
「いい!ネギ!あんたは今、私たちの先生なのよ!勝手にいなくなられたら私たちが困るの!それにあんただけじゃなくまき絵や本屋ちゃんも襲われてるのよ。それに―――
神楽坂明日菜はネギ・スプリングフィールドを立ちあがらせると両肩に手を置き言う。
―――生徒を守るのが先生の役目でしょう。あんた、立派な先生になって。偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)になるんじゃなかったの」
羅漢狂気は驚いた。
叱咤されたネギ・スプリングフィールドより、見知ったクラスメイトの意外な一面を見た綾瀬夕映より、羅漢狂気が驚いた。
羅漢狂気にとって神楽坂明日菜は魔法無効化(マジックキャンセラー)という珍しい能力を持つものの、それ以外は魔法の世界の危険性も考えることなく踏み込んでしまう年相応の愚かさを持つ普通の少女だった。
だというのに、そんな少女の放った言葉に今、羅漢狂気は確かに例えようもない力強さを感じた。
「そう、ですね。僕はもう、3-A組の担任なんです。責任を取るにしても、迷惑をかけちゃダメですよね」
神楽坂明日菜の言葉を受けて、立ち直るネギ・スプリングフィールドを見て羅漢狂気は思うのだ。
―――ネギが歩む道を険しいと俺は思った。そんなネギの傍に居ることを選んだ神楽坂にもまた、多くの厄災が降りかかると、この二人が仮契約をして正式なパートナーとなったとデコ弟子に聞いた時、そう思った。かつての俺がそうであったように、何れどちらかが潰れてしまうと、そう思った。けれど、もしかしたらこいつ等なら行けるのかもしれない。『英雄』のその先へ―――
「狂気さん。僕、エヴァンジェリンさんと話してみようと思います。どうにかして犠牲を出さずに済む方を探してみます」
「………エヴァはそう簡単に納得はしない。戦いはきっと避けられない。ネギ先生、お前にはあるのか?伝説と呼ばれた悪の魔法使いと戦い。孤独な吸血鬼の少女を、殺す覚悟が」
殺す。
止めるではなく殺すと、ネギ・スプリングフィールドの覚悟を見極める為に、羅漢狂気はあえてそんな言葉を使った。
羅漢狂気はエヴァンジェリンがネギ・スプリングフィールドの血を吸いつくし殺すとまでは思ってはいない。
しかし、生半可な覚悟で挑むようなら止めるつもりでもあった。
ネギ・スプリングフィールドが覚悟なき戦いを挑むようなら、それはエヴァンジェリンの思惑から外れた無駄な戦いとなるだろう。
彼女の友として無駄なことをして彼女の麻帆良での立ち位置をこれ以上不利にするつもりはなかった。
だが、帰ってきたネギ・スプリングフィールドの言葉を聞いてそれが不要な心配だったどころか余計なお世話であったことを知る。
「殺しませんよ。エヴァンジェリンさんも僕の大切な生徒ですから。僕は絶対に、皆さんを無事卒業させてみせます。エヴァンジェリンも今年、皆さんと一緒に卒業するんです」
そう力強く断言するネギ・スプリングフィールドを見て、神楽坂明日菜は笑みを浮かべ、綾瀬夕映も驚きながら微笑んで、羅漢狂気もまた―――
「そうか、そうだな。俺もエヴァの友としてそうなることを望む。行って来い、ネギ先生。エヴァの家の場所はわかるか?町はずれの森の中にあるログハウスがエヴァの家だ」
羅漢狂気の顔を見て、ネギ・スプリングフィールドもまた笑顔で言う。
「はい!行ってきます!狂気さん、ありがとうございました!」
「って、ちょ!ネギ!今から行く気なの!もうすぐ昼休み終わっちゃうわよ!午後の授業どうする気よ!」
走り出したネギ・スプリングフィールドとそれを追い駆ける神楽坂明日菜を見届けて、羅漢狂気は傍らに立つ弟子、綾瀬夕映に笑いかける。
「いい先生を持ったな、デコ弟子」
「はいです。………ネギ先生にならのどかを任せてもいいのかもしれません」
「ん?何か言ったか?」
「いえ、なんでもないです。それで師匠、ネギ先生とエヴァンジェリンさんは一体どうなるのでしょうか?」
「そう悪い結果にはならないと思うぞ。まあ、どうなるにせよことが動くのは大停電の夜。エヴァの封印が一番緩む時だろうな。俺も時間を作って、見に行くか」
全ては4日後。麻帆良全体がメンテナンスの為に大停電となる夜。
麻帆良が完全な闇に包まれることとなるその夜に童姿の闇の魔王は2年前のように再び、英雄の息子と相対する。
桜通りの怪。今宵の物語はその日を持って終結する。
そして次回でエヴァンジェリン編が終わります。