-1-彼が手に入れた日常
キンコンカンコンと、誰もがいつか聞いたことがあるチャイムが鳴った。
羅漢狂気は鉛筆を動かす腕を止め、ふと窓から外を見る。
するとそこには沈み始めた夕日がようやく暖かくなり始めた春空を真っ赤に燃やす光景が広がっていた。
そんな光景を見て羅漢狂気は遠い日の故郷を思い出した。
彼の故郷はこの光景よりもっと赤く。
そして寂しくなるほど何もない。
遠い場所だった。
「羅漢、手を止めるな。早く終わらせてくれよ」
その言葉で羅漢狂気の視線は机の上に置かれた作文用紙へと戻された。
作文用紙の最初に書かれている題名は『反省文』
目の前にいる人物が悪い訳じゃないと理解しながらも羅漢狂気は苛立ちを抑えることは出来ず、棘のある口調で言う。
「先生、どうして俺が放課後まで居残ってこんなものを書かなくちゃいけないんだ」
「頼むからそうカッカするなよ。俺だってなあ、本当なら授業が終わってすぐ刀子先生と二人で学校の備品を買いに行く予定だったんだぞ。はぁぁあ、羅漢よ~」
反省文を書く羅漢狂気が逃げないように監視していた彼の担任教師は小奇麗に纏められた髪が乱れるのも気にせず、教壇に顔を突っ伏しながら情けない声色を出す。
「俺が最近は刀子先生を狙ってるのは知ってんだろ~。邪魔すんなよ~。ただでさえ最近、刀子先生と女子中等部の高畑先生がいい感じで話してたなんて噂が立ち始めてんだからさ~。刀子先生のおみ足が取られちゃったらどうするんだよ~。まじでさ~。喧嘩するのは良いけど担任に迷惑かけんなよ~。悪事は学校にばれないようやってくれよ~」
茶髪にピアスと言う外見で普段から高校の教師には見えない担任だったが、次々と彼の口から溢れ出す教師とは思えない発言の数々に流石の羅漢狂気も若干引いた。
「で、今回の喧嘩の原因はなんだ?」
担任教師はそう言いながら、突っ伏していた顔を上げる。
その顔は相当に整っていて、もしこれで性格がまともであったなら刀子先生はおろか世の女性の殆どが放っておかないだろうにと思いながら、羅漢狂気はため息をついた。
「なんだよ~。先生の顔を見てため息なんてついちゃだめなんだぞ~。先生、怒っちゃうぞ~。実は先生、すっげー強いんだぞ~。昔はな~、バリバリ言わせてたんだぞ~」
「わかった、悪かった。素直に話すからもうその馬鹿みたいな口調は止めてくれ。別に、俺としては喧嘩したつもりはない。ただ、あいつ等が顔見知りの小学生をからかって遊んでいたから、注意しただけだ」
羅漢狂気は以前、道に迷って高等学校が立ち並ぶこの区間に来てしまったらしい、小学生と思しき双子の少女を中学校区まで案内したことがあった。
その少女たちが何故だかまた羅漢狂気の通う学校の近くまで来ていて、数人の学生に絡まれていた。
午後の授業が終わり、あてもなく歩いていた羅漢狂気の目に飛び込んできたのがそんな光景だった。
「なるほどねぇ。相変わらず一昔前の不良みたいなことしてんのな。まあ、俺もそんなことだろうと思ったけどよぉ。流石に殴っちゃまずいだろ。いや、まだ殴るくらいならいいんだけどさあ」
目の前に羅漢狂気が現れた。それだけで少女たちに絡んでいた学生の殆どが顔を引き攣らせながら引いたが、最近麻帆良に来たのだろう、不幸にも羅漢狂気という不良生徒の顔を知らなかった威勢の良い一人が羅漢狂気に喰ってかかり、そして、見事な放物線を描いて吹き飛んだ。
「空、飛ばしちゃまずいだろ」
「………」
何も言えなかった。羅漢狂気は気まずそうに顔を背け、反省文に鉛筆を走らせる作業に没頭する。書く単語は『スミマセン』のみ。羅漢狂気はそれで作文用紙10枚全てを埋めるつもりらしかった。
熱心に反省文を書き始めたことに感心しながら羅漢狂気に近づいて、そのふざけた考えに気が付いた担任教師は怒ろうとも思ったが面倒なので止めて教壇へと戻る。
そして教壇へと腰掛けて、彼が現在、狙っている大人の色気が満載な麻帆良上坂高校数学教師、葛葉(くずのは)刀子(とうこ)へと求愛のメールを送るべく携帯電話を弄り始めた。
鉛筆の走る音と携帯のメールを打つ音のみが放課後の教室に響く。
これが現在、麻帆良上坂高校の間で名物となりつつある麻帆良最強の不良、麻帆良上坂高校2年A組所属、羅漢狂気と元麻帆良最強の不良である麻帆良上坂高校2年A組担任教師の意外とよく見かけるツーショットだった。
そして、彼らは知る由もない。このツーショットが一部の特殊な趣向の持ち主の方々にとっては、担任教師と不良生徒という何とも『燃える』カップリングというものだったらしく、特殊な趣向を持つ絵の描ける方々の手によって、文学作品となり女子中等部にも徐々に広まりつつあるということを。
水面下でそんな動きがあることも知らない羅漢狂気は先ほど助けた小学生と思しき少女たちの言葉を思い出していた。
―――そういえば、あの小学生達。前も今回も迷子になったんじゃなくて、部活動中なんだって言っていたな。麻帆良中を歩き回る部活。なんかあったか。あったような気もするが………もやもやするな。聞けばわかるんだろうが、こんなことがあったんじゃもう暫くはこっちの方に来ないか―――
二度あることは三度あるのか。来週へと迫った修学旅行。羅漢狂気の通う麻帆良上坂高校の修学旅行先は京都。そして、羅漢狂気に小学生だと思われている麻帆良女子中等部に所属する少女たちの修学旅行先もまた京都。
運が良ければ古都・京都にて三人は再開できるかもしれない。
しかし、それは彼が無事にクラスメイト達と共に修学旅行に行けたのならの話だった。
作文用紙10枚分の『スイマセン』を書き終えた羅漢狂気が携帯電話を弄り続ける担任教師に書き上げた反省文を提出して帰宅しようとしたその時、校内放送で羅漢狂気の名前が流れた。
内容は至急、麻帆良学園理事長の元へ来るようにとのこと。
羅漢狂気はその素行故に呼び出されることは日常茶飯事だったが、今回はいつもとは違い麻帆良上坂高校の校長ではなく、麻帆良を取り仕切る理事長からの呼び出し。
自分の裁定を越えた事態に羅漢狂気の担任教師は顔を引き攣らせながら羅漢狂気を見た。
「おま、なにやった?理事長からの呼び出しなんて、学生時代の俺だって受けたことねーぞ。まさかお前、美少女だって噂の学校長の孫に手を出したりしてねぇよな?」
ハハハ、と渇いた笑いと共に冗談でそんなことを言った担任教師だったが、彼は思い出す。
以前、羅漢狂気が麻帆良女子中等部の制服を着た生徒。
しかも複数人と仲睦まじげに歩いている姿を見たことがあったことを。
―――なんか金髪の小さな子とか黒髪で利発そうな小さな子とかと歩いていたっけ、こいつ。やばい。あの時は守備範囲広いな~って関心するんじゃなくて注意しなきゃいけない場面だったぽい―――
「まじかよ。おいおい。これ俺の監督責任とかになるんじゃねーの。羅漢、お前さあ、ロリコンなのは別にいいけど俺に迷惑かけんなよな。シテもいいけど親にばれんなよ。このバカ。避妊しなかったのか?」
「馬鹿はお前だろ」
書き上げた反省文を担任教師の顔面に叩きつけ、羅漢狂気は学園長からの呼び出しに応えるべく教室を出て麻帆良学園理事長室へと向かう。
そんな彼を見送りながら担任教師は親指を立て言った。
「羅漢~。人様に迷惑さえかけなきゃ恋は自由でいいと思うぞ~」
担任教師がたまに言う。良いことなのか何も考えていないのかが分からない今回のような発言。これがあるからこの教師は教師とは思えない容姿をし、こんな性格なのに生徒たちから嫌われることがない。
そして、そんな彼だからこそ麻帆良最強の不良と揶揄される羅漢狂気や怒ると重火器を乱射してしまう麻帆良が誇る最大武装組織軍事研総統も務めるクラス委員長、海外から留学の話が絶えない天才的頭脳の持ち主なのに煙草をこよなく愛する愛煙家(未成年)である副委員長、この世の全てを金で買えると豪語する日本の大名家の跡取り息子、肌が浅黒く顔立ちもハッキリしていてどう見ても外国人の血が流れているのに生粋の日本人だ言い張る山田太郎という偽名のような名前の生徒など、麻帆良高等科の変人奇人をすべて集めたようなこのクラスを崩壊させることなく回すことが出来ている。
と、周りから評価されていることを知らない彼は今日も解雇の恐怖と戦いながら、手当たり次第に女性を口説いて回る。
羅漢狂気を見送った担任教師は再び携帯電話を握った。
「あ、もしもし、刀子先生~。やっと生徒の補習が終わりました。そっちはもう用事済んじゃいましたか?あ~、手伝えなくて、ほんとすいません。お詫びに今度、食事奢りますよ。いやいや、悪いなんてそんなことないですって~。いつの夜なら空いてます?」
羅漢狂気のクラス関係。
魔法世界での英雄の息子で麻帆良に在籍する魔法生徒で18歳にして弟子を持ち全身に刺青を刻んでいる麻帆良最強の不良と言う強すぎるキャラを持つ彼は、自分に勝るとも劣らぬ強い個性を持つクラスメイトや教師に囲まれながらどうやら上手くやっているらしかった。
彼をこの学園に連れてきた、『英雄』と呼ばれた彼の父親代わりの大男の願いどおりに今日も羅漢狂気は迷いながらも悩みながらも日の当たる道を歩いて行く。
彼は手に入れた。何気ない日常を。
-修学旅行編開幕-
日の当たる道を歩き続けること数十分、羅漢狂気はようやく中学校区の中にある麻帆良学園長室へとたどり着く。普段ならば麻帆良の学園長は学園長室に来るまでの案内として学園長秘書としての役目を果たしている麻帆良女子中等部教師、源(みなもと)しずなを出迎えに行かせるのだが、今回はそれがなかった。それがどういうことなのか理解した羅漢狂気はノックも忘れて学園長室の扉を開いた。
するとそこには案の定、学園長と自分以外にもう一人、彼がよく知る人物が居た。
「狂気さん、遅いですわよ。何をやっていましたの」
「遅くはないだろ。お前が早すぎるんだよ。どうせ魔法で飛んできたんだろうが、軽々しく魔法は使うべきじゃないと俺は思うぞ」
「軽々しく使ったとは心外ですわ。今回は学園長直々の呼び出しですわよ。異常事態の場合を考え、即時集合は魔法生徒なら当然の判断です」
羅漢狂気と同じく麻帆良学園高等科の学校に在籍する魔法生徒である高音・D・グットマンがそこにはいた。彼女もまた校内放送によって呼び出されたようで詳しいことは羅漢狂気が来てからとでも言われたらしく、苛立たしげに腕を組みながら彼を待っていた。
そして、二人がそろったところで本題が始まる。
来週に修学旅行が迫ったこのタイミングで高等科の魔法生徒だけが急きょ呼び出された。
そして麻帆良学園にある複数の学校が修学旅行先に選んでいる京都にてある異変が起きていることを麻帆良の夜のパトロールに従事している二人は知っている。
羅漢狂気も高音・D・グッドマンも頭の回転が悪い方じゃない。
学園長の話を聞く前に大体の察しはついていた。
そんな雰囲気を感じ取った学園長、近衛近右衛門は特徴的な笑い声を上げながら言った。
「ふぉふぉふぉ、相変わらず狂気君と高音君はしっかりしておるのぉ。これならわしが明日、ぽっくり逝っても麻帆良は安泰じゃわい。けど、まあ、そう緊張せんでもよいぞ。今、お茶を入れるから座っておくれ」
生真面目な高音・D・グットマンは麻帆良の最高権力者にして最強の魔法使いのそんな申し出を断ろうと思ったが、言われてすぐ椅子に座り足まで組み始めた羅漢狂気と良い良いと言う近衛近右衛門に促され席に着く。
そして、近衛近右衛門はお茶を入れる準備を始めた。
高音・D・グッドマンは隣に座る羅漢狂気の様子を窺う。その態度はムカつくほどに自然体だった。
彼はこうして近衛近右衛門と会うのは慣れているのだろうかと彼女は思った。
高音・D・グッドマンもこうして学園長室で近衛近右衛門と話したことは何度かある。
しかし、それは全て魔法先生に付き添う魔法生徒という形でのみだった。
今回のような形で学園長室に来るのは彼女にとって、初めてのこと。緊張するのも仕方がない。
そう思っていたのに横の彼は自分とは違い、今回のように魔法先生を通さず一人で近衛近右衛門と対話をしたことがあったのか。
―――私の知らない所でこの人はどんな生活を送っていますの―――
羅漢狂気が魔法界においてどういう立ち位置に居るのかを高音・D・グッドマンは彼が麻帆良に来た当初から知っていた。英雄の息子。そんな御伽噺のような人が麻帆良に来ると聞いて当時の中学生だった高音・D・グッドマンはまだ見ぬ彼に乙女チックな妄想をしたものだ。
しかし、やってきた彼は身体中に刻んだ刺青以外は普通の男の子だった。
普通に笑い。普通に怒り。
そんな彼を見て高音・D・グッドマンはガッカリするでもなく、ああ、英雄も普通の人間なんだなと、そう思った。
自分が差し出した手を恥ずかしがりながらも取った同い年の男の子。
憧れとは違う。確かな好意がそこにはあった。
―――手が触れるほどに、あの頃はあんなにも近くに居ましたのに―――
出会ってから二年の間に羅漢狂気は変わっていった。
麻帆良の魔法関係者の間では一種の禁忌(タブー)とされていた『英雄』によって麻帆良の地に封印されていた伝説の吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)と信頼関係を構築し、一年前にある一般生徒に魔法が露見した時には周りの反対を押し切り記憶を消すのではなく弟子として自分の手元に置いた。
元来、未熟とされる魔法生徒が弟子を持つなんて許されることではない。高音・D・グッドマンも後輩の魔法生徒である佐倉芽衣や夏目萌と仮契約を交わしてはいるが、それは主と従者という関係ではなくあくまで互いの力を高め合う為だ。いずれ主従関係を結ぶにしてもいまだ学生の身分である自分たちにはまだ早いというのが彼女自身の考えで、周りもそう思っている。
それがいわゆる常識というもの。
魔法という幻想を扱う世界にも一般社会に通ずる一般常識というものは存在する。
―――けれども狂気さんは一年前にそんな常識を破りました。そして、今は周りもそれに納得しつつある―――
高音・D・グッドマンから見ても彼の弟子である綾瀬夕映は優秀な魔法使いだ。
攻撃魔法の威力にこそ難はあるが、拘束魔法に関しては天才的な才能を持っている。
魔法界での大戦が終わり久しい現在、今は戦闘に特化した魔法使いではなく回復魔法や結界魔法、あるいは綾瀬夕映のような拘束魔法に特化した非戦闘魔法使いが重宝されつつある。
彼女はきっとその才能を生かして、今後多くの功績を残すのだろうと高音・D・グッドマンは思う。
そして、そんな綾瀬夕映の才能、本来ならば埋もれていた才能を開花された羅漢狂気を評価する声もある。
高音・D・グッドマンと横に座る羅漢狂気の間にある距離はたった数㎝。手を少し伸ばせば届く距離だというのに、高音・D・グッドマンにはその数㎝があまりにも遠く感じられた。
―――もし、狂気さんが英雄の息子という立場を利用してわがままを通すだけでしたら素直に軽蔑して差し上げましたのに、そうじゃない。そうじゃないから、嫌いですわ―――
伝説の吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)すら懐に取り込む人望と得難い人材を見抜く観察眼。そして、並外れた魔力と戦闘力高さは彼が麻帆良の警護を担うようになってから外部の敵からの麻帆良への被害が格段に減っている事実が物語っている。今では羅漢狂気の姿を見ただけで逃げていく敵すらいる。
たった18歳。自分と同じ年齢の青年が受けるには大きすぎる称賛と評価を羅漢狂気は受けていた。
それは何故なのかと問われれば多くの人はこう言うのだろう。
英雄の息子だからと。
高音・D・グッドマンはそれが例えようもなく嫌だった。
二年前のあの日に感じたあの気持ちが、どこか遠くへ行ってしまうような気がして、とてもとても嫌だった。
嫌で。
嫌いだった。
―――私は狂気さんが嫌い。大っ嫌いですわ―――
もし、羅漢狂気が英雄の息子ではなく普通であったなら、きっと気づくことが出来ただろう、嫌いとは似て非なる感情をぶつける為に高音・D・グッドマンは今日も羅漢狂気に棘のある言動を繰り返す。
本当は嫌いじゃない。
違う感情。
今はまだ高音・D・グッドマンは気づけない。
彼女は羅漢狂気から目を離し、お茶を淹れ終えて正面に座る近衛近右衛門へと目を向けた。
近衛近右衛門はお茶を啜り、ようやく口を開いた。
「こうして二人を呼んだのは頼みたいことがあったからじゃ。まあ、勘の鋭い君らはもう勘付いておるようじゃが、修学旅行に関してのことじゃよ。最近、京都にて妙な動きがあることは知っておるの?」
羅漢狂気と高音・D・グッドマンは頷いた。
つい先月までは連日のようにあった関東魔法協会の敵対組織、京都にその本拠地を置く関西呪術協会の下部組織による襲撃がここ数週間ない。
襲撃が止むことは勿論、良いことだ。
しかし、ここまで急に止まっては不気味に思えるものがある。
「麻帆良への襲撃は関西呪術協会の総意ではない。君らも知っての通り関西呪術協会の長には代々、儂の生家である近衛の家が就いておる。今代の長は儂の婿殿じゃ。儂は今までも婿殿に連絡をし、支部の襲撃を止めさせてくれるよう婿殿に頼んでいた。しかし、関西呪術協会は平安時代からある組織じゃ。一枚岩ではなくてのぉ。婿殿でも止めることは出来ず、襲撃が止むことはなかった」
古来よりあり古参である関西呪術協会と歴史の浅い新参者である関東魔法協会の確執は深い。
そして、近衛近右衛門はその確執と同じように顔の皺を深くしながら重い声色で言う。
「そんな襲撃がここ最近止んだ。婿殿の説得が通じたのならそれで良かったのじゃが、どうもそうではないらしい。京都である一派が動いているという噂を耳にしてのぉ。調べてみれば、案の定なにか画策しておる輩がおるようじゃ。君らにはその輩を黙らせて来て欲しいのじゃが」
近衛近右衛門の言葉に高音・D・グッドマンは戸惑った。
宗派戦争。組織対立。学生の身分で担うには大きすぎる問題だ。
「が、学園長先生。その、麻帆良への協力は惜しみませんが、私達だけで事に当たるには大きすぎる問題のような気がします。魔法先生とも連携を図り事に当たるべきなのではないでしょうか?」
「無論、儂もそれが一番いいのはわかっておるよ。しかし、今はまだ噂の段階じゃ。そんな段階で儂ら魔法使いが本格的に動けばあちら側を刺激してしまう。下手をすれば画策しておる一派どころかもっと多くの者たちを敵に回しかねん。ことを穏便に済ますために、一見ただの修学旅行を装いつつ解決したいと儂は考えておる。どうじゃろうか、高音君。狂気君」
近衛近右衛門の言うことも理解できる。どうするべきか悩んだ高音・D・グッドマンは隣の羅漢狂気を見た。その視線を受けて、黙って話を聞いていた羅漢狂気も口を開いた。
「修学旅行。俺の学校は四日目とも京都だけど高音の学校は確か一日目が大阪で二日目と三日目が京都。四日目からは奈良だったか。四日間、実質二人の日程が重なる二日目に全てを終わらせてこいってことか。正直、時間が短い。その一派のことはどれくらいわかってるんだ?」
「実はのぉ、あまり情報はないんじゃ。わかっておるのはその一派が本拠を兵庫県に近い京都の山寺に構えとることと、東京にある博物館からある刀を盗んだことだけ。儂はこの盗んだ刀が怪しいと思い東京におる友人に色々調べてもらっておるが、修学旅行までに分かるかどうかはわからん」
条件は厳しい。相手の目的及び戦力は不明。こちらの戦力は二名。
無論、相手に敵意有と判明さえすれば麻帆良から増援を呼ぶことは可能だ。
しかし、それまではたった二人で動かなければならない。危険は大きい。
だというのに、羅漢狂気は何故か安堵したように息を漏らし、湯飲みへと手を伸ばす。
「敵の本拠地さえわかっていれば大丈夫だ。最悪、敵を本陣ごと吹き飛ばす。そうなった時の為に隠ぺい工作の準備だけはしておいてくれ」
その言葉に高音・D・グッドマンは驚き、近衛近右衛門は笑った。
「ふぉふぉふぉ、相変わらず狂気君は頼もしい。しかし、その自信が過信に繋がらんか心配じゃ。高音君。狂気君の手綱は君に頼んだぞい」
「え、ええ、わかりましたわ。………じゃ、なくて!狂気さん!貴方、そんな簡単に引き受けて本当に大丈夫なんですの!敵が何人いるかもわからないのに、私達二人だけで戦わなければならないんですのよ!」
突然、怒り始めた高音・D・グッドマンに羅漢狂気は驚いて思わず手に持った湯飲みを落としそうになったが、彼女の言葉を聞いてそんなことを心配していたのかと顔の刺青を歪ませる。
「大丈夫だよ。高音、自分じゃ気づいてないんだろうから言うけど、お前は結構強い。ここ麻帆良は日本の魔法使いの総本山。ここに居る魔法使いのレベルは高い。お前はその中でも優秀な魔法生徒だ。たぶん、関西の呪術師相手でも勝てるんじゃないか?まあ、いつもみたいにドジ踏んで脱げなきゃの話だけどな」
最後に彼らしい皮肉を交えて、羅漢狂気はそう言った。
しかし、高音・D・グッドマンはそんな皮肉を聞いてはいなかった。
彼女の思考は彼が言った一部分。
『お前は結構強い』という言葉を聞いて、ほぼ止まっていた。
「………私が、強い?狂気さんが、そう言ってくれた」
高音・D・グッドマンは羅漢狂気のことが嫌いだ。彼女自身がそう断言している。
そして嫌いだからこそ、彼に褒められたことが彼女にはとても嬉しいことだった。
「それに俺もいる。親父から聞いてる関西呪術協会の長、サムライマスターが敵として出てこない限り心配いらないだろ。………って、高音、聞いてるのか?」
「えっ、ええ。聞いていますわ。そうですね。危険があれば退いて麻帆良に連絡をすればいいのですし、達成可能な任務かもしれませんわね。………私達、ふたりなら」
「最後、なんか言ったか?」
「いえ!なんでもありませんわ。では、学園長。そういうことでその任務。全身全霊をかけ望ませていただきますわ」
「ふぉふぉふぉ、では、二人ともよろしく頼むぞい。ああ、それとのう。実はもう一つ、修学旅行中に別の任務をネギ君に与えておる。その任務に支障が出ぬよう。このことはネギ君及びその関係者には内緒にしておいてくれ」
突然出てきた、最近来たもう一人の英雄の息子。ネギ・スプリングフィールドの名前に高音・D・グッドマンは驚き聞き返す。
「ネギ先生にも私たちと同じような任務を、ですか?」
自己紹介こそまだだが、高音・D・グッドマンはネギ・スプリングフィールドに会ったことがある。その時の印象は年相応に優秀な魔法使い。比べる相手が悪いとはわかっているが、羅漢狂気を知る彼女から見ればネギ・スプリングフィールドは優秀な子供。
こういった任務を安心して任せられる実力があるようには思えない。
そして、それは近衛近右衛門もよくわかっている。
「安心しておくれ。ネギ君に与えたものは任務という名の試験じゃ。先生としての試験は前の期末テストで終えたからの、今回の試験は魔法使いとしての最終試験。内容は婿殿に親書を届けるというものでの。多少の妨害は入るじゃろうが、君たちの任務と違い命の危険はない。行く先は関西呪術協会が本拠を構える地。いくら婿殿でも家の近くの家来位を従えることは出来ておる筈じゃよ」
たしかにそれならば少し危ないおつかい位の難易度かなと、高音・D・グッドマンは年末年始に放映される某おつかい番組のことを思いだしながら納得した。
隣にいる羅漢狂気の方は最初から心配なんてしていなかった様子で近衛近右衛門の話が終わったのを見計らうと立ち上がる。
「じゃあ、学園長。東京にいる友人から情報が来たら一応伝えてくれ。行こう、高音。帰りに喫茶店でも寄っていこう。ケーキと珈琲の美味い店があるんだ」
「ええ………って、今、私、狂気さんにお茶に誘われましたか?」
「なんだよ。嫌なのか?修学旅行二日目の集合場所とか決めておかなきゃいけないだろ」
「べ、別に嫌なわけではありません。ただ、そういうのは久しぶりだなと思っただけですわ」
「そういえば、そうだな。昔はよく二人で出かけたりしたのに、最近はあんまり二人で会う機会はなかったような気がする。俺とお前、いつから喧嘩ばっかするようになったんだっけ?」
「そ、それは狂気さんが―――――」
そんな風に話しながら学園長室を出ていく二人を見送りながら、近衛近右衛門はお茶を啜る。
「ふぉふぉふぉ、良きかな良きかな春かな。命短し恋せよ乙女。羅漢君は罪作りじゃのう」
やはり英雄色を好むという言葉通りに『英雄』の名を継ぐものは皆、人を引き付ける魅力があるのだろうと羅漢狂気。そして彼以上に人を引き付ける何かを持つ少年、ネギ・スプリングフィールドを見た近衛近右衛門は思う。
―――婿殿は娘である木乃香には魔法を知らぬまま普通の世界で生きてほしいと思っておるようじゃが、それは無理だと儂は思う。婿殿。お主は魔法世界の『英雄』。婿殿の娘は『英雄』の娘。儂の孫でもある木乃香は狂気君やネギ君と同じじゃ。いずれ、彼らとどちらかと同じ道を辿ろう―――
近衛近右衛門は立ち上がり、客との対話用のテーブルから理事長の机へと向かう。そして、そこに飾られた写真を手に取った。その写真には彼の孫である近衛木乃香の着物姿が写っていた。
―――父親に憧れ同じ道を歩むか。父親に反発しぶつかり合うか。どちらを選ぼうと木乃香の自由。だが、運命とは不思議なものじゃ。どちらを選んだところで大なり小なりの困難や苦難が待っておる。そうなった時、木乃香に困難が訪れた時、婿殿は自分が木乃香を救うと言った。しかし、儂は木乃香自身にも立ち向かう術を与えるべきだとそう思う―――
近衛木乃香の居るクラスをネギ・スプリングフィールドに担当させることに決めたのは近衛近右衛門だ。
近衛木乃香が魔法に関わることになるよう誘導していると言われれば、否定はできない。
それは最悪の結果として婿である『英雄』近衛詠旬と対立することになったとしても、孫の近衛木乃香には幸せになってほしいという彼の思いが起こした行動。
近衛近右衛門は小さくため息をついた。
―――まったく、父親と爺だけで娘のことを考えるのは難しい。お前が居たら、どうしたのじゃろうか―――
彼が窓から覗く空を見て、思い描くものは自分より先に逝ってしまった親不孝な娘のことだった。