魔法な先生ネギま!-火星軍諜報部報告書ー   作:白白明け

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長くなってしまうけれどきりのいいところまで投稿します。



第終章ー大団円の先で編ーその7

-1-英雄賛歌

 

 

4月22日。羅漢狂気の在籍する学校の修学旅行初日。

この日は快晴。まさに絶好の行楽日和。

しかし、既に日は落ちている。

そんな中で羅漢狂気は同じ班のクラスメイトに用事があると説明し、一人京都を離れ兵庫県へと向かうバスに乗っていた。

平日の深夜ということもあり車内には空席が目立つ。乗客は羅漢狂気以外には人の良さそうな初老の男性と4人組学生の集団、風呂敷包みを抱えた女性、そして子供連れの親子だけだった。

羅漢狂気は一番後ろの後部座席に腰掛ける。一番多くの人が座ることの出来るその席は羅漢狂気が全身に刻む人に恐怖を与える刺青のせいで今はただ一人彼が座るだけだった。

窓から見える景色をぼんやりと眺めながら、羅漢狂気は今日自分がやらなければならないことを考え始める。

 

彼が暮す麻帆良学園。そしてその学園を本拠地として成り立つ関東魔法協会。

彼は今、その関東魔法協会の長の依頼で調査員としてここに居る。

目的は関東魔法協会と対立する組織。京都に本拠地を置く関西呪術協会の数多ある下部組織の一派が麻帆良学園に対し攻撃を行う為、何らかの企みを企てているという噂の真相を探ること。

そして、場合によっては全てを解決することが彼の任務だ。

 

一学生が担うには大きすぎる問題。

だというのに、羅漢狂気は微塵の不安もないというようにやらなければならないことを再確認した後はぼんやりと空をみた。

 

「――――高音と合流するまでもなかったか」

 

彼の独り言は思いのほか大きく車内に響く。

車内に乗るほぼすべての乗客は振り返り彼を見て、顔を戻した。

羅漢狂気は何も言わない。

そして、そうしている間に次の停車駅を知らせるアナウンスが流れる。

風呂敷包みを抱えた女性が手探りで降車ボタンを押した。

バスはバス停で止まる。

女性は白杖を頼りにドアへと向かうとバスの運転手に手伝ってもらいながらバスを降りた。

羅漢狂気もそれに続いてバスを降りた。

 

羅漢狂気がバスを降りるとバスは排気ガスを出しながら、音を立てて走り去っていく。

彼が下りたバス停は周りに何もない小さな山のふもとの寂れたバス停だった。

バス停のベンチには先ほどバスから降りた女性が風呂敷包みを大切そうに抱えながら座っている。

羅漢狂気は彼女の隣に腰かけた。

丁度、すぐ傍を小川が流れるこの場所は涼しい風が吹き少しだけ肌寒い。

風で葉の擦れる音とこんな時期に出てきても相手なんていないだろうに、季節外れの一匹の蝉が鳴く音が並んで座る二人を包んだ。

 

静寂を破ったのは風呂敷包みを抱えた女性。

彼女は永遠に続くかのように感じさせる静寂の中でポツリと呟いた。

 

「どうしてわかったのか、聞いてもええかな」

 

羅漢狂気は彼女の顔を見ることもせず、淡々と答えた。

 

「別に理由なんてない。ただ、たまにわかる。それだけで、言うなら経験則とで言うのか。それとも勘か。どちらでもいいが、わかったからわかった。ただ、それだけだ」

 

「理不尽や。でも、まあ、そればっかりは仕方がないのかも知れへんな。この世界は理不尽なことで満ち満ちとる。それにいちいち文句付けていたら、生き難くて堪らん。自分にできるのはこれからどうするか考えることだけや。なあ、西洋魔術師さん。一つ提案してもええかな?自分のこと見逃してくれへん?見逃してくれたら自分にできることなら『何でもする』」

 

―――『何でもする』。

そんなよく聞くようで言われる機会の少ない言葉を聞いて、羅漢狂気は遠い昔を思い出す。

 

―――何でもする。だから助けてくれ。俺達は同じ人間じゃないか

 

助けた彼はその後すぐに羅漢狂気を裏切った。

 

「なんでもするという奴を俺は一番信用してない」

 

「………そか、残念。なら自分は君と戦わなきゃいけないわけや。嫌やわー。君、強そうやもん。いや、強そう言うか強くなきゃいけない。そんな雰囲気が出ている。『君が強くなきゃ世界が終わってしまう』。そんな空気がある。怖いわー」

 

―――『君が強くなきゃ世界は終わってしまう』

その言葉を前に言ったのは誰だったか、羅漢狂気は思い出す。

 

―――あの子達の前で弱音は吐かないでください。君の強さにあの子達の世界は支えられている。『君が強くなきゃ世界は終わってしまう』

 

そう言ったのは戦争孤児を集めた施設の職員だったか。

 

「そうだな。別に謙遜するつもりもない。俺は強い。お前も俺の強さを見抜く位には強いんだろうが、お前じゃ手も足も出ないよ。それがわかってるなら、早々に降参しろ。殺す気はない。女を殴る趣味もない。戦いだってそこまで好きなわけじゃない。話し合いで終わるなら、それが一番だ。未遂の内なら麻帆良側としても無暗にことを荒立てる気はない」

 

「へー、なんや、見た目と違って意外と優しいなー。敵意あるものを無条件で許す。なかなか出来ることやない。そんなことするのはただの馬鹿か呆れるくらい優しい馬鹿か、自分の力に絶対の自信を持っている奴だけ。なあ、『君は自分が死ぬこととか考えたことあるか』?たとえばここで私に殺される。もしくはさっきのバスに轢かれるでもええ。人間、案外簡単に死ぬものや。優しさと甘さを間違えたら、君も死ぬ」

 

―――『君は自分が死ぬこととか考えたことはあるか』

その言葉はそう、あの戦火の丘で剣を向けられたアイツが言った。

羅漢狂気は、その時、こう答えた。

 

「人生が終わらないなんて絶望、一度だって思ったことはない。―――っっ、別にあくまでも戦うつもりならそれでいい。向かってくるなら全力を持って叩き潰す。手加減するつもりはない。たとえ、それが女でも病人でも」

 

「ああ、やっぱ気が付いとった。まあ、こんな白杖を持っている時点でわかる通り、隠すつもりもなかったけどなー。君の考え通り自分は目が全く見えん。光だって感じられない。不幸自慢をするつもりはないから、ちょっと目が見えなくて得すること言うと、『自分』に目の障害があるとわかると大体みんな油断する。なんどそれに救われたかわからん。まあ、君には効かないみたいやけど。君、『いったいどんな人生送れば』その年で『そんな風になる』。『甘さ』でも『優しさ』でも『差別(エゴ)』でも『ない』。女子供を殴るとき、人間は本能的に『恐れ』る。殴る己を想像して己を己で軽蔑する。『そういうもの』や。普通なら」

 

―――『いったいどんな人生を送ればそんな風になる』

 

この言葉は羅漢狂気が単騎で敵陣に攻め込んだ時、敵軍の兵士の一人が言った言葉。

 

―――『甘さも優しさも正義(エゴ)もない』『畏れ』『自分はそういうもの』

 

そして、この言葉は羅漢狂気が言ったもの。

 

「俺はただの畏れでありたかった。抑止力でありたかった。旧世界の核のように、戦わないための兵器でありたかった。断じて英雄なんかになりたかったわけじゃない。英雄は戦いをまき散らす。止めたいはずの戦争に続く者を産んでしまう。そんなことは望んでない」

 

「ふーん、そっか、自分も大概大変な人生を歩んできたつもりやけど、君の方が大変そうや」

 

「ああ、そうだよ。………てっ、あ?なにかが、変だ?」

 

そう、変だ。

なぜ、秘めていた過去をこんなところで何の脈絡もなく回想し始めているのか。

断片的なそれは全く繋がらずに意味不明で理解が不能。

彼は一体、何がしたいのか?

 

いったい羅漢狂気は何を言っているの。

混乱する羅漢狂気を置き去りに女性は淡々と会話を続ける。

 

「言霊。言うものがこの国にはあります。願ったことやない。言う言葉自体に力があるっていう、この国独自の信仰や。結構最近まで一般社会でも本気で信じられていた。前世期の大戦中は敗戦ちゅう言葉自体が取り締まられていた。敗ける言うたら本当に敗けると信じられとったからや。面白いなあ。そして本当に面白いのは、それが嘘やない言うことや。言霊はある。本当にある。突然やけど、自己紹介してあげるわ。自分の名前はト部(とらべの)末子(すえこ)」

 

「ト部?珍しい苗字だが、どこかで聞いた覚えがある。確か、歴史の授業で習った。だから、どうした?どうして突然、脈絡のない話をする?今は俺が昔の話をしているところだろう。いや、なぜ、俺は昔のことなんて」

 

「そや。そのト部。自分の祖先は大昔、鬼の頭領酒呑童子を討伐した者たちの一人、ト部(とらべの)季武(すえたけ)と言われている。それが事実かどうかは知らんけど、自分らの一派には伝わっているものがある。それが、言霊。その最高峰(ハイエンド)、正真正銘本物の言霊や。季武はそれを使って酒呑童子を騙したらしい。山伏の格好をして近づいた己らの正体がばれそうになった時、季武はこう言った。『我々は悪人ではない』。酒を持って鬼たちに近づく山伏達。怪しさ満載やのに、疑い始めていたのに、そう言われた酒呑童子はその言葉を信じた。信じるしかなかった。言霊のせいで」

 

「言霊だと。それの所為で俺は話したくもないことを。出会ったばかりのお前にこんなことを。話したくてしかたがないのか」

 

「そや。まあ、言っても自分の言霊は季武ほど強力なものやない。会話の中で段々相手を混乱させていくことくらいしかできへん。長い時間で、血が薄まるにつれ言霊の威力も落ちて行った。やから、自分ら一派はずっと探していた。本当の言霊を取り戻す方法を。そして、ついに見つけ出した」

 

女性は喜びを隠しきれない様子で言う。

 

「これで言霊は復活する。それがどういうことか君にわかるか?自分ら一派が天下を取る言うことや。言ったことを本当にする力。考えるまでもなく最強や。西洋魔術師が長い呪文を唱えないとできないことが、自分らには言うだけで出来るようになる。火を出したいなら『燃えろ』と言えばええ。雷を出したいなら『雷よ落ちろ』と言えばええ。そして、殺したいなら『死ね』いうだけでいい」

 

「言ったことを本当にする力。死ねと言うだけで人を殺せる。確かに、最強かもしれないな。かつての俺とは違う。本物の最強」

 

「そやろ。そやろ。わかってくれて嬉しいわー。これで君にも自分ら一派に敵うはずがないとわかった筈や。いくら君が強くても自分らは戦わんでも勝てる。君に『敗けろ』言うだけでええ。誰も自分らには勝てん。そこでや、もう一度言う。自分を見逃してくれへん。いや、君も仲間に入れたるわ。なかなか可愛い顔しているし、自分の好みや。何でもすると言うなら、自分の男(モノ)にしてあげ―――

 

「けど、なあ」

 

―――なんや?」

 

「けど、人はそう簡単に死なない。お前は知らない。人間がたとえ生首だけになったとしても、血液を送るポンプを付けて酸素ボンベを繋げ栄養を送る管を巻きつければ生き続ける。そんな鬼なんかよりよっぽど化け物らしい化け物であることをお前は知らない」

 

「な、なんや?何を言っている。自分の言霊が効きすぎて、頭がおかしくなったか?」

 

「人はそうそう人間を殺せない。それでも俺は殺せてきた。何人も、何十人も、何百人も、何千人も、俺は人間を殺してきた。だから俺は、人じゃない」

 

バス停のベンチに座って以降、二人は言葉を発する唇以外はなにも動かすことはしなかった。

いや、ト部末子の言霊の効力によってできなかったというべきか。

そんな言うなれば動の沈黙を羅漢狂気は此処で破った。

ほんの数分前に音の静寂を破ったト部末子のように満を持して、軽々しく破った。

 

羅漢狂気の顔面の刺青が歪に歪む。

 

「人じゃない俺に言葉なんて通じない」

 

此処で初めてト部末子は自分がなにと話していて、なにと駆け引きをしようとしていたのかを理解した。

 

彼は羅漢狂気。しかし、羅漢は義理の父親の姓で彼の本来の名は狂気のみ。

そして、その狂気すらも付けたのは生みの親ではない。

彼の育ての親である祖父が付けた名前。

英雄を人工的に作り出す。

戦争で追い込まれた末に始まったその狂いに狂った研究で唯一の成功例として生まれた彼を、祖父は狂気と名付けた。

そこに込められた意味は文字通り以外の何でもない。

 

「ああ、そか。そうなんや。君も季武や他の四天王、源頼光と同じ人の身にて鬼神に勝つもの。人の身にて人にあらぬ人外。今ならわかるわ。彼らに狩られた酒呑童子の気持ちがわかる。『情けなしよと客僧たち、いつわりなしと聞きつるに、鬼神に横道なきものを』」

 

羅漢狂気。彼に言霊など無意味だった。

魔法も呪術も超え、あらゆる理を超越して言葉と現象を結びつける最強の法則。

それすらも彼には届かない。

羅漢狂気。

その存在は驚くほどに揺るぎなく。轟くほどに隙もない。

 

「そんなん、ずるい。理不尽や」

 

文句を付けずにいられない理不尽(チート)になけなしの気力を絞ってそう言って、ト部末子は後生大事に抱えていた風呂敷包みを手放した。

その風呂敷に包まれていたのは一本の刀。その名を童子切安綱。

かつて鬼の頭領酒呑童子の首を切った刀だった。

 

こうして驚くべきことに羅漢狂気がやってきて一日足らずの間に下手をすれば日本の裏社会の勢力図が大きく変わっていたかもしれない、そんな大事件が未遂のままに一人の犠牲者も出すことなく解決する。

 

物語が始まる前に物語を終わらせる。戦わせずに勝つ。

そんな理不尽を行う彼のことを、かつて、いや未来の人々は姓無き彼に故郷の星の名を与えこう呼んだ。

 

戦争殺し。狂いきれない狂気。天上天下唯我独尊(ひとりぼっち)

戦力を持って戦術を征し戦略もなく戦争を終わらせるもの。

 

火々星の英雄(ひひぼしのえいゆう) 狂気と。

 

 

-2-クラスメイト

 

 

修学旅行2日目。京都にあるとある旅館。その旅館の楓の間にて、羅漢狂気は爆睡していた。

昨晩、考えていたよりもずっと早く任務が完了したといっても後始末を終え、旅館に帰ってきたのは既に日付をまたいだ午前2時。人の身体は最低6時間寝ないと調子が悪くなると言われている。人並み外れた身体能力を持つ羅漢狂気も例外ではない。

故に彼は同室のクラスメイトが朝ご飯の時間だと起こしてくれた後も眠りつづけ、もうじき2日目の自由行動時間が始まろとしているこの時まで布団に包まる布団虫になっていた。

 

そんな虫(かれ)を駆除するためか、扉の外からその部屋に手榴弾(バルサン)が投げ込まれた。

 

ピンは抜けていた。冗談ではないようだと、布団虫はしがみ付く布団をさらに強く握り防御態勢に移行する。

しかし、そんな抵抗も空しく爆発した手榴弾(バルサン)によって虫の大切な殻は砕かれてしまった。

羅漢狂気は爆音と爆風を目覚まし代わりに、修学旅行二日目の朝を迎えた。

 

「………こんなこと、するの誰だとか考えるまでもないよな」

 

ついさっきまで布団だったはずの焼け焦げた布きれから這い出して、羅漢狂気は手榴弾が投げ込まれた扉の方を見るがそこにはすでに彼女の姿は無い。ばれない様に逃げたのだろうが、そんなことに意味もない。

羅漢狂気の知る限り寝ている人間のいる部屋に躊躇なく爆発物を投げこめる人間は彼女しかいない。

そんなことを考えている羅漢狂気の耳にクスクスと笑いながら喋る声が聞こえてきた。

 

「いや、あの子も躊躇はしていたよ。悩んで、悩んで、悩んだ末にいつまでも寝ている君が悪いという結論に至ったのさ。悪い奴には鉄拳制裁があの子のモットーだからね。迷いはしないさ、正義のためだ」

 

声の聞こえた窓の方を見れば、そこには汗をかき窓枠に腰を掛け色っぽく息を整える黒髪長髪の美女の姿があった。

 

「窓から入るなよ。此処、三階だぞ。というか、女子が男子の部屋に来るのは拙いんじゃないか?そして何より拙いのはお前がそう言うのを取り締まる側の人間だってことだ。副委員長」

 

「二人きりの時は夜子と呼べと言っているだろ。狂気」

 

夜子と名乗ったその女生徒。彼女の本名は夜桜(よざくら)夜子(よるこ)。

羅漢狂気のクラス副委員長にして、麻帆良上坂高校始まって以来の才女と称されるほどの天才少女。

そんな彼女はクスクスと笑いながら胸ポケットから小さな長方形の箱を取り出した

 

そして煙草を一本口に加えて火をつける。

 

夜桜夜子の口から紫煙が吐かれる。

 

「ほら、待っていてやるから早く支度をしろ。今日、君は午後から用事があるらしいが午前中は私たちと一緒に観光をして回る約束をしていただろう。今こうしている間にも時間は刻々と過ぎている。早くしないと次はあの子がバズーカ砲でも持ち出しかねないぞ」

 

手榴弾の次はバズーカ砲。いや、それならばまだ良い方だと羅漢狂気はそう思った。

怒ると直ぐに重火器を乱射するあのクラス委員長は下手をすると幼馴染の大富豪の伝手を借りて戦車でも持ち出して乗り込んできかねない。

自分で考えてあまり違和感のないそんな光景に若干の戦慄を覚えながら羅漢狂気は急ぎ着替えて出かける支度を始める。

自分の前で躊躇なく煤塗れの服を脱ぎ始めた羅漢狂気を見て夜桜夜子は照れるでもなく、前見た時より筋肉質になっているなとそんなことを考えていた。

羅漢狂気と夜桜夜子の関係性。

それはあまり褒められたものではない少し不純なものだった。

 

 

仕度を終えて夜桜夜子と共に旅館をでた羅漢狂気を待っていたのは一台のヘリコプター。

私立ではあるがあくまでも普通の高等学校である麻帆良上坂高校では自由行動の日に一班に一台のヘリコプターを貸し出すなんて頭のおかしいサービスは行っていない。

このヘリコプターはもちろん学校側の備品ではなく誰かの私物であり、そしてその誰かは羅漢狂気と夜桜夜子のことをヘリコプターに乗りパソコンを弄りながら待っていた。

 

「遅いぞ。夜桜、貴様が狂気を呼びに行って一体何分経っている」

 

「いや、すまない。流石にあの惨状のまま部屋を出るのは忍びなくてね、少し掃除もしていたよ」

 

「そうか、ごくろう。では、早く乗れ。時間は有限だ。金で買うにも莫大な金がいる」

 

彼の言葉に二人は頷き、ペリコプターへと近づいて行く。

このヘリコプターの持ち主である眼鏡の青年の名前は天心院(てんしんいん)高貴(こうき)。

日本。いや、世界に冠する一大財閥である天心院家の跡取り息子にして羅漢狂気のクラスメイト。

羅漢狂気の数少ない同性の友人と言ってもいい。

 

「なあ、高貴。時間は金じゃ買えないっていう言葉があるだろ。けど、お前は今、金は掛かるが時間は買えるって言ったよな?時間って買えるもんなのか?」

 

こんな馬鹿な話を出来るほどには羅漢狂気は彼に対して心を開いている。

 

「買えるさ。この世の全ては金で買える。時間だって金で買える。買えないと思っている奴は、圧倒的に金が足りていないだけだ」

 

そうなのかと呟いて羅漢狂気はペリコプターへと乗り込んだ。

そこには天心院高貴の他に二人の生徒が乗っていた。

その内の一人、金髪おかっぱ頭の女生徒の頭を羅漢狂気はポカリと叩いた。

 

「あぅ。なにをするでありますか。上官への暴力は射殺刑並みの大罪なのでありますよ」

 

「手榴弾のお返しだ」

 

「あれは軍法会議に基づく狂気少将への適切な刑罰であります。火種が責められる筋合いはないのでありますよ。謝罪しなさい」

 

既に女性として完成された肢体を持つ夜桜夜子とはまた違う。いまだ背丈は発展途中なのにある一部分は夜桜夜子にも劣らないその身体ごとずいっと顔を寄せてきたおかっぱ頭の少女の綺麗なおでこに羅漢狂気は容赦なくデコピンを放った。バチンと痛そうな音がした。

 

「あぅあぅ~」

 

おかっぱ少女はコテンと倒れる。

 

少女の名前は戦場(いくさば)火種(ひだね)。

羅漢狂気のクラスの委員長を務めている(そのことから彼女は自分のことを上官と呼んでいる)。

高校三年生としては小さな身体の彼女だが、時間になっても起きてこなかった羅漢狂気に行った刑罰(おしおき)を見てもわかる通り舐めてかかると痛い目を見るどころか爆破されかねない。

一部で彼女は『小さな身体に大きな凶器』と呼ばれ恐れられている。

ちなみにその文言の中の凶器とは文字通り武器と言う意味と幼い容姿に似合わない巨胸と言う意味。二つの意味が込められていた。

 

「い、痛い。酷い。うぅ、火種は悪くないのに~」

 

プルプルと震える手で戦場火種は拳銃を握る。

そんな光景は日常茶飯事。見慣れたものだったので気にもせずシートベルトを締め始めた羅漢狂気はおろか天心院高貴や夜桜夜子もまた気にせずにパソコンでの商談を終え次は携帯電話での商談に移り始めたり、本日六本目になる煙草に火を付け始めたりと戦場火種の行動を無視しにかかる。

 

謝罪も何もしてこないどころか拳銃を抜いた自分を無視してシートベルトを締め身体を固定した羅漢狂気に対して舐めているのでありますねと憤慨しながらも、でもそこがいいのでありますと興奮し、なんだかよくわからない精神状態になりつつある戦場火種を止めてあげる良識ある人間がこのペリコプター内にいないわけじゃあ、なかった。

 

「オオ、いけまセン。火種サン。喧嘩ダメ。拳銃なんて抜いちゃダメダメ。私たちはニッポン人なのだから、愛と平和(ラブ&ピース)で行きまショウ。ほら、拳銃を下ろしてヨ。こんなもの使っちゃダメ。みんな仲良しなのがニッポン人のいいところ。ナノにそんなことしたら、ニッポン人じゃないと思われチャウヨ」

 

荒ぶる戦場火種から拳銃を取り上げ止めたのは、訛った日本語を話す色黒の男子生徒だった。

座っていてもわかるほどに彼の身体は大きい。

羅漢狂気たちが乗るこのペリコプターは大型で五人乗っても窮屈ではないのだが、彼の場合は天井の高さが足りていないようで少し身を屈めながら座っている。

 

「狂気サンも火種サン苛めるのは良くナイ。寝坊した狂気サンもダメダメヨ」

 

「そうだな、太郎。寝坊のことに関しては言い訳出来ない。デコピンはやり過ぎた。悪かったな、火種」

 

「オオッ!流石狂気サンは大人ヨ。さあ、火種サンも許してあげてヨ」

 

「………うん」

 

「そうネ。みんな仲良し一番ヨ。山田も嬉しいヨ」

 

山田と名乗ったその色黒長身の男子生徒。彼の本名は山田(やまだ)太郎(たろう)。と言うことになっている。

学生証もその名前で作られてはいるが、見ての通り彼は明らかに日本人ではない容貌をしていて、偽名であることは明らかだった。

しかし、それを指摘する者も気にする者もこの場にはいない。

そんなこの空間が山田太郎(仮)は大好きだった。

だから彼は笑う。この五人組の中で彼だけはいつも楽しげに微笑んでいる。

 

麻帆良最強の不良にして全身に刺青を刻む高校生。羅漢狂気。

高校生の身でありながら隠れもせずに喫煙を楽しむ才女。夜桜夜子。

他人を貴様と呼び自分以外の人間を全て貧乏人と思っている大金持ち。天心院高貴

当然のことであるかのように普段から重火器を持ち歩く少女。戦場火種。

明らかに不法な手段で戸籍と名前を手に入れた日本人を名乗る外国人。山田太郎(仮)

 

全員が全員、誰とも似ていなくて、腹に一物抱えていて、一癖二癖どころか癖しかないような彼らは同じく癖しかない茶髪ピアスの担任教師の受け持つクラスにて一年前に出会うべくして出会った。

以来、彼らは普通であることに拘らず。異常であることを誇らずに。意外と仲良く遊んでいた。

 

 

-3-禍根は残る。彼は去る。

 

 

4月23日。午後13時25分。

愉快なクラスメイト達との京都見物を終えた羅漢狂気は一人京都御所にて待ち人を待っていた。

自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、待ち人が来る前の間の暇つぶしに午前中の観光を振りかえる。

嵐山。金閣寺。銀閣寺。清水寺。東大寺。伏見稲荷。祇園。

京都の名所を半日で網羅する予定で立てられていたあの弾丸ツアーはペリコプターで移動しなければ不可能なものだった。時間の都合上、金閣寺や嵐山など見て楽しむものの見物はヘリコプターによる上空からのものだけだったが、山田太郎(仮)たっての希望で清水寺や祇園は実際にその地に下りて見物をすることが出来た。

この半日で京都観光は十分に楽しめたと羅漢狂気は満足している。

これから会う彼女には悪いが、ここからは観光ではなく封印の影響で麻帆良から出られずに修学旅行に来ていない彼女たちのためのお土産探しの時間に当てようかなどと考えていたところで見慣れた長い金髪が視界に映る。

 

彼女も羅漢狂気に気付いた様子で此方に向かう速度が上がる。

あれ、変だなと羅漢狂気は思った。

非常事態ならいざ知らず。羅漢狂気の知る彼女は人前で、特に自分の前で、全速力で走るなんて余裕のない姿を見せることがなにより嫌いな筈なのに。

 

―――まさか、既に京都一派の件が既に終わっていることが伝わってないのか。いや、けど、昨日ちゃんと学園長に連絡をして学園長は自分が伝えるからと言っていた―――

 

駆けてくる彼女。高音・D・グットマンに昨晩の件が伝わっていないとすると、理不尽にも怒られるのは自分なのだろうなとそんなげんなりした気持ちで羅漢狂気は彼女を迎え入れる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、お待たせしました。狂気さん」

 

「いや、いま来たところだ」

 

そんな一見すると待ち合わせをしていたカップルのような挨拶の後、高音・D・グットマンは手慣れた様子で小さな認識阻害の魔法を唱える。効力は人払い。

そんな魔法を使った彼女を見て、羅漢狂気は本当に伝わっていなかったのかと若干慌てた。

 

「高音、お前は聞いていないのか?」

 

「聞いていますわよ。大変なことになりましたわね」

 

「いや、それは昨日、俺が終わらせたぞ」

 

「………狂気さん、あなたいったい何を言っていますの?」

 

なにかがおかしい。会話がかみ合っていない。

 

「まさかあなた、まだ学園長先生からの連絡を受けていませんの?」

 

どうやら原因は羅漢狂気にあるようで話を聞いていないのは彼の様だった。

羅漢狂気はズボンのポケットから携帯電話を取り出すが、その電源は落ちていた。

原因は午前中に上空という絶好のスポットから名所の数々を撮影したせいだろう。

 

「悪い。聞いてない。なにがあった?」

 

電池切れの携帯電話を見て数秒固まった後、落ち込みながらそう言った羅漢狂気に呆れながら高音・D・グットマンはつい先ほど学園長から受けた連絡の内容を彼に話す。

 

「昨夜、貴方が麻帆良への破壊工作未遂の疑いで捕えた京都の一派。その一派が東京の博物館から盗み出したもの。国宝童子切安綱が東京への輸送中に何者かに奪われました。そして、どうやらそれは裏の世界の者の仕業の様なのですわ」

 

童子切安綱。ト部末子が大切そうに抱えていた酒呑童子の首を切ったと伝えられる刀。

羅漢狂気は昨晩、ト部末子たち一派を関西呪術協会の関係者へと引き渡し、彼らが盗んだ童子切安綱は持ち主へと返すために京都まで呼んだ関東魔術協会の関係者に預けた。

そんな童子切安綱が盗まれた。

 

なぜかもわからない。どうしてかもわからない。なにもわからない。

しかし、僅かに一ピースしかない情報で羅漢狂気の思考に戦慄の仮説が立てられようとしていた。

 

「目的は不明です。確かにあの刀は国宝に指定されていて金額のつけられない価値はありますが、ただの刀のはず。今後、魔法関係者全員に追われることを考えれば麻帆良のエージェントを襲ってまで手に入れる価値があるものではないと私は思うのですが」

 

推理を進める高音・D・グットマンはおろか、麻帆良学園長にすら報告していないことがある。

それはト部末子たちが童子切安綱を用いて何を行おうとしていたのか。

 

羅漢狂気は学園長の報告の中でト部末子たち一派が童子切安綱を盗み出したのはあの刀を外国に売り破壊活動を行う資金の調達をしようとしていたからではないかと話した。

あの刀は国宝に指定されながら持ち主が手放すことを拒んだために、警備の緩い個人経営の博物館に秘蔵されていた。魔法を扱えるものなら盗み出すのはたやすく資金調達には丁度良かったのではないかと。

 

しかし、それは嘘だ。

ト部末子に言った、事を荒立てる気は無いという本心を本当にする為に羅漢狂気が付いた嘘。

彼ら一派の本当の目的を知ってしまえば関東魔術協会も関西呪術協会も事を荒立てないわけにはいかないから、嘘をつくしかなかった。

 

一派の本当の目的。

それは、魔法も呪術も超えた最強の法則。言ったことを現実にする法則。

 

本当の言霊の復活。

 

その為に必要だったものが童子切安綱。

平安時代。本当の言霊を使ったとされるト部末子の祖先ト部季武らが討伐した酒呑童子の首を切ったその刀。

 

その刀が再び盗まれたというのならその目的は考えるまでもない。

 

「………狂気さん。どうしましたか。顔が真っ青ですわよ」

 

「高音、俺の責任だ。まずいことになった」

 

「どういうことですの」

 

「童子切安綱。アレには秘められた力がある。アレ単体ではただの刀だが、どうにかすると言霊という神秘の力を復活させられると一派の長、ト部末子は言っていた。そんな刀がこのタイミングで再び盗まれた。答えは一つだ。童子切安綱を盗んだ奴の狙いは言霊だ」

 

言霊とただ言われても高音・D・グットマンにはピンとこない。

彼女が全てを理解するにはまだピースが足りていない。

しかし、高音・D・グットマンはこの場で全てを問い詰めるようなことはせずに焦りを隠せない羅漢狂気を落ち着かせいようと彼の両肩に手を置いた。

 

「なんだかわかりませんが、ともかく私たちが動かなければならないということですわね。教えてください、狂気さん。私たちは今なにをするべきです?」

 

それは羅漢狂気への信頼に満ちた言葉だった。

彼にはわからない。自分を嫌っている筈の彼女が何故こうも自分を信頼しているような言葉を出すのかが、わからない。

羅漢狂気は知らない。高音・D・グットマンが苛立ちの中で怒りの中で嫌いだという気持ちの中でどれだけ彼を信じているのかを。

 

けれど、羅漢狂気はそのよくわからない信頼を裏切ってはいけないとそう思った。

 

羅漢狂気は冷静さを取り戻す。そして、いまやらなければならないことを導き出す。

 

「本当の言霊の復活に必要なのは童子切安綱の他にト部末子たち一派の知識だ。次に狙われるのは彼女達だ。今、彼女たちがどこにいるのかわかるか?」

 

「ええ、それなら先ほど学園長先生から聞いていますわ。学園長先生は彼らが再び童子切安綱を盗んだんじゃないかと疑っていましたから」

 

「なら、そこへ急ごう」

 

高音・D・グットマンを伴って羅漢狂気は動き出す。

昨晩、終わったはずの任務を再び終わらせるために。

 

向かう先は山の中に隠された関西呪術協会桜山支部。

 

魔法を出し惜しみしている暇はない。羅漢狂気と高音・D・グットマンの二人は認識阻害の魔法を自らに張りながら京都の町を疾走する。

時間にして十数分後、二人はト部末子たち一派が収容されている関西呪術協会支部へとたどり着いた。

 

しかし、そこは既に何者かによって襲われた後だった。

 

削られた地面。切り倒され燃えている木々。倒壊した建物からは小さなうめき声が聞こえてくる。

荒れ果てた光景。救いにない害意に満ちた空気。戦場と言う日常から切り離された空間をみて羅漢狂気は息を詰まらせる。

嫌で、嫌で、逃げ出したかったこの光景。ここにいること自体が彼にとって苦痛でしかなく―――

 

「狂気さん!こちらへ来てください!」

 

この光景を見てすぐに駆け出していた高音・D・グットマンの声が響く。

声のした方向を見ればそこには倒れている女性と女性に回復魔法をかけている高音・D・グットマンの姿があった。

羅漢狂気は二人の元へと走り出す。

そして、倒れている女性が彼のよく知っている彼女だったことを知る。

 

「ト部、末子」

 

羅漢狂気の言葉を聞いて、こうして自分の目の前で死にかけている彼女が麻帆良に攻め込もうとしていた一派の長であることを知り高音・D・グットマンは驚いた。

しかし、それでも彼女は手を休めることなく治癒魔法をかけ続ける。

 

羅漢狂気の呼びかけに、ト部末子は閉じていた眼を薄く開いた。

光を映さない墨のような色をした瞳だった。

 

「ん、ああ、君かいな。すこし、遅かったみたいやけどよう来てくれたなあ」

 

「いったい、何があった」

 

「なにがいうか、なにもかもや。気が付いたら地下牢に居たはずの自分は此処にいて、周りは音を立てて崩れていく。てっきり、君の気が変わって自分らを殺しに来たのかと思ったけど、違うみたいやなー」

 

クスクスとト部末子は力なく笑った。

そして、この場に居る誰にとっても不都合な真実を語る。

 

「なら、やっぱり自分らを襲ったのは関西呪術協会なんやね」

 

「なっ!?まさか、そんな筈がありませんわ。どうして身内を襲うような真似を」

 

馬鹿な話だと高音・D・グットマンは思った。

関西呪術連合にとってト部末子たち一派は本家の意に背いて麻帆良への攻撃を企てていたとはいえ身内。実際に麻帆良への攻撃を行ったというなら話は違っただろうが、未遂に終わった今、裁くにしてもここまでするのはやり過ぎだ。

しかも此処にはト部末子たち一派だけじゃない。

彼女たちを見張るために詰めていた関係者だっていたはずだ。

 

高音・D・グットマンの考えは正しい。

 

しかし、常に正しさが真実であるとは限らない。

 

「そんな筈があるから、世の中理不尽なんよ、西洋魔術師のお嬢ちゃん。自分らが此処に居ったことは君ら麻帆良の人間と呪術協会の一部の人間しか知らん。そして、君らが駆けつけてきたってことは、麻帆良は白やいうことや。黒はもう、消去法で決まりや」

 

「だが、」

 

と羅漢狂気は苦虫を潰したような表情で言う。

 

「だが、何のためにここまでする。本物の言霊の力が欲しいなら、お前達まで殺そうとするのはおかしい。本物の言霊の復活のためには童子切安綱とお前達一派の知識が必要な筈だろう」

 

苦しい主張だと言った羅漢狂気自身が思った。答えなんて考えるまでもない。

前提さえ覆ってしまえば、もはやそれはここまでする揺るぎようもない動機になる。

 

「呪術協会の連中は本物の言霊の力が欲しかったわけやない。むしろ、自分らが築き上げた呪術いう力を越えてしまう言霊を疎ましく思った。やから、消そうとした。自分ら一派を滅ぼして。奪われた童子切安綱も今頃はバラバラに砕かれている筈や」

 

ト部末子が言った言葉に反論することが、羅漢狂気にはできなかった。

しかし、それは違うと羅漢狂気は叫びたかった。そんな筈がないと言い切りたかった。

 

だって、もしそうだとするのなら羅漢狂気のしたことは何だ。

 

ト部末子達を捕え、彼女らを疎ましく思っていた者たちに引き渡した。

それはまるで、まるで、こんな光景を創り出した奴らに協力した、も、同然じゃないか。

 

ト部末子の手が伸びる。

それはまるで何かを探すようにゆらゆらと揺れて、羅漢狂気の頬に触れたところで止り、彼女の手が羅漢狂気の頬を撫でた。

 

「なんや、泣いている?相変わらず、優しいなあ。別に君が悪い訳やないのに」

 

羅漢狂気は泣いてなんていない。こんなことで泣けるほどに彼は弱くつくられていない。

ここで泣けたのなら、彼の人生はどれほど楽なものであっただろか。

 

英雄として作られた。

気の遠くなる時間戦い続けた。

敵を殺し、味方も殺し、自分自身の心すら殺し尽して、腕がもげて、足が錆びて、瞳に映るもの全てが無価値なものに思えようになって、ようやく泣くことができた。

 

彼はこんなことで泣けない。

 

だから、ト部末子の感じた涙は幻だ。

ト部末子の手が羅漢狂気の頬から離れ落ちた。

死んだわけではない。眠ってしまったようだった。

 

「………高音。頼みがある。修学旅行中にこんなことを頼むのは、迷惑だとわかってはいるが、ト部末子を麻帆良まで連れて行ってくれないか」

 

言うまでもなくこのままト部末子を京都の地に置いておくことは危険だ。関西呪術協会の力の及ばない場所、関東魔法協会の支配下である麻帆良で保護することが一番安全であることもわかる。

けれど、高音・D・グットマンは一瞬、なぜ自分にそんなことを頼むのかが分からなかった。

ト部末子を麻帆良まで連れて行くのなら自分でなくとも麻帆良から増援を呼べばいいのではないかと思った。

しかし、そんな疑問は口に出す前に羅漢狂気の横顔をみて氷解する。

 

何も信じてなどいない眼をしていた。

羅漢狂気は今、困惑の中で関西呪術協会はおろか関東魔術協会の関係者すら信じていない。

疑っている。童子切安綱が盗まれた。それすらも嘘なのではないか。羅漢狂気が自ら童子切安綱を手渡した麻帆良のエージェントは、本当は関西呪術協会と繋がっていたのではないか。

そう疑っている。

 

そんな中で彼は高音・D・グットマンだけは信じた。

 

「わかりましたわ。私に任せてください」

 

「悪い。せっかくの修学旅行だってのに」

 

「いえ、気にしないでください。私の影の魔法の転移術なら麻帆良まですぐに着きますわ。夜までには返って来られるでしょうし、観光は明日から楽しむことにします。それよりも、狂気さんはこれからどうするおつもりですか?」

 

「別に心配しなくても関西呪術協会に乗り込んだりはしない。ただ、少し後始末をしておく。俺達がト部末子を麻帆良に連れて行ったってことがばれても面倒なことになるし、その辺の工作を終えたら俺も修学旅行を楽しむことにするよ」

 

「………その言葉、信じますわよ。絶対に変な気は起こさないでくださいね」

 

「俺だって馬鹿じゃない。たった一人で関西呪術協会に喧嘩を売るような真似、するわけないだろ」

 

羅漢狂気は笑いながらそう言い。高音・D・グットマンはそんな彼を見て、信じることにした。

 

「そうですか。では、私は行きますね」

 

高音・D・グットマンはそう言うと始動キーを唱えることもなく魔法を発動する。

彼女が扱う魔法。それは魔法世界でも珍しい、火や水と言った古より自然界にあるものを用いた魔法ではなく、影と言う物体に光が当たった時に現れる現象を用いた現象魔法。

影の魔法。

この魔法の使い手を羅漢狂気は知る限り高音・D・グットマンともう一人しか居ない。

 

影で剣を作り、槍を作り、従者を作り、今のように空を飛ぶ使い魔を創り出す。

万能性でいうなら羅漢狂気の扱う魔法の上を行く魔法を高音・D・グットマンは極めている。

 

使い魔に乗り空へと飛び立ち始めた高音・D・グットマンに羅漢狂気は叫ぶ。

 

「高音!頼んだぞ!」

 

そんな彼を見て高音・D・グットマンは微笑むとそのまま麻帆良へ向けて飛び去っていく。

 

 

 

 

そして、高音・D・グットマンが飛び去ったのを確認してから羅漢狂気は呟いた。

 

「いい加減、出てきたらどうだ」

 

その声色に先ほどまで浮かべていた困惑や悲痛の色は無い。

まるですべてが演技であったかと言うように普段の彼の雰囲気へと戻っている。

 

「………そうか、出てくる気はないか。なら、一つだけ言っておく。あまり俺を舐めるなよ。お前の考えたシナリオ通りに動くほど、世界は単純にできちゃいない」

 

ここまでの物語の中でおかしなことがいくつかあった。

ト部末子は関西呪術協会が本当の言霊を消し去るために自分たちを襲ったと言った。

その言葉に嘘偽りはなく。彼女は本当にそう思っていた。

しかし、疑問が一つある。

なぜ、関西呪術協会が本当の言霊のことを知っていたのか。

ト部末子たち一派の目的であった本当の言霊の復活。

そのことを羅漢狂気は関西呪術協会どころか麻帆良にも、誰にも話していない。

ト部末子たち一派も自分たちが不利になるようなことを関西呪術協会に話すとも思えない。

ならば、いったいどこで関西呪術協会が本当の言霊のことを知ったというのか。

そしてもう一つ。

どうしてト部末子は生きていて、こんな見つけてくださいと言わんばかりの場所で倒れていたのか。

 

それが羅漢狂気たちに犯人が関西呪術協会だと思わせるための罠だったとすれば、物語の道筋はわかりやすく通る。

 

「お前は一派の目的がなんであったかも知らず、いや、そんなことが関係なくただ麻帆良関係者である俺に捕らえられ関西呪術協会に引き渡されたという理由だけで彼らを襲った。関東魔術協会が生かした人間を関西呪術協会が殺したと思わせ両者の間に不和を産むために。言い手だ。上手くいけば自分の手を汚さずに相打ちが狙える。だが、真実味を持たせる為にト部末子を生かし、一派に関係のない呪術協会の連中まで襲ったのは、やり過ぎだったな」

 

羅漢狂気の推理が崩れ落ちた支部に響き渡る。

羅漢狂気が見つめる先は倒壊した建物の方向。

 

そして、その反対側。

羅漢狂気の背後の林の中に全ての黒幕である一人の少年は潜んでいた。

少年は自分の策略を全て読まれたというのに、まるで人形のように整った顔を少しも歪めることなく納得する。

 

―――なるほど、ラカン・狂気。あの子の記憶通りの男のようだ。一見して感情任せに動くように見えながら、その実、機械のように冷静だ。見てもいない僕の実力を考え、演技までして仲間をすぐにこの場から逃がすほどに。どうやら、彼はネギ・スプリングフィールドと同様、危険な存在だね―――

 

ここで殺しておくべきかと考えて、少年、白い少年はいやと首を振る。

 

―――僕の目的は別にある。今回のこれは千草さんが失敗した時のためのあくまで保険として行っていたことだ。失敗に終わったというのならそれでもいい。一応、手に入れておきたかった触媒も手に入った。それに、そろそろ合流しなければならない時間だ―――

 

白い少年の手には風呂敷に包まれた童子切安綱があった。

彼はそれをこの策略と並行して行っている本命のある作戦の切り札として使うつもりだ。

無論、それは彼自身がその存在を知らない本当の言霊とは全く関係の用途に用いる。

 

それは誰しもが考えつくことでありながら、しかし、誰もが行おうなんて思いもしない。

人間であるのなら絶対にやらないこと。

 

かつて、平安の時代。

京の都において人を襲い人肉を肴に生娘の血で割った酒を飲み、暴虐の限りを尽くした鬼の頭領。

 

酒呑童子の復活に童子切安綱は使われる。

 

 

白い少年は音もなくその場を立ち去った。

残された羅漢狂気は彼を追うことも出来ずにその場に立ち続ける。

修学旅行において彼を中心とした物語はこうして解決を迎えながら、多大なる禍根を残し終わった。

 

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