アイシャ・ベルタスには『特異点』としての固有スキルは発現しなかったが、精神エネルギーの単純な操作技能に関しては固有スキル持ちをも凌駕していた。そもそも『固有スキル』とは精神エネルギーの操作技能を固有の方向に特化させたものであり、『特異点』の者たちが精神エネルギーの操作技能を訓練する過程で発現したケースがほとんどなのだ。アイシャの身に付けた操作技能はリオールの『接続』を介して共有され、他の『特異点』の成長の糧となっていたが、総合的な技能面で彼女に追いついた者はいなかった。それほどまでの能力差を、リオールはこう分析した。
「アイシャさんは……訓練を楽しんでますよね?」
「……お恥ずかしい話です」
観念したように目を伏せるアイシャを見てリオールは笑った。
「良いことですよ。『旧世界』なら気に食わない人もいるでしょうが、ここは一応エンドレスシティです。精神の昂ぶりがそのままエネルギー変換される、まさに“楽しんだもの勝ち”の『世界』なんですから」
よく晴れた昼下がり。今二人は、かつてリオールの両親が経営していたトウモロコシ畑にいた。アイシャはよく一人で、ここへ訓練しに来る。現在は無人化された農園のため、シティの住人が通りがかることもない。通りがかっても認識はされないが。
「自然に囲まれていると落ち着く、なんて言いますが、今のアイシャさんからはそれとは異なる高揚感が伝わってきます。いったい何をそんなに楽しんでいるのか聞いてもいいですか?」
リオールが冷やかしなどではなく、純粋な好奇心から尋ねているのがアイシャには分かった。
「私は、命を実感することが喜びのようです」
彼女自身、この答えがすんなり出てきたことが驚きだった。自覚はしていたが言語化を避けていた心の内だった。言葉は流れ出すように続いた。
「『旧世界』での私も、ある意味死人のようなものでした。激しい怒りや恨みで、何も感じなくなっていましたから……最近は訓練を通じて、最初に大事にしていたものを思い出せたような気がしています」
ふと、リオールは、アイシャの周囲につむじ風が巻き起こっているのを知覚した。アイシャ自身も風に気付いた。トウモロコシの揺れる音や空気の動きによる温度変化、土の匂いまで感じた。存在を失った『特異点』たちは五感が大きく弱まるのだが、二人は今、つむじ風を肉体があった頃と同じように“感じ”ていた。リオールもつい、言葉が流れ出た。
「なるほどこれは……楽しいね」
アイシャが微笑んだ。リオールが彼女の笑うところを見るのは初めてだった。
「人間を含めたあらゆる生物は自然の一部です。そういった自然の営みを感じることが私の生きがいであり、その機会を保つことを私の生き様としたかったのです……」
アイシャが『旧世界』の自分自身を憐れんでいるようにも見え、リオールはつい、余計な世話を焼いてしまった。
「……『特異点』全員を戦線に送るつもりはありません、もしあなたが―」
「戦いから逃げはしません、ソード様」
アイシャはいつもの隙のない表情に戻っていた。
「闘争も自然の営みの一部です」
シセ遼太郎を使った第二の実験で肉体を得た『特異点』たちは皆、精神エネルギーの操作技能が向上する傾向にあり、特にアイシャの操作技能はもはや『固有スキル』と遜色ないレベルに達していた。『旧世界』で様々な自然環境や野生動物に触れ、人間を含めた生物の持つ清濁それぞれの面を見てきた経験が活きたのだ。具体的には、アイシャは風や水の流れる向きや温度・人間を含めた生物の出す音や熱といったものすべてを、精神エネルギーの流れとして知覚できるようになった。デステニー・クロスロード二日目には、デュエルを通じて発生する精神エネルギーをアイシャ自身の体力や筋力や知覚能力に変換することもできるようにもなり、第29地区における闘いでは、潜伏していたロバート・J・常盤を何人も捕捉・追跡し、撃破した。二日目の晩には近くにいる人間の精神エネルギー状態やその変化をもある程度知覚できるまでになっており、“ある人物の企み”をも、微かに感じ取っていた。
◇◆◇◆◇
アイシャは自らを満たしていた喜びが怒りへと変わるのを感じていた。
「貴様は……『擬似空間』に入れないのではなかったか?」
常盤(ときわ)は大したことではないといった様子で答える。
「私が『疑似空間』に入れないのは『救助』を行うための制約のようなもの。シェルタープラネット内のすべての人命は『救助』が完了したため、制約を緩和できたのだ」
アイシャは思考を巡らせた。
(制約を“緩和”?“解除”ではなく?システムである『校正機能』は自己に関して不正確な表現を使わないはず……確認の必要がある)
「『救助』というよりもはや『感染』だな」
適当な返しをしつつアイシャはリオールへの『接続』を試みたが、
「言っておくが『接続』は不可能だ」
それは常盤に読まれていた。
「『疑似空間』および一定強度以上の『不定空間』は、肉体を有する『特異点』同士の『接続』を遮断する。ここで助けを呼ぶことはできない」
「救助を生業とする者が、そんな戦術を取るか」
(あの口ぶりからして、ここは『疑似空間』というより、ヤツの言う“一定強度以上の『不定空間』”なのだろうが……)
アイシャは皮肉を言いつつ状況把握に務めていたが、常盤の発した『不定空間』という単語が気になった。彼女が“初めて聞く”単語だった。
「私はリオール君のアドバイスを素直に受け入れることにした。君たち『特異点』は救助対象ではなく災害そのものだと認識を改め、あらゆる策を躊躇うことなく使うことにしたのだ。特にアイシャ・ベルタス、君に正攻法で勝つのは困難だからね」
「その策というのが、私に勝利寸前だったボロミア・ボークスの体を乗っ取り手柄を横取りする……というものか?エンドレスシティの価値観から言っても卑劣だという自覚はあるのか?」
「市民の安全はすべてに優先する。私の名誉や評価などよりもだ」
ここでアイシャはいちかばちか、カマをかけることにした。
「……つまりその覚悟の表れがこの『疑似空間』、いや『不定空間』というやつか。たしかに『創造者』の猿真似にしてはよくできているな」
常盤は明らかに、虚を突かれたような表情になった。
「何を言っている?これはもともとお前たち『特異点』の……」
言いかけて常盤は口をつぐんだ。彼の思考はある可能性にたどり着いていた。
(彼女に『不定空間』を知らないフリをする理由はない……本当に知らないのだ……もし『不定空間』の技術を『特異点』内で共有していないとしたら……?)
常盤自身も引っかかる節はあった。彼に流れ込んだリオールの記憶の中には『不定空間』という単語はおろかそれに近い概念すらなかった。開発者である大河美咲がこの技術を仲間に隠していたことになる。『校正機能』の探知を阻害できる、明らかに有用な技術を。
この時、アイシャも常盤の反応から思考を巡らせていた。
(あの反応……『不定空間』は我々『特異点』側から漏出した技術か?考えられるのは、別動隊の大河美咲が『疑似空間』を『改造』したものだが……昨晩の集会では彼女からそんなものを作った報告はなかった……まさか……裏切りか?!)
大河美咲はこれまで『模造』『改造』の成果はどんな小さなものでも『特異点』で共有していた。美咲自身が成果物の共有を良妻賢母の振る舞いだと考えており、『第2030番』への忠誠心を示す献身的行為とも位置付けていた。普通に考えれば“美咲が裏切った”とするのは腑に落ちない部分があるが、“美咲に裏切りをさせた者がいる”と発想を膨らませれば、アイシャには思い当たる人物が一人いた。
(リオール様に伝えなければ!何としてでも!)
しかしデュエルの勝敗はすでに決している。常盤は何の情も籠らない声で言った。
「いずれにせよ、君にはここで消えてもらう。永続魔法【燃え盛る大地】を発動!」
《発動時にフィールド魔法カードをすべて破壊する》
アイシャは思わずつぶやいた。
「デッキまで乗っ取ったか……」
もちろん彼女は、リオールとのデュエルの際ロバート・J・常盤が『救助』した勇者達のデッキを自分のデッキと同じ内容に書き換えていたことは知っている。だがそれでも、つい先ほどまで死闘を繰り広げた相手のカードが無遠慮に塗り替えられた様を見るのは不愉快だった。
「フィールド魔法【火炎鳥の領域(バーニングバード・テリトリー)】の効果をチェーン発動!」
《手札・デッキから鳥獣族か通常モンスター1体を効果を無効にし特殊召喚する。その攻撃・守備力は0になり、リリースおよび素材にできない》
アイシャのデッキから【火炎雛鳥(バーニングチック)】が特殊召喚され、直後に【火炎鳥の領域】が【燃えさかる大地】の効果により破壊された。【燃えさかる大地】にはスタンバイフェイズごとにターンプレイヤーへ500のダメージを与える効果もあり、残りライフわずか100のアイシャは次のターンで確実に敗北するが……
「何の真似だ?そんなカードを使わずとも勝てる状況のはずだ」
「市民のカードではなく、『校正機能』の力を行使することでこの『不定空間』は完全に私のコントロール下になるのだ。『疑似空間』のように敗者を精神エネルギーに変換、とまではいかないが、精神エネルギーの過抽出による昏睡状態、くらいは期待できるだろう」
「くっ……」
『疑似空間』を使用したエネルギー変換であれば、『特異点』には『上書き』などの復活手段がある。しかし昏睡状態となった肉体を仮に幽閉でもされてしまえば、『第2030番』との精神的・物理的な『接続』が困難となり、復活の望みは無いに等しい。常盤の策は代替手段のようで『特異点』への有効打であった。
「さらにスキル発動!【エンプティ・スペース】!」
「デッキだけでなくスキルも書き換えたか……!」
《場のモンスター1体と、このターン発動した【災い】系カードおよびデッキ・手札・墓地の【災いの結界像】1枚ずつをエクシーズ素材とし、EXデッキの【エンプティ継承名】1体を場に出す》
「私は場の【モリンフェン】と【燃えさかる大地】、デッキの【災いの結界像】の3枚をオーバーレイ!ダイレクト・エクシーズ・チェンジ!ランク5!【エンプティ継承名 地殻変動の結界像】!」
頭部が欠けた巨大な結界像。脚部には噴火、胴体には地震、両腕には津波を思わせるデザインが施されている。
《地・幻竜・エクシーズ・ランク5》《ATK1000》《ORU×3》
常盤が【エンプティ継承名】で止めを刺すつもりなのは明らかだった。アイシャは敗北すること自体を恐れも悔やみもしていなかったが、『特異点』内の裏切者の存在をリオールに伝えることはどうしても諦めきれなかった。
(考えろ、ここが『疑似空間』でないなら脱出の隙があるはずだ……そもそも『疑似空間』で敗者が精神エネルギーに変換されるのは、それが空間を解除するコストとして必要だからだ……一方で『不定空間』とやらは、ヤツの言葉を信じるなら、敗者を昏倒させる程度の精神エネルギーで解除できる……では部分的な解除や空間の弱体化ならどうだ?大量の精神エネルギーを一点に集中させ、域外へ抜ける“風穴”のようなものを作れば……脱出できずともリオール様への『接続』が可能になるのでは?)
スキルによるエクシーズ召喚は優先権が移らないため、常盤は続けて効果発動を宣言できる。
「【地殻変動の結界像】の起動効果を発動!」
《手札・場・X素材から【災い】系カードを任意の枚数墓地へ送り、その数だけ以下の効果から選択して発動する。
●エンドフェイズ毎に【エンプティ継承名】をコントロールしていないプレイヤーに500ダメージ
●場の他のカードをすべて破壊
●メインモンスターゾーンおよび魔法・罠ゾーンをそれぞれ3か所まで使用不能》
アイシャは『不定空間』を穿つタイミングを計った。
(ヤツの選択は破壊効果のはず、その効果処理の演出にまぎれる形で精神エネルギーの放出を行う!どの方向でも穴さえ開けば『接続』できるはずだが、宇宙を模した風景の中でもっとも貫通をイメージしやすいのは、見えない地面のような感触があるこの足元!ここを打ち抜く!)
アイシャが拳を固め、意識を集中させるために目を閉じた瞬間だった。
「これから止めを刺される顔には、まるで見えないな」
思わずアイシャが目を開けたのは、最後の賭けを見透かされたから……ではなく、その声の主がボロミア・ボークスのものだったからだ。
「なん、だと……?」
今度は常盤の声だが、かなり困惑しているのが分かった。彼の顔の左半分が灰色の液体となって溶けており、その内側からボークスの顔が剥きだしていた。
「常盤さんよぉ……事情はよく分からないが、今のあんたがとんでもなく“野暮”ってことだけは言わせてもらうぜ」
常盤の口元は灰色の液体が崩れたり覆い返したりを繰り返しており、その度に話者も声も変わる様子から、ボークスが常盤と肉体の主導権を争っていると分かる。
「なぜだ……君は『救助』したはずだ、ボロミア・ボークス!」
「デュエリストの真剣勝負はなあ!誰にも邪魔できないんだよ!!!」
常盤の左半身がどんどん溶け崩れていく。アイシャもこんな現象は見たことがなかったが、ボークスの精神エネルギーがどんどん高まっていくのを感じていた。すでに常盤の精神エネルギーは凌駕されている。
(観衆の中で激しい攻防や逆転劇を伴うデュエルを行った場合、膨大な精神エネルギーが生まれ、その一部はプレイヤーの肉体にも留まるが……まさかそれが『校正機能』のキャパシティを超えたのか?)
「フフッ……救えないバカ、とはこのことか」
「何笑ってんだ、決着はついてないぜ」
「貴様、そんな状態でデュエルを続けられるのか?」
常盤の精神エネルギーを凌駕したとはいえ、いまだに灰色の液体がボークスの体の半分を覆っている状態であり、常盤が主導権を取り戻すのは時間の問題に思われた。
「さすがにこのデュエルはきついな……ってわけで仕切り直しだ」
「何?」
「お前となら、次も必ず熱いデュエルになるはずだ……だから俺は……【地殻変動の結界像】の選択効果は、これにするぜ」
《●エンドフェイズ毎に【エンプティ継承名】をコントロールしていないプレイヤーに500ダメージ》
結界像から溶岩が噴き出し、両プレイヤーの足元まで広がっていく。この効果を選択することが何を意味するかアイシャにはもう分かっていた。
「相打ちか。私には好都合だが、貴様はそれでいいのか?」
「ハハハッ、デュエルの持ち時間があと10秒多かったら負けてた試合なんだ、どうせ勝った気はしねえよ!俺はこれでエンドフェイズに―」
「させるものかっ!」
常盤の声に戻った。灰色の液体がボークスの口元付近に集中しており、デュエルにおける行動宣言だけでも主導権を取り返すつもりだと分かる。アイシャは間髪入れずに叫んだ。
「墓地から【爆炎鳥(エクスプロージョンバード)】の誘発即時効果を発動!」
《場の鳥獣族1体を対象。それを破壊しこのカードを特殊召喚》
場に残っていた【火炎雛鳥】が破壊され、翼の燻る赤い鳥が舞い上がった。爆炎鳥はそのまま、地殻変動の結界像の肩に止まる。
「さらに【爆炎鳥】の誘発効果を発動!」
《相手ターン中に特殊召喚した場合、相手モンスター1体を対象に発動。それとこのカードを破壊する》
結界像が爆散した。しかし常盤の声は諦めてはいなかった。
「まだだ!エンプティ継承名の効果が残った状態なら『不定空間』は機能する!」
ボークスの場には永続魔法【モリンフェンの呼び声】があるため、アイシャに止めを刺すモンスターを復活させる選択肢が常盤には残されている。ここで先に声を発したのは、常盤でもボークスでもなく、アイシャだった。
「決めるのは貴様だ。ボロミア・ボークスよ」
ボークスの口元から、灰色の液体が弾ける様に散った。
「もちろん、ターンエンドだ!」
【地殻変動の結界像】の効果が処理され、溶岩が二人のライフを同時に焼いた。
《ボークス LP500→0》
《アイシャ LP100→0》
決着がついた瞬間、『不定空間』が崩れだした。風景の惑星や恒星が光の粒になって消えていく。さらに引き分けたせいか、アイシャ、ボークス両者の肉体も、精神エネルギーの抽出が始まっていた。しかしボークスはそんなことお構いなしとばかりに、大声で告げる。
「忘れるなよアイシャ・ベルタス!これは“仕切り直し”だ!必ずもう一度、お前とデュエルするぜ!」
アイシャの返事を待たずして、ボークスは全身を灰色の液体に覆われた。
(常盤も最後の意地を見せたか……ボークスの代わりに過抽出を受けるつもりだな……)
彼女自身も全身から精神エネルギーが引き抜かれていくのが分かったが、焦りはなかった。引き分けたことで精神エネルギーの抽出量が両プレイヤーで折半されているのが、彼女には知覚できていたのだ。数秒待つと『不定空間』の崩壊が進み、余力で容易にリオールに『接続』できるようになった。必要な情報を伝えきった直後、アイシャは自分の意識が薄れていくのを感じた。
(抽出量を軽減できたとはいえ、これだけ消耗すると回復には時間がかかるな……『特異点』としては戦線離脱だろう……だが……)
「ただのデュエルなら……また、いつか……」
◇◆◇◆◇
魔王城の四階で上級傀儡を倒したタイミングで、リオールは『特異点』同士の『接続』に一瞬の“乱れ”が生じたのを感じた。
「「アイシャさんの容体は?」」
分身からの視覚情報がすぐに届く。アイシャ・ベルタスとボロミア・ボークスが担架で運ばれていく光景だ。分身はさらに補足説明する。
「「精神エネルギーの過抽出で気を失ってるけど、重症というほどじゃないね。自然回復なら一日、『接続』で回復を促進しても半日はかかりそう」」
「「戦線離脱はやむなしか。でもまあ十分時間は稼げたし、ボロミア・ボークスをここで抑えられたのは大きい。南門を開放して、東門で父さんたちのサポートに回って」」
「「了解」」
リオールは倒した傀儡の残骸に腰かけ、考えをまとめていた。
(アイシャさんが最後に送ってきた情報は、ほぼノイズで解読不能だった……それに、『特異点』全体ではなく僕だけに『接続』している点も気になる……)
現在、リオールと『特異点』たちは常時『接続』中である。脳内でチャットアプリを使って会話するようなもので、リオール同士の会話は『特異点』全体に自動的に共有される。しかし『特異点』同士の会話の場合、リオールを経由する必要はあるものの全体に共有するかどうかは選択できる。アイシャが最後にリオールに送った情報は全体共有ではなくリオールただ一人に宛てられたものだった。
(敵の情報なら全体共有するはず……聞かれたくない人物がいるってこと?個人的なメッセージを『疑似空間』の解除と同時に送ってくるなんてのもおかしな話だ……それに精神エネルギーを直接使った通信に、物理現象であるはずの“ノイズ”が生じるなんてありえないんだ……)
なお、リオールの思考は分身体と自動的に共有されるが、会話する場合と異なり『特異点』には共有されない。アイシャからノイズだらけの情報が送られてきたことは、まだリオール達しか知らない。彼も嫌な予感がしていたのだ。
◇◆◇◆◇
デステニー・クロスロード運営、デュエルシステム管理室
イベントの中継映像でアイシャ・ベルタスをなんとか排除したのを確認し、不死鳥院静香は安堵のため息をついた……が、その十秒後に悲鳴を上げた。
「そんなのあり??!!」
「どうしたんだい、しずちゃん?」
ブラッディ・ホイールが尋ねると、不死鳥院は映像を切り替え、管理者用の画面を見せた。移っているのは魔王城内部、四階の様子である。
「これが魔王の上級傀儡ってやつだね……ありゃ、まさかこいつは、仲間割れかい?」
「そのまさかよ……」
不死鳥院が再び頭を抱える事態が起きていた。魔王城内部でリオール大河に倒された傀儡たちがまるで反旗を翻した様に仲間割れを始めたのだ。一階から三階までの傀儡たちは敵味方を問わず強制デュエルを繰り返しており、開放されたばかりの南門から入城した勇者プレイヤーたちがわけもわからず巻き込まれている。一部の傀儡は城を飛び出し外にいた勇者にデュエルをしかけ始めた。
「やられたわ……『特異点』の『上書き』がデュエルAIにも有効だなんて」
「城の中の傀儡は魔王を含めて全部AIなんだっけ?電源引っこ抜いちまえばいいんじゃないのかい?」
「自律行動を想定したドローンは家電とは違うのよ……停止命令は出してるけど完全にジャックされてるわね。アンティで勝ち取った傀儡の行動決定権を拡大適用させる形で従わせてるみたい」
城の四階ではリオールに倒された上級傀儡がリオールを援護する形で他の上級傀儡とデュエルを行っていた。リオールとのデュエルに負けた傀儡は行動決定権を奪われ、彼に服従する。強力な上級傀儡は階下に向かわせず自分の戦力としているようだった。
「ヒッヒッヒ、他のプレイヤーを足止めしつつ自分だけは魔王を討ちに行くって作戦かい。大した悪知恵じゃないか」
「感心してる場合じゃないわよ~、運営的にはこれトラブルよ、ト・ラ・ブ・ル!」
幸いにも実況中継用のドローンがまだ城内に入れておらず、仲間割れの混戦状態になっていることは実況者や観客にまでは気付かれていないようだった。南門から飛び出した傀儡と勇者のデュエルに皆の意識が向いている。ブラッディはあることを思いついた。
「しずちゃん、今ならこれが“仕様”ってことで通せるんじゃないかい?」
「何ふざけたこと言っ……待って、アリよそれ!その手があったわ!」
不死鳥院はホログラム画面で開いていたデュエルAI統括プログラムをそっちのけにして、イベント専用のデュエルシステム制御プログラムを起動した。
「『上書き』されたといっても所詮、傀儡の行動パターンが少し変わっただけ!勇者支援ボーナスとか銘打って強力なイベントスキルをどっさり配布すれば……ほら、バランス取れるわ~!」
魔王城の東西南北に位置する城門の周辺、および魔王城内部に大量の宝箱が出現し、それに気付いた実況が騒ぎ立てた。『魔王城開門記念!傀儡攻略キャンペーン』という、なり切りイベントの世界観にはそぐわない呼称だったが、勇者プレイヤーの士気と戦力は向上し、30分後には魔王城の三階以下で傀儡の仲間割れもほとんど見られなくなくなった。
「ヒッヒッヒ!勇者プレイヤーは自分たちが有利な状況なら傀儡の挙動が多少おかしくても気にならない!しかも勇者が傀儡に勝利して行動決定権を握れば仲間割れも自然と鎮圧できるってわけか!さすが!シティのゲームバランスを数十年いじってただけあるね!よっ、誤魔化し上手!」
「やだわぁ~、誤魔化すアイデア出したのはブラッディじゃない、この性悪ばばあ♡」
二人がはしゃいでいると、ホログラム画面に魔王城の東門・西門・北門が開放されたという通知が届いた。不死鳥院の表情が凍り付く。
「さ…三か所同時っておかしくない?47、48、49地区のエリアボスがほぼ同時に攻略されたわけ?」
「妙だねぇ、そんなド派手な展開にあたしらが“気付かなかった”なんて……いやあたしらだけじゃない……今日の中継、この三か所はどこか一度でも映ったかい?あたしがボケてなきゃ、ゼロのはずさ」
実際、実況は今なお南門を中心に映している。ようやく入れた魔王城の内部や、魔王城にはまだ遠い他の地区の様子も映像は届いているが、第47地区とそこに面する西門、48地区と北門、49地区と東門付近の映像は、どこにも見当たらなかった。
「こちら不死鳥院静香、常盤隊長?聞こえる?魔王城内に『特異点』が最低3人は入った可能性があるわ!」
不死鳥院が常盤に連絡し警戒するよう伝える間、ブラッディは中継映像を巻き戻して47~49地区の映像を探していた。彼女の見落としなどではなく、該当地区の映像は一つも見つからなかった。
(それだけじゃない、イベント三日目の今日、『特異点』たちの反応自体はあったけど……どのあたりにいたのかまるで“思い出せない”ねぇ……いくらあたしらの注意が南門に向いていたからとはいえ、こんなことあるのかい……?)
「連中の策なのは間違いないとして、そもそもなんで“三つの門”を“同時に”破る必要があったのかねぇ……」
ブラッディの独り言に、不死鳥院が切羽詰まった表情で答えた。
「それはねブラッディ、あの門を最初に突破した勇者に与えられるボーナススキルが、魔王の攻略の鍵になるからよ……」
◇◆◇◆◇
シェルタープラネット、第50地区、魔王城内部、3F
魔王城の三階は床が硬質ガラスでできており、二階の様子がよく見える。それに対して三階は窓も照明もほとんどなく、下からはほぼ見えない。一足先に三階まで上がったレイチェル光尊は、他の『特異点』達を待つ間、二階の大広間で勇者と傀儡が戦う様子を眺めていた。一階の上級傀儡は攻撃力や展開力に秀でたデッキタイプが多かったが、二階の上級傀儡は罠を多用し強固な耐性持ちで粘るデッキタイプが多い。さらにイベントステージ専用スキルにより、一定時間内に勝ちきれない勇者プレイヤーは一階に戻されてしまう。レイチェルは内心ほっとしていた。
(作戦が成功してよかった……『特異点』の私たちでもここをすんなり突破するのは難しかったろうね……)
5人の『特異点』と15人の分身リオールは城内に入ってから一度もデュエルをしていない。単身で乗り込んだリオール(と『第2030番』)が上級傀儡たちのプログラムを『上書き』し、後続の『特異点』たちをデュエリストと認識しないようにしていた。つまりレイチェル達はすべての上級傀儡を“素通り”してここまで上がってきたのだ。さらに付け加えるなら、上級傀儡だけでなく他の勇者プレイヤーたちも、彼女たちを認識していなかった。『特異点』の一人、キム・ウォルターの固有スキル『誤認』は、対象を認知・認識する人間の脳に小さな誤解をもたらす。またレイチェル光尊の固有スキル『順化』は、対象が与える違和感を減らし周囲に溶け込ませる。総勢20人の『特異点』たちが行進する様は、他の勇者プレイヤーからすると壁のシミや虫の羽音くらいにしか思われなかったろう。
レイチェルはイベント二日目の夜、『接続』を通じて行われた作戦会議を思い出していた。
「「46地区の南門が開いたという情報は、今夜中にすべての勇者プレイヤー達が共有するでしょう。明日はこの南門に勇者が押し寄せるはず……そこで、アイシャさんにこの南門を塞いでもらいます。奪っておいた門の開閉権を賭けて『通りたければ自分を倒せ』という具合に」」
「「まるで武蔵坊弁慶だね」」
「「レイチェルさん、その例えは日本人にしか通じませんよ……勇者たちを南門で足止めしている間に、僕は城内の上級傀儡にプログラムの『上書き』を行い、他の皆さんは手薄になった47地区西門、48地区北門、49地区東門から入城を目指してください。後ほど説明しますが、魔王の攻略にはすべての門を開ける必要があるはずです」」
ここでリオールの父、アンドラ・コナーが疑問を挟んだ。
「「陽動作戦なのは分かったけど、僕らの居場所は『校正機能』には筒抜けだよ?」」
「「ええ。そこであるトリックを仕込みます。キムさんの固有スキルで47地区、48地区、49地区全域を、“存在しない地区”として『誤認』させてください。難しいかもしれませんが完全じゃなくても構いません。他の勇者プレイヤー、中継用ドローン、『校正機能』たちが、この三つの地区を意識しない時間が少しでも長くなるように」」
今度はレイチェルが疑問を挟んだ。
「「無茶ぶり過ぎない?今までウォルター君は人や物しか『誤認』対象に設定してこなかったんだけど?!」」
ここで、リオールはさらに無茶ぶりを重ねた。
「「もちろん、『誤認』はちょっとしたきっかけで気付かれてしまいます。そこでレイチェルさんにも、この三つの地区を対象に『順化』を使ってもらいます。『誤認』した状態に人々を慣れさせるんです」」
「「いやいやそんなの......……ん?……なるほど、そういうことか……!」」
一人で急に納得したレイチェルに代わり、リオールが解説した。
「「皆さんも実感しているはずです。肉体を得てから時間が経つにつれ、各々の精神エネルギー操作技能が向上しているということに……今のウォルターさんとレイチェルさんなら成功させられると思いますよ。それに元から似た部分のある固有スキルなら、相互補完的な運用も容易い」」
ちょうどレイチェルが記憶の反芻を終えたタイミングだった。二階からの階段を、フードを目深にかぶった小柄な少女……を背負った状態の、アンドラ・コナーが上ってきた。そのすぐ後ろから、警戒するようにリオールの分身体が数人、続いて上ってきた。いずれも自身の勇者アバターを解除している。それを見て、レイチェル光尊は興奮を抑えきれない様子で言った。
「これで全員揃ったね!」
Bパートへ続く
あとがきやフィールド略図などは後日更新予定