プロローグ
ある日、俺は死んだ。
多分交通事故だったと思うがあまり詳しくは覚えていない。ただ物凄い衝撃と共に激痛が全身に走りそのまま気を失ったことだけは覚えている。
そして次の瞬間、目を開いた時に目に入ったのは原始的な家屋と粗末な着物を来た太ったおっさんの顔だった。
明らかに病院ではない、それどころか現代日本ではまずありえない光景に目を白黒させていると目の前のおっさんは俺に向かって話しかけてきた。
おっさんによると俺は戦争孤児であり、本当のところは奴隷になるところを里典であるーーどうやら村長のような役職らしいーー自分が面倒を見てやるのだと恩着せがましく何度も言ってきた。
おっさんがべらべらと話しているその間に俺はなんとか気持ちを落ち着かせて一つの推論を立てた。
ーーあ、これ最近流行りの異世界転生では? と。
テンプレである神様に出会った記憶は全くないが、死んだ記憶がある上自分の手足を見下ろすと子供どころか幼児くらいの大きさで明らかに自分のものではないし、目に見えるものの文化レベルが目に見えて低いことから俺は異世界に転生してしまったではないかと思ったのだ。
勿論、俺は交通事故で意識を失って病院で植物状態のまま妄想を見ているという胡蝶の夢説もないではないがおっさんの話す言語はどうも中国語に似ていてニーハオくらいしか中国語を知らない俺がこんな言語を妄想の中とはいえ作り出し、そして理解できるはずもないのでその線も薄そうだ。
そんなことを考えているとようやくおっさんは気が済んだのか話すのをやめ、やはり恩着せがましい様子で俺を家のわきにあるボロい納屋に案内してこの中で寝ろと言ってきた。
納屋の中は何もなく、あるのは申し訳程度に置かれた藁の束のみ。
現代人を自任して生きてきた俺はこの世界の文明の低さ、というより自分の身分の低さか? に絶望しつつ藁の上に身を横たえた。
こんなところで寝られるか、と思っていたがこの体は自分の予想以上に疲れていたのか気付けば瞼は重くなっていった。
意識を手放す瞬間、真っ赤に燃え上がる炎と誰かの名前を叫ぶ声が聞こえた気がしたが、翌日目を覚ますころにはそんなことはすっかり忘れてしまっていた……。
その後も結局俺は病院のベッドで目を覚ましました、なんてことはなく里典の下で下僕として生活していた。
はっきり言ってここの生活はきつい。日々の食料は本当に生きるのに必要最低限な量だけで味も劣悪だ。味なんて二の次だと思うかもしれないが日本での食事との落差がひどすぎて涙が出るほどに耐えがたい。
そして俺は里典の家の下僕という立場なので、里典であるおっさんやその妻、そして生まれたばかりの赤ん坊よりも身分が低く彼らの命令を聞き馬車馬のように働かなければならない。
その内容は多岐にわたり日中は農作業は勿論、井戸からの水汲みに薪拾い、荷物持ちや料理などの家事をやらされ日が暮れるとあの狭い納屋で月明りを頼りに草履を作るなどの内職をさせられる。
それを少ない食事だけですべて一人でこなさなくてはならないのだから一日が終わるころにはへとへとになって泥のように眠り込む。
辛いことばかりでいいことなんてほとんどないこんな生活には不満しかないが里典達にはなるだけ愛想よくしている。この状況で嫌われていいことなんか一つもないし、この幼い身の上では彼らの存在なくしては生きていけないのも事実なのだ。
そんな生活を送っていたからなんとかこの生活を脱してやろうと思うのも自然なことだった。
このまま人間以下の存在として生き、同じ下僕の女と結婚し、子も俺と同じように下僕として一生を過ごす。そんな想像をしただけで嫌悪と絶望を覚え、そしてその次にこの地獄のような生活からなんとかしてやろうという活力が湧き上がる。
とはいえ、俺が取れる道というのはとても少ない。一般人として生きてきた俺は未来の科学技術をこの時代の人にも認められるような形に落とし込めるだけの才能はないし、内政チートなんて夢のまた夢だ。そもそも金も地位もないせいでその計画を実行するどころか準備段階にすら辿り着けない。
ならば現代日本で受けた教育で受けた教養を武器に商人でもやってやろうかと思ったがそれも難しい。四則演算などの計算能力はこの時代大いに買われることは間違いないが、そもそもそれを活かすところまでいかないのだ。まずは商会に奉公に出ることで商人の道を歩み始めるものが多いが、奉公に出られるのでさえ一握りの人間だけだ。この村の里典の息子とて里典が相当無理して商会が頷くかどうか、というレベルなのだと村に来ていた行商人が教えてくれた。そんな状況でどうして俺が商人になれようか。
能力があるのだからそれを認めてくれたらいいのにとはおもうが、この時代、重要なのは能力ではなく信頼なのだ。誰がいつ商会の金を盗むともわからないものを雇おうと思うのか、悪いことしたやつらを絶対に警察が捕まえてくれる、なんてことはこの時代夢物語なので自衛するしかない。
そこで重視されるのがまぁ、一言でいえばコネだ。この人の紹介なら共通の利益があるので安心、とか裏切ったほうがデメリットが大きい、みたいな雇い主が信用できる合理的な理由が必要なのだ。多少無能でも裏切る動機のない者を雇うのは当たり前の世界で、どこの馬の骨とも知らない下僕を雇う商人がいるはずもない。自分で商会を立ち上げたところで同じだ。商品の仕入れも卸しもまともに出来ないだろう。
ならば真面目に下僕として働くか? それもだめだ。ちょっと働きが良いからと言って下僕身分から解放なんてされない。むしろこの生活に厳重に縛り付けられるだろう。
ほかの選択肢も俺が持っているものがなさ過ぎてどれも難しい。
もはやこうなってくると選択肢は一つだ。
ーー剣だ。剣を取るしかない。
少し話は変わるが今、俺が住んでいる国の名は秦という。他に周りには、燕、楚、韓、趙、魏、斉という国があるという。
少しでも歴史を知っている人ならピンとくると思う。そう、俺が生きるのは古代中国。それも春秋戦国時代と呼ばれる時代なのだ。つまり、時代の名前にあるように戦国だ。この世界が俺の知っている過去なのか、それともそれによく似たパラレルワールドかは知らないが戦争にあふれかえっている時代であるのは間違いない。
当然、戦争になれば人が死ぬ。民も兵も、そして将すらも。
つまり上のポストが空きやすいということだ。他の道に比べたら下剋上できる可能性が遥かに高い。
軍人として身を立てるのが今の俺が取りうる最善の選択肢だ。
ここでもやはり身分の低さはネックになってくるし、なによりも文字通り自分の命をチップに分の悪い賭けをつづけなくてはならない。何も得ずにただの有象無象としてゴミのように殺されるかもしれない、いや、そうなる可能性のほうが余程高いだろう。
それでも、そうだとしても俺は諦める気はない。
暖かい服に身を包み、飯を腹いっぱいに食い、風呂に入って、柔らかい寝床で眠る。そんな前世では当たり前だった生活をどうしても取り戻したい。
しかし、そんな当たり前もこの世界では一部の者にのみ許された特権なのだ。ならば俺が何が何でもその一部の者にまで成り上がってやる。地をなめ、血反吐を吐くことになってでも戦争で生き残り俺にとっての当たり前を掴み取るのだ。
そう決意を固めた後、ほとんど変わりない生活に一つ習慣が出来た。
それは仕事の合間、里典が家を空けているときや薪拾いや街に買い物に行った帰りなどに木剣を素振りすること。木剣と言っても、できるだけ堅い手ごろな枝を拾ってきてそれっぽい形に整えただけのものだがかなり重量があるし剣を振る筋力はつくだろう。初めは我ながら素人臭い動きだったが、しばらく振っていると我流だがそれなりに振れるようになってきた。
ある日、いつものように木剣を振っていると視線を感じた。
素振りを止め、視線を辿るとぼろい服を着た目つきの悪い少年が俺のことを見ていた。
こいつは先日、里典に家に連れられてきた戦災孤児で俺と同じ下僕だ。
「何の用だ、信」
「……何やってんだよ、漂」
信というのは少年の名で漂というのが俺の名前だ。二人揃って名字すらない如何にも下僕っぽい名前だ。
「見て分からないか? 木剣振ってる」
「っ、だから! なんでそんなことしてるんだって聞いてんだよ!」
ちょっとからかったらこれだ。からかいがいのあるやつだ。
こいつは見たとおりに直情型、直截的に言えばバカだが、素直でいいやつなのだ。
うがーっと怒っている信に苦笑して答えてやる。
「俺はこいつで成り上がるんだ」
「成り、上がる?」
「そうだ。信、考えたことはあるか? 俺たちはこのままだと一生里典の飼い殺しだぞ。俺たちの子も、孫もそうだ。下僕とは名ばかりで奴隷のような扱いから抜け出せない。そんなことが許容できるか? 俺は嫌だ。絶対こんな生活から抜け出してやる。そのための手段が、これだ」
そう言って手に持った木剣を揺らす。
信がじっと木剣を見つめる。
「……剣」
「そうだ。俺は戦場に出るぞ、信! そして武功を上げ、爵位を授かりこんな生活から抜け出してやるんだ!」
「……つまり、将軍になるってことか?」
「!!」
その言葉を聞いたとき俺に衝撃が走った。
多分、この時信は軍で高い身分イコール将軍、くらいの発想で特に深い意味があったわけではないのだろう。だが、俺は今までそれなりの身分になれればいいな、という程度で将軍なんて考えたこともなかった。
しかし、信の言葉を聞き、将軍になったことを想像しただけで、とてつもない高揚を覚えた。
俺は前世で交通事故に遭い死んだ。何も為せず、何者にもなれずに。
ただ平凡な人間として平凡に生き、そして平凡に死んでしまった。
それを再びの人生でも繰り返すのか……?
そんなのは絶対に嫌だ。
しかし、将軍になれたら、いや、将軍をも超えた軍人の頂にまで至れたならば。
俺はきっと歴史に名を残すことができるだろう。彼の偉業をなしたのは漂という男なのだと、百年後千年後の未来までささやかれ続けるのだ。
そう思った時魂が震えた気がした。
どうせ一度は失い、そしてたまたま拾った命だ。せいぜい生き足搔いてやろうではないか。
それにそんなつもりはなかったが、俺はこの体の持ち主から身体を奪ってしまった。もし身体と共に受け継いだ漂という名を残すことができたなら彼への贖罪になるかも知れない。
これはただの自己満足だが、夢のために生きる覚悟になる。
思わず口元を吊り上げながら信に言う。
「……いや、目指すなら将軍じゃ足りない。目指すは頂点。天下の大将軍だ!」
「ッ! 天下の大将軍ッ……!!」
「そうだ、信。一緒に目指さないか?」
その日、目をキラキラさせながら信は木剣を受け取り、俺と共に木剣を打ち合わせる日々を送ることになった。