今回の魏国への侵攻作戦の要は、魏の国境にある城、滎陽の攻略だった。
そのために俺たち秦軍は前線にあるいくつかの城に詰めてそこで軍編成を行い、それから滎陽へ攻め寄せる作戦である、とそう聞いていた。
しかし、戦場へ向かう途中、魏軍が城を打って出たという報告があったらしく目的地が二転三転して、結局俺たち歩兵属する第四軍は蛇甘平原というところに駆け足で向かっていた。
蛇甘平原というのは秦軍の根拠地である亜水と滎陽の中間あたりにある土地の事で名前にある通り平原だ。
つまり魏軍は防衛に有利な城を捨てて、平原での決戦を目論んでいることになる。
戦争というのは普通攻め手側が主導権を得られると言われている。攻める場所や時期を自由に決めることができるからだ。今回はその攻め手側にあたるはずなのに、今は後手後手に回っている。いい兆候とは言えないだろう。
「魏軍大将の呉慶将軍っていうのはよほど平地戦に自信があるんだな」
「そうですね、恐らく戦車隊を頼みにしているのでしょう」
俺がぽつりとつぶやいた言葉に蓮荷が返事をしてくれた。
「戦車隊?」
「ええ、魏は強力な戦車隊が有名ですから」
戦車隊か……。
話を聞くに戦車というのはチャリオットのことのようだ。騎兵よりは機動力が落ちるはずだがその分衝突力は大きいはずなので俺たち歩兵には天敵のような存在。
平原ということは遮蔽物も少ないはずなので避けるのも難しいだろう。
そんなことを考えながら歩いていると何か空気が変わったような感覚と共に、周りの兵たちが騒ぎ始めた。
何事かと思って視線を上げると、その先には多くの兵たちが戦っている姿が。俺はもうすでに蛇甘平原に着いていたらしい。つまりここはもう戦場だ。
まだまだ距離はあるというのにここまで熱狂が伝わりとてつもない迫力を感じる。
俺たちの到着を待たずに戦端が開かれているということは遭遇戦の様相を呈しているのだろう。今にも俺たちもあそこに参加することになる。
無意識のうちに政から新たにもらった剣の柄を握っていた。
いよいよだ……。
朱凶から奪った剣は王宮での激戦に耐え切れず折れてしまったので、また政から剣をもらったのだ。この剣は今は信が持っている剣を打った鍛冶師が作ったものらしくいわば兄弟剣ということになる。戦場を前にして命を預けるに足る武器だった。
「第四軍整列!!」
騒めいていた兵たちの前に騎乗した男が出てきて声を張り上げた。
「俺は千人将縛虎申!! これより軍編成を始める! 直ちに整列せよ!!」
縛虎申と名乗った千人将は困惑する歩兵たちに罵倒を浴びせながら指示を出すが兵たちの動きは遅い。
それもそのはず兵たちは未だに城攻めするという指示以外の指示を受け取っていないのだ。
俺は知り合いからある程度情報を得ていたし、魏軍や、この辺りの地理に明るい蓮荷もいたため平地戦になることを知っていたが他の歩兵たちはそうはいかない。
「お待ちください千人将、我らは城攻めするはずだったのでは!? なぜ既に蛇甘平原にて戦端は開かれているのですか!!」
歩兵を率いる百人将が口を開く。
それは当然の疑問だったが縛虎申はくわっと眦を釣り上げると叫ぶ。
「歩兵が戦の全容を知る必要はない!! 上官の命令通りに黙って従うのが歩兵の本懐であろう!!」
「し、しかし我らには何がなんだか……」
縛虎申の剣幕に腰が引けつつも食い下がる百人将だったが、それを見た縛虎申は顔を赤くさせてついには腰の剣を抜いた。
本気で斬る気か……?
確かに軍というのはいちいち歩兵に状況説明なんかをさせずに有無を言わさず行動させることも必要になる。いちいち一兵卒に伺いを立てていたら軍事行動なんて出来るはずもないし、その説明を聞いて兵が不満を抱いて反対ばかりでもされたら軍は動けない。
しかし今はそうしなければならないときじゃないはずだ。これくらいの質問で処罰していたら兵が委縮するだけだ。
「上官に口答えするか、貴様!!」
そういって剣を振り上げ、そしてついにそれを振り下ろそうとしたその時、縛虎申の腕が何者かによって捕まれた。
腕を掴んだのはその場にいたもう一人の千人将。それは見覚えのある顔、というか壁だった。
壁は反乱鎮圧の後、千人将となり今回の戦争に参加しているのだ。
因みに魏軍の詳しい動きなどは壁に教えてもらった。完全な情報漏洩なのだがそこは古代中華クオリティー。別に問題はないらしい。
というか壁が千人将になったということは蓮荷もそれくらいの地位を望めたということになる。横にいる蓮荷をちらりと見やるが俺の視線に気づいた蓮荷は不思議そうに首をかしげるだけだ。
……まぁいいか。
それはともかく、壁は縛虎申と言い争っていたがやがて歩兵たちの前に歩み出てきた。壁は固唾をのんで彼を見つめる歩兵を睥睨しながら口を開く。
「魏軍は我らの予想に反して滎陽から討って出た。それに対し我が軍も歩を進め昨日よりここ、蛇甘平原にて開戦に至った。僅かに先に到着した魏軍により丘の悉くに布陣されているうえ、我軍は平原に至っていない軍もあるため数的にも不利だ!」
壁は力強い視線で兵たちの顔を見渡す。
「現在、第二軍が目前の丘の攻略をしているが苦戦中! あの丘を取れば秦軍の勝利が近づく! そのため我ら第四軍も速やかに軍編成したのち、第二軍と共にあの丘を魏軍より奪取する!!」
壁の言葉を聞いた兵たちの目の色が変わり始めた。
困惑の表情から、戦意に燃える戦士の顔へ。
「状況は理解したな!? ならば槍を持て、剣を握れ!! その武器を持って魏兵の血で平原を朱く染めよ!! ーー諸君らの健闘を祈る!!」
堂々たる様子で壁がそう言って数瞬後、兵たちが喊声を上げた。
「「「「オオオオオオオオォォォォォーー!!!」」」」
先ほどまでとは比べ物にならないほど兵たちの士気が上がったのが分かる。
ともすれば気のいい兄ちゃんにしか見えない彼だが、大した指揮官ぶりではないか。壁もまた修羅場を潜り抜けた事で一皮むけたらしい。
そのとき、ふと壁と目が合った。
彼は覚悟を決めた男の顔をしていた。
「負けていられないな」
「……そうですね」
今や位は天と地ほどに離れているのだが、未だに部下のように思ってしまう壁の成長を嬉しく思っていると軍編成が始まった。
その結果俺は壁の部隊へ、信の伍は縛虎申の部隊へと振り分けられた。信もどうやら伍を組めたらしく、そのメンツは尾兄弟に中肉中背の伍長、そして俺たちより小柄に見える子供のようだった。
軍編成が終わると急かされるように突撃の準備がすすめられた。
「第四軍壁隊整列!!!」
指示に従って隊列を組む。
幸か不幸か、俺の伍が配置されたのは最前列。相対する敵兵の顔すら判別出来る位置で指示を待つ。
こんなに近くで見るとやはり中々迫力があるな。
とはいえ、王宮脱出の際に王騎将軍の部隊に突撃をかました経験があるからか緊張で身を固くするような事にはならなかった。
伍の面々見ても、やはりどこか余裕の表情。
緊張の色を隠しきれていないのは東石だけだった。
「大丈夫か、東石」
「だ、大丈夫じゃねぇよ……。今から殺し合いをするんだぜ。怖いに決まってるだろ」
「仲間を信じろ。みんな手練れだからな、お前を守るくらいどうってことないさ」
「ま、守られてばっかでいられるかよ。俺だって男だ、やるときゃやるぜ」
「おう、東石。その意気だ」
未だにがたがたと身体を震わせつつも槍をしっかりと握る東石に、鯉郭がバンバンと背中を叩きながら「漂さんについて行けば何とかなるっすよ!」などと言っているのを横目に魏軍を見やる。
敵歩兵は、盾により前面を覆いその間から槍を突き出すファランクスのような陣形を取っている。堅牢そうな陣形だ。
そうこうしているうちに陣容は整ったようで壁が声を上げた。
「全軍構えよ!!」
いよいよ始まる……。
息を吞むのも躊躇するような緊張感に満ちた沈黙があたりを覆う。周りの兵たちの呼吸音がうるさかった。
何時間にも感じる数秒ののち、指揮官が手を振り下ろした。
「全軍突撃ィッッーー!!!」
「「「ウオオオオオオオォォォオオオッーーー!!!!」」」
その指示に合わせ俺も駆けだした。
徐々に詰まる敵兵との距離。走っている俺の視界に気になるものが映った。
それは俺の視界の右側で他の歩兵を抜き去って敵兵に向かって突っ走る一つの影。よく見るとそれは信のものだった。
信は魏軍の重装歩兵の構える盾を跳躍してかわすと、後ろの兵たちを吹き飛ばし、あっという間に戦列に穴を開けてしまった。
それを見て思わず苦笑が漏れる。
俺の親友はどこまでも規格外らしい。勿論、俺もそれを見ているだけで終わらせる気はなかった。気を引き締め、走りながら伍の仲間たちに向かって声をかける。
「ハジム!! 俺と一緒に戦列をこじ開けるぞ!! 蓮荷と鯉郭はその穴を広げろ!! 東石はその後ろから槍で皆を援護だ!!」
「「「「応!!」」」」
歯切れのいい返事と共に伍の面々が足を速める。
ほかの歩兵たちよりも前に出て走り抜ける。
敵の元に最も早く辿り着いたのはハジム。
ハジムは走りながら腰に帯びた二本の曲刀を引き抜き両手で持つとそれを振り上げた。
「ゴアアアァァアアッ!!」
ハジムの身を凍らせるような叫びと共に振り下ろされた二本の曲刀はなんと盾ごと魏兵の体を切り裂いた。
それを見て明らかに怯み盾を下げた横の敵歩兵に向かって、追いついた俺が思い切り剣を振り下ろすッ!
政から貰った名剣は容易く歩兵の腕を切り落とした。
ぼとりと腕と共に盾が落ちたので歩兵の腹に蹴りを入れてさらに横にいた兵をぶつけ体勢を崩す。追いついた蓮荷がもみあいになった兵士二人纏めて剣で串刺しにするのを横目に奥にいた次の兵を袈裟掛けに斬り伏せる。
突如現れた俺に対抗すべく素早く剣を引き抜いた兵の斬撃を俺が剣で受けた瞬間、鯉郭がその兵に跳び蹴りをかまし、体勢を崩したところを東石が槍を突き入れた。
即席の伍だが中々いいチームワークじゃないか。
俺たちが開けた戦列の穴に他の兵たちもなだれ込んできてあたりは混戦になってきていた。
「何をしている! 入り込まれた秦兵はまだ小勢だ。盾で囲んで槍を以って突き殺せ!!」
その時俺の耳に飛び込んできたのは、魏兵へと向けた的確な指示。
今は敵兵も混乱しているため組織だった抵抗は受けていないものの、付近の戦力比は圧倒的に俺たちの分が悪い。
そんな指示を出したのはどこのどいつかと首を振ると、慌てる兵士に声をかけ続ける甲冑姿の敵指揮官が見えた。見た目からして恐らく百人将かそこら。
こういう場面にこそ有能な敵の頭を潰すべきだ。
「ハジム、手を貸してくれ!」
「分カッタ」
ハジムも状況を把握していたのだろう。
すぐに双剣を腰に戻すと手を組み合わせ掌を上に向ける。その間、ハジムの援護に蓮荷たちが入る。
俺はハジムのほうに向かって走ると跳躍、ハジムの組んだ掌の上に足をのせるとハジムがぐっと腕を跳ね上げた。すると俺の体はそれに従って空中に弾き飛ばされる。無論向かう先は敵指揮官の元。
空中で体勢を整えながら剣を両手で握り込む。
敵指揮官は飛んできた俺に一瞬唖然とした表情を浮かべたがはっと表情を引き締めるとすぐに槍を捨て腰の剣を引き抜いて構えた。
だがそんなことには構わず俺を全力で剣を振るう。
「セアアアァァァアアッッ!!!」
俺の斬撃は構えた剣ごと敵指揮官の身体を切り裂いた。
それでもなお抵抗しようとしていたのでもう一度剣を振るって首を跳ばす。即死したことを確認して息を大きく吸う。
「敵将、この俺が討ち取った!!」
こいつが本当に将官かは分からないがこういうのは言ったもの勝ちだからな。
俺の言葉が辺りに響き渡ると明確に我軍が活気付き、敵兵の勢いが衰えた。
よし、この勢いのまま押し込んでやろうと次の標的を探し始めたその瞬間、俺たちの出鼻をくじくように辺りに凄まじい轟音が聞こえてきた。
ぱっと顔を上げると左手のほうに大きな砂塵が見えた。
「漂様、大丈夫ですか!?」
「あぁ、俺は問題ないが……」
いつの間にか近くまできていた蓮荷が俺に声をかけてきた。というか、伍の皆も近くにきていた。皆無事なようだ。
砂塵に気を取られているうちに敵兵の姿が見えなくなっていることに気が付いた。
「……ありゃまずいっすよ、漂さん」
砂塵が辺りを包む中、目を凝らして砂塵の奥を見ていた鯉郭が声を上げた。
それを聞いて俺も鯉郭が見ているほうに顔を向ける、が、俺の目で直接何があるのかを確かめるよりも前に俺たちよりも左手に布陣していた秦軍歩兵たちの悲鳴によってその正体が明らかになった。
「うわあああああッ!!」
「せ、戦車隊だあああぁぁぁッ!!!」
砂塵の奥にかすかに見える影は俺たちを轢き殺さんとせまる戦車の群れだったーー。