漂雲記   作:古本

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二つの型

 

 

 後方へと去っていく歩兵たちを見送り、辺りを見渡してみる。気付けばこの戦場には秦軍の騎馬隊殆ど集まっているようだった。

 多くの騎馬が集まり戦う光景は壮観ではあったが、秦軍が優勢なのかというとそうでもなかった。

 

 騎馬隊の大軍が集まって来ているとは言え、近くにいる部隊から順にここに駆け付けたせいで一斉に騎馬突撃、という訳にはいかなかったし魏軍の歩兵はしっかりとした戦列を組んでいるため、いくら歩兵に優越する騎兵と言えど一気に粉砕出来るわけではなかった。

 というかただ単に突撃させるだけで陣を組んだ歩兵を崩せるならみんなそうしている。

 

 麃公将軍ーー俺たち秦軍の総大将だーーはどう考えているのだろうか……。

 

「漂、見テミロ」

 

 ふと、ハジムが声を上げた。

 歩兵たちとは分かれたが馬に乗れる者たち、俺のほかには蓮荷、鯉郭、ハジムの三人はこの場に留まっている。それはともかく……。

 

 ハジムの指さすほうを見ると目の前の丘の上に先ほどまであったはずの魏の旗が倒されているーー。

 

「おぉ、信たちが本当にやったのか!!」

 

 どうやら縛虎申率いる突撃隊は丘に布陣していた魏軍副将を討ち取ったようだ。

 これを多くの者が見たらしく辺りが騒めきだし、次いで戦場全体も大きく動き始めた。

 

 まずは本隊からの伝令兵が来てこの場にいる騎兵隊全体に目の前の丘を上り布陣すべし、という命令が。そして、別の丘に布陣していたはずの呉慶将軍率いる敵本陣が目の前の丘に向けて動き出したという報告が入った。

 

 これからどう動くのか、壁に聞こうとしたその時に首筋がちりちりとする妙な感覚がしてばっと後ろを振り返る。遠くに見えたのは予想だにしないもの。

 

「漂様、どうかしました……か……」

 

 蓮荷も俺の行動を見て後ろを振り返り、やはり絶句した。

 俺たちが目にしたものは、俺たちの背後に位置する断崖絶壁。そしてその上から戦場を見下ろす王騎将軍その人だった。

 

 彼はこの戦争には参加していない。どころかここ数年、戦場に出てすらいないと聞く。つまりこんなところにいるはずのない人物だ。

 そんな彼がなぜ……。

 

「あれは、王騎将軍……!!」

 

 壁も気が付いたようだ。

 王騎将軍を見て思い出すのは、王宮からの脱出。王弟勢力に与しているわけではないのに俺たちに襲い掛かってきた相手だ。王宮で政と話していたようだが……。俺たちにとって因縁浅はかならぬ存在。

 

 何にせよ、意図の読めない相手だ。

 

 じっと彼を見ているとやがて動きを見せた。

 なんと王騎将軍は断崖絶壁を騎馬のまま駆け下り始めたのだ。それに続く王騎将軍の私兵軍。この場には王騎将軍のみならず王騎軍がいることとなる。

 そんな王騎軍が目指すのは信が落としたばかりで両軍が目指している、今や台風の目となった丘であることは明らかだった。

 

「へ、壁隊!! 突入した友軍に続け!!」

 

 壁が号令を発する。

 王騎軍に便乗して丘まで駆け上がる気なのだろう。壁の号令に従って彼率いる騎馬隊が動き始めたので、俺たちもおいて行かれないように馬を腹を蹴った。

 

 俺たちは王騎軍の後ろについて行ったのだが……、王騎軍の戦いぶりはすさまじいものだった。

 彼らの武器が一振りされるたびに敵兵の首が一つ飛び、騎馬の濁流を止めようと目の前に立つ歩兵は一瞬で馬蹄に踏みつぶされた。その勢いを止められるものはない。

 まさに無人の野を往くが如し。というか……。

 

「前より、強くないか……?」

 

 思わず口からついて出た言葉。

 数か月前、俺が政の影武者として王宮から脱出した時に、彼らに追いかけられたのだがあの時はこれほどの脅威は感じなかった。今ほどの勢いで迫られていたならばとてもじゃないが俺たちは逃げ切れなかっただろう。

 

「そう言えば殿から聞いたことがあります」

 

 あの時共に王騎軍からの逃走劇を演じた蓮荷が口を開いた。

 その視線は王騎軍に固定されたまま。その表情は畏怖が張り付いている。

 

「将軍自ら先頭を行くとき王騎軍は鬼神と化すと……!!」

 

 蓮荷の口から飛び出したのはそんな言葉。

 その時、俺の中で何かが腑に落ちたような気がした。

 

 ーーそうか、あれが、あれこそ将軍が率いる軍隊。個人の武勇だけに非ず、率いる兵たちをの力を何倍にも引き出す何かを将軍は持っているのだ。

 

 王騎軍について行っているといつの間にか、俺たちは丘の頂上にまで辿り着いていた。

 頂上には最早数人しかいない縛虎申隊の兵に、全身から血を流し虫の息の縛虎申、そして傷を負いながらも元気そうな信の姿があった。

 

「信!! 無事だったか!!」

「漂!? なんでこんなとこにいんだよ!?」

 

 無事な友の姿に思わず馬から飛び降り駆け寄って声をかける。激戦であったことは間違いないので信じてはいたがやはり心配だった。

 信も驚きながらも嬉しそうな顔をしている。

 

 再会を喜んでいるとぬっと俺たちの顔に影がかかった。

 振り返ると、すぐそばに王騎将軍が立っていた。思わず身構えてしまう。

 

 これまで幾度かすれ違ったことはあれどこんなにも近くで見たのは初めてだ。大きすぎる。至近距離で見て思う。

 体格はもちろんだが何よりも存在感が大きすぎて目の前の人物が見えてこないのだ。

 

「おやぁ、もしかして昌文君の言っていた童たちとは貴方たちのことですか?」

 

 王騎将軍が不意に俺たちのほうを向いた。

 

「名前は確か、信と漂!」

 

 横で信がピクリと身じろぎしたのが分かった。

 

「道理で二人とも遠目にも目立っていましたが……はっきり言って期待外れもいいところでしたねぇ」

「な、何だとオッサン……俺たちが弱ェっつてんのか!?」

「コココ、その通りです」

 

 ギリっという歯ぎしり、そして信がばっと剣を抜いた。

 

「じゃあ試してみっかよ、オカマ巨人!!」

「おい信、止めろ!」

 

 慌てて止めるが信の視線は王騎将軍に固定されたまま。

 確かにギャグキャラみたいな見た目をしているが王騎将軍の実力は間違いない。間違いなく俺が出会った中で最強の男。

 彼がその気なら俺たちは一瞬のうちに切り捨てられる。警戒しながら王騎将軍を見ていると矛を持つ腕が一瞬動いた気がした。

 

「……ッ!?」

「元気はいいですが……あなたさっきからずっと死地に立っているんですよ。分かっていますかァ?」

 

 気付けば王騎将軍の持っていた矛は信の首筋に当てられていた。多少距離があったために俺は若干動きが見えたが信には矛が瞬間移動したようにすら見えただろう。俺も全く反応できなかった。

 

「てめェ!!」

 

 信はばっと後ろに飛び間合いから外れ、そして再び剣を構えて王騎将軍に突撃しようとしたので慌てて襟首を掴んで止める。

 

「止めろ、馬鹿!!」

「放しやがれ!! あいつは俺たちを馬鹿にしやがった」

「控えろ!! 信、漂!!」

 

 言い争う俺たちに向かって喝が飛んできた。壁だ。

 動きを止めた俺たちを見ると壁は王騎将軍の前まで歩み出て拱手した。

 

「我が兵の無礼をお許しください、王騎将軍」

 

 王騎将軍の視線が注がれ、冷や汗を流しながらも壁が続ける。

 

「王騎将軍、現在我らは丘上におり地の利を得ております! その上王騎将軍が我らを率いたならば呉慶軍に必ず勝てます!! 直ちに我ら全軍を率い突撃の指揮を!!」

 

 皆が固唾を吞んで見守る中、王騎将軍はココココと不気味に笑い、口を開いた。

 

「残念ながら私は援軍に来たわけではありませんよ壁副官。それにあなた、必ず勝てると言いましたが……、それは少々呉慶将軍を見くびりすぎですよォ」

「あっ、敵軍が陣形を変えました!!」

 

 その時、丘の上から魏軍の動きを監視していた兵が声を上げた。

 それは防御を整えた陣形。王騎軍が来たことでこの丘に秦国旗が立ったのだが、それをみてすぐさま今までの突撃体勢から防御を固める陣に移行したのだろう。

 そちらを見ることもなく王騎将軍は続ける。

 

「戦場の変化をすぐさま察しそれに即応する軍才、そして自ら先陣を往く武勇も兼ね備えています。彼は間違いなく列国の脅威となる名将ですよォ」

 

 それを聞いた兵たちに緊張が走る。

 ふと、一人の兵が声を上げた。それは王騎将軍の話を聞いた多くの兵の胸の内を代弁したもの。

 

「そ、そんな……数も俺らより多くてそれを率いている大将もすごいんなら俺たちヤバいんじゃ……」

「ンフフフ、数は関係ありませんよォ。この戦いは初めからそういう話ではないのですから」

 

 そう言いながら王騎将軍は馬を少し進ませ、戦場を見下ろせる位置に移動し、また口を開いた。

 

「武将には二つの型があると言われています。一つは呉慶のような『知略型』、そしてもう一つは野生の直感で戦うような『本能型』。麃公さんは後者に分類されます」

 

 そこまで言った後、王騎将軍が再び俺たちに視線を向けた。

 

「童 信、それから童 漂。私と一つ賭けをしませんかァ? 『知略』が勝つのか『本能』が勝つのか」

 

 王騎将軍からの突然の問いかけ。

 思わず信と二人、ごくりと唾を飲み込む。しかし、俺たちが口を開くよりも先に壁が俺たちを止めた。

 

「王騎将軍!! 今は戦場の真っ只中。戯言を言うのは止めていただきたい!!」

「……戯言とは心外ですねェ。『知略』対『本能』! これは武将の中の永遠の題目ですよォ」

 

 永遠の題目。二つの武将の型。

 正直十分に理解できているわけではないのに、何故か王騎将軍の言葉が俺の胸に深く刻まれる。

 

「壁千人将!! 麃公将軍が自ら騎馬隊を率いて足元を疾走中です!!」

「何っ!?」

 

 そこでもたらされる衝撃的な報告。

 急いで眼下に目を向けるとそこにはなるほど確かに騎馬隊が魏軍に向かって行くのが見えた。そしてまさにその先頭を往くのが麃公将軍。こんなにも距離があっても間違えようのない存在感。あれが将軍、あれこそが将軍。

 

 それにつられるように別の丘に布陣していた魏軍も動き出した。いよいよ戦争も大詰めという感じだ。

 

「ンフフフ、相変わらず麃公さんは最後は大炎の中心にいなければ気が済まない人のようですねェ。長き戦乱において軍の規模は膨張し続けていますが、そうして数が増えるほどにそれを率いる将の力量が問われるようになりました。つまり、戦は結局武将のものです」

 

 戦は武将のもの……。

 俺が王騎将軍の言葉を咀嚼している間にも事態は動き続けている。

 

 麃公将軍が防御を固めた呉慶軍に突っ込んだのだ。

 堅牢な陣を組まれ、攻めあぐねるとみられていたその突撃はなんと一瞬で敵陣を食い破り、破竹の勢いで呉慶将軍に向かって一直線に騎馬隊を進める。誰もが予想しえなかった驚異的な突破力だった。

 しかし、敵陣の外円を突破したとはいえ、呉慶将軍に至るまでにはまだまだ多くの敵兵が控えておりそれを指揮するのは名将たる呉慶将軍。凄まじい突撃を見せる麃公将軍といえどどうなるかは全く分からなかった。

 

「呉慶が戦場を論理的な盤面で考えているとすると、麃公さんは戦場を燃え盛る火だと捉えています。その火力が最大になった今を彼が見逃すはずがありません!! 麃公さんの武力は呉慶の予想よりも上。しかしながら麃公さんもまた呉慶の策略を見切っているわけではありません。これぞ、『知将』対『猛将』の戦いですよォ」

 

 どこか楽しげにすら見える王騎将軍の言葉を聞いているうちに、王宮からの脱出で兵を率いているときに漫然と感じていた何かが急速に肉付けされていくような不思議な感覚がした。

 その言語化できない何かがはっきりとした形を取る前に、壁の大声によって俺の思考は中断された。

 

「王騎将軍! 戦は決して武将だけのものではないぞ!! 壁隊!! 麃公将軍の援護に行くぞ、突撃体勢を取れィ!!」

 

 そういうと壁は戦場に向かうべく、騎馬隊に指示を出し始めた。

 それを見て俺も急いで馬に飛び乗り、蓮荷たちに声をかけて準備を進める。

 

「おやァ、童 漂はもう行くのですかァ?」

「……ええ」

「ま、そうでしょうねェ。あなたには私の話など聞いている暇などないでしょうから」

 

 その意味のつかめない言葉に思わず王騎将軍の顔を見るが、彼のアルカイックスマイルからはなんの感情を読み取れなかった。

 だが、それに気を取られている暇はなかった。いよいよ壁が騎馬隊を動かし始めたのだ。

 

「恐らくこれが最後の戦闘だ! 総員、死力を尽くせ!!」

「「「オオオ!!!」」」

「出陣!!」

 

 置いて行かれまいと俺も馬の腹を蹴って走り出す。

 

「信、先に行っているぞ!」

「あ、ああ」

 

 信の返事を聞きながら俺は蓮荷たちと共に丘を駆け下り始めた。

 

 

 

 

 

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