信たちと合流してしばらく、俺たちのものとは異なる微かな足音が聞えた。
意図的に音がならないように押し殺されたそれは暗殺者の者に他ならない。そしてその足音はすぐ傍から聞こえていた。
その瞬間、暗闇から凶刃がきらめき、そしてそれを信が剣を振るうことで防ぐ。
信の身体越しに見えた敵の姿は、闇に紛れやすいように暗褐色の服で全身を包んでいて、獲物は腕部から手甲に取り付けた鉤爪のようだ。鉤爪は視認されにくくするためか黒く塗られている。
「……我ら黒爪の初撃を受けるか」
「ハッ、こんな攻撃で俺をやられるかよ」
信が不敵に笑うその向こうで、いくつかの影が揺らめいていた。
「……どいつが若王だ」
「知らんがガキを全て殺せばそれでよかろう」
黒爪と名乗った暗殺者たちが不穏な会話をしている中俺は観察を続ける。
彼らの数は十人程。はっきり言って負ける気はしなかったが、信たちと協力しても鎧袖一触に倒してすぐさま移動をすることは難しいだろう。
そして敵はどれが政なのか分かっていない。
こんな場面にこそわざわざ大王の衣装を着てきた意味が出てくる。少し喉を鳴らして調子を確かめると、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
「んんっ、ひょ……」
「「ひょ?」」
「ひょえ~~っ! こんなところにも刺客が紛れ込んでおるではないかっ! よ、余は逃げるぞ、貴様らがこ奴らの足止めをせよっ」
出来るだけ情けない声を上げて、俺は一人ひょこひょこと駆けだす。進行方向とは別の方向に向かって。
突然奇行に走った俺に呆気に取られている様子の皆を横目に、政に目くばせする。彼ならば俺の意図することを分かってくれるだろう。
「っ! あいつが大王だ! 追えッ!!」
信たちと同じく、唖然としていた暗殺者たちだが、俺が走り出してしばらくするとようやくハッとして俺を追って走り始めた。
ちらりと後ろを見やって確認するとどうやら俺のほうに向かってきたのは八人のようだ。全員付いて来てくれればと思っていたが流石にそう甘くはなかったらしい。
まぁとはいえ、二人だけなら信だけでもすぐにカタはつくだろうから俺は仕事を果たしたといえるだろう。今は政を逃がすことが先決だ。
適当に走り回っていると、すぐに行き止まりに差し掛かったので足を止めくるりと後ろを振り返る。
俺が逃げ場をなくしたのだと確信した黒爪と名乗った暗殺者たちが愉悦を声に乗せて話しかけてくる。
「くくくっ、つくづく運のない王だな、貴様は」
「全くだな。逃げれば袋小路、護衛のガキどもには見捨てられるときた。このざまでは流石に同情を禁じ得ん」
その言葉に嘘はないのか僅かに除く双眸からは同情の光が見える。
ここまで上手く行くとは、思わず笑みがこぼれる。
「ふっ、生憎だがお前たちに憐れまれる理由はないぞ」
「何……?」
先ほどまでの俺の様子と異なり落ち着いていることに気が付いたのか彼らは不審そうに俺のことを見ている。まぁ、さっきの俺の逃げっぷりは自分でいうのもなかなかのものだった。彼らには温室育ちで臆病ものの若王にしか見えなかっただろうからな。
そんな俺が追い詰められた事態にかかわらず落ち着いているのは不可解だろう。
「……ま、まさかッ! こいつはただの囮か!! 急いで先ほどの場所までもどっ」
やっと気づいたのか、顔色を変えた一人の男が仲間に警句を発しようとしたがそれを言い終えぬうちに、男の胸から短剣が生えた。
「なっ!?」
どさりと男の体が倒れ、その奥から姿を現したのは朱い装束の少女、紅炎だった。
「い、いつの間に!?」
「……ずっと貴方たちの後ろにいたけど」
ぬらりと濡れる短剣の血を払いながら何でもないことのように言う少女に黒爪たちに動揺が広がるのが分かった。
しかし、そんな中で真ん中に立つ男が一喝する。俺に憐れみの目を向けてきた男で立ち居振る舞いや隙の無さから窺える実力の高さからして恐らく彼らの当目のような立場なのだろう。
「狼狽えるな! 所詮はガキが二人。我らの敵ではない、さっさと片付けて置いてきたガキどもを追うぞ!!」
「「「お、おう!!」」」
頭目が声をかけると周りの奴らもはっとして腕部につけた鉤爪を構えた。
前方にいた三人が俺に向かってくる。残りは紅炎に向かっていったがこれは彼らに気づかれず背後を取っていた紅炎への警戒度の高さを窺わせる。
俺も向かってくる敵に備えて剣を引き抜き構えた。
最初に攻撃を放ったのは左方の敵。
その右手を振るっての攻撃を剣で受ける。甲高い金属音と共に俺の剣が黒い鉤爪を受けた。追撃に移ろうとした瞬間、攻撃を受け止めたはずなのに肩に鋭い痛みが走った。
「ッ!」
「ふっ、かかったな。我らの爪は伸縮自在。何人たりとも我らの爪から逃れることはかなわない」
咄嗟に地面を蹴り、後ろに下がるとそんな声が聞こえた。
くそっ、彼らが暗殺者である以上この類の暗器は警戒しておくべきだった。しかし、肩の傷は浅く、自らネタバレしてくれたおかげで再び同じ手には食わない。
そうこうしているうちに三人の敵が同時に攻撃を仕掛けてきた。左の敵は先ほどと同じく腕を振るってきており、右の敵は蹴りを繰り出そうとしている所だった。真ん中の敵は波状攻撃のためか少し後ろに位置しつつ爪を構えていた。
蹴りならば致命傷にならないだろうと考え、左の敵を最初に対処ーーしようとしたその時、右の敵の足先がちらりと光るのが見えて俺は動きを急変させた。
左の敵に剣を向けていたのをぐるりと体を捻り、半回転することで鉤爪の攻撃を避けつつその勢いのままに下方に向けて斬撃を放つ。
ーー狙いは右の敵の蹴り脚。
急激に動きを変えた俺に対応しきれず右の敵はそのまま蹴りを放った。結果自らの足で剣を向かえるような形になり、俺の剣はするりと敵の脛に入る。そして鋭い刃物はなんの障害もなかったかのように暗殺者の右足を両断した。
「グアアアァァあぁ!!!」
凄まじい悲鳴を上げた男は片足を失ったことでバランスを崩しその体がぐらりと倒れる。その方向にはたまたま中央の敵がいたのでこの好機を見逃すまいと切っ先を前方に向けたまま突進する。
ずぷりと剣は暗殺者二人の体に入っていき、足を飛ばした暗殺者は即死。後ろにいた敵には致命傷とは言えずともかなり深い傷を与えられた。
剣を引き抜き、暗殺者の死体を遮蔽にしながら、ちらりと先ほど飛ばした片足を見るとその靴の先に刃物が取り付けられていてしかもその刃物は液体に濡れていることが分かる。毒だ。
これが見えたから俺は先に蹴りの対処をせざるを得なかったのだ。
恐らくこれが彼らのやり口。つまり、爪による攻撃が本命だと思わせておいて足に取り付けた暗器により致命傷を負わせるという戦術だ。鉤爪のギミックをばらしたのもそこに意識を誘導するための餌だったのだろう。
暗殺者らしい巧妙な仕掛けであり、俺も危うく屍を晒すところだったが種が割れてしまえばなんということはない。
仲間を殺された動揺を押し殺して三度攻撃を仕掛けられたが一人は重傷で殆ど戦力にならない以上苦戦する理由はなかった。俺は敵の攻撃を冷静に対処し、しばらくの打ち合いの後、二人の暗殺者は血を吐きながら床に倒れ伏した。
ふっと息を吐き、紅炎は大丈夫かと視線を上げた俺は驚愕に目を見開いた。
紅炎が苦戦していたからではない。むしろ……。
「な、なんなんだ、こいつは……」
暗殺者の頭目のその畏怖に濡れた呟きは俺にも痛いほどよく分かった。
紅炎の戦闘は、蓮荷と戦っているのをわずかに見ているだけだったが、あの時は相当手加減していたらしいことが嫌でも理解できた。
今の彼女は、肘から手の先ほどの長さの短剣二振りを両手に持って戦っていた。その戦いぶりを形容するならば、陳腐な言い方だが舞を舞っているがごとく。
頭目と共に紅炎のほうに向かった男たちのほとんどは既に血を流して倒れており、今、頭目をかばうように立っていた男の首に短剣が突き刺さったことでその場に立っているのは紅炎と頭目の二人きりとなった。
首から血を吹き出しながらゆっくりと倒れてゆく男には目もくれず紅炎は頭目に飛び掛かった。
紅炎は両手の短剣を自在に動かし、頭目はそれに対処するだけで精一杯という様子だった。しかしそれは頭目の実力不足を示すものではない。紅炎は少し距離を置いて見ていても意味不明な挙動から攻撃を繰り出し続けていたのだ。右からの攻撃かと思わせ防御に映った瞬間に攻撃を左からに切り替え、それに対応されてもさらに斬撃の軌道を捻じ曲げ着実に傷を負わせてゆく。
そして頭目が何とか反撃をしても女性特有の関節の柔らかさを遺憾なく発揮し滑るように攻撃を避けるのだ。
その常識外れの戦闘技術を見て、今までの疑問が氷解した。
その疑問とはなぜ朱凶が家族のある彼女を強引に朱凶に引き入れたのかということ。
暗殺者の集団というのは普通仲間を増やすときは、孤児を選ぶという。その理由は暗殺集団というコミュニティに帰属意識を植え付け裏切りを防ぐためだ。逆に言うと家族を持っている者は帰属意識を持たせづらく、邪魔だからといって家族を殺せば暗殺集団に憎しみを持たせることになってしまう。事実、現に今紅炎は朱凶を裏切りここにいる。
彼女を朱凶に引き入れた者もそれを受け入れた者も当然にこのリスクは承知の上だったのだろう。にもかかわらず彼女を暗殺者に仕立て上げた理由は一つ。ひとえに彼女の武の才能に見入られてしまったからなのだろう。暗殺者と言えど武に身を浸す者たち、彼女の才能は眩しすぎたに違いない。
ーーそう、納得してしまうほどに紅炎の戦闘技術は冴え切っていた。
俺が奇妙な納得をしているうちにも戦闘は続いていた。
紅炎は頭目の放った蹴りを思い切り沈み込ませて避けた。その動きはあまりにもなめらかすぎて頭目には突然紅炎が消えたようにすら見えたかもしれない。彼女はそのまま頭目の股の間を滑りぬけ背後に立った。
「こ、のォッ! ちょこまかと!!」
すでに多くの傷を追っていた頭目だったが、その傷がなかったかのように機敏な動きを見せる。その場で反転しながら裏手で後ろを掻き殴ったのだ。
その攻撃は人を十二分に惨殺せしめるもの。
ーーしかし、彼女はもうそこにはいなかった。
紅炎は頭目の攻撃が到達するよりも早く動いていた。彼女は地面を蹴り、次いで壁を蹴った。いともたやすく三次元挙動をなした彼女は壁を蹴った勢いそのままに両の短剣を振るった。その短剣は願い違わず頭目の首と胴を斬り離す。
「あ、ありえん……」
目を見開き呆然と呟かれたその言葉が暗殺者の頭目の最後の言葉となった。
どうっと頭目の体が倒れると同時に紅炎は軽やかに地面に着地した。
「……なに?」
鮮やかなまでに見事に暗殺者を下した彼女に思わず見入っていると当の彼女から胡乱気な目線を頂戴してしまった。
んん、と咳払いして応える。
「いや、何でもない」
「そう、ならはやく行こう。貴方に死なれたら困るから付いてきたけど私も目的はあくまで朱凶の族長、燕呈の首だけ」
「ああ、分かっている。政のもとに急ごう。来るとしたらあいつのとこ以外考えられん」
「うん」
ピクリとも動かなくなった暗殺者たちを廊下に置いて、俺たちは再び王宮を駆け始めた。
「そう言えば、さっきのあなたのひょえ~っていうやつものすごく情けなくて面白かった。またやって」
「……」